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新しい価値 【アートの民主化】 Chapter 9 

執筆者の写真: 聖二 文田聖二 文田

更新日:2024年11月28日



アートの「原因と結果」を知る


 19世紀フランス パリでは、若き芸術家たちがモンマルトルの丘のバトー・ラヴォワール(洗濯船)を憧れ愛し、引き寄せられるように集まり、お互いをリスペクトし切磋琢磨していました。そんな街の小さな一角から世界を大きく変える芸術作品(新しい価値観)が次々と生み出されていきました。


『アビニヨンの娘たち』1907年-1908年 パブロ・ピカソ



 産業革命が起こったイギリスでもそれまでの芸術を引き継ぐ保守的な新古典主義とその頃、時代を台頭した革新的なロマン主義の芸術家たちが、それぞれの信じる表現を主張し対立しながらも創造性を高めていき、サイエンス、アート、思想、世界の経済までも大きく揺るがす爆発的なパワーを発信していたのです。


『民衆を導く自由の女神』 1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ



 14世紀のイタリアのルネサンス期では学術的な縛りがなく、お互いの考え方や気づきと技術をぶつけ合いながら研究を繰り返し、数千年前の古代ギリシャ人は自由を愛し身体と精神を調和させ、古代エジプト人は、誰も観たことのない死の世界を書に綴り想像力を覚醒させていきました。


『最後の晩餐』1495-97年 レオナルド・ダ・ヴィンチ


『死者の書』 古代エジプト



 数万年前、最初の芸術家(石器人) が、天敵であるライオンの頭をもつ人型の彫像を象牙から造り、日常の記録、思考、伝達手段として洞窟に絵を描き、アートで飛躍的な進化をしたのです。


ライオンマン



 このような時代背景からアートの成り立ちや発展の「原因と結果」が読み取れるのです。

 
 
 

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