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  • 執筆者の写真sfumita7

アートにおけるエッジエフェクト化

更新日:5月4日

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『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

1897-1898年 ポール・ゴーギャン



※Edge effect(エッジ効果)とは、 生態学において、生物の生息地の境界部分が外部からの影響を強く受けることを示す。 エッジ効果は、林の辺縁部分や、孤島の海岸線近くの区域などに生じ、その範囲の環境は林の中心部や島の中央部とは異なる特性を示す。

このエッジ効果により、生物が進化をしてきた。他分野との多角的な情報交換ができるエッジエフェクトを生み出すことが、ヒトや社会が成長する条件だと考えています。



空想上の動物が描かれているショーべェ洞窟の壁画


いつの時代もそれまでのアートシーンの枠を超えて社会で注目(支持)される新しい価値観“現代美術”の研究が求められてきました。進化するビジネスの領域においてもアート思考や美意識、創造性が必要とされている今日、実社会を直視して問題点を的確にとらえて、限られた専門性の壁を越えて協働していく「視点教育」が必要とされています。

SDGsを目指し始めた世界で、デザインやアート思考が重要視されていることやSTEM教育に[Art]が加えられたSTEAM教育が次世代に求められているように“Art”の社会的役割がますます見直されてきています。




日本でも藝大・美大・美術学校で研究する学生の思考力や創造性が実社会で増々、必要とされている昨今、その才能を社会で機能させていくために他分野との協働を実践する『アートにおけるキャリア教育』の研究が重要視されていくと考えています。 持続的な経済成長社会であるSociety5.0の実現のために未来志向を持ちながらもアナログへの回帰、伝統文化の継承の重要性が高まってきている社会で、文化庁や文部科学省の教育改革だけではなく企業や行政の「働き方改革、社会人の学び直し」と社員教育、職員研修も“新しい教育”に取り組んでいます。 アートシーンだけに留まらず、様々な分野で「正解のない問題」への対策で迷走している行政や様々な企業、伝統文化の工房、リカレント教育やSTEAM教育の現場などで、多様な人脈との協働関係を築き多角的な視点を活かした“創造性の促進”が求められています。 想定外な実社会のあらゆる場面で、クリエイティビティを開放し機能させる『アートにおけるエッジエフェクト化』といった従来の美術教育では実現できないArtキャリア教育の必要性を感じています。


『アテナイの学堂』(1509年 - 1510年) ヴァチカン宮殿ラファエロの間


「アートにおけるキャリア教育」によって磨かれる“感覚や創造性”は、想定外な社会環境に順応して生き抜いていく力を身につけていくために子供から大人まで生涯、継続して必要なものなのです。 現社の問題に合致した“教育改革”を実現するためには、アートと他分野との協働により多角的な視点で思考して、実社会における諸問題の本質を洞察し創造性によって提唱していく『Artキャリア教育』の研究者と実践プログラムを継続的に牽引していく各分野でのリーダー的存在が必要だと考えています。



学問的にアートといった縛りのなかったルネサンス期の万能人


【名 前】 レオナルド・ダ・ヴィンチ

生まれ】 1452年4月15日 イタリア アンキアノ



トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 1515年頃)



【活動】 絵画・壁画(フレスコ)制作/美術解剖学/建築/自然科学


『ウィトルウィウス的人体図』、1485年頃



【生息地】 ルネサンス期イタリア


【特徴・習性】

 万能・大天才・マイペース型イケメン・気分屋・飽きっぽい・人望がない


【エピソード】 『名馬に癖あり』

 ルネサンス期のミケランジェロ、ラファエロらと三代巨匠(芸術家)の一人。「最後の晩餐」「モナ・リザ」などで誰もが知っている画家ですが、それは彼の単なる一面であり、環境の観察に膨大な時間を費やしていた科学者でもある。

 日本では天才や学者の代名詞のように扱われているダ・ヴィンチだが、西洋ではその多彩な才能から様々なゴシップ(噂)で騒がれていた。


『モナ・リザ』1503年 - 1505 1507



 「最も高貴な喜びとは、理解する喜びである」と語るレオナルド・ダ・ヴィンチは「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆き、あらゆる楽しみの根底には感覚的知性を磨くといった真面目な目的があると提唱していた。


 レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』1495年 - 1498年 イタリア



 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれている遠近法(一点透視図法)を完璧に実証している絵。その消失点であるキリストのこめかみには穴が空いている。ダ・ヴィンチは芸術的な感性が豊かなだけではなく、この穴からひもを引っ張り作図するなど技法や作業法を論理的に開発する研究者でもあった。





大天才のざんねんな一面


   多岐にわたり才能を発揮して探求心を持ち続けた彼ですが、地位や名誉、世間の目や評価には関心がなかったようです。依頼された大切な仕事の期限を守らず、飽きっぽく途中で投げ出してしまうほどいい加減な一面があった。

 彼の工房で修行をする弟子たちに対しても教育熱心ではなかったようで、意外にも尊敬される師匠ではありませんでした。どちらかというと気分屋でマイペースのいい加減なアウト人間として、弟子からはバカにされていた。




バウハウス


   1919年 、世界初の本格的デザイン教育機関としてドイツのワイマールに創立された「バウハウス」は、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。

 それまでにもヨーロッパ各地には芸術学校は存在したが、それらは全て、ある程度の才能がある人間しか受け入れてなかったが、バウハウスは「誰でも造形能力を持っている」ということを前提に芸術教育をカリキュラム化した。


※バウハウス:ドイツ語で「建築の家」を意味する。

・ナチスにより1933年に閉校(14年間 開校)

・ヒトラーの美術批評の基準は、ルネサンス芸術にあり、19世紀後半以降に生じた芸術  のほとんどすべてが彼にとっては「堕落」であった。


バウハウス


『bauhaus』 山脇巌




どんな主義にも属さない画家パウル・クレー[1879-1940]


•スイスの画家、美術評論家

•バウハウスで教鞭をとった。

•作風は表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特のも。

•音楽一家に生まれ、音楽に対する深い理解はバッハやモーツァルトらの古典音楽からスト  ラヴィンスキーやヒンデミットら現代音楽にまで幅広い。

•ワシリー・カンディンスキーらとともに「青騎士 (ブラウエ・ライター)」を結成。


『忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel)』1939年 パウル・クレー



『小人のメルヘン』 1925年 パウル・クレー




”音楽を絵に描いた画家”ヴァシリ―・カンディンスキー(1866-1944)


•パウル・クレーらとともに「青騎士 (ブラウエ・ライター)」を結成。

ロシアの画家。

進歩や科学を価値あるものとは認めず、純粋な「内面性」の芸術によって世界を再生させ

  よう願う、神秘主義者であった。

純粋に色彩だけによる心理的効果、というものが存在することを強調している。

色彩音楽の最初の試みを発表、いわゆる「抽象表現」という、まったく新しい世界が切り

  拓かれた。


『フーガ』1914年 ヴァシリ―・カンディンスキー


『多彩なアンサンブル』 1938年 ヴァシリ―・カンディンスキー


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