”アートの民主化 Chapter 7 魅力(独自性) ”からの続き
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Chapter 8 表現手段(スキル:他者への説得力)
「イメージを表現できる方法、テンションが上がる行為、性分」
アートの授業で
「どんなアートをしたいですか?」という問いに対して、「写真、絵画、映画、彫刻…がしたい。」など、ほとんどの学生が「イメージ・モチベーション」ではなく「限定された制作手段」を答えてしまいます。
「どんなことがしたいですか?」と質問をかえると「冒険がしたい。日頃訪れない場所を探索したい。`基地`をつくりたい。物語をつくりたい。話題のもの、場所を調査したい。何かの役に立ちたい…」などの返答が出てきます。
それこそアートの活躍の場になっていくはずなのに答えた本人にそんな認識がないのです。
ターシャ・デューダ
以前、パリ在住のアーティストたちと現代美術交流としてパリ市内に滞在(アーティスト・イン・レジデンス)し彼らと生活を共にしました。そのときに彼らの生活と密着した美術意識、社会でのアートの重要性、アーティストが存在する必要性、一般市民の芸術への理解や関心の高さを体感しました。
日本では、芸術教育の影響なのか、芸術に対する認識の浅さの現れなのか、一般的に芸術の鑑賞や表現の幅を限定し、しかも「表現手段」は音楽、写真、絵画、映画、彫刻 といったものの枠内で考えてしまう人がたくさんいます。
ガーデニングも料理、手紙、手編みのセーターも遊びで造った土だんご、砂の城、壁の落書き、収納など日常の中に「デザイン&アート」が溢れています。
ターシャ・デューダ
例えば、散歩は日常的な行為だが、何か明瞭な「イメージ・モチベーション」あるいは「衝動」をもった場合、それは「表現(パフォーマンス)」となりえるでしょう。私たちは生活を営むことですでに「デザイン&アート」に関わっているのです。あなたがやりたいと考えていること(衝動)が「デザイン&アート」の表現になりえるのです。
Dalton Ghetti作品
「デザイン&アート」とはそれを表現する手段のことではないと述べてきましたが例外的な見方ができる場合もあります。
例えば「無形文化財」に指定されている「技」などがそうです。「技」そのものが芸術といえることがあります。
旅行にしても人とのコミュニケーション方法にしても目的達成(結果)を優先すれば、その手段(過程)は重要ではない。しかし、その過程(工程)にこだわるとしたら、その選択した工程そのものが「芸術」となるのだろう。なぜなら、たくさんの工程を重ねて制作される「漆塗り」などは日本の伝統工芸の「職人技」自体が芸術となる行為(表現)といえるからです。
『白綾地秋草模様小袖』
『八橋蒔絵硯箱』
では、デザイン&アートの「手段」は何を選べばいいのでしょうか?結論をいえば「衝動」に素直になればいいのですが、その「素直になる」ことがけっこう困難なのでしょう。「パートナー」みたいなもので、その選択を難しく感じている人が多いのです。
出会い(運命的なもの)もあれば、目的達成のために相性の合うものを探し吟味して選択する必要があるのかもしれません。いづれにしても常に自分が自然体で素直に振る舞えることが大切で、更にあきないで続けるほどにテンションが上がっていくものを選べるといいのでしょう。
『サマリー夫人』1877年 ピエール=オーギュスト・ルノワール
ありがちですが、最初から道具や手法、技法にとらわれない方がいいでしょう。そのためには、まず自分自身を「知る」必要があります。
「自分」とはどんな存在で、どんな習性をもった「生きもの(表現者)」なのかがわからないと相性の合った「手段」はみつかりません。また、自分を知る様にその「手段」のことも末永く”共存”していくために少しは知っておく必要があるのでしょう。
その「手段」があなたの「パートナー」になったとしたら、生涯を通じてきっと心強い存在になってくれるはずです。
この章では、アートの表現手段が単なる技法や道具に留まらないこと、そしてその背後にある「衝動」や「モチベーション」がいかに重要であるかを強調しました。
次章では、具体的なアートの実践例と、その社会的意義について探求していきます。
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