絵を描くことは、絵のプロになるためだけに必要なことではありません。
絵の描き方を習うということは、じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味しています。
よく観て繰り返し絵を描くことで、本当のことに気づいていけます。

『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿』より
芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチが、凡庸な人間は
「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、
体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」
と嘆いていました。

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』1499年 - 1500年ごろ レオナルド・ダ・ヴィンチ
また、絵を美しく描くことだけでは満足しないダ・ヴィンチは、空、樹木、人間、花、動物がいかに存在し、たがいにいかに関係しあっているのか自分の目で見、自分の手でつかむことで描くすべてのことを理解しようとしていました。絵に描くことで「よく観ること・よく理解すること」ができるのです。

『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿』より
国語の授業の読み書きは、小説家など言葉のプロを生み出すためだけの学びではなく、社会で生きていくために必要なものです。
数学の因数分解や地理の知識そのものが生活の役に立つんじゃなくて、いろんな枠組みで考えられるようになることが日常的に役に立つのです。
歴史の授業も専門家を育てることだけが目的ではないように、絵を観たり表現したりする美術(アート)の授業も絵の上手い下手の評価ではなく、「観察力・思考力・伝達力」の感覚を磨いて生きる力を身につけていく大切な時間なのです。
デッサン力があるということは、絵の上手い下手の違いではなく 情報を収集する力や伝達する能力、ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく能力(プランニング)。
頭の中のイメージ(ビジョン)を絵に描き出す感覚を磨くことが、日常生活や一般的な仕事で見直されてきています。
※アインシュタインが残した言葉
「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会を
つくり、授かりものを忘れてしまった」

1921年、ウィーンでの講義中のアルベルト・アインシュタイン
人の脳に備わる本当に大切な能力、知覚・直感・想像力・創造力を近代社会や教育で、ないがしろにしてきたことが現代に影響しているのです。

『聖マタイの召命』1600年 カラヴァッジョ
普段、知っていると思い込んでいる物事を絵に描くと知らなかったことをいくつも気づくことができます。
絵は思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けません。物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、書物の様に「読みとく」「理解」する感覚が大切です。
絵に描くことで、知らなかったことに気づけるので日常的に「よく観る」習慣が身についていきます。
「世界の中で、日本人は絵が上手い民族」
日本文学も俳句もビジュアル的な言語。生け花も茶道もビジュアル的な文化。日本の文化は映像文化。日本人はビジュアル人間。ビジュアルを巧みに操る民族。だから日本アニメや漫画は世界から支持されています。そのDNAをもっと教育や仕事に活かせるのです。

『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重
今、一番大切なことです!一日一日を大切にしたい