デッサン力が優れているということは、単に絵を上手に描けるということに留まりません。これは、情報を正確に観察し、それを明確に伝える能力、また物事の本質を見極めて、それを視覚化する力を意味します。
レオナルド・ダ・ヴィンチはその代表的な例であり、彼の作品に見られるデッサン力は、単なる技術的な巧みさを超えて、当時の科学や解剖学、哲学にまで深く根差していました。
ルネサンス期において、デッサンは単に芸術の技法としてだけでなく、知識と学問の手段としても用いられていました。特に、レオナルドは自然現象や人体の構造を正確に把握し、それをスケッチによって記録することで、現代に通じる科学的な視点を開拓しました。『ウィトルウィウス的人体図』や『子宮内の胎児』のようなスケッチは、その最たる例であり、これらの作品は単なる芸術作品ではなく、当時の解剖学や自然研究の一部でもありました。
『ウィトルウィウス的人体図』 1485年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ パルマ国立美術館
『子宮内の胎児が描かれた手稿』 1510年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
デッサンの過程において重要なのは、「よく観る」ことです。これは単なる視覚的観察に留まらず、物事の構造や相互作用を理解することを意味します。レオナルドが自然の複雑さを探求し、彼の作品を通して多層的なリアリティを表現したように、観察力と分析力は芸術だけでなく、科学や工学など、他の分野にも応用されました。
『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿』より
また、デッサンは社会的にも重要な役割を果たしました。ルネサンス期のイタリアでは、絵画や彫刻は教会や政治的権力を象徴する手段として利用され、デッサン力はそれを実現するための基本的な技術とされました。レオナルドやミケランジェロのような巨匠たちは、複雑な宗教的テーマや人間の精神的探求を具現化するために、細密なスケッチを通して準備し、絵画や彫刻に反映しました。
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』 1499年 - 1500年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
『壁画のためのエスキース』 レオナルド・ダ・ヴィンチ
西洋文化が日本になだれ込んだ明治時代の間違った認識と和訳のまま教育されていることが多々あります。
絵画で、エチュード【 étude】が「習作」と訳されていることで練習することのように
認識されていますが、本来は「研究し探る」ことです。 ダ・ヴィンチのエチュードへのこだわりを観るとその違いが分かります。
『子どもの研究』レオナルド・ダ・ヴィンチ アカデミア美術館素描版画室
「考え事は絵を描きながらがいい。絵を描くと頭がクリアーになる。頭の中のイメージを実際に紙面に描き、視覚で確認していった方がイメージを具体化できる。発想も具体的に展開していきやすくなるので理想の現実に近付けていくことができる。」
『女性の習作』 レオナルド・ダ・ヴィンチ
『女性の手の習作』 レオナルド・ダ・ヴィンチ
「絵を描くことは、脳を活性化させるための手先の運動と考えた方がいい。体を動かした方が喋りやすかったり、考えがまとまったりする。絵を描くことで手先と脳とが連動して活発に機能していき、 新鮮な発想が浮かぶ脳のストレッチになる。」
『人体スケッチ』 ミケランジェロ・ブオナローティ
『リビヤの巫女のための習作』1510年頃 ミケランジェロ・ブオナローティ
「デッサン」は、モチーフを単に写し取るだけの表面的な描写の作業ではなく「デザイン」という言葉の語源と同じラテン語のdesignare(デシネーレ)、 計画を記号に示す、図案、設計図、意匠の本質を捉える意味があります。
『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿』より
本質を見抜くための必要最低限の基本技能(絵画技法だけではなく)は、 エッジ・スペース・相互関係・光と影・形態(ゲシュタルト)の5つ。 だから絵を描くことは世の中の物事を読み解く能力を磨くことに繋がっていきます。
『布のデッサン』 レオナルド・ダ・ヴィンチ
『跪く女性の衣装の習作』 レオナルド・ダ・ヴィンチ
絵画で必要な画力と観察眼とは表面的な描写力だけではなく観ているものの構造や光と影など周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力とその本質を的確な構図や技法で効果的に伝達する力です。
この対応力は絵を描くことにとどまらず、様々な仕事にも必要とされる。画家、マンガ家、小説家、料理人や冒険家などあらゆるジャンルにおいて、アマチュアとプロと呼ばれる人の違いは技巧より、よく観る力、取材能力にその差がでるのかもしれません。
デッサンを描くこともそうですが、創作を続けているとそれまでとは違った物事が見えるようになってきます。最初は目の前にある問題だけしか見えなかったのが情報の領域が広がっていき、その物事に影響を及ぼしている周囲の状況が見えてきて、本質を理解していきます。
大抵、思い込みに惑わされています。自分の思い込みは気がつき難く、知っていた見ていたつもりでいた日常の見慣れたものを絵を描くようによく観て見直すと実は知らないことだらけだったことに気がつきます。絵に描くと自分の思い込みと実際の違いがよく観えてくるのです。
絵を描くことは、絵のプロになるためだけに必要なことではありません。絵の描き方を習うということは、じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味しています。よく観て繰り返し絵を描くことで本当のことに気づいていきます。
絵を描くことも仕上がった達成感というよりは「もっと良くしたい、もっと描きたい」といった過程で成長が加速し続けます。だから新作を描き続けるクリエイターは高齢でも元気な人が多いのです。
『幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える』-経済学者ダニエル・コーエン
デッサンを通じて物事の本質を捉え、それを視覚的に伝達する能力は、現代においても重要です。今日、デッサンは芸術家やデザイナーだけでなく、建築家、科学者、エンジニアなど、多くの専門分野で必要とされ、複雑なアイデアや計画を明確に表現する手段となっています。さらに、デジタル時代においても、視覚的な思考やデッサンによるコミュニケーションの価値は高まっています。
デッサン力の真価は、技術的なスキルだけでなく、観察力、思考力、そして何よりもそれを他者に伝える力にあります。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は、これらの要素がいかにして芸術を超え、知識や科学の発展に寄与するかを示す好例です。
『最も高貴な喜びとは、理解する喜びである』-レオナルド・ダ・ヴィンチ
※この文章は、デッサン力が芸術における基本的な技術であるだけでなく、社会的・歴史的に広範な意味を持つことを強調しています。また、ルネサンス期の社会や文化的背景を考慮して、デッサンの重要性を強調し、現代にも通じる普遍的な価値を持つことを示しています。
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