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  • 執筆者の写真sfumita7

『絵を習うということは』

更新日:5月4日

 実はものの観方、多角的な捉え方・考え方、伝え方を学ぶということであり それは単に漠然と目で見ることよりも多くのことを意味しています。 ものごとを前とは違うやり方で観ることができます。 その身につけた技能を応用して一般的な思考や問題解決の能力を高めることができるのです。

 

 アートは不要不急の贅沢とは違う。生きていくために雨風をしのげる屋根や壁はあっても窓や非常口のない建物の中で仕事や生活していると人生が不安で貧しく荒んだものになってしまいます。

 疲弊する心に活力と開放感を与えられるアートは人生に必要不可欠なもの。社会が注目しているアート思考、求められている創造性とは疲弊した心に活力を与えられる希望の

力、不快を快に「価値変換」していける力ともいえます。



『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重




アート思考の基本


 アートの基本は「思考の具現化」。絵を描くことは、絵のプロになるためだけに必要なことではありません。絵の描き方を習うということは、じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味しています。よく観て繰り返し絵を描くことで、本当のことに気づいていけます。


 芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチは、凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆いていました。また、絵を美しく描くことだけでは満足しないダ・ヴィンチは、「空、樹木、人間、花、動物」がいかに存在し、たがいにいかに関係しあっているのか、自分の目で見、自分の手でつかむことで描くすべてのことを理解しようとしていました。絵に描くことで「よく観ること・よく理解すること」ができるのです。


『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ パルマ国立美術館


「レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿」より


「レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿」より



絵を描くことは、 絵のプロになるためだけに必要なことではありません。絵の描き方を習うということは、じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味している。よく観て繰り返し絵を描くことで 本当のことに気づいていくのです。


 読み書きを学ぶ国語の授業は、小説家など言葉のプロを生み出すためだけの学びではなく、社会で生きていくために必要なものです。

数学も歴史の授業も専門家を育てることだけが目的ではないように、絵を観たり表現したりする美術(アート)の授業も絵の上手い下手の評価ではなく、「観察力・思考力・伝達力」の感覚を磨いて生きる力を身につけていく大切な時間なのです。


デッサン力があるということは、絵の上手い下手の違いではなく、情報を収集する力や伝達する能力、ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく能力です。 頭の中のイメージ(ビジョン)を絵に描き出す感覚を磨くことが、日常生活や一般的な仕事で見直されてきています。


 デッサンで必要な観察眼とは表面的な描写力だけではなく、観ているものの構造や光など周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力です。 このリサーチ力、伝達力は絵を描くことにとどまらず、様々な仕事にも必要とされています。


 絵を描くことも 仕上がった達成感というよりは 「もっと良くしたい、もっと描きたい」 といった過程で成長が加速し続けます。だから新作を描き続けるクリエイターは高齢でも元気な人が多いのです。

『幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える』

 フランスの経済学者ダニエル・コーエン氏の言葉


 絵を描くことを生涯、修行ではなく楽しみ続けた画家 印象派の巨匠、病床のピエール・オーギュスト・ルノワールは 最後にアネモネの絵を描きました。「ようやく何かがわかりかけた気がする。」という言葉を残し、その夜に亡くなったそうです。78歳でした。


『アネモネ』1883年90年 ピエール=オーギュスト・ルノワール



 普段、知っていると思い込んでいる物事を絵に描くと知らなかったことをいくつも気づくことができます。絵は思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けません。

物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、書物の様に「読みとく」「理解」する感覚が大切です。絵を描くことで、知らなかったことに気づくので日常的に「よく観る」習慣が身についていきます。


世界の中で、日本人は絵が上手い民族。日本文学も俳句もビジュアル的な言語。生け花も茶道もビジュアル的な文化。日本の文化は映像文化。日本人はビジュアル人間。ビジュアルを巧みに操る民族。だから日本アニメや漫画は世界から支持されています。そのDNAをもっと教育や仕事に活かせるのです。





よく観ないと世界は見えてこない


 月の引力の影響が海や人の血流までにおよぶことや地球の自転で水の流れが変わったり、

宇宙に存在する(可視できないものも)すべてがねじれていたりと素直に考えると存在するそれぞれが宇宙の構造を持っていると感じます。

 科学者ガリレオ・ガリレイが低倍率の望遠鏡で、月のクレーター(凸凹)を発見できたのは、彼が水彩画を描くことで 陰影により奥行きや立体を表現していく観察眼を身につけていたからです。


『月の水彩画』 ガリレオ・ガリレイ



 芸術的な素養としての美意識を磨いている人は、サイエンスの領域でも高い知的パフォーマンスを上げています。


思い込みで、判断を誤る

よく観ないと世界は見えてこない

多角的な視点が大切




写実とリアリズム


 基礎デッサンのレッスンでは、まずは石膏像をよく観て正確に計って写実的に描きますが、そのまま写そうとする作業とは違います。表面的な「現象」に合わせるのではなく、モチーフについて多角的な視点から知ること、特徴を理解し「印象・らしさ」を捉えることが大切です。

 日本での写実主義の絵画は、楽器や壷などの静物や人物を「細密描写」で描くといった印象がありますが、西洋では「生と死」(リアリズム)をテーマとした骨や腐りかけた果実などのモチーフを描くといった概念の違いがあることを理解しましょう。

 写真のように写し描くことが写実ではないのです。写真では伝達できない情報を人は五感で収集して脳で認識しています。写実絵画は記録と記憶のハイブリットによって生まれます。様々な記録情報、対象物に関する記憶がブレンドされて描かれたものが写実絵画なのです。


『自画像』 1500年 アルブレヒト・デューラー


※「芸術界の救世主」といわんばかりに自画像にイエス・キリストのテイストを盛り込んで  描いた写実絵画の巨匠デューラー。絵画は写真のように見たままを写すのではなく、視点をもって情報をブレンドして描かれている。


 絵は五感を使って描きます。対象をただ写し描くことが写実ではなく、光の入り方、その時間帯、季節感など対象物を取り巻く(多角的)世界をどれだけ広く感じさせることができているかが重要です。その視野の広さ、視座の高さで伝わるリアリティが違ってくるのです。また、画力と観察眼とは表面的な描写力だけではなく、観ているものの構造や光と影など周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力とその本質を的確な構図や技法で効果的に伝達する力です。


『牛乳を注ぐ女』1658年 フェルメール


※絵は五感を使って描く。 対象をただ写し描くことが写実ではない。 光の入り方、その時間帯、季節感など対象物を取り巻く(多角的)世界をどれだけ広く感じさせることができているかが重要。その視野の広さで伝わるリアリティが違ってくる。


 よく観えるということは気づくということで、詳細まで理解できていることと同時に

俯瞰して全体が観えているということで、この観察力が生活すべてにおいて大切なのです。

この対応力は、絵を描くことにとどまらず、様々な仕事にも必要とされています。


 西洋では日が暮れてもなかなか明かりをつけないで薄明り、夕暮れ時を楽しむ習慣があります。薄明りの中で過ごす時間が多いほど、明暗の感度が敏感になるのです。



『モルトフォンテーヌの思い出』 1864年 カミーユ・コロー


※実際に世の中が輝いてみえている。 色や影の違いが4、5段階しか意識しなかったのが絵を描くなどして観察眼を鍛えていくと10段階以上みえるようになる。色の微妙な見分けも同じで、画家が綺麗な風景を絵に描くのは技法によるものだけでない。

 

 そんな西洋人は光と影にこだわり、明暗法が発展しました。また、なぜ像を描くのか?その像とはどういったもの(存在)なのか?を理解していきます。デッサンレッスンで描かれる石膏像は、古代ギリシャ像をかたどったものが多くあります。





何故、石膏像を描くのか


 古代ギリシャ以降につくられた“美の象徴”ギリシャ彫刻は、大理石像やブロンズ像でしたが、古代ギリシャ人が造ったものはほとんど残されていません。石膏像の原型であるオリジナルの像(ヘレニズム期のミロのヴィーナスやニケ、ラオコーンなど)は、ギリシャ文化を象徴するとてもすばらしいものでしたが、破壊や盗難などにより実在せず、以後は想像からつくられてきました。それでも、長い歴史の中で数知れない量がコピーされ、今もなお描き続けられる理由は、ギリシャ彫刻の美しさが普遍的で永遠の宝物だったからです。そのすばらしさを理解するために彫像やアートの歴史的背景にも触れていきたいと思います。


☆石膏像と言うものは、明治政府が西洋の文化を取り入れて日本の近代化をはかっていた時代に美術においても同じく外国から先生を招いて、イタリアから招聘されたフォンタネージやラグーザなど古典派の画家や彫刻家が教材の一つとして持ちこんで石膏デッサンを始めたのが最初のようです。


☆石膏デッサンをすることの意味には、手の訓練、目の訓練と言ったことで絵画の基礎段階で行われるのでしょうが、西洋美術(古典主義の)では古代ギリシャ、ローマ美術が出発点となっていますから単に手と目の訓練と言うだけの目的ではなくヒューマニズム(人文科学)の美術そのものの勉強であったとも言えます。

※美の定義をビジュアルとしてお手本になるものが他にない。強いて挙げれば「巨匠の作品模写、裸婦」がモチーフとして伝統的に使われている。

※石膏デッサン、裸婦、模写すべて”解釈(美術そのものの勉強)“が大切。


☆古代ギリシャ時代の初期、中期では崇高美、調和美が追求され神様の像が作られていましたがヘレニズム期には次第に表現が人間臭くなっていったと言われています。   

ローマ時代ではギリシャ時代に完成された彫刻美の摸刻が盛んにされるのですが、肖像彫刻においては優れた個性の表現がされるようになったと言う事です。


☆ヘレニズム期にいたるまでに、美術が古くから保っていた魔術や宗教との関係をおおかた失ってしまった、ということがあるのだろう。彫刻家たちの関心は、職人技そのものの優劣に向けられるようになり、このような劇的な闘いの場面を、その動きや表情や緊張感を含めてどう表現するのか、それが彼らの腕の見せどころになっていた。ラオコーンの運命の道徳的な善悪のことなど、彫刻家の脳裏には浮かびもしなかっただろう。


 こういう空気の中で、裕福な人びとが美術品を収集するようになった。彼らは原作が手に入らない有名作品はコピーを作らせた他し、原作が入手可能なものには法外な金をつぎこんだ。著述家たちが美術に関心を向けはじめ、芸術家たちの生涯について書き、その奇人ぶりを示す逸話を集め、旅行者向けのガイドブックを編纂した。

 名を馳せた巨匠は彫刻家よりも画家の方が多かった。当時の画家たちの関心も、彫刻家たちと同様、宗教的な目的に奉仕するよりも、職人としての専門的な技巧の問題にむけられていた。



代表的な石膏像の解説 


■青年マルス(アレス) 軍神、戦争の神 乱暴、残忍、冷血



紀元前5世紀に、古代ギリシャのアルカメネスという作家の作ったブロンズ彫刻が、ローマ時代にコピーされたもの。


■古代ヴィーナス(ヒュギエイアの頭) 健康の女神



 紀元前340年頃のも。アテネの神殿にあったその像の頭部とされているもので発掘当時から顔面に損傷が多くあり、俗にアバタのヴィーナスと呼ばれている。


■ブルータス 政治家 学者肌、人に感化され利用されがちな性格



古代ローマで圧制者(シーザー)暗殺を成し遂げたブルータスの彫刻


 ミケランジェロがこのブルータス像を作ったのは1539年頃。60歳の頃の作品とされています。実際にミケランジェロが作ったのは頭部のみで、衣服のほとんどは弟子のカルカーニという人物がつくりました。きっちりとローマ風に作りこまれた衣服の部分とは対照的に、頭部の髪は未完成のまま。あまりに多忙だったミケランジェロは途中で投げ出してしまったようです。カルカーニが師匠の作った頭部に手を加えなかったのは非常に賢明な行動でした。おかげでミケランジェロのタッチがそのまま残されました。


「私たち皆にとって最大の危機は、高きを目指し失敗することではなく低きを目指して達成することである。」

「やる価値のあることは何であれ、初めは下手でも、やる価値がある。些細なことから、完璧が産まれる。しかし、完璧は些細なことではない。」

「余分な贅肉が削ぎ落とされて、彫像は成長する。 神よ、どうか、私を、お許しください。いつも、創造を越えて、想像することを」

by ミケランジェロ



•かっとなりやすい性格のため若い頃はけんかも多く、あるとき顔を殴られて鼻が曲がってしまった。このためもあって容姿にコンプレックスを持ち、自画像を残さず、さらに気難しい性格になってしまった。

•仕事に取り掛かるのは遅いが、いざ始めると周囲が驚くほどの速度で仕上げたといわれる。

•彫刻の題材をどうやって決めるかをたずねられた際、「考えたこともない。素材が命じるままに彫るだけだ」と答えた。

•制作初期の段階でユリウス教皇に「完成はいつ頃になるのだ」と聞かれたところ、連日の制作に疲れていたミケランジェロは苛立ち、「私が『出来た』と言った時です」と返答した。これに対し、気の荒いことで知られた教皇は「早く完成させないと足場から突き落とすぞ」と言い返したという。



西洋美術の”ゆりかご“「地中海」




 西洋美術はこの地中海を”ゆりかご“として育っていきました。この地図を見ると色んなストーリーが想像できます。

・古代エジプトでは、理解することで表現している。文明文化、美術の発祥地。

・古代ギリシャでは、観察することで表現している。”美(理想美)“の基本、定義ができる




「ギリシャ文化とギリシャ美術Ⅰ」 古代ギリシャ:紀元前800年~


①地域性、社会構造

・海(地中海)を渡ってたくさんの文明が芽生えました。ギリシャや小アジアはエジプトと違い、偉大なひとりの王の存在によって時代が動いた訳ではありません。


②飛躍的な発展を遂げた背景にある様々な要素

・アドベンチャーを求める海賊王たちによって、ギリシャの入り江(地理的に好条件)が隠れ見のとなり、発展をしていきます。


③人に重点が置かれた文化、美術が形成された。

・クレタ島がメインの発信地であり、多くのアート(レリック:遺物)が発見されました。

それらのアートは、楽しそうで生き生きしたもので、本土にも移行していきます。


④支配関係はなく、独立心強く、争い事が絶えない時代でした。

その頃の建物はエジプトと違い、人間のために人間がつくる建物でフレンドリーな感はありましたが、エジプトに匹敵するような威厳はなくなりました。しかし、この時代の木と石でできた建物を見ると、柱の上下部を意図的に削り取りとったフォルム(エンタシス)が見て取れます。

シンプルな中にも工夫が施され、エレガンスな表現が試みられています。

大げさではない工夫は、プロポーションの美しさと機能を備えてすばらしいデザインセンスといえます。

※日本のタンスの蹴込みに通じるところがあります。


⑤ギリシャの最初の彫刻家は、エジプトを手本に彫像をつくりましたが、その彫像は人体区分(黄金対比)を吟味しながらつくられた彫像でした。

後に、ギリシャ人は観察力を重視し、古めかしいルールを破ることになります。

「全て見せる必要はない」という概念が美術革命を起こします。

※エジプトの彫像は硬直したものが多く、ぎこちなさをぬぐいきれないものでした。時代背景としては、エジプト人は知識と表現が手に手を取っていたといえます。よって、「全て見せなければならない」という厳格なルールに則ったアートでした。


⑥ギリシャでは、科学、哲学、数学、あらゆる事に対して前向きに考える人々が登場。


⑦ギリシャ神話の神々は、限りなく人間に近い存在であり人間と同様、長所短所を持っていました。




「ギリシャ分化とギリシャ美術Ⅱ」 古代ギリシャ:紀元前500年~


ソクラテス曰く 

「精神がどのように人間の人体の動きに影響するか課題である」


① 「美の追求」を積極的に始める。

・ 洗練された肉体(筋肉、骨、柔らかい肌)滑らかで、艶と張り

のある彫像が多くつくられました。(ディスコボロス:円盤投げ)


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彫刻家は空間と動きを100%理解できるようになりました。

②都市国家であるアテネは栄え、パルテノン宮殿のような古典建築が誕生。


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・アテネの最盛期を築き上げたペリクレスは、30年間もの平和を保ち、パルテノン神殿の建立を実現しました。

③その中には多くの彫刻、レリーフなどが飾られた。

・それらが切っ掛けとなり、たくさんの彫像が注文されることになります。

④彫刻やレリーフのモチーフは躍動感溢れるギリシャの神々やオリンピアの勝利者などだった。

・当時の彫像は顏に表情をつけることはありませんでした。普遍的な顏が神に一番近いとされていました。感情は身体で見せる(人間の魂を表している)ものと思われていたので、アクションが伴った彫像が多く見られました。その多くは、オリンピックの聖地オリンピアで台座のみというかたちで近代に発掘されています。当時オリンピックは良家の人たちだけが出場でき、勝者は神に引き立てられた人、勝利の暁には自分の彫像をつくってもらうことができました。

・その中には、吟遊詩人ホメロスが書いた作品がモチーフになっているものも数多くあります。ギリシャの神々は、人間のたくましさを持ちながらも、愚かさも持ちえている存在でした。そして、神であっても、人間同様、運命に左右されるのでした。

例:ローマ神話の酒神 バッカス

よって、それら彫像には人間の感じるペーソスが表現されています。プラトンら多くの哲学者がこの地に集まり、思想会派も生まれます。

⑦ その後、ギリシャは多くの戦争を繰り返すが西洋美術の基礎となるこの地の芸術は人々の精神の中に絶えず生き続けた。



「ローマ帝国の繁栄から衰退まで」 マケドニアの支配:紀元前200年頃~


①ギリシャはアレクサンドロス大王によって制覇されます。

※アレキサンダー大王

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マケドニアの若き王、アレクサンドロスは、ペルシア遠征の前に身の周りのすべてのものを友人に分け与えた。

「これじゃ、あなたには何も残らないじゃないか」 と心配した友人に 「私には未来がある」 と答えた。

アレクサンドロス王の先生は ギリシア人の大哲学者アリストテレス。



王に招かれたアリストテレスが「家庭教師」となる。弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えた。都ペラから離れた「ミエザの学園」で、紀元前340年までアレクサンドロスとその学友を教えた。こうして、王と共にギリシアの基礎的な教養を身につけた「学友」たちは、のちに大王を支える将軍となった。大王の要請でアリストテレスは『王道論』と『植民論』を書き送ったといわれる。


アリストテレスは、古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンと共に、しばしば「西洋」最大の哲学者の住人と見做され、又その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。イスラーム哲学や中世スコラ学に多大な影響を与えた。

そればかりではなく、東方遠征により、小アジア、エジプト、そしてインドまで領土を広げていきます。

これがギリシャ文化に偉大な影響を与えることになります。

何故ならば、制覇した幅広い地域にへレニズム文化を広めていくことになるからです。

アレクサンドロス大王の東方遠征によって東方の地域に伝播したギリシア文化が、オリエント文化と融合して誕生した文化を指してヘレニズム文化と称する場合がある。

ヘレニズム(Hellenism)とは、ギリシア人(ヘレネス)に由来する語。その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス大王(在位前336年 - 前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。

これによって、ギリシャ美術は一大帝国の美術に発展します。

文化的にはギリシャに制覇されてしまうことになります。

ヘレニズム彫像はギリシャ初期彫像と違い、ゴージャスで強烈、熱烈、激しい彫刻といえます。

例:ラオコーン



ギリシア神話でのラオコーンは、槍を投げつけることによってトロイの木馬がギリシア軍の計略であることを暴露しようとした後に殺される。女神アテナによって遣わされた

海蛇がラオコーンを襲ったことによりトロイ人たちが、この木馬が聖なるものであると信じ込んだためである。

ラオコーンとふたりの息子が海蛇に締めつけられる様子はあがきながら生死をさまようすざましい姿である

ローマは、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始り、領土を拡大して地中海の全域を支配する世界帝国になった国家です。

ローマのアーティストは主にギリシャ人でした。

ギリシャ人には軍事力がありましたが、小さな都市国家間のこぜり合いが多く、軍事的、政治的にも統一をはかることができませんでした。

よって、組織的なローマ人に制覇されていくことになります。

聖職者の代わりに哲学者が誕生。その存在はギリシャの発展に大きく結びついていきます。

※哲学者とは、宗教と科学の狭間にある者で、宣教者でもあり科学者でもある

また、ギリシャ人は厳格なルールに縛られない自由な人種だったので多くの発展が見られたともいえます。

ルールはあるもののその中にも限りなく自由があります。

これがその後のアーティストに大きな影響を与えることになります。

シアター(演劇活動)が始まるのもこの時代です。









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