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  • 執筆者の写真sfumita7

アートに学ぶ 気づきと思考 Ⅱ Chapter1-3 

更新日:2022年1月22日


”アートに学ぶ 気づきと思考 Ⅰ はじめに/目次/Prologue ”からの続き





Chapter1 なぜ? 違和感を感じとる


テーマ(構図:何を表現したいのか。)

 「テーマ(目的)とモチーフ(素材)を生かす・素材を使って目的を他者に伝える」


『聖マタイの召命』 1600年 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ



 光、感触、高さ、深さ、広さ、静と動、感情、情熱、神秘…の視覚的な効果をねらうためだけが構図をとる目的ではありません。「構図をとること」は、創作の根本にある目的(テーマ)を他者に伝えるための手段として考えるべきでしょう。構図をとるという行為は、料理に置き換えると「季節の素材を使って、その季節の素材を生かす調理をし、その季節にあった料理を完成させ視覚と嗅覚、味覚を楽しませる、季節料理の盛り付け。」といった作業のこだわりと言えるでしょう。決められた場所と与えられた状況で、客人が満足する接待(持て成し)を考えることも構図を考える行為にちかいのかもしれません。

 構図は、表現のための要素(行為)すべてに一つ一つ関連しなくては、効果的に機能しません。制作する「テーマ」が家庭の基準となる家訓、学校の校訓、国家の憲法だとしたら、「素材」は家族、生徒、国民で、「構図」は家族の約束、学校の校則、国家の法律みたいな存在です。


凱風快晴』 1832年 葛飾北斎



 もし、あなたが「富士山を描いて下さい」と依頼されたらどうしますか?たくさんの画家が描いたモチーフ(対象)であり、日本人であれば大抵の人がその山の姿のイメージを思い描くことができるでしょう。「一般的」だからこそ、どんな富士山を描けばいいのでしょうか。そんな時、あなたの思い描く富士山の姿が構図に表れることになります。

 制作の「テーマや素材」を生かすも殺すも構図の完成度、またその構図を生かせる表現力が伴っているということが必要不可欠です。誰かに手紙を書く時のことを思い出してみてください。何かを知らせる、相手を喜ばせるなど目的があるはずです。’文字’あるいは’何らかの話題’という「素材」を使って文章(表現)にするわけですが、あなたの目的が相手に伝わったとしたらその手紙の内容を表現した構図は良いということが言えます。

 色んなことを述べてきましたが、結局あなたの考える「構図」とは何でしょう。ある意味、秩序がなくても感情の赴くまま自由に表現することが大切とも言えます。しかし、「私は努力をしている、なのに達成感がなく気持ちがスッキリしない(報われない)、充実感がない。」という人は、「構図」のような目標達成のための明確なプロセスがないことで、むやみに労力を消費している割には構築的な作業にならないで、フラストレーションが溜まっているのでしょう。

「哲学を持つ」ことと同様に人にとって必要不可欠とは言えないが、どちらかというとあった方が、人生を豊かにするもの(芸術もそうかもしれません)なので、行動するテーマ、自分よがりのアピールよりは他者への思いやり、おもてなしの心をもった方が必要とされます。


『神奈川沖浪裏』 1832年 葛飾北斎




“なぜ? 違和感を感じとる”のつぶやき [文田聖二 Twitterより]



『動画を描いた絵師』

江戸時代に俵屋宗達が描いたとされている(作者の落款が押されていない)

『風神雷神図』からは映像的な躍動感が伝わってくる。

三十三間堂にある勇ましく躍動感が特徴の鎌倉時代につくられた

木彫をモデルにして描かれている。



『好きも嫌うことも同じくらいのエネルギーを使う』

老いも死も嫌いも辛いも必要なものとして受け止める。

尾形光琳『紅白梅図』もそんな文化を伝えている。

これからさらに日本文化とその源流の”潔さ”の魅力が

世界で見直され注目されていく。

『紅白梅図』 江戸時代(18世紀) 尾形光琳



『伝えたいこと(テーマ)によって表現が変わる』

働きものの温かい手、たくましい手、優しく抱きかかえる手、祈りの手。

上手くみせるのではなく、何を伝えるかが問題。


手のデッサン【デューラー、ダ・ヴィンチ、ヘンリー・ムーワ、エッシャー】


祈りの手:デューラー画

優しく抱きかかえる聖母の手:レオナルド・ダ・ヴィンチ画

働きものの温かい手:ヘンリームーワ画

機能する手:エッシャー画




『絵で伝える』

下半身が麻痺していたので草原に腰を下ろして寛いでいるのではなく

這って進むしか出来なかったクリスティーナ。

「大部分の人が絶望に陥るような境遇にあって、驚異的な克服を見せる彼女の姿を正しく伝えることが私の挑戦だった。」

クリスティーナから感じた世界を画家ワイエスは絵で伝えている。

『クリスティーナの世界』 1948年 アンドリュー・ワイエス



『自分の心配や不安にただただ取り込まれて悩んでいるより』

誰かのために、何か役に立てられることはないかを考えている方が楽々ちん。

遊びも仕事も人のことを考えているかどうかで、その気分が随分変わる。



『自分の思いだけを押し付けるのではなく』

相手の思い描く物語を引き出そう、

出しやすくしてあげる姿勢に信頼感を感じる。

仕事も教育も、意思疎通(相手の思いを理解できる能力)が必要。



『西洋は描いて埋める、日本は描かない』

「西洋人は余白があることを恐れる」

細部まで描き込み支配する、肖像画であっても背景の隅々まで描かれているものに意味をもたせる。

『オフィーリア』 1851-52年 ジョン・エヴァレット・ミレー 


「日本人は満たされていることに恐れを抱く」

描くべきものだけを描き、あとは余白にする。間を大切にする。

『春宵図』1790年 喜多川歌麿



『つくづく感じる』

相手をリスペクトして協働していると

充実した時間、事、物、場所、成長が生まれる。

お互いにリスペクトできない関係からは何も生まれない。

フラットな人間関係でいられるといい。



『自分の知っている自分は、大半が思い込み』

思い込みや一方的な見方が変わらないと同じものを見続けて立ち止まっている。

思い込みを取り払い、考え方や視点を少し変えただけで、元気になって前向きになれたり自信がついて積極的に行動できたりする。



『日本は、脳を休めて』

情緒に感動して癒され心で理解する“情緒思考文化”

 『燕子花図屏風』 1701-04年 尾形光琳 


『西洋は、脳を刺激して』

脳で感動して理解する“論理思考文化”

『果物籠』 1595-1596年頃 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ



『周りに迷惑をかけないこと』

この言葉には

「今、自分のやるべきことをやる」

「周りのことを考える。」

「自に与えられた仕事に意味を見出す」

「お世話になったときも、いつもと変わらずに過ごせたときも感謝する」など、根本的なことが含まれている。

『鳥獣戯画絵巻』 平安時代後期-鎌倉時代



『何をしたかではなく何のためにやっているのかが、心に響く』

日曜画家だったアンリ・ルソー

世界的に知られる名画はすべて50過ぎに描いた作品。

生前、モンマルトの画家たちは「へたくそ」と馬鹿にしていた中

彼の才能を認めていたのがピカソ。

『蛇使いの女(The Snake Charmer),』 1907年 アンリ・ルソー



『絵に置き換えられているものは日常の中の一瞬のきらめき』

絵は、作者が気づいた日常の些細なことや発見を描き残せたり覗けたりできる魅力がある。その気づきに共感する人が多いほど、またそのテーマが普遍的なものであるほど長い時間愛され続ける。

ピアノの前の少女たち』1892年 ピエール・オーギュスト・ルノワール



『いつでも黙って受け入れてくれて』

一緒にいるだけで自身を見直せるような存在。

座右の銘となる言葉、お気に入りの本や絵との出会いは、

運命的な人との出会いに匹敵するものがある。

それに込められている意図の読み解きができるとさらに成長できる。



『学校での評価も成績も低かったアイザック・ニュートン』

その後の世界に大きく影響する発見を立て続けにしていったのは、誰かが出した答えを追いかける人たちを評価する世界の中で、自分の疑問に対して、実際に目で確かめたことしか納得しワクワクできなかったから。自分の直観を信じて素直に実証をしていった。


『絵は、手紙や看板、標識』

何かを承認してもらうための企画書と同じ。なので、

何を伝えたいのか、その目的や想いによってずいぶん違うビジュアルになる。上手いか下手かは問題ではない。絵に正解はなく、

作者が届けたい想い、テーマが 誰かに伝わる構図、明暗、かたち、色が

魅力として響く。



『絵は、読書と似ていて描く数を重ねるごとに発見がある』

自分の成長によって同じ絵でも気づくことが違ってくる。

同じテーマで繰り返し、綴ったり、歌ったり、描いたりすることで

感覚を磨くことができる。

『睡蓮』 1905年 クロード・モネ

『睡蓮』 1916年 クロード・モネ

『睡蓮』 クロード・モネ






Chapter2 自分らしさに気づくために


モチベーション(活力:目標。何をしたいのか。)

 「何のために、誰のために企画・行動したいのか」



 自分の知っている自分は、大半が思い込み。思い込みや一方的な見方が変わらないと同じものを見続けて立ち止まっている。思い込みを取り払い、考え方や視点を少し変えただけで、元気になって前向きになれたり自信がついて積極的に行動できたりする。


民衆を導く自由の女神』 1830年 

フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ



 あなたが伝えたいと願うこと、沸き上がってくるモチベーション(欲求・衝動)とは何でしょう。「人に会いたい時、そうでない時」「話すべきか否か」の違いもモチベーションの状態が左右しているのではないでしょうか。作品を制作したい、何かを表現したいという衝動、欲求が沸き上がった時も例外ではないでしょう。

 欲求、衝動、義務感、自信、劣等感、希望、何を望むのか。何を残したいのか。何を壊したいのか、そして生み出したいのか。そのエネルギーを一つの方向へ絞り込み、前へ押し出すパワーの強さは、モチベーションや志の高さに関わってくるのではないでしょうか。要は継続していたこと、継続できることが重要であり、何よりも説得力があります。理屈ではなく、あなたを突き動かしている「欲求・衝動」は何ですか?

 子供の頃、遊んだことを思い出してみて下さい。食事の時間になろうが日が暮れはじめようが、空腹もいいつけもわすれて何かをさがしたり、友だちと競い合ったり、創ったりしていました。「子どもは遊びの天才」、何かに夢中になれるということがそのことに対して才能があるといえるのかもしれません。そう考えるとモチベーションをもつということは何も明確な目的がなくても、ただ時間をわすれて打ち込むことができ、その至福のときであることすら意識しないほど充実している物事「もの・こと」なのでしょう。

 子どもは何か目的をもって、いつも遊んでいるでしょうか。「遊びたい」という欲求や衝動が、彼らを動かしているのではないでしょうか。そういった欲求や衝動を呼び覚ますモチーフ(対象)はさがすのではなく、すでにもっているもの、もっていたものを思い起こしてみるといいのでしょう。



『鳥獣戯画絵巻』 平安時代後期-鎌倉時代




“自分らしさに気づくために”のつぶやき [文田聖二 Twitterより]



『楽しいことが才能』

継続すること、継続してしまうことが重要で、何よりも説得力がある。

目的意識ではなく、そうしたいからしてしまうこと、

自分を突き動かしている「欲求・衝動」を

与えられたものだと考えると

寸暇を惜しんでやってしまう

好きなこと楽しいことが才能。

『ラ・グルヌイエール』 1869年 ピエール・オーギュスト・ルノワール



『嬉しい、楽しいは、絶対的に正しい』

感覚的知性を磨くことになる。

人工知能が、まだ人からほど遠いのは

「楽しいからやる」「嬉しいからやってしまう」

「誰かが喜ぶからやる」といった感覚が人として大事なこと。

だから誰かが喜ぶから、自分も喜ぶから、

楽しいこと嬉しいといった感覚を見直す。



『そんなことで?』

でも、その人にとっては幸せなのです。 心が揺さぶられるものも人によって違います。 続けられることが実力。

癖は魅力。 好きなことが才能。 自分という人間は自分だけ、 磨かれた感覚が、自分らしい幸せを見つける力になると考えています。

『白象黒牛屏風』 長沢芦雪



『君はなぜ描いているのだ』

師匠からの問いに対して

「楽しいから」と答え、破門されたルノワールは、

モンマルトルのカフェで芸術論をぶつけ合い苦悩する前衛画家たちの中で

幸せそうに絵を描いていた。

そんなルノワールは絵画に輝きを与えた。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット』1876年 ピエール・オーギュスト・ルノワール



『あれこれできないといった思い込み』

先のことを漠然と考えると不安になる。

できる、できないかを考える前に

やれることから始める。

続けていれば、理想とするビジョンへの筋道がみえてくる。

一日一日、真っ当に生きている実感が未来の希望になっていく。

毎日の意図の繰り返しで、成長していく。



『絵を描くことも』

仕上がった達成感というよりは

「もっと良くしたい、もっと描きたい」

といった過程で成長が加速し続ける。

だから新作を描き続けるクリエイターは高齢でも元気な人が多い。

「幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える」

フランスの経済学者ダニエル・コーエン氏の言葉



『近所の窓明かりが』

夕暮れ時、二階の部屋のベランダ越しに観える。

以前、訪ねたパリ郊外にある

様々なジャンルのアーティストたちが集う

アトリエ長屋の明かりの記憶がよみがえって心地いい。

郷里にいた頃は、いつも外には

壮大な桜島が様々な姿を魅せていた。

今は、東京の郊外の風景を観ながら英気を養う。



『積極的な面倒くさい』

は「やりがい」に代わる。

面倒が起らないように面倒くさいことをやっておくことと

面倒が起きてから、面倒くさいことをやらされることとは

雲泥の差がある。

『バベルの塔』 1563年 ピーテル・ブリューゲル



『人の話を聞かない幼児に比べて』

経験と知識が豊富な大人ほど見たものを歪めるフィルターが多く重なっている。

意識してよく観て、思い込みを剥がしていかないと

脳の劣化を進行させてしまう。

立ち止まったり、どうしても前に進めなかったり何もかも忘れたい人は

怠け者なんかじゃない。正しい。

『子供十態:雪ん子』 1929年 藤田嗣治



『モネの思いが込められた3枚の絵』

妻と子と過ごす時間、溢れ出る幸せ、

その瞬間を描いた4年後に妻はこの世を去る。

その7年後に亡き妻の面影を風景画のように描いた。

顔が描かれていない。

その後「人物画のルノワール、風景画のモネ」といわれたように

ほとんど人物を描いていない。

散歩、日傘をさす女』 1875年 クロード・モネ 


パラソルを差す女(右向き)』1886年 クロード・モネ


パラソルを差す女(左向き)』1886年 クロード・モネ



『文化的な日常を過ごす』

心が満たされる生活とは、

高いお金を使って物質的な贅沢をすることではなく、

いつでもどこでも心の贅沢ができる感覚が、

いつの間にか磨かれていく日常を過ごす。

本当にほしいもの、求めているものは、

文化的な日常で身につけられる。



『疲れたらしっかり休んで』

やるなら笑ってやったほうがいいに決まっている。

明るい未来をイメージすることが 安心につながる。

無理をしないで、今できることから考える。



『そんなことで?』

でも、その人にとっては幸せなのである。

岩崎ちひろ 画



『お父さん、おやすみなさい』

寝る前に毎晩、仕事をしているところにきて声をかけにきてくれる家族。

どれだけ、その一言で色んなことを取り戻せているか、

その嬉しい気持ちをいろんな形で伝えていきたい。



『誰かの出した答えを目指す必要はない』

答えはいつも自分で創造していくもの。

戦争の悲しみ、憎しみ、悔しさ、苦しさ…が表現された『ゲルニカ』

ドイツ兵から「この絵を描いたのはお前か。」

と聞かれた近代美術の巨匠ピカソは

「この絵を描いたのは、あなたたちだ。」と答えた。

『ゲルニカ』 1937年 パブロ・ピカソ



『何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと』

勘違いをしている方がたくさんいる。

絵にしても小説にしても遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、

その衝動を誰かに伝えたいという欲求があること。

『花咲くアーモンドの木の枝』 1889年 フィンセント・ファン・ゴッホ



『好き!が未来を切り開く』

19世紀の西洋画家たちは、産業革命による写真の発明により失業していく。

仕事のためではなく、

自分の信じる絵を描き続けたかった画家たちは

独自の絵画様式を探求し始めた。

何を得たかではなく、何を与えたかで違いがでる。

『ラ・ジャポネーズ』 1876年 クロード・モネ



『印象派の画家たちは失業者だった』

19世紀に写真が発明され、それまで依頼されてきた肖像画、風景画などの

仕事が減少し職を失った。

クライアントがいないのだったら

自分が好きなもの、家族や友人、信じる絵を追求しようということになる。

『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』1878年 ピエール=オーギュスト・ルノワール 



『物足りなさや空しさは』

創造性を磨く時間を増やすことで解消されていく。

絵を描いたり観たり、ブログ、料理、園芸、筋トレしたり

音楽を聴いて、ぼ~っとイメージするだけでも創造性は磨かれる。

穴を掘るだけでも可視化される創作は

更に心が満たされていく。

そんな時間を無駄だと思い込まないこと。

『木馬』2009年 文田聖二



『それまで出来なかったことが自分の伸びしろ』

出来ていないことの見直しが成長につながる。

悩むのではなく、

視点を変えて新しい情報を受け入れて

考えればいい。



『自信って、過去は関係ない』

未来へ向かう力だから、

自信は未来に向けて持つか持たないかだけ。

『クリスティーナの世界』 1948年 アンドリュー・ワイエス



『二つの生きる』

「最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき

最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき(永六輔さん)」

の考え方は、世の中の朽ちていくモノすべてに通じる。

人や物は、永遠に生き続けられないが

その想いは、誰かが引き継いでいく限り生きる。



『好き、楽しいと感じることで五感が磨かれる』

つまらなくなると脳も感触も引きこもってしまうらしい。

脳も筋肉、モチベーションが高くなると発達していく。

絵もどれだけ五感を複合的に連動して描いているかで、

その表現の説得力に差が出る。

『記憶の固執(柔らかい時計)』 1931年 サルバドール・ダリ



『自分も相手にも』

楽しい、嬉しいと思えることができる人は、幸せ者。



『みんなクリエイターになれる』

創作は、本質に向かうから面白い。

本質に触れると楽しい。

芸術、芸能、スポーツなど特殊な分野、職種だけではなく

日常的な生活、仕事そのものに創造性が求められてきている。

創造性を意識すると毎日の作業が創作に変わり、

やりがいや生きがいを感じられる。



『あれもできないし、これもできない』

実は「これもできるし、あれもできるようになっている」と考えて、

今の自分も相手も褒めてあげた方が、上を向いて前進できる。



『つらい時にも洒落ているイタリアのことわざ』

「どん底に落ちたら、もっと掘れ!」なんだか覚悟を感じるいさぎよい言葉



『やりがいと面倒くさいは紙一重』

誰かに指示されたり注意などをされたりしてからやることは、

面倒くさい。

誰かのために積極的に自分で判断してやることは

人に喜ばれ、やりがいになっていく。



『隣の時計をみない』

劇団四季の座長が、

それぞれのペースで成長していく大切さを語っていた。

他人と比較することで劣等感や不幸を感じてしまいがちで、

どんな状況でも

「今の自分から少しでも」といった“前へ”が

自分を成長させ楽しさに繋がる。



『日本では、自然の一部として一体感を感じることで』

情緒に感動し癒され、心で理解する情緒思考文化が栄えた。

”不快”を”快”にする文化。

『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重



『働くと汗をかく』

帰宅をすると小学生の息子が「お仕事のにおいだね。」と声をかけてくれる。

その優しい気持ちで仕事の疲れが吹き飛ぶ。

やっぱり思いやりや愛情が、元気な未来を創っていくと思う。

『イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)』 1891年 

ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン



『自分という人間は自分だけ』

好きなことが才能

続けられることが実力。

癖は魅力

磨かれた感覚が、自分らしい幸せを見つける力になる。

キュクロプス』 1914年 オディロン・ルドン



『誰かを想う気持ちで、自分も癒されていく』

脳科学の分野でも相手への感謝の言葉や褒めることが、

自分自身がそう言われているように脳が認識していくことが

やっと分かってきたようです。

『オデュッセイア物語』 古代ギリシャ:アンフォラ(赤像様式陶器)




『周りの人より勝ことがいいと思い込み』

また、劣っているから駄目だと思い込み、

ついつい人と比べて辛くなってしまうが、比べないように意識したらすぐに楽になる。自分が少しでも成長し続ければいい。



『人に正解や決まった答えはなく』

あるとすれば

嬉しかったり、喜べたり、安心できること。



『日本人を見直す言葉』

坂東玉三郎氏の芸の目的は

「お客様に生きていてよかったとおもっていただくこと」



『実は意外なほど、意識し考えて判断していない』

「普通はこうだ。一般的にはそうするはず。」といった

漠然とした枠が、フロイトの分析した前意識。

思い込みにとらわれてしまうと

日常のほとんどを無意識に判断し行動してしまう。

思い込みを取り外し意識して考えること、

正直な判断が「思い」



『働けるありがたさ』

「仕事がある」「契約をとる」「オファーがある」、

それを目的にするというよりは、

そんなことの一つ一つのつながりを

「縁」「チャンス」と捉えて精一杯やらせていただくといった

思いの強さが、

生きがいや喜びに繋がっていく。

『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』1878年 ピエール=オーギュスト・ルノワール



『普通の人に焦点を当てた』

評判の町娘の名前を出した肖像画を世に出すなどして役人ににらまれながらも

絵で庶民を元気にするために貢献し続けた歌麿。

歌麿の身近な存在、日常の当たり前を見直す発想が

日本文化として現代に引き継がれている。

『寛政三美人』 1793年 喜多川 歌麿



『道端の草木や石ころに心を引かれる人もいる』

好きなことで楽しむと感覚は磨かれていく。

「そんなことで」

その人によって心が揺さぶられるものは違う。

幸せは、頭で考えるものではなく心と体で感じるもの。

五感を意識して使うと気分がいい。

『みどり広場』2009年 文田聖二



『誰かに言われたからやれるものでもなく』

望まれたからできるものでもない。

心が動かないと体が反応しない。想いが行動を生む。

一歩を踏み出せれば、あとは自分らしく続けるだけでいい。



『素直にやりたいことは始める』

専門知識やスキルがないと表現することが出来ないと

勘違いをしている人が沢山いる。

創作にしても遊びや仕事にしても

まず必要で大切なことは、突き動かす衝動があるということ。

その思いを達成したい、誰かに伝えたい、残していきたいという

欲求があるということ。



『一つ一つ、丁寧に過ごしている粋な人は』

悩む隙間さえない。

目の前のやれることをやらなかったり、後回しにしたりすることが

将来の漠然とした不安につながっていることに

気がつきにくい。



『どうでもいいと思っていたはずなのに』

なくなると空しくなる「好き」は

空気のように意識しなくなった頃にまだそばにいてくれて

何となく、ないと困るということに気がつくと

大切にしようと想う。その想いを持ち続けること。

普通で日常過ぎて「どうでもいい」ことが大切。

『積みわら、日没』1891年 クロード・モネ



『日本の侍は、争いを望んでいたわけではない』

平凡に家族と過ごし変わりなく繰り返せる生活の幸福感をかみしめていた。

侍は、朝起きて出かける前に自分が惨殺されることを常に想定していた。

一日の仕事を終え自宅に戻ってこられたら、

無事に家族の元に戻れたことを感謝して、

毎日を大切に生きていた。



『幸せは、なりたくてなるものではない』

幸せは、感じるもの。

同じ状況なのに幸せを感じる人とそうでない人との違いは

幸せを感じとる感覚が磨かれていないから、

幸せだと感じない。

幸せを感じる感覚は

誰かに何かに強い想いを抱いているとき

何かに打ち込んでいるといつの間にか磨かれていく。





ターシャ・テューダー(1915年- 2008年) 

絵本画家挿絵画家園芸家ガーデナー)・人形作家



『思い込みに縛られないように』

新鮮な情報を伝え続ける絵や音楽、言葉の文化交流が人には必要。

絵や音楽、言葉を使う最大の目的は、

人に心を自由にする開放感をあたえること。



『未来のことを知っている人はいない』

だから先のことは自分で決めればいい。

『誕生日』1915年ン「ルク・シャガール』



『自分のことをアーティストだとは思っていない』

9.11以降、犠牲者のために1日1本、鉛筆の芯を彫刻しているアメリカの大工ダルトン・ゲッティ。

彼は、自分の国の犠牲者のために「自分に出来ることをみつけてやっているだけ」と語る。





ダルトン・ゲッティ



『歴史に残る作家は』

特別な才能があったということより

思いを伝えるモチベーションが極めて高かったといえる。

画家になる前にゴッホは牧師だった。

ゴーギャンは25歳頃までは株の仲買人、

ルソーは税理士で、世に出ている作品は50歳過ぎに描いたもの。


『ひまわり』1888年8月、アルル フィンセント・ファン・ゴッホ

『タヒチの女(浜辺にて)』1891年

『私自身、肖像=風景』 1890年 アンリ・ルソー 



『一日、何かやりたかったこと』

一つでもできれば、それで上等

「今日はこれができたから、それでいい」

「明日は、これだけやればいい」

いっぺんにたくさんできることが偉いわけではない。

一つ一つ、実現していくことが大事。

『長岡の花火』 山下清



『すべて、思い込みが邪魔をしている』

他の人にとっては、どうでもいいものやことで、

随分と気持ちが晴れたり、心が穏やかになったりする。

一日に一つでもそんな出会いや気づきがあると嬉しい。

見直す意識があればそんなことが意外なほどある。



『花は咲く場所を選ばない、咲く時を知っている』

居るところで登ってゆけ、目指す自分の高みをもてばいい。

『アネモネ』 1916年 ピエール=オーギュスト・ルノワール



『子供は走る』

階段などで「走ると危ない!」と何度注意しても

子供は走り回ることが大好き。疾走する感覚を磨く大切な時期。

ゆっくりぶらぶら立ち止まりながら歩く気持ちの落ち着いた感覚も良いが、

周りのことを気にしないで全力で走っている時の感覚を思い返して

大切なことを思い出しそうになる。

『メリーゴーランド』 2009年 文田聖二



『好きなことや気になること』

追及して極めれば極めていくほど、

未だ至らないところが次々と見えてくる。

純粋に楽しめないときもあるけど

気づいたことを一つ一つ乗り越えて続けていくことで

その喜びも楽しみも深く広いものになっていく。

気がつくことは辛くもあるが、新しい目標ができて嬉しい。



『情熱が人の心と体を動かす』

誰かに言われたからやれるものでもなく、望まれたからできるものでもない。

心が動かないと体が反応しない。

思いが行動を生む。

無理をしないで、楽に一歩を踏み出せれば、

あとは続けるだけでいい。

マウリッツ・コルネリス・エッシャー1898年-1972年) オランダ画家版画家



『物も事も人によって価値が違う』

こんなことしかできない。

こんなものしかもっていない。

といった自分の勝手な思い込みで

価値を下げている。

好きなこと、楽しんでいたこと、

続けてやってきたことの価値は

自分が考えている以上に高い。



『好きであること』

思いを実現する力の源。

好きなものに出すパワーは果てしない。

『恋人たちとマーガレットの花』 1949-1950年 マルク・シャガール



『先のことは誰もわからない』

明るい未来を想うのか、将来にいつも不安を感じて過ごすのかで

今に随分と違いがでる。



『ほどほどがいい』

穏やかで暖かい日差しでの日向ぼっこは気持ちがいい。

日差しが当たらなくても暖かい部屋の中は気持ちが落ち着く。

たとえ寒くても嬉しい言葉や絵、映画や本で感動すると心が温まる。

暖かいは、絶対に正しい。

暖かいは、体も心も守って、強くしてくれる。

ラ・グルヌイエールにて(La balançoire) 1869年 ピエール=オーギュスト・ルノワール



『つまらなくなると脳も心も引きこもってしまう』

好き、楽しい、嬉しいと感じることで心身ともに磨かれていく。

脳も筋肉、モチベーションが高くなると発達していく。

絵も視覚だけではなく、どれだけ五感機能を使って描いているかで

その表現の深さ、説得力に差が出る。

理解することで脳が喜ぶ。

『名所江戸百景 亀戸梅屋敷 のぞき見る』1857年 歌川広重



『学生時代に色んなバイトをして』

様々な人たちと共に働いた。問題がない職場はなく、みんな踏ん張っていた。

どこの誰だったかは覚えていないが

「どうせやるなら笑ってやった方がいいに決まっている。」

と言ってくれたことが今でも心を強くしている。

『ポッピンを吹く女』 江戸時代(18世紀) 喜多川歌麿



『大半の方が、絵を描くことを楽しめていない』

実際に描けているのに自信が持てない方も多い。

デッサン指導した社会人の皆さんから

「絵を観ることも描くことも楽しくなってきました。」

といっていただけるのが最も嬉しい。

『絵ハガキの西洋婦人』 2015年 文田聖二






Chapter3 見たいものしか見えていない

リサーチ力(観察眼:情報処理能力)

 「発見・展開・整とん」



リサーチ力(観察眼:情報処理能力)「発見・展開・整とん」


 商品開発や出店、移転などする前にリサーチ(取材)がその後に多大な影響をおよぼすようにアート&デザインの制作及び、作品発表に於いても例外ではありません。デザイナーや造形作家は一点の大作を制作するために多量の資料を準備します。

写真などの図版資料、記録のためのスケッチやクロッキー、エスキース(企画、計画書)にそったディテール(部分)のエチュード(習作)を何枚も描きます(例えば、聖母像の手の表情や子どものポーズや顔の表情など)。


レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452年-1519年)イタリアルネサンス期を代表する芸術家



 作家の作風は制作だけでなく、その準備段階の取材の仕方の違いも個性として表れます。料理人や冒険家などあらゆるジャンルにおいて、アマチュアとプロと呼ばれる人の違いは技巧より意外と取材能力にその差がでるのかもしれません。ここで重要なのは取材する物質的な量というよりは、その内容や仕方が作品完成へと向かっているかどうかということです。

漠然とした意識で進めてしまうと、取材することが作品イメージを具現化することにならないで、その量が増える(拡がる)とテーマが散漫になり迷っていく可能性があります。取材すると発見がたくさんあります。何かをみつける行為は基本的に楽しいので、その行為事体にのめり込んで目的を失ってしまいがちです。取材する内容がただ増幅するのではなく、テーマにそって必要な素材を選択収集しさらに吟味して切り捨てる作業も必要です。そこから派生していく内容やさらに掘り下げていくことで資料が増えていき作品イメージを他者に伝えていくための体制を整えていけるといいでしょう。

 人生において、この先自分はどう生きていくのかという「表現」に必要な取材とは何かと考えてみるとその重要さ、表現の成功のための必然性のイメージができるはずです。取材は事を起こし、遂行するために必要なものなので一度準備すればそれで終わるのではなく、事が進むに連れて展開していくことや状況に合わせて、その事が達成するまで続けることでその効果がみえてくるのでしょう。常に目的のために情報収集するアンテナをひろげて、新しい情報の発見、蓄積された情報からの展開、そしてイメージを具現化するために取材から獲た素材(データ)の整とん(分析)を怠らないことが「表現」のクオリティーを高めていくことに繋がっていくのでしょう。

 子どもの行動にも色々と興味深い要素を発見(取材)することができます。例えば、その仕種は、私が知っている映画や舞台の名優の演技(動きや発声)を「なるほど、原点はここか」と感じさせたりします。行動の展開の意外性からか、その可愛さの効果なのか、子どもを観ていてあきません。その仕種に「可愛さの秘密」、その展開(変化)、成長速度などに「あきさせない」パターンが隠されているのだろう。このような発見も興味をもつことから始まるが、その取材する対象への愛情の深さで観えてくるものも変わってくるのだろう。





“見たいものしか見えていない”のつぶやき [文田聖二 Twitterより]



『凡庸な人間は』

「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」とレオナルド・ダ・ヴィンチは、嘆いていた。

『モナ・リザ』1503 - 1505・1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ



『思い込みは、自分では気がつきにくい』

だから、分かっているつもり伝えているつもりが多い。

絵を描くときにモチーフを観たつもりでは描けないから

自分の思い込みに気がつく。

よく観て絵を描く習慣がつくと

思い込みに惑わされなくなっていく。

『イメージの裏切り』 1929年 ルネ・マグリット



『大抵の悩みは、勝手な自分の思い込み』

周りも自分も絵を描くようによく観て見直すと

色んなことが観えてきて気づきがあり、

気分が晴れてくる。

答えは決まっていない、

創造すればいい。



『勝手に入ってくる情報』

偶然ではなくて意図的に探していたのかも。

個性は、情報の選択により造られていく。

無意識に目に留まり、勝手に耳に入ってくる情報の中にも

考え方や意識を変えてくれる

人生の財産となる情報が埋もれている。

飛び込んできた情報も人も

出会った因果をちゃんと考えてみる。



『現実を直視しチャレンジし続けている人』

自分が気づいたことと、まだ知らないということを実感している。



『日常のどんなことでも』

絵を描くときにも「よく観る」ことが

基本ですが、

これは

「必要な情報を見極め、的確に捉える。物事を理解する」

ということ。

何かを理解するときに五感を使って知覚することは

重要な役割をはたしている。

だから好きなことで感覚を磨いて

機能させている人は、

惑わされない。



『いつも意識しておきたい言葉』

「やっかいなのは、何も知らないということではない。実際は知らないのに

知っていると思い込んでいることだ」 マーク・トウェイン



『脈絡がない作業数が増えると多忙になる』

漠然とした多忙を受け入れるとストレスが溜まっていく。

具体的な目的や将来のビジョンがあり、

ブレないで筋道を通せば

無駄な悩みもストレスも少なくなり

作業効率も上がる。

本質を捉えれば

人生でいえば、将来への不安より現在のやりがいや期待が増していく。

『氷図屏風』 円山応挙



『嫌いなことから人は学ぶ』

「嫌い」なことや「わからないこと」でストレスが溜まるのではなく

突き詰めると本当に知りたいことにたどり着く。

「好き」なことを好きであり続けるために「嫌い」を知る。

『叫び』 リトグラフ 1895年 エドワルド・ムンク



『デッサンで必要な観察眼とは』

表面的な描写力だけではなく、

観ているものの構造や光など周りからどのような影響が及ぼされているのかを

読み解き、理解する力である。

このリサーチ力、伝達力は絵を描くことにとどまらず、

様々な仕事にも必要とされる。



『不安を楽しみに変える』

少しでも重い気持ちになったら

その理由を見付けて、よく見直すことにしている。

大半は、強い思い込みで自分を苦しめている。

「問題点に気がつけば解決できる。もっと良くなる。」と考え直して乗り越える。

『愛の歌』 1914年 ジョルジョ・デ・キリコ



『普段、目にしている物事を』

絵に描くつもりで観てみるといろんなことに気づきだす。

絵は、思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けない。

物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、

書物と様に「読みとく」「理解」する感覚が大切。



『大切なことは、面倒なもの』

「面倒くさい、面倒くさいなあ〜。面倒くさいから、これも大切。」

しっかり向き合っているから、

面倒なこと、大切なことが見えてくる。



『毎日の繰り返し』

同じ場所でありながら季節や時間帯、天気の変化でそれぞれ違う趣があり、

それぞれの表情の違いを意識して眺めると同じものは一つのなく、

それぞれの瞬間が新鮮にみえてくる。たまにはっとする発見もある。

禅の修行のように毎日の繰り返しの中で、気づき成長していく。

『静物』 1960年 ジョルジョ・モランディ



『海外の文学を研究している知人に』

専門外の映画や書籍の翻訳や通訳の仕事の依頼が集まる。

語学が専門というより、文化や風習、習慣、歴史を熟知している方が

リアルで説得力がある翻訳になる。

絵画でもテクニックは未熟だが、モチーフ(対象)を熟知している方が

心に響く絵を描けることと一緒。


『画家、マンガ家、小説家、料理人や冒険家など』

あらゆるジャンルにおいてアマチュアとプロと呼ばれる人の違いは

技巧より、よく観る力、取材能力にその差がでるのかもしれない。


『なぜアートなのか』

目で見ているのではない脳で観ている。

視覚情報を処理するときに脳の25%、神経経路の65%以上が使用され、

これは他のどの感覚よりも使用率が高い。

絵を観るだけで脳が活性化され、神経が磨かれる。

絵を鑑賞(読み解く)することで、観察力を磨く。


『最後の審判』 ミケランジェロ・ブオナローティ システィーナ礼拝堂



『そんなことで』

心に響いてくる物事は、人によって違う。

感覚を研ぎ澄ましていくと

今、身近にあるもの、すでにもっていることで

心を満たすことができる。

特別なものや特定の場所、時間を必要としないで

いつでも心を豊かにすることができる。

誰もができる「よく観る」ことからはじめる。

アンドリュー・ワイエス 画



『線一本で分かる』

対象を思い込みや観念的にとらえている人と、

本質でとらえるために対象をよく観ようとしている人とは、

描く線に違いがでる。

優秀なクリエイターは、本質を観て判断し行動している。

その人の描く線一本で、対象のとらえ方、その姿勢が分かる。

エゴン・シーレ 画



『人との会話で伝えたいこと』

言葉で伝わるのは7%ほど、

声(声色、抑揚、その他の音)が37%。

残り55%は、表情やしぐさなどの言葉以外のコミュニケーション。

しかし指さしなど身振り手振りを言葉の代わりにすると誤解をまねく。

人は感覚の83%を占める視覚情報で判断している。



『無駄に悩む必要はない』

絵を描く時も”悩む”と”考える”は違う。漠然と悩むよりは、必要な情報を集め選択し視点を持って整理していく。

思い込みを取り外し、問題点を発見し、具体的に思考して描く時間が大切。

その方が上達も速いようです。



『見たいものしか見ていない』

見ているようで観ていない。

よく観るということは意識して確認するということ、

事実を確認して、思い込みではなく

本当のことに気づいていくということ。よく観る人が増えれば、

もっと安心できる優しい関係が広がっていく。

『群鶏図』宝暦11年(1761年)-明和2年(1765年)頃 伊藤若冲



『無意識に目に留まり、勝手に耳に入ってくる』

雑音の中にも考え方や意識を変えてくれるもの、

人生の財産となる情報が埋もれている。

飛び込んできた情報も人も出会った因果を見直すと偶然ではなくて、

意図的に探していたものと気がつく。



『悩んだら寝る』

悩みに大小はない。その人にとっては大きな問題。どうしていいのか分からなくなったり、なんだか良く見えていなかったりすることで悩んでいる。

そんなときほど「よく見る」「よく見直す」ことにしている。

寝るだけでも見方が変わる。



『西洋の写実絵画』

見えていることを写真のように写しているのではなく、見えない情報(におい、味、感触、歴史的背景、思想など)も取り入れて描かれている。

バロック時代の画家カラバッジオが描いた絵を観ても、

見えない情報が伝わってくる。

『果物籠を持つ少年』1593年 - 1594年 カラヴァッジオ



『思い込みで判断すると不安で辛くなる』

思い込みを取り除くと思考が機能する。

思考量を増やし、新鮮な情報を選択し

常に流れを止めない方がいい。

大抵の思い込みは、自分で気づかないから厄介。


『人は経験によって色の感じ方が違うことにゲーテは気づき』

ダ・ヴィンチは老若男女の違いを解剖によって発見し

画家コローは光の演出によって奥行を具体的に設定できること

などに気づくまで庶民は何の疑問も持たずに

日常のこととして見過ごしてきた。

『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ パルマ国立美術館

『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー



『楽しむことは、本質にたどり着く』

本質を意識したり、気づいたりするだけで脳が喜び生き返る。

誰でもできる「よく観る、よく感じとる」ことで、

楽しみが増えていく。

『犀』1515年  アルブレヒト・デューラーがペンとインクで描いたスケッチ



『観たいものしか見ていない』

川の流れを止めると水が淀む、腐る。情報を止めると思考が止まる。

その状態が思い込み。

大抵の思い込みは自分で気づかないから厄介。

現実を直視して自分と違った考え方もよく見直し

新鮮な流れを止めない方がいい。

『紅白梅図屏風』 尾形光琳



『日常に感動できる人は幸福』

「よく観る」習慣があって、身近な自然に触れているなど日常的に

五感を磨いている人は、些細なことにも気がつく。

感覚が敏感だとそれだけ感動する経験が多く、

日常生活の中で幸せを感じとれる感覚が身についている。



『なんで意識してよく観ることが大切なのか』

そもそも脳は誤作動を起こすもの。

微量な電気でエコ運転をしているので

効率的に都合よく考えてしまい思い込む。

見たいものしか見えていないし、

思いと直結していない記憶は

忘れていくようにできている。



『今』

面倒に思うことが、いずれ自分を救ってくれる。

実は自分にとって大切なことが起こっていたり、繋がっていたりするのに

気づかなかったり忘れたりしている。

そんな日常に起こる出来事、出会いをスルーしないように

常に世間と関わりを持っていかないと

いずれ孤立した虚しい生活になってしまう。



『一人でも多くの人に』

希望を抱かせ、一人でも多くの心を開放させていく

人の考え方や行動が

間違いなく正しい。

そんな人は、人や世界をよく観て、

まずは発見することから始めている。



『絵を描くことも』

続けていると感覚が磨かれて

それまでとは違った物事が見えるようになってくる。

最初は目の前にある現象だけしか見えなかったのが

情報の領域が広がっていき、その物事に影響を及ぼしている

周囲との関係や状況が見えてきて、本質を理解していく。

『牛乳を注ぐ女』1658年 ヨハネス・フェルメール



『幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える』

絵を描くことも仕上がった達成感というよりは

「もっと良くしたい、もっと描きたい」といった過程で

成長が加速し続ける。

だから画家は年をとってもボケないで長生きする人が多い。



アトリエのパブロ・ピカソ



『感情が心をつかむ』

感情は考えるものではなく

沸き起こるものだから

感情に人は振り回されるけど

感情がいつも人を助けてくれたり、知らせてくれたり、守ってくれたりしてくれている。感情とうまく付き合っていくためには、無理に抑え込んだり、無視したりしないで

いつも事実をよく観て気づく習慣が必要。



『アートを読み解く人は』

表面的な好みで作品を選んでいない。

アートの観方は自由で、好みの作家や話題の名画などを楽しむのが一番

だけど、好みでもなくどちらかというと一見、分からない作品のテーマや

隠されているエピソードを読み解いてみると

観方が劇的に変わる。

ディエゴ・ベラスケス



『大抵、思い込みに惑わされている』

日常の見慣れたものも絵を描くようによく観て見直すと

実は知らないことだらけだったことに気がついていく。

絵に描くと自分の思い込みと実際の違いがよく観えてくる。

自画像を描くと自身の見直しになって心の洗濯になる。

『パレットと絵筆をもつ自画像』 1662年 レンブラント・ファン・レイン



『人と同じ情景を見ていても』

人によって違う情報の捉え方で

違う感情、考え方が生まれる。

多角的な視点で情報を捉えなければ

真実は見えてこない。

情報の捉え方で判断が大きく、大きく変わる。



『絵を描けなくても』

知っていた、見ていたつもりでいた

日常の見慣れたものを

絵を描くようによく観て見直すと

実は知らないことだらけだったことに気がついていく。

絵に描くと自分の思い込みと実際の違いがよく観えてくる。

心の思い込みは、気がつきにくい。



『そして本当のことを理解する』

「私は何を知っているのか」

「私は何を知らないのか」

「私は何を知らなければならないのか」

思い込みに惑わされないようによく観ることからはじめる。



『絵は思い込みを外し、よく観て理解するだけで描ける』

描けないと思い込んでいるのは的確な情報を捉えていないだけで

才能やセンスがないわけでも下手なわけでもない。

絵を描くことへの苦手意識、思い込みを外すだけで一気に上達してしまう。



『見慣れたことでも』

いつも新たな発見をしていく意識を持って、よく観る

といった経験を積めば、

漠然とした理想や専門的な知識の枠に縛られなくなる。

新鮮に感じる気づきは、脳の機能を開放させる。

だから賢者は、散歩や芸術を習慣にしてきた。



『習慣が創造性を培う』

「よく観る、よく感じとる」習慣があって、身近な自然に触れているなど

日常的に五感を磨いている人は、ものごとの微妙な変化や些細なことにも

気がつく。創造性とは、センスや才能の有無ではなく、

習慣である。



『思い込みは気づきにくい』

他人と自分とは、同じ環境で同じ経験をしても同じ目的であったとしても

見えていること、解釈、感じ方、考え方は違う。

思い込みの枠にとらわれて、

自分の見方が正しいかどうか疑うことをやめてしまったら、

隠れた事実を見逃す危険性がある。

知らないということを知る。



『創作の習慣』

小説や俳句なども含めて創作の習慣は

ものごとを意識してみるようになるから現実が見えてきて

思い込みに惑わされなくなる。

実際には思い込みや分かっているつもり、伝えているつもりが多い。

絵を描くときも「見たつもり」では描けない。

『人は誰でも絵は描ける。ただし自分の見ている程度に描ける』

『画家のパレットなぞ、何の意味もない。すべては眼できまる』   ピエール=オーギュスト・ルノワール

『ムーランド・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』 1876年

師匠から「君はなぜ描いているのだ」とかいった問いに対して「楽しいから」と答え、破門されたルノワールは、モンマルトルのカフェで芸術論をぶつけ合い苦悩する前衛画家たちの中で幸せそうに絵を描いていた。そんなルノワールは絵画に輝きを与えた。 絵を描くことを生涯、修行ではなく楽しみ続けた印象派の巨匠ルノワールは最後にアネモネの絵を描いた。78歳で「ようやく何かがわかりかけた気がする。」という言葉を残し、亡くなった。

『アネモネ』 1916年 ピエール=オーギュスト・ルノワール


『好きなことが才能』 続けられることが実力。 癖は魅力。 磨かれた感覚が、幸せを見つける力になる。 誰もがやっていること、できることでも 自分らしい新鮮な組み合わせで相対性を実感し充実した時間を過ごせる。 自分という人間は自分だけ。 『嬉しい、楽しいは、絶対的に正しい』  感覚的知性を磨くことになる。 人工知能が、まだ人からほど遠いのは「楽しいからやる」「嬉しいからやってしまう」「誰かが喜ぶからやる」 といった感覚。生き物として大事なこと。 だから誰かが喜ぶから、自分も喜ぶから、楽しいこと嬉しいといった感覚を見直す。  第一段階(受動的)ではあくまで細部まで描かなければならない。 表現の良否ではなく、どこまで見たかということ。  第二段階(能動的積極的)では、それら不要な部分を整理し、堅牢な力強い画面をつくっていくこと。

「整理」とは真に必要なものを「選択」すること。それぞれ、学びの段階のねらいを意識すること。



成長が加速し続ける

絵を描いたり、ものを造ったりしているときの充実感は子供の頃、時を忘れてずっと遊んでいた時間に似ている。 思考(イメージ)と行動の繰り返しが人を成長させ、充実させていく。 楽しいから集中し、思考量が増えて具体的な行動に移れる。 本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられる。

“幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える”

フランスの経済学者ダニエル・コーエン氏の言葉





≪ アートに学ぶ 気づきと思考 Ⅲ  Chapter 4-6 ≫ に続く











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