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執筆者の写真sfumita7

目で見ているのではなく脳で観ている

更新日:8月3日



『なぜアートが有効なのか』

視覚情報を処理するときに

脳の25%、神経経路の65%以上が使用され、 これは他のどの感覚よりも使用率が高い。

美しいと感じるものや名画を観るだけで、

その美しさを写し取ろうといった欲求が働く。

トレースされた”美しさ”の記憶が

前頭葉に上書き保存されて美意識が高まり、

「美しい生活・美しい仕事・美しい人生」

のクオリティーが上がってくる。


美しいと感じるものを観る回数が増えることで

前頭葉が鍛えられて、感覚が磨かれ、

美意識や感受性が高まっていく。

そして日常の感動が増していく。

感動の多い生活や仕事ができることで、

豊かな人生を過ごせる。


『牛乳を注ぐ女』1658年 ヨハネス・フェルメール




『観察力を磨くことで』

読解力、洞察力、的確な判断力を磨く。 画家の感覚、頭の中のイメージまでも可視化できる画力だけではなく モチーフの本質を捉える観察力や名画に潜んでいる情報を読み解ける洞察力など 画家の五感を使ったリサーチ力、思考力、伝達力が 様々な仕事に必要とされてきている。




『毎日を新鮮に向かえること』

環境の変化に順応していくためには創造性が必要。 創造が脳や身体を最も進化させる。 気づいたことを絵に描き発想を具体的に展開していくことは 一気に色んな感覚や感性、体の機能を連携して使う。


『どんな仕事だって』

脳と体の連動と展開や考え方の新しい視点が必要。

デッサンで必要な観察眼とは表面的な描写力だけではなく、観ているものの構造や光など周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力である。

このリサーチ力、伝達力は絵を描くことにとどまらず様々な仕事にも必要とされる。



『デッサン力があるということは』

絵の上手い下手の違いではなく情報を収集する力や伝達する能力、ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく能力。

頭の中のイメージ(ビジョン)を絵に描き出す感覚を磨くことが、日常生活や一般的な仕事で見直されてきている。




『見えないものが見えるようになる』

若冲の「群鶏図」にみられるような驚異的な細密描写と、オディロン・ルドンの顕微鏡で覗き見るような絵の世界観には共通点がある。いずれも表面的な写実描写に留まらず、リアルな仮想世界にまで到達して描いている。


『群鶏図』 宝暦11年(1761年)-明和2年(1765年)頃 伊藤若冲


『花瓶の花』1912年-1914年 オディロン・ルドン



『見ているようで観ていない』

よく観るということは意識して確認するということ、事実を確認して、

思い込みではなく本当のことに気づいていくということ。

”観察”とは、「よく観て、察する」こと、「気づく」こと、「気づかい」。

よく観る人が増えればもっと安心できる優しい関係が広がっていく。




古代から続く、絵を描く習慣


 いまでは芸術や趣味 、仕事として多くの人たちが絵を描いていますが、歴史をひもとくと、そのときどきの人々の息づかいが聞こえてきます。

 遠い昔――私たち人類の祖先が狩りをして暮らしていた時代――「絵」はいまよりも大切な意味を持っていました。彼らは動物の姿や狩りの仕方、そしておまじないの印などを絵として洞窟の壁画に残しました。彼らにとって絵は、「生きるための術」そのものだったのです。

 古代エジプト時代になると、絵の内容はより具体的になります。彼らは「永遠」という言葉を好み、死後の世界を描きました。亡くなった王の石室には、生前の暮らしぶりが詳しく描かれました。王が復活したときに、自分が何者かを知るために描かれた「記録」なのです。いまでこそ芸術性が高く評価される古代エジプト画ですが、幾何学的な秩序と綿密な観察によって、当時の生活ぶりを正確に記録しているのです。

 絵を描くということは、生きることと密接につながった人間の営みともいえます。






絵の威力


 私の父は、数年前に紺綬褒章をいただきました。その理由は何十年も描きためてきた油絵作品のほとんどを公共施設や必要とされている方へ無償で提供したからです。  父は洋画家であり教育者でもありました。日常の中で美術史を語り、絵画表現の現場で制作する姿を私にみせてくれています。しかし、私が実際に影響を受けたのは、一生懸命しゃべってまわりの人を喜ばしたり、風呂好きで入浴を楽しむために毎朝、風呂掃除などをしたりしながら、自分のスタンスをみつけて生活する父の姿なのです。

 また、父の描く絵画のどれがすばらしいということよりも50年以上も描き続けているということが何よりも父が父親であり、画家であるという説得力を感じています。  アーティストの生活、姿やデッサンの効果は,この日本では一般的に知られていないというか違った見方をされているようです。  私はアーティストの活動やデッサンを学ぶことが、日本の現代社会でもあらゆる分野でその威力をまだまだ一般的にひろく発揮できると感じています。その効果の対象として、教育、医療、スポーツ、科学、政治などその可能性ははかりしれません。  その威力、効果の中にバランスの崩れた環境によってアイデンティティーを見失いかけた人の精神状態を修復し和らげる作用があります。また、物事を遂行するための最良のシステムを解明できる可能性も秘めています。  教育の面での一例として、ニューヨークの現代美術館でみかけた課外授業を紹介します。作品の前の床に10数名の生徒を座らせて、ひとりひとり自分の推測で作品の解説をさせては場所を移動するといった行為を繰り返していました。  日本では、美術館で行う授業は大抵美術史とか、美術作品鑑賞とか美術の枠内から出る発想がありませんが、その時、ニューヨークの美術館で行われていたのはディベートやプレゼンテーションの授業であって美術品を格好の教材として利用していただけなのです。これも美術館の活用の可能性をひろげた効果と言えます。このような実現可能な取り組み方が、他にもたくさんあるにもかかわらず、少なくとも日本には芸術の素材やシステムを社会的にひろい分野で活用するためにコーディネートする仕事が少なく、その効果の研究が十分に成されていません。

 このようなアートの未開の部分を開拓していこうと考えています。


『クリスティーナの世界』 1948年 アンドリュー・ワイエス


『ウィトルウィウス的人体図』 1485年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ


レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿より




絵は人を育てる


デッサン力とは、単に絵の上手い下手の問題ではなく、

情報を収集する力や伝達する力、

ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく力、

頭の中のイメージを具体的な絵に描き出す力といえます。



 子どもの教育としても社会人にとっても相手の望んでいる考えや目的を正確に読み解き【リサーチ力】、頭の中で考えた洞察・アイデア【発想力】を他者と共有できるように可視化して伝達【プレゼンテーション力】していく必要があります。これらの力を磨くことでコミュニケーション能力も向上していきます。

 この感覚機能を磨くことが日常生活や学校教育、ビジネスにおいても見直されてきています。子どもから大人まで絵を楽しく活用しながら画力だけではなく、観察力・思考力・洞察力・伝達力といった感覚機能や創造性を磨いていくことができるのです。


『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』 1499年 - 1500年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ




「アート・デザイン」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?


 インテリア、ファッション、絵画、彫刻、ルーブル美術館、印象派…などだろうか?また、思いどおりに絵を描いたり、造形できたりすることだけがアート・デザインの魅力、威力なのだろうか。  日本では、芸能スポーツに関する情報やその選手、芸能人たちの活躍は各メディアで頻繁に紹介され、社会におよぼす影響力もひろく知られているが、アート・デザインもまた、あらゆる分野での可能性を秘めながらその威力や魅力を充分に有効利用されていないのが現状である。スポーツと同様、アート・デザインも生活に密着したものである。また、その土地の文化に根付いたものであり、その時代を象徴するものでもある。だからこそデザイン&アートの基本表現である『デッサン』を学ぶことで、その時代の中で生き抜く力を培っていくことができるはずなのである。

 「アート・デザイン」表現がおよぼす人への影響力は多岐にわたり、はかり知れない。「表現」といっても音楽や絵画、彫刻、小説などに限らず、あなたがアート・デザインと考えるものなら旅行や料理、ビジネス、趣味、子育て、コミュニケーション、リフォーム、遊びとどんな表現にもあてはまるはずで、それがアート・デザインの魅力であり威力といえる。


 「アート・デザイン」力が日本の現代社会でも、あらゆる分野でその威力をまだまだ一般的にひろく発揮できると感じている。その効果の対象として、教育、医療、スポーツ、科学、政治などその可能性ははかりしれない。その威力、効果の中にバランスの崩れた環境によってアイデンティティーを見失いかけた人の精神状態を修復し和らげる作用もある。物事を遂行するための最良のシステムを解明できる可能性も秘めている。 アート・デザインの基本である「デッサン」で学んだことは、アート・デザインの専門分野の枠にとどめず、ビジネスや人生の営みに関わる様々な場面で活用できるのである。




すべての人に必要なアート


 アートに正解はありません。芸術家たちは、いつの時代も未知の領域への挑戦を続けてきました。必要とされるアートが、社会変動と共に変貌し続けています。

 石器時代に人類が生まれてから狩猟社会がはじまり、獲物を追いながら住処も変わり、そのサバイバルを生き抜くために道具や知恵を創造してきました。狩りを成功させるための祈りや儀式、学びも行われ、そのために絵が描かれたり彫像をつくったりする芸術家が現れたのです。  新石器時代に農耕社会が生まれ「定住」がはじまります。人類は農耕に最適な場所を開拓し、農業と牧畜をするようになってから「土地」へ執着するようになります。それが部族同士の争いの発端といえるでしょう。部族を豊かにするために領地の拡大を図ります。部族が一致結して目的を達成するために長が選ばれ、いずれ地域ごとの王が生まれて、巨大な帝国や文明が現れました。大衆を統制するために宗教や法律が必要となり、中世時代に宗教芸術が生まれたのです。


『最後の審判』ミケランジェロ システィーナ礼拝堂


 19世紀ヨーロッパで産業革命により工業社会が生まれ、田舎から都会に人がなだれ込みました。人の日常や仕事は機械や時間、規則に管理されていき、生活環境が過酷になった民衆は「人権」を求め始めたのです。この時代のヨーロッパでは伝統を継承する新古典主義ではなく、民衆の自我や個性の自由な表現、人間らしい生き方をテーマとしたロマン主義の芸術家たちが、庶民から指示されました。


『民衆を導く自由の女神』 1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ

 大不況の時代、写真技術の発展もあり肖像画や風景画の依頼が減り、画家たちは失業していきます。クライアントを失った若き画家たちは自分の描きたい絵を追求し始めます。印象派の画家たちによって、絵を描くモチベーションの幅が一気に広がっていき、西洋美術が画期的な進化を遂げています。このように「狩猟」「農耕」「工業」と社会が変換していき、アートとサイエンスの発展と共に「情報」が人の生活を左右する現代の「情報社会」に向かったのです。

『サン・ラザール駅』1877年 クロード・モネ



 現代もまたAIの発展で人の仕事が奪われると懸念されていますが、アートを学んで創造性を身につければ芸術家のようにサイエンスの発展に刺激されることで新しい価値観を発見し、人の可能性が拡がっていくと考えられます。これから先の未来もアートとサイエンスが人の成長を推進していくことでしょう。




発想の源


 いま私たちはさまざまな道具を使いながら、便利な生活を送っています。なにげなく使っている道具たちも、もとは誰かがアイデアを思いついて、それを試行錯誤しながら形にしていったものです。古くは木の枝や石ころなど最低限のものを生きるための道具として使っていたのが、長い年月をかけてあらゆる道具を発明してきたのです。

 そんな道具を飛躍的に発展させた発明家のひとりがレオナルド・ダ・ヴィンチです。モナ・リザなどルネサンス期の名画を残したことでも知られる彼は植物や人体、水の流れなど自然物のあらゆるものを観察し、その仕組みを研究した成果を膨大なスケッチに残しています。自然科学を研究する中でいろいろな乗りものの原案となるアイデアスケッチもたくさん描いています。たとえば、風に乗って回転しながら舞い上がる葉っぱからヒントを得たヘリコプターの原型ともいえる乗りものや、硬い甲羅で身を守りながら移動する動物をもとに戦争兵器となる戦車の原型も描いています。

 芸術家であり研究家でもあるダ・ヴィンチは、身のまわりの自然を観察して絵に描くことでその発想の源を飛躍的に展開させました。そうして現代につながる便利な道具を発明していったのです。

『レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿』より




誰もが得られる喜び


 皆と同じものを日常で見て、同じような環境の中で、 他の人が気づかなかったことが気になり、 気になってしょうがなくなり探求が始まる、それが発見。


『最も高貴な喜びとは、理解する喜びである』 -レオナルド・ダ・ビンチ-


トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 1515年頃) 



日々、暮らしていけることが、どれだけ幸せなことかを気づくために創造力がある。

創造性はアートの世界だけではなく、繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。

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