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  • 執筆者の写真sfumita7

美意識をつぶやく

更新日:2月19日




美意識は感覚的知性


「最も高貴な喜びとは、理解する喜びである」と語っていたレオナルド・ダ・ヴィンチは、「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆き、あらゆる楽しみの根底には感覚的知性を磨くといった真面目な目的があると提唱していた。


トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 -1515年頃)




美意識を磨くデッサン


 デッサンする目的として、スケッチやクロッキー、エスキース(企画、計画書)にそったディテール(部分)のエチュード(習作)、また作品として描かれることもあります。


 エスキースは脳を活性化させるための手先の運動と考えた方がいいでしょう。頭の中で想像するよりは、実際に紙面に絵を描き、視覚で確認していった方がイメージの画像(空間)を修正し、理想の画面に近付けていくことができます。スポーツ選手がテニスラケットやバットを振りながら自分の理想のフォームに調整していく行為と同じです。


 エスキースは本番に失敗しないための練習ではありません。下書きとも違います。作業する手先と脳とは連動して機能するので、エスキースは脳を活性化させるための手先の運動と考えた方がいいでしょう。


『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』 1499年 - 1500年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ



 取材は事を起こし、遂行するために必要なものなので一度準備すればそれで終わるのではなく、事が進むに連れて展開していくことや状況に合わせて、その事が達成するまで続けることでその効果がみえてくるのでしょう。常に目的のために情報収集するアンテナをひろげて、新しい情報の発見、蓄積された情報からの展開、そしてイメージを具現化するために取材から獲た素材(データ)の整とん(分析)を怠らないことが「表現」のクオリティーを高めていくことに繋がっていくのでしょう。


 料理人や冒険家などあらゆるジャンルにおいて、アマチュアとプロと呼ばれる人の違いは技巧より意外と取材能力にその差がでるのかもしれません。ここで重要なのは取材する物質的な量というよりは、その内容や仕方が作品完成へと向かっているかどうかということです。漠然とした意識で進めてしまうと、取材することが作品イメージを具現化することにならないで、その量が増える(拡がる)とテーマが散漫になり迷っていく可能性があります。取材すると発見がたくさんあります。

 何かをみつける行為は基本的に楽しいので、その行為事体にのめり込んで目的を失ってしまいがちです。取材する内容がただ増幅するのではなく、テーマにそって必要な素材を選択収集しさらに吟味して切り捨てる作業も必要です。そこから派生していく内容やさらに掘り下げていくことで資料が増えていき作品イメージを他者に伝えていくための体制を整えていけるといいでしょう。


『ほつれ髪の女性』1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ  



 デザイナーや造形作家は一点の大作を制作するために多量の資料を準備します。写真などの図版資料、記録のためのスケッチやクロッキー、エスキース(企画、計画書)にそったディテール(部分)のエチュード(習作)を何枚も描きます(例えば、聖母像の手の表情や登場人物の顔の表情など)。

 作家の作風は制作だけでなく、その準備段階の取材の仕方の違いも個性として表れます。これも美意識の一つであり創造性であり、すべての仕事に当てはまるのではないでしょうか。


『手の習作』 レオナルド・ダ・ヴィンチ




モチベーション


 子どもは何か目的をもって、いつも遊んでいるでしょうか。遊びたいという欲求や衝動が彼らを動かしているのではないでしょうか。そういった欲求や衝動を呼び覚ますモチーフ(対象)はさがすのではなく、すでにもっているもの、もっていたものを思い起こしてみるといいのでしょう。

 モチベーションをもつということは何も明確な目的がなくても、ただ時間をわすれて打ち込むことができ、その時に幸せであり、そのことすら意識しないほど充実している「もの・こと」なのでしょう。

 遊んできたことを思い出してみて下さい。食事の時間になろうが日が暮れはじめようが、空腹もいいつけもわすれて何かをさがしたり、友だちと競い合ったり、創ったりしていました。「子どもは遊びの天才」、何かに夢中になれるということがそのことに対して才能があるといえるのかもしれません。


 継続すること、継続できることが重要であり、何よりも説得力があります。理屈ではなく、あなたを突き動かしている「欲求・衝動」は何ですか?




 欲求、衝動、義務感、自信、コンプレックス、希望、何をのぞむのか。何を残したいのか。何をこわしたいのか、そして生み出したいのか。そのエネルギーを一つの方向へ絞り込み前に押し出すパワーの強さは、モチベーションや志の高さに関わってくるのではないでしょうか。

 あなたが伝えたいと願うこと、この時代に対して沸き上がってくる「モチベーション」(欲求・衝動」とは何でしょう。

 「人に会いたい時、そうでない時」「話すべきか否か」の違いもモチベーションの状態が左右しているのではないでしょうか。作品を制作したい、何かを表現したいという衝動、欲求が沸き上がった時も例外ではないでしょう。






美意識を磨く構図


 誰かに手紙を書く時のことを思い出して下さい。何かを知らせる、相手を喜ばせるなど「目的」があるはずです。’文字’あるいは’何らかの話題’という「素材」を使って文章(表現)にするわけですが、あなたの目的が相手に伝わったとしたらその手紙の内容を表現した「構図」は良いということが言えます。


 あなたが「富士山を描いて下さい」と依頼されたらどうしますか?たくさんの画家が描いたモチーフ(対象)であり、日本人であれば大抵の人がその山の姿のイメージを思い描くことができるでしょう。「一般的」だからこそ、どんな富士山を描けばいいのでしょうか。そんな時、あなたの思い描く富士山の姿が「構図」に表れることになります。


富嶽三十六景『凱風快晴』 1832年  葛飾北斎



 決められた空間・場所と与えられた状況で、ユーザーが満足するサービス(おもてなし)を考えることも「絵の構図」を考える行為にちかいのかもしれません。


 光、感触、高さ、深さ、広さ、静と動、感情、情熱、神秘…のような、作品の視覚的な効果をねらうためだけが構図をとる目的ではありません。「構図をとること」は、制作の根本にある目的「テーマ」を他者に伝えるための手段として考えるべきでしょう。構図をとるという行為は、料理に置き換えると「季節の素材を使って、その季節の素材を生かす調理をし、その季節にあった料理を完成させ視覚と嗅覚、味覚を楽しませる、季節料理の盛り付け。」のような作業とこだわりと言えるでしょう。


富嶽三十六景『神奈川沖浪裏』 1831-33年(天保2-4年)頃  葛飾北斎



 「デザイン&アート」表現がおよぼす人への影響力は多岐にわたり、はかり知れません。「表現」といっても音楽や絵画、彫刻、小説などに限らず、あなたがデザイン&アートと考えるものなら旅行や料理、仕事、趣味、子育て、コミュニケーション、リフォーム、遊びとどんな表現にもあてはまるはずです。それがデザイン&アートの魅力であり、威力です。

 スポーツと同様、デザイン&アートも生活に密着したものです。また、その土地の文化に根付いたものであり、その時代を象徴するものでもあります。だからこそデザイン&アートの基本表現である『デッサン』を学ぶことで、その時代の中で生き抜く力を培っていくことができるはずなのです。




色の発見


   私たちの見ている色は、目で見て頭の中で何色なのかを考えています。この色も、光があることで見えているのです。まっくらな中では色を区別することができません。お昼の空が青く見えたり、夕方の空が赤く見えたりするのも太陽の光の不思議がたくさんあるのです。太陽の光が無くても、シャボン玉やCDは電気の光で虹色に輝いて見えます。色が変化したり虹色が見えたりするのは、光が関係していることがわかります。


   どのような光でも小さくて見えないツブがゆらゆらと波のように動きながら進んでいきます。雨つぶにぶつかりながら光が進んでいくときに屈折(くっせつ)するため色が変化します。もともと太陽光はすべての色が混ざって透明に見えているのですが、雨つぶに当たると、光が分かれて色が付いて見えてきます。


   虹がどうして七色に光って見えるのかは、太陽の光と小さな水のツブが空にいっぱい広がっているからです。でも、太陽の光は透明で私たちの目では見ることができませんよね。太陽光の中には、多くの種類の光が含まれています。日焼けをしてしまう紫外線(しがいせん)やカメラなどに使われている赤外線(せきがいせん)も太陽光の中にあるひとつなのですが、目に見えるものではありません。虹色を作り出している光も見えないものなのです。



 空気は光の影です。光が生じると、ある条件下に影が生じます。色彩が存在し、その色彩が空気要素のなかで作用し、空気中にきらめくように飛び散ると空気要素のなかにある別の要素が生じます。ある条件の下で、圧力によって逆流が生じるように、色彩から液体状、水状の要素が生じるのです。光の影が空気であるように、水は色彩の反映なのです。


 「科学的信仰」では、空がなぜ青いのか、朝焼けや夕焼けの意味についても、おそろしく複雑かつ陳腐な説明しか可能でなくなる。結局、その波長の光がある、としかいえないのである。これでは、自然の神秘はまるで解明できないのは当然なのである。


 

 ニュートンの色彩論を承認しない者は愚か者だと物理学者はいうが、ゲーテの時代にあってはゲーテひとりが反論をしたのではありません。ルドルフ・シュタイナーもそのひとりである。


ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、博学者、政治家、法律家




 シュタイナーのいうような「人々は、一方では物理学者のいうことを聞き、他方では絵画を見ます。しかし、その両者を統合しようとは思いません。画家は。この両者を統合しなければなりません。」という言葉にみられるように、ゲーテ的な色彩論を採用しそこに見られる自然への理解のために、ニュートン的な意味でのあまりにわかりやすい科学的信仰から目を覚ます必要があるのではないだろうか。

 シュタイナーの色彩論の方向性は、最初に述べたようにゲーテの色彩論の流れにある。シュタイナーはゲーテのニュートン批判のようにニュートンの色彩論を批判しているが、そのすべてが肯定すべき見解であるとはいえない。


※ルドルフ・シュタイナー:オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、哲学者、教育者


『シュタイナー黒板絵』



 基本的にニュートンの「光学」の延長線上にある現在の色彩の考え方、つまり、色というものは光が目に入り、それで生じた神経作用が大脳に伝えられたときにはじめて生じる感覚であって、自然界にはさまざまな色の感覚を生じさせる波長の光があるだけであるという考え方に対する根本的なアンチテーゼとしては、注目に値するのはないだろうか。

 色彩の研究には大きな二つの流れがあって、それはニュートンの「光学/光の反射、屈折、回折、及び色に関する論述」で論じられたプリズム実験による色の物理学的側面を中心に扱ったものと、そのニュートンの色彩論への批判という形で展開されたゲーテの「色彩論」における色彩体験の主観的な体験の現象学である。

 シュタイナーは1884年~1897年の間、「ゲーテ自然科学論文集」全五巻を編集しているが、そのなかの第三巻~第五巻に収められているのがゲーテの色彩論である。シュタイナーは現代の自然科学の成果の上に立ってゲーテ的な意味での色彩論を書くことを「わたしの人生のもっとも美しい課題」としているが、その成果の一端は、次の訳書で日本の私たちにもふれることができるものとなっている。

 ニュートンが「色は光によって見える。」といった。ゲーテにとって闇は、光と共に色彩現象の両極をになう重要な要素である。もしもこの世界に光だけしかなかったら、色彩は成立しないという。もちろん闇だけでも成立しない。光と闇の中間にあって、この両極が作用し合う「くもり」の中で色彩は成立するとゲーテは論述している。


 ゲーテの色彩論がニュートンの光学と根本的に異なる点として、色の生成に光と闇を持ち出しているということがある。

 ニュートンの光学はあくまで光を研究する。闇とは単なる光の欠如であり、研究の対象になることもない。






  RGBとは、赤(Red)、緑(Green)、青(Blue)の光の3原色で表される色の表現方法。赤緑青の3種類の発光装置を使い、色を混ぜて表示する場合に使われる。パソコンのディスプレイの色はこの方式により表される。対比して言われるものにCMYKがある。デジタルカメラで撮影されたデータはRGBであり、印刷物はCMYKになる。

   CMYKとは、シアン(Cyan)、マゼンタ(Magenta)、イエロー(Yellow)、黒(Black)によって表される色の表現方法。Kは印刷階調を示すkey tone の略であってBlackの末尾のKではない。CMYBkという表記も用いられる。BはBlueと混同されるためあまり用いられない。


顔料の種類


 顔料の種類は、自然の中に存在する自然物か、人間の手によって作られた合成物かあるいは、無機物か、有機物か、という、二重の基準に従って分類されます。

 その結果は次の通りです。


無機自然物・・・粘土などのアースカラー

有機自然物・・・草汁などを原料とした自然顔料

無機合成物・・・カドミウムやコバルトなどの金属化合物

有機合成物・・・化学製品



 


西洋の画家たちを驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現


 夕立などの雨が降る風景は、日本らしさかもしれない。雨も風情に変える日本人。西洋の画家を驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。

今、当たり前のものとしてみている、感じていることは先人が気づかせてくれた。気がついていない画期的、革命的なことがまだある。


『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重




顔の表情があまりないギリシャ彫刻


 これは古代ギリシャ人の『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくもの。




 日本でも平安貴族と鎌倉武士それぞれの考えの違いで彫刻の表情が全く違う。


平安像


鎌倉像


どの時代も人の考え、思いを伝えている。





平安時代にピカチュウとケロロ軍曹 発見!!

二足歩行をする耳の先の黒いウサギとかえる。 1000年前の絵巻物につながる日本アニメは独自に発展した文化。 【鳥獣人物戯画 絵巻物】無名の僧侶たちが80年間かけて庶民の生活を描いた。


『鳥獣戯画絵巻』



 安定感の感じ方は東西、共通らしい。黄金比 1:1.618、約5:8の長方形。 この比率はギリシャ彫刻や絵画に使われているが、最も安定したバランスのいい比率として、金閣寺やパルテノン神殿の建造物、ピラミッドにも使われている。




 25歳頃までは株の仲買人だったゴーギャン、ゴッホは牧師。税理士だったルソーの世に出ている絵のほとんどは50歳過ぎに描いた。年齢的に遅いというものはなく20、30代で人生は決まらない。人の知的欲求は根源的なところにある。


『私自身、肖像=風景』1890年 アンリ・ルソー



 劇団四季の座長が「隣の時計をみない」とそれぞれのペースで成長していく大切さを語っていた。他人と比較することで劣等感や不幸を感じてしまいがちで、どんな状況でも「今の自分よりも少しでも良くしよう」といった“もっと”が幸福感を持続させる。


 性に合わない人たちとも付き合い、性に合わないことも経験していくと心の中にある違った側面がたくさん刺激され、やがて心が頑丈になる。楽しい時も辛い時も無心でいられる時が成長している時。そう自分にも言い聞かせて、不快を快に変えている。


『紅白梅図屏風』 尾形光琳



 デッサンで微妙の明暗の違いを何枚も描いていると一般的に3、4段階ぐしか見分けられない白黒のグラデーションが10段階以上も見えてくる。そうなると色幅もたくさん認識できるようになり、いつの間にか世の中の風景が輝いて見えるようになる。


色や影の違いが4、5段階しか意識しなかったのが、絵を描くなどして観察眼を鍛えていくと10段階以上みえるようになってくる。色の微妙な見分けも同じで画家が綺麗な風景を絵に描くのは技法によるものだけでなく、実際に世の中が輝いてみえている。


『ムーランド・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』 1876年 オーギュスト・ルノワール



 「デッサン力」とは決して「描写力」の範囲に止まるものではない、 むしろ「デッサン力」とは「創造力、伝達力」のことだと言える。情報の組み合わせ、視覚伝達として描くと絵は上達する


 「今日はこれができたから、それでいい」「明日はこれだけやればいい」。一日、何かやりたかったことを一つでもできれば、それで上等、いっぺんにたくさんできることが偉いわけではない。一つ一つ実現していくことが大事。


 絵(デッサン)を描くときにも「よくみる」ことが基本ですが、これは「必要な情報を見極め、的確に捉える。物事を理解する」ということです。何かを理解するときに五感を使って知覚することは重要な役割をはたします。


 ポケーッとしなさい。忙しく働いている時よりもボーっとしている時の方が数倍も速い速度で頭が動いているらしい。ゆったりとした時間が多かった日に有意義な夢を見ることがある。意識している以上に情報が整理され、解決の糸口まで見つかっている。


 人や物事は色んな側面を持つ。情熱の画家ゴッホの遺作『花咲くアーモンドの枝』。生命力にあふれる『ひまわり』の絵で有名なゴッホは、彼を支えてくれた弟テオの生まれたばかりの息子のために春を待つかわいい希望の花を最後に描いて亡くなった。


『花咲くアーモンドの木の枝』 1889年 フィンセント・ファン・ゴッホ


 

 人によって色の認識が違うことにゲーテは気づき、ダ・ヴィンチは人体の魅力を解剖によって発見し、画家のコローは光の演出によって奥行きを具体的に設定できることなどに気づくまで庶民は、何の疑問も持たないで”普通”のこととして見過ごしていた。


『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー




クリエイターの発想の源にジャンルの隔たりはない


 画家オディロン・ルドンは植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられ、その出会いが画風にも影響していく。

 個性とは環境に造られていく。氾濫する情報からの選択眼が重要。


『「起源」 Ⅲ. 不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた』 1883年 オディロン・ルドン



『キュクロプス』1914年 オディロン・ルドン


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