嬉しい、楽しいは、絶対的に正しい
日々、暮らしていけることが、どれだけ幸せなことかを気づくためにアートがある。意思、意図、意識、意味を見いだせるアート。生き続けている意が様々なものたちを救ってきた。創造性はアートの世界だけではなく、繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。アーティストは日常に隠れている奇跡を発信する。
アートは、自分の生活とは無関係だと思い込んでいる方が多いと思われます。まずは”アート”とは?といった何だか得体のしれないものからではなく、”働く”とは?といったことから見直してみましょう。
20世紀ドイツ出身の哲学者であり思想家のハンナ・アーレントは、人が働くことを分かりやすく分析しています。
・労働 :食べていくためにやること/我慢(つらい)/トラバーユ(労苦、骨折り、罰)
・仕事 :クリエイティブな自己表現/充実(楽しい)/やりたいこと、探求したいこと
・活動 :公共のためにやること / 満足(嬉しい)/ 奉仕
彼女が生きた時代、ドイツではナチズムが台頭していたので迫害を逃れてアメリカ合衆国に亡命した背景があります。同時代の女性といったら「アンネの日記」の著者アンネ・フランクを思い出しますが、ハンナも人が人らしく生きることに対して純粋な思いがあったのだと思います。また、彼女は20世紀最大の哲学者といわれるマルティン・ハイデッガーの元恋人であり、若いときから現実社会を真摯に見つめ合いながらのハイレベルな知的交流があったと思われ、その深い考え方や言葉一つ一つに説得力を感じます。
芸術を愛するフランス人の働くこと、トラバーユ【travail:仏】は【痛み、労苦、苦悩】を意味します。
フランス人の社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースは日本人の仕事に対する考え方、特に地方の民芸、職人の創造性のある仕事に興味を持ち 日本の仕事をtravailと訳せないと言ったそうです。
日本の仕事を象徴する言葉
歌舞伎役者 坂東玉三郎氏の芸の目的は
「お客様に生きていてよかったとおもっていただくこと」
中央が五代目坂東玉三郎
「型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。」
「型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。
どうだ、わかるか?」 落語家 立川談志
立川談志 柳家小ゑん時代(1959年6月6日、当時23歳)
二つの生きる。「最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき、最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき(永六輔さん)」の考え方は、世の中の朽ちていくモノすべてに通じる。
人や物は永遠に生き続けられないがその”思い”は、誰かが引き継いでいく限り生きる。
週刊雑貨より(1966年)
紙面の2次元ではなく、現実の3次元で考える。経営の神様である松下幸之助が「経営とは、白紙の上に平面的に価値を創造するだけではない。立体というか四方八方に広がる芸術である。となれば、経営者はまさに総合芸術家。」と言っている彼はクリエイターである。
松下幸之助(1960年代初期頃)
理性と感性の両立
「現状維持といった考え方が、最も危険」と語るトップ企業の経営者。その想いは企業経営だけではなく、家族(核組織)の将来にも関係しています。今、残っている生き物にしても文化にしても現状維持ではなく、地球や社会の環境変動に適応して新しい生き方にチャレンジして進化し続けてきました。要は「今を生きるための効率性」と「将来、生き続けるための創造性」の両輪がバランスよく回らないとぶれないで真っすぐに前進していけないということなのです。この両輪は「現実と夢」のように一見、矛盾しているように感じます。それが「悩み」となり、そのバランスが悪くなると「問題・摩擦」が起こるのです。明るい未来を拓くためには、その両方の強い想いが必要不可欠で、その歯車がしっかりと強く噛み合っていくことが大切だと考えています。これはビジネスだけの話ではなく、人生の話でもあるのです。
現状維持のためだけに生きていると人生が空しくなっていきます。夢をみている余裕はないと思い込んでしまうのです。夢をみるということは漠然とした理想ではなく、今の自分や家族に具体的な目的をもって投資するという現実的なことであると思います。人や社会が、現実的な効率性と具体的なビジョンから生まれる創造性を身につけて磨いていくためには、芸術(観察力・思考力・伝達力)教育が、実は最も有効なのです。
働けるありがたさ
「仕事がある」「契約をとる」「オファーがある」、それを目的にするというよりは、そんなことの一つ一つのつながりを「縁」「自分を生かせるチャンス」と捉えて精一杯やらせていただくといった思いの強さが、生きがいや喜びに繋がっていくと感じています。
『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』1878年 ピエール=オーギュスト・ルノワール
ルノワールは若い頃、陶器絵師でしたが産業革命による工業化のあおりで陶器や磁器にプリントの絵付けをする方法が発明され、職人としての道を断念します。挫折感に苛まれる中、印象派の画家たちと出会い、同世代のモネとは互いに才能を認め合い、スケッチ旅行を共にするなどして絵画表現を磨き続けました。
絵は売れずに貧困にあえぎながらも二人は切磋琢磨しながら互いにリスペクトし合って、それぞれ自分の良さに気づいていったのです。また自分を磨き上げるだけではなく、誰かに喜ばれるために絵を描いたことが転機となり、ルノワールは肖像画の依頼が増え、モネの絵はアメリカのコレクターを魅了し始めます。モネはたくさんの風景画を描き、対照的にルノワールは自分の家族や友達などの人物画を中心に描きました。
後世では「風景のモネ、人物のルノワール」と呼ばれ、画家として成功し多くの人から尊敬され、最晩年まで大好きな絵を描き続けた幸せな長い人生をまっとうすることができたのです。
『睡蓮』 1905年 クロード・モネ
「創造性」が、なぜ今必要なのか
理論物理学者のアルベルト・アインシュタインが
「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会を
つくり、授かりものを忘れてしまった。人の脳に備わる本当に大切な能力、知覚・直感・
想像力・創造力を近代社会や教育で、ないがしろにしてきたことが現代に影響してい
る。」という言葉を残しています。
1921年、ウィーンでの講義中のアルベルト・アインシュタイン
「最も高貴な喜びとは、理解する喜びである」
と語るレオナルド・ダ・ヴィンチは
「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうこ
となく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆き、あらゆる楽しみの根底には感覚的知性を磨くといった真面目な目的があると提唱していました。
脳が喜ぶと感覚的知性を磨くことになります。人工知能(AI)が人からほど遠いのは「楽しいからやる」「嬉しいからやってしまう」「誰かが喜ぶからやる」といった感覚です。
①0を1にする = 無いものを創造する
②1から9にする = 既存のものを統計的に判断し効率よく作業する
③9を10に引き上げる = 成長の限界にきたときに新しい価値観を創造する
②は、AIが進歩していく能力 ①と③は、人にしかできないこと、それがアート(創造性)
実は意外なほど、意識し考えて判断していない
「普通はこうだ。一般的にはそうするはず。」といった漠然とした枠が、フロイトの分析した前意識です。
思い込みにとらわれてしまうと日常のほとんどを無意識に判断し行動してしまうのです。思い込みを取り外し意識して考えること、自身に正直な判断が「思い」なのです。その「強い思い」で前意識にとらわれずに行動することが大切なのです。
気づくことで成長する
『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られるアメリカ合衆国の著作家、小説家マーク・トウェインは、
「やっかいなのは、何も知らないということではない。実際は知らないのに知っていると
思い込んでいることだ。」
と大半の人が観念的な思い込みで物事をとらえて、偏見で判断してしまっていることに苦言を呈していました。
絵を描くことも続けていると感覚が磨かれて、これまでとは違った物事が見えるようになっていきます。
最初は目の前にある現象だけしか見ることができなかったのに、観察力が磨かれることで情報の領域が広がっていくのです。
するとその物事に影響を及ぼしている周囲との関係や状況が見えてきて、多角的な視点で考え判断できるように成長していくのです。
『牛乳を注ぐ女』1658年 ヨハネス・フェルメール
『幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える』とフランスの経済学者ダニエル・コーエン氏と提唱するように、絵を描くことも仕上がった達成感というよりは 「もっと良くしたい、もっと描きたい」 といった過程で成長が加速し続けます。だから新作を描き続けるクリエイターは高齢でも元気な人が多いのです。
絵を描くことは、絵のプロになるためだけに必要なことではありません。絵の描き方を習うということは、じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味しています。
以前にブライダル系企業の職員研修として、それまでは結婚式のデザインを写真カタログを使って提案していた職員にデッサンレッスンとデザインの指導をしたことがあります。
研修を受けた各職員は、それぞれのお客様とのコミュニケーションから引き出される情報で、ブーケや衣装のイメージを絵に描いてオーダーメイドのデザインとして提案できるまでに成長しました。お客様に大変に喜ばれ実績が上がるだけではなく、職員の働く意識が「ノルマを達成する労働」から「人に喜ばれる生きがいのある仕事」に変わっていったという嬉しい報告がありました。そんな職員の生き生きとした姿をみて経営者も幸せな気分になったということです。
「デザインとは単にどのように見えるか、どのように感じるかということではない。どう機能するかだ。」とアメリカ合衆国の工業デザイナー、企業家のスティーブ・ジョブズは語っています。
社会や教育、企業に必要とされる創造性の本質として、スティーブ・ジョブズがピクサー映画の製作として掲げた理念である ”「ストーリー」「キャラクター」「世界観」の3つを主要な側面として考える”は、魅力的な社会や教育、企業を創造していくためにも重要なワードだと思います。
「思い込みをなくす」「気づき」「ストーリー性」「個人の感性」「関心をもつ」「世界観」「美意識」などといった創造性の本質を捉えた視点の導入が、息の長い考え方として社会や教育、企業に必要だと感じています。
社会で求められる成長共育
能動的な人材を育てることが求められている今、美術教育においても
「教え育てる:教育」という姿勢ではなく
「共に学び育つ:共育」を意識した指導法が大切だと考えています。また、
【次世代(大人も含め)がゲームやユーチューバーにハマってしまう理由】 ・創造性がある ・自分の行動に対する評価や報酬が明確 ・評価があがれば出来ることが増える ・出来ることが増えるともっと評価される ・出来ないことは道具や仲間の力を借りることができる ・失敗してもやり直せる
これら”共感“される評価法・考え方・システムは
次世代の子育てや教育にも必要だと考えています。
【社会で重視される要素:コミュニケーション力・主体性・チャレンジ精神・協調性】 ・相手の視点で発想し工夫できる ・社会情勢や環境変化に対応できる ・様々な環境から物事を捉えられる ・積極性がある ・正解のない中で、主体的に取り組みチャレンジできる力 ・価値の転換ができる発想力 ・創造性がある
東西のアートの歴史を”視点の歴史”として捉えています。一人のクリエイターの才能で世界が動いてきたのではなく、社会と個人、また人同士の関わり(コミュニケーション)により、変貌する社会環境へ順応したことでイノベーションが起こってきた“アートヒストー“として見直していきます。
この研究は実社会で機能していくための要素を読み解いていくことになります。
美術共育が、人や社会を育てる
「よく観ること。しっかりと感じとること。多角的な視点をもつこと。伝え方を工夫すること。本質を探ること。違和感を見つけ解消していくこと。知らないことに気づいていくこと。創造すること。」これら生きるために大切な感覚機能と創造性を美術共育で磨くことができるのです。
このような感覚を磨くことが日常生活や一般的な仕事で見直されてきています。芸術的な素養としての美意識を磨いている人は、サイエンスの領域でも高い知的パフォーマンスを上げています。これらを理解して教育できる“美術指導”が必要とされ、すべての分野でアート思考が求められているのです。
【社会で機能する美術共育(創造性を磨く)ルーティーン】 ・問題を的確に発見する情報収集 (見つける力 = リサーチ力) ・問題を解決する情報整理 (考える力 = 視点、考え方の発見・発想) ・情報のビジュアル(具現)化 (伝える力 = 伝達力・表現力)
医者が、患者に問診し専門知識と医療スキルを駆使して治療をするようにクリエイターが、問題点を正確にリサーチし専門知識と技術を駆使した的確な判断によって“答えのない問題“を解決していく力が創造力です。創造力を磨いていくために美術教育の基本であるデッサン指導を見直しています。
よく観て繰り返し絵を描くことで本当のことに気づいていきます。絵で必要な画力と観察眼とは表面的な描写力だけではなく、観ているものの構造や光と影など周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力とその本質を的確な構図や技法で効果的に伝達する力なのです。この対応力は絵を描くことにとどまらず、様々な仕事にも必要とされると考えています。
デッサン力があるということは、絵の上手い下手の違いではなく、情報を収集する力や伝達する能力、ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく能力(プランニング)のことです。
頭の中のイメージ(ヴィジョン)を絵に描き出す感覚を磨くことが日常生活や一般的な仕事で見直されてきています。
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』1499年 - 1500年ごろ
レオナルド・ダ・ヴィンチ
※画像はwikipediaより
美術共育の社会的役割
SDGsを目指し始めた世界で、欧米ではデザイン思考やアート思考による美術教育の社会的役割が重要視されている昨今、日本でも文化庁や文部科学省の教育改革だけではなく、企業や行政も働き方改革、社会人の学び直し、社員教育、職員研修も“新しい教育”といった「正解のない問題」に取り組んでいます。日本の文化が国内外で見直されている中で、その特有の視点を活かした美術”共育”が世界から求められていると実感しています。
「正解のない問題」への対策で迷走している学校教育の現場や行政、企業での社会活動を通じて、日本の持続的な経済成長社会であるSociety5.0の実現へ強い意志を持ちながらもアナログへの回帰、伝統文化の伝承の重要性が高まってきていることも肌で感じています。STEAM教育、学校教育の現場、伝統文化の工房、企業、行政の職員研修など実社会の様々な分野の方たちと協働しながら、私自身も試行錯誤を続け共育プログラムの研究・開発と実証を繰り返してきた成果として“実社会で機能する美術共育”が整理されてきています。
美術教育によって磨かれる“感覚や創造性”は、子供から大人まで想定外な環境に順応して生き抜いていく力を身につけていくために生涯、継続して必要なものなのです。
『空一つ』2017年 文田聖二
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