「今日はこれができたから、それでいい」
「明日はこれだけやればいい」。
一日、何かやりたかったことを一つでもできれば、それで上等、
いっぺんにたくさんできることが偉いわけではない。
一つ一つ実現していくことが大事。
『モナ・リザ』レオナルド・ダ・ヴィンチ ルーブル美術館
アートは、美術館や美術の教科書に載っていた画家や彫刻家がつくった芸術作品だけ?でしょうか??
ターシャ・テューダーの庭
アートには「影響」「技」「術」「創造」…さまざまな意味があり、国や時代の違いによってもその意味は変わってくるし、ちゃんと定義づけされていません。
帝政ローマ時代に体系化されたリベラルアーツ
「art」を翻訳するために日本が生み出した言葉「芸術」
「art」=「リベラル・アーツ」の意味
リベラル・アーツとは「すべての人に必要とされた学問」 ≒ 哲学
「諸学の父」といわれるギリシャ古典期(全4世紀)の哲学者アリストテレス
人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本
リベラル・アーツの7つの科目[ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持つ]
文法学: 言葉を正しく使う方法を学ぶ
修辞学: 他人を論破する方法(弁論術、雄弁術、説得術)を学ぶ
論理学: 思考のつながりを明確にする方法を学ぶ
算術 : 計算方法を学ぶ
幾何 : 図形や空間の性質について学ぶ
天文学: 宇宙の性質や法則を学ぶ 音楽 : 音の性質や理論を学ぶ
若きアレキサンドロスと家庭教師のアリストテレス
なぜ、人はアートを生み出したのか
『アテナイの学堂』(1509年 - 1510年) ヴァチカン宮殿ラファエロの間
身近なもの、見慣れているものでも改めて見直すと新しい発見があります。誰もが知っていると思っている歴史的な出来事でも常に現代の状況で見直され、塗り替えられています。
情報は、更新していくのです。
実は「知っているつもり」でいる大半のことが自分の勝手な「思い込み」なので、「真実に近づいている」といえることは、いま実際に深く関わっていることだけだと言えます。
ちょっとだけアートのはじまりの話
昨今、アートが教養や教育だけではなく、創造性や美意識、アート思考などこれまでとは違った視点でビジネスマンにも注目され見直されていますが、そもそもアートって何?でしょう。
『最後の審判』 ミケランジェロ・ブオナローティ システィーナ礼拝堂
学校教育や社会人講座など、さまざまな世代に向けたアート指導の現場で「どんなアートをしたいですか?」という問いに対して「写真、絵画、映画、彫刻…がしたい。」といったモチベーションではなく限定された制作手段を答えてしまう人がほとんどです。
「どんなことがしたいですか?」と質問をかえると「旅、開発、物語つくり、ゲーム、冒険、新発見、人助け、研究、語り部、教育…」と答えます。
そんな時代を象徴する人々のさまざまな欲求・願望、ワクワクさせてくれるモノゴトこそ、その時代のアートといえるのです。
『ひまわり』1888年8月アルル フィンセント・ファン・ゴッホ
アートの「原因と結果」
アートのとらえ方によって”芸術のはじまり“を古代エジプトのピラミッドにファラオと一緒に埋葬された副葬品と考える人もいますし、美を定義づけた古代ギリシャ彫刻、あるいは4万年前の石器時代に描かれた最古の壁画だと考える人もいるのです。そうなると人類初の芸術家は石器人に生まれたとも考えられるのです。
『リンゴとオレンジのある静物』1895-1900年 ポール・セザンヌ
19世紀フランス パリでは、若き芸術家たちがモンマルトルの丘のバトー・ラヴォワール(洗濯船)を憧れ愛し、引き寄せられるように集まり、お互いをリスペクトし切磋琢磨していました。
そんな街の小さな一角から世界を大きく変える芸術作品(新しい価値観)が次々と生み出されていきました。
『アビニヨンの娘たち』 1907年-1908年 パブロ・ピカソ
産業革命が起こったイギリスでもそれまでの芸術を引き継ぐ保守的な新古典主義とその頃、時代を台頭した革新的なロマン主義の芸術家たちが、それぞれの信じる表現を主張し対立しながらも創造性を高めていき、サイエンス、アート、思想、世界の経済までも大きく揺るがす爆発的なパワーを発信していたのです。
『民衆を導く自由の女神』 1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ
ルネサンス3巨匠
社交的で社交界の花のラファエロは、宮廷、財閥らパトロンに引っぱりだこのナイスガイ。ミケランジェロはこもりがちな性格で一途に仕事をするタイプ。 ダ・ヴィンチはパトロンからの仕事も中途半端で完成させず、二人とは正反対。
ラファエロ ミケランジェロ ダ・ヴィンチ
14世紀のイタリアのルネサンス期では学術的な縛りがなく、お互いの考え方や気づきと技術を拡散し共有しながら研究を繰り返して急速に発展していきました。写実絵画の始まりもこの頃です。
※デッサン [dessin:仏] とは
物体の形、明暗などを平面に描画する美術の制作技法、過程あるいは作品のこと。
語源(ラテン語 designare)は「デザイン」と同じで
” 計画を記号に表す、図案、設計図”といった意味をもつ。
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』 1499年 - 1500年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
数千年前の古代ギリシャ人は自由を愛し身体と精神を調和させました。
『ギリシャ彫刻』 古代ギリシャ
古代エジプト人は、誰も観たことのない死の世界を書に綴り想像力を覚醒させていきました。宗教観の始まりともいえます。
『死者の書』 古代エジプト
数万年前、最初の芸術家(石器人) が、天敵であるライオンの頭をもつ人型の彫像を象牙から造り、日常の記録、思考、伝達手段として洞窟に絵を描き、アートで飛躍的な進化をしたのです。
「マンモスの牙を材料に作られた約4万年前の彫刻像です。ライオンの頭と人間の胴体を
あわせもつことから「ライオンマン」とよばれています。」
※ライオンマンが造られた理由:宗教・呪術・共同体のシンボル 等
虚構(イメージ力)により、人類の脳は飛躍的に発達したのです。このような時代背景からアートの成り立ちや発展の「原因と結果」が読み取れるのです。
クリエイターの発想の源にジャンルの隔たりはない
画家オディロン・ルドンは植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられ、その出会いが画風にも影響していく。
個性とは環境に造られていく。氾濫する情報からの選択眼が重要。
『キュクロプス』1914年 オディロン・ルドン
人によって色の認識が違うことにゲーテは気づき、ダ・ヴィンチは人体の魅力を解剖によって発見し、画家のコローは光の演出によって奥行きを具体的に設定できることなどに気づくまで庶民は、何の疑問も持たないで”普通”のこととして見過ごしていた。
『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー
何ごとにも興味、関心を抱かしてくれる人は優秀な指導者といえる。ちょっとしたアドバイスやヒントで、多くのことを学び洞察できる人は有望な後継者といえる。
雪舟は、中国に渡り中国画を李在より学び、第一後継者に選ばれ、日本に戻り日本版水墨画をつくった。
『秋冬山水図』のうち秋景 雪舟
”思い”の強さが成長を加速させる
幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える。絵を描くことも仕上がった達成感というよりは 「もっと良くしたい、もっと描きたい」といった過程で成長が加速し続ける。だから画家は絵を描けている限り、年をとってもボケないで長生きする人が多い。
絵を描いたりものを造ったりしているときの充実感は、子供の頃、時を忘れてずっと遊んでいた時間に似ている。
思考(イメージ)と行動の繰り返しが人を成長させ、充実させていく。楽しいから集中し、思考量が増えて具体的な行動に移れる。
人工知能が、まだ人からほど遠いのは
「楽しいからやる」
「嬉しいからやってしまう」
「誰かが喜ぶからやる」といった感覚。
生き物として大事なこと。
だから誰かが喜ぶから、自分も喜ぶから、楽しいこと嬉しいといった感覚を見直す。
「嬉しい、楽しいは、絶対的に正しい」
絵を観ることも描くことも、料理もスポーツも楽しいと感じる時間を過ごすことで、感覚的知性を磨くことになる。
好きなことが才能。続けられることが実力。癖は魅力。
磨かれた感覚が、幸せを見つける力になる。
誰もがやっていること、できることでも
自分らしい新鮮な組み合わせで、相対性を実感し充実した時間を過ごせる。
自分という人間は自分だけ。
自分の描いてきたスケッチブックを他人と比べる必要はなく、昨日よりも今日、今日よりも明日と少しでも前に向かっていればそれでいい。
「私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ。」ポール・セザンヌ
『静物』1879-82年 ポール・セザンヌ
第一段階(受動的)ではあくまで細部まで描かなければならない。表現の良否ではなく、どこまで見たかということ。
第二段階(能動的積極的)では、それら不要な部分を整理し、堅牢な力強い画面をつくっていくこと。
「整理」とは真に必要なものを「選択」すること。それぞれ、学びの段階のねらいを意識すること。
絵は読書と似ていて、観ることや描く回数を重ねるごとに発見がある。誰でも読書を楽しむことができるように誰でもクリエイターになれる。
クリエイターとは、限られた職種のことではない。人が喜ぶ物事を創造している人は、すべてクリエイターといえる。何でも誰かの思いを具現化することで、クリエイターとしての能力(創造力)を磨くことができる。
創造性はアートの世界だけではなく、 繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。自分の視座・視野・視点が変わることで世界の見え方が変わる。アートに触れることで、日常を非日常に変えるのではなく、当たり前のこととして見過ごしている”日常の奇跡”に気づいて、視座が変わり視野が広がって視点が多角化して、結果的に今までの日常が変わる。
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