「嬉しい、楽しいは、絶対的に正しい」
脳が喜ぶと感覚的知性を磨くことになる。人工知能が、まだ人からほど遠いのは「楽しいからやる」「嬉しいからやってしまう」「誰かが喜ぶからやる」といった感覚。
生き物として大事なこと。
①0を1にする = 無いものを創造する ②1から9にする =既存のものを統計的に判断し効率よく作業する ③9を10に引き上げる =成長の限界にきたときに新しい価値観を創造する
②は、AIが進歩していく能力 ①と③は、人にしかできないこと
それが、アート
アート思考とは
A点からB点まで、できるだけいい手段でたどり着く方法ではなく、
B点を発明するプロセスである。
なぜ発見できたのか?なぜ気づけたのか?その「なぜ」に学びがある
発見は新発見によって、その重要性、信ぴょう性が薄くなる。すぐに役に立つ知識はすぐに役に立たなくなる。
要はその行動、思考の過程に気づきがある。実績や成果ではなく、そこに至った過程に学びがある。
アートヒストリーは、人の考え方や想いを可視化した思考ヒストリー
《 アートヒストリー:4万年前~16世紀 》
【原始時代 :人類最古の絵、生死・サバイバル画(部族)】
・美や感動ではなく、効く(霊験、ご利益のある)絵を描いた。
獲物(命)にたくさん恵まれるように願いをこめて描かれたもので、まじないの儀式のために壁画をやりで突いたと思われるキズがある。
『 ラスコー壁画 』ラスコー洞窟 1万5千年前
古代絵画を読み解くためのエピソード
ヨーロッパの画家がアフリカの原始的な生活をしているある村で家畜の絵を描いていたら、
「あなたが家畜を連れて行ってしまったら、私たちはどうやって暮らしていいやら」
と村人が嘆いたという。
『 空想上の動物が描かれているショーべェ洞窟の壁画 』3万2千年前
脳(思考力)が劇的に発達
・80万年前に火を発見し、30万年前には一部の人類種が日常的に使用。
・7万年前から3万年前にかけて、人類は舟、ランプ、弓矢、針(暖かい服を縫う)を
発明、芸術と呼べる品々、宗教や交易、社会的階層化の最初
・たんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。
・特にクロマニョン人(ホモ サピエンス)は無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力で
きるようになり、世界を支配した。
・虚構のおかげで、認知革命が起きた。
※認知的能力(学習、記憶、意思疎通の能力)
4万年前にライオンマンが作られた理由
宗教・呪術・共同体のシンボル 等
「マンモスの牙を材料に作られた約4万年前の彫刻像です。ライオンの頭と人間の胴体を
あわせもつことから「ライオンマン」とよばれています。」
<雑誌ニュートン(2019年1月号)より引用>
頭が山犬の古代エジプトの神『葬礼の神アヌビス』
【古代エジプト:永遠の生命(死者の書)】
・記録、「理解」している、「伝える」ことを神に向けて描いた絵。
・生け贄の身代わり(副葬品)。
エジプト美術は死後の世界との接点が多く見られる。古代エジプト人ほど「永遠」という言葉を好んだ民族はないといわれる。
「太陽のごとく永遠に」、「永遠永劫に」、「永遠の生命、健康、富」
といった言葉は繰り返し墓所内に刻まれている。
エジプト人は死後の世界に対して独特の関心を持っていた。
『 死者の書 』
このエジプトの死生観は、のちのユダヤ教、キリスト教の「最後の審判」に影響をあたえたといわれている。
『 古代エジプト壁画 』
美の追求ではなかった古代エジプトの絵画ルール
・地位の高い人物ほど大きい。
・最も小さく描かれているのは子供ではなく、奴隷。
・肩、胸、腕は正面を向く。
・胴体と足は横向き。
・足は左右を描き分けない。
・顔は横顔とする、目は正面を向く。
・土踏まずを描く場合には、両足に描く。
・奥行は上下左右にずらし重ねて描く。
◎一見 稚拙な表現にみえるが、生物学者が納得するほど正確な特徴が描かれていて、生息
を証明する重要な資料になっている。
◎古代から絵を描くことは、日常的な伝達手段、記録手段として活用されていた。
◎幾何学的な秩序感覚を持ちながら、正確極まる自然観察の目
『 古代エプト彫刻:彫刻家は「生かしつづける者」とも呼ばれた 』
【古代ギリシャ:絶対的な美の基本】
・感動、心を揺さぶる理想の姿を表現した。
・美の定義 ”調和や美、魂の働き”
『 ミノアの数字の壁の壁画のフレスコ画クノッソス:レタ島ギリシャ 』
『 古代ギリシャ彫刻 』
“美”を「熟練した洞察力と直感を用いた美的な成り行き」として定義した。
絶対的な美の基本は見るものをどれくらい感動させられるか、という点にある。その結果、ギリシャの芸術作品は、完璧な美を備えている神々の姿をとった彫刻が多い。
顔の表情があまり表れなくなるが、これは当時の考えであった、「人間的感情を公で出すのは野蛮である」に基づくものである。
『 パルテノン神殿 』
『 古代ギリシャ壺 』
【古代ローマ :統制のための手段(彫像)】
・古代ギリシャ美術の模倣。
・”調和や美”よりも”事実”を重んじた表現。
・土木建築の発展。
『 アウグストゥス帝 』
『 古代ローマ遺跡 』
偉大なりし古代ローマ
華美な装飾を排し、実用本位の
都市デザインで世界征服を目指した。
『 水道橋 』 南仏プロヴァンス地方ニーム近郊
古代ローマがこれほど拡大し繁栄した力は、他民族、異文化に対して支配といった”豪”だけでなく「受け入れる姿勢とローマ市民として迎え入れて、同等の権利を与える」といった古代ローマ人の寛容さが大きな魅力だと感じる。
「全ての道はローマに通じる」
”美術”よりは”様式”の革新
『 古代ローマ 闘技場 コロッセウム 』
『 コロッセウム内部 』
『 アサロトス・オイコス(ギリシア語):食い散らかした床 』
『 古代ローマ 床モザイク 魚の骨 』
『 ロマネスク建築:ティベリウス凱旋門 』
海賊や山賊がのさばるなど無法地帯となっている世を宗教の規律(神の教え)で統制した。
【中世時代 :アートの暗黒時代(宗教画:モザイク画/フレスコ画)】
・キリスト教美術の始まり。
・キリスト教を伝える厳格で単純明快な表現。
・感情(愛情、罪、罰、苦悩など)を表現した。
ビザンティン壁画:『キリストと皇帝コンスタンティノス9世・ゾエ夫妻』
•ローマにキリスト教が広がり、国教となる。
•教会堂建築においては最高の知恵・技術・芸術が集約されており、彫刻や絵画は聖堂を
装飾するための副次的要素であった。芸術家は職人扱い。
※伝達手段としてフレスコ画、モザイク画、ステンドグラスなど、
その時代の最先端技術を駆使した。
『 イタリア、ミラノのドゥオーモ大聖堂でカラフルなステンド-グラスの窓 』
ドゥオーモ大聖堂
ギリシャ芸術は西ローマのイスラム圏の中で引き継がれており、いずれ貿易を通じてイタリアへ流れルネサンス美術へと繋がっていく。
アートの救世主 中世画家ジョットの登場
•北イタリアのパドヴァにある小さな教会にあるフレスコ壁画制作(1302-1305年)を
したジョットの登場によって、まったく新しい時代が始まった。
※フレスコ画:漆喰が生乾きのうちに、つまりフレッシュなうちに描かなければならない
ので、フレスコと呼ばれてる。
ジョット・ディ・ボンドーネ『エジプトへの逃避』1315年-1320年
サン・フランチェスコ聖堂
『キリストの哀悼 The Mourning of Christ』 1305年 ジョット・ディ・ボンドーネ
•丸彫りの像(彫刻)かなと思わせるような絵、腕に見られる短縮法、顔や首の立体的な
表現、衣文(えもん)の流れるような襞(ひだ)の深い影。
平面上に奥行きを生みだす方法を再発見した。
【ルネサンス期:知識と発展”人”( 研究:油彩画)】
・人間復興、偉大なギリシャ・ローマ文化の復活、再生。
・ルネサンス(再生、復興)
・神や神話の世界から再び人本来の姿を追求することに戻る。
・美術解剖学:内部を知り、絵をより真実に近づけようとする目的。
・写実絵画の始まり。
・デッサンの芸術性が高まっていった。
・初期ルネサンスでは、壁画は別として、板絵ではテンペラが主に使われていた。
・15世紀、ファン・エイク兄弟が油絵の技法を完成させた。
※油彩の最大の特徴は比較的乾燥が遅い為に修正がきくこと。修正がきくことから、
カンヴァスや板に直接色彩で描くことが可能になった。
※フィレンツェのデッサンに彩色する技法に対し、ヴェネツィアで初めから色彩で描い
ていく技法が生み出された。
クアトロチェント:15世紀
サンドロ・ボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』1485年頃 ウフィツィ美術館
チンクエチェント:16世紀
レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
ミケランジェロ『最後の審判』
ヴァチカン宮殿 システィーナ礼拝堂
ラファエロ・サンティ 『アテナイの学堂』1509年 - 1510年 ヴァチカン宮殿
ルネサンス期の芸術家たちが発展させた絵画技法(遠近法 ・明暗法etc.)が
後世の写実表現のお手本となっている。
『モナ・リザ』1503年 - 1505-1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
《 アートヒストリー:17世紀~21世紀 》
【バロック時代:権力と交流(宮廷画家)】
・劇的・情動的な効果によって権力を誇示する表現。
・画家カラヴァッジョは、光と影の演出革命を起こし舞台のような劇的な絵を描いた。
・レンブラント・ファン・レインは、独自のストーリー性を重視した絵を描いた。
・宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤは、美や理想ではなく現実の闇を描いた。
『マリー・ド・メディシスの生涯:マリーのマルセイユ到着』1622-25年
ピーテル・パウル・ルーベンス
『聖マタイの召命』1600年 カラヴァッジオ
『テュルプ博士の解剖学講義』 1632年 レンブラント・ファン・レイン
『カルロス4世の家族』1800-1801年 フランシスコ・デ・ゴヤ
【近代美術:市民と革命】
・「社会」と「個人」を伝える。
・社会的なテーマや個人的な感情の表現、また癒しが得られるような絵。
・新古典主義の画家ドミニク・アングルは、写真にはできない表現で絵を描こうとした。
・ロマン主義の画家ウジェーヌ・ドラクロワは、理想や社会の教訓ではなく個人を尊重し
たテーマで絵を描いた。
※「ロマン」とは、ロマンティックではなく「ローマ帝国の(支配階級、知識階級では
なく)庶民の文化に端を発する」という意味がある。
・イギリスのソウル画家ターナーは光と雰囲気を抽象的に表現し、未知のエネルギーや
生命体のように存在する大気を描いた。
・バルビゾン派の画家カミーユ・コローは、どこにでもある日常風景を描いた。
・画家ギュスターヴ・クールベは、理想よりも日常的な現実を描いた。
『グランド・オダリスク』 1814年 ドミニク・アングル
『民衆を導く自由の女神』1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ
『雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道』 1844年 ターナー
『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー
『オルナンの埋葬』 1849年 ギュスターヴ・クールベ
【印象派時代:写実からの独立:制作の目的(パトロンをもたない画家)】
・「現実」と「真実」を伝える。
・伝統(セオリー)の解体、新しい視点と表現の発展。
・印象派の父エドゥアール・マネは、浮世絵の表現を取り入れた新たな画法で描いた。
・クロード・モネは、移りゆく一瞬の光や動きをとらえて、見たままを伝えようとした。
・エドガー・ドガは、社会の「現実」と「真実」を描いた。
・感情表現の先駆け、画家ファン・ゴッホは、眼に見えないものまでも描いた。
・総合主義であった素朴派の画家ポール・ゴーギャンは、主観と客観を一つの画面に総合
し描こうとして、単に見たまま、感じたままを描いた印象派へ反発した。
「あまり忠実に自然を写してはいけない。芸術とは一つの抽象なのだ。」
『オランピア』 1863年 エドゥアール・マネ
『ダンス教室(バレエ教室)』 1873-1875 エドガー・ドガ
『睡蓮(Nymphéas) 』1916年 クロード・モネ
『星月夜』1889年 6月、サン=レミ ファン ゴッホ
『タヒチの女(浜辺にて)』1891年 ポール・ゴーガン
【モダンアートの時代:アバンギャルド 反体制】
・ブルジョワ画家トゥールーズ=ロートレックは、社会のマイノリティを描いた。
・近代絵画の父ポール・セザンヌは「何を描くではなく、どのように描くか」「絵で何が
できるか」」にこだわって独自の画法で新しい絵画を生み出していった。
・パブロ・ピカソは見えたままではなく、多重視点によりキュビスムを描いた。
『ムーラン・ルージュにて』1892年 トゥールーズ=ロートレック
『リンゴとオレンジのある静物』1895-1900年 ポール・セザンヌ
『ヴァイオリンと葡萄』 1912年 パブロ・ピカソ
【コンテンポラリーの時代:価値観の再構築】
・表現主義のカンディンスキーは、音楽や感情などを自由な色と形で描き、独自の
抽象絵画が生まれた。
・イタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコは、目に見えない心の中を絵に描いた。
・シュルレアリスム(超現実主義)の画家サルヴァドール・ダリは、奇妙な夢をリアルに
記録した絵を描いた。
『多彩なアンサンブル』 1938年 ヴァシリ―・カンディンスキー
『愛の歌』 1914年 ジョルジョ・デ・キリコ
『記憶の固執』1931年 サルヴァドール・ダリ
【大量生産とデザイン:消費の時代(アートと社会)】
・事故や災害までも風景描写として社会を表現したアンディ・ウォーホール。
『緑色の惨事10回』1963年 アンディ・ウォーホル
【アートの多様性:価値の再設定】
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