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ルネサンスの巨星

  • 執筆者の写真: 聖二 文田
    聖二 文田
  • 6月25日
  • 読了時間: 7分

更新日:6月28日



弟子になめられていた大天才


【名 前】 レオナルド・ダ・ヴィンチ

生まれ】 1452年4月15日 イタリア アンキアノ




【芸術活動】 絵画・壁画(フレスコ)制作/美術解剖学/建築/自然科学


 まだ学問的にアートといった縛りのなかったルネサンス期の万能人。


『ウィトルウィウス的人体図』、1485年頃



【生息地】 ルネサンス期イタリア


【特徴・習性】

 万能・大天才・マイペース型イケメン・気分屋・飽きっぽい・人望がない


【エピソード】『名馬に癖あり』

 ルネサンス期のミケランジェロ、ラファエロらと三代巨匠(芸術家)の一人。「最後の晩餐」「モナ・リザ」などで誰もが知っている画家ですが、それは彼の単なる一面であり、環境の観察に膨大な時間を費やしていた科学者でもある。

 日本では天才や学者の代名詞のように扱われているダ・ヴィンチだが、西洋ではその多彩な才能から様々なゴシップ(噂)で騒がれていた。


『モナ・リザ』1503年 - 1505 1507



 「最も高貴な喜びとは、理解する喜びである」と語るレオナルド・ダ・ヴィンチは

「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」

と嘆き、あらゆる楽しみの根底には感覚的知性を磨くといった真面目な目的があると提唱していた。


 レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』1495年 - 1498年 イタリア



 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれている遠近法(一点透視図法)を完璧に実証している絵。その消失点であるキリストのこめかみには穴が空いている。ダ・ヴィンチは芸術的な感性が豊かなだけではなく、この穴からひもを引っ張り作図するなど技法や作業法を論理的に開発する研究者でもあった。




大天才のざんねんな一面

  多岐にわたり才能を発揮して探求心を持ち続けた彼ですが、地位や名誉、世間の目や評価には関心がなかったようです。依頼された大切な仕事の期限を守らず、飽きっぽく途中で投げ出してしまうほどいい加減な一面があった。

 彼の工房で修行をする弟子たちに対しても教育熱心ではなかったようで、意外にも尊敬される師匠ではありませんでした。どちらかというと気分屋でマイペースのいい加減なアウト人間として、弟子からはバカにされていた。




弟子の若きダ・ヴィンチに憧れた師匠ヴェロッキオ


【名 前】アンドレア・デル・ヴェロッキオ

死 亡 1488年10月10日 イタリア ヴェネツィア




【芸術活動】 彫刻・絵画制作/機械工学/数学/音楽/教育


   イタリア ルネサンス全盛期、フィレンツェの天才芸術家。

  また、弟子の才能を引き出し伸ばすことに長けていた彼は、教育家としても第一人者でした。そんな師匠ヴェロッキオの工房には、大勢の芸術家たちが弟子として集まっていました。同時代の天才画家ボッティチェリも彼の助手をしていた。



【生息地】 ルネサンス期イタリア


[特徴・習性]

 天才・人望が厚い・万能・苦労人・人格者



【エピソード】 『ヴェロッキオ』とは「本物の目」という意味

  修業時代の若いダ・ヴィンチは、師匠であるヴェロッキオが制作する『ダビデ像』のモデルに抜擢されるほどの美男子でした。

  容姿端麗で豊かな才能にも恵まれた弟子のダ・ヴィンチに師匠のヴェロッキオは好意と嫉妬が入り混じった複雑な感情を抱いていたのかもしれません。



 ヴェロッキオ作『ダビデ像』



師匠に引退を決意させた弟子の絵:「青は藍より出て藍より青し」

  弟子のダ・ヴィンチに描かせた部分の絵を観て師匠ヴェロッキオは引退を決意しました。若きダ・ヴィンチの才能、美しい容姿などさまざまな意味でヴェロッキオは芸術家として第一線で弟子たちをけん引する自信と生命力の低下、老い、必ず訪れる新旧交代のタイミングを悟ったのかもしれません。


『キリストの洗礼』


 ⇒ キリストの洗礼(部分)

  弟子ダ・ヴィンチが描いた天使↑   ↑師匠ヴェロッキオが描いた天使





美男子で目がハートだけど顔がデカイ彫像


【名 前】 ミケランジェロ・ブオナローティ

死 亡 1564年2月18日 イタリア ローマ




【芸術活動】 彫刻・壁画制作/建築/詩


ルネサンスの三大芸術家(ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ)の一人。

斬新で力強い表現を次々と生み出しました。



【生息地】 ルネサンス期イタリア


[特徴・習性]

 負けず嫌い・激情型・執念深い・自尊心が強い・傲慢・孤独


『ピエタ』1498年 - 1500年



【エピソード】

  この時代、男色の芸術家は珍しくなくミケランジェロも女性像の作品でも男性モデルを描いたデッサンをもとに制作していました。そのため女神をテーマにした作品でも筋肉質でたくましく感じられるのです。

  そんな独創的な新作の制作途中を見られないように一人こもって仕事をするような負けず嫌いでした。特に先輩であり既に世間で高い評価を得ていたダ・ヴィンチに対しては、「絵しか描けないくせに」とライバル心をむき出しにしていたようです。



イケメンだけど顔がでかいダビデ像

  遠近法は絵画だけの技法ではありません。ミケランジェロは『ダビデ像』を見上げる位置にセッティングすることを想定して、下から見た時にプロポーションが自然にみえるように造りました。だから彼の造ったダビデ像を正面から見ると胴体に対して、不自然に顔が大きく腕や首が長いのです。


『ダビデ像』 1501-1504年イタリア

 

目がハートマークの『ダビデ像』※割礼・キリスト教の象徴



執念深い芸術家の「芸術的な復讐」


ミケランジェロ『最後の審判』1541年 イタリア



  裸体の群像で埋められた不謹慎な絵だと批判した儀典長ビアージオの股間に蛇が食らいつき辱めを受けている絵が壁画の画面右下に描き加えられています。

  ミケランジェロのプライドの高さと執念深い性格が伺える芸術的な仕返しです。




斬新!「ルネサンスのコスプレ大会」


【名前】 ラファエロ・サンティ(イタリア人)

死 亡 1520年4月6日 イタリア ローマ




【芸術活動】 絵画・壁画制作/建築


  同時代の芸術家たちをリスペクトし研究したラファエロは、クアトロチェント(15世紀)の多くの芸術家たちの念願だった自然の忠実な描写ということに固執しませんでした。彼は心に浮かぶ不変の型に意識的に従おうとしました。

   優雅でバランス感覚に優れた絵画を確立し、その後の西洋絵画の美の基本として崇められました。



【生息地】 ルネサンス期イタリア


[特徴・習性]

社交界の花・女好きの色男・天才・温厚・優しい・素直・薄命


『ガラテイア』1512-14年頃



【エピソード】 『美男薄命』

  同じルネサンス期の大芸術家ダ・ヴィンチやミケランジェロとは異なり、女性が好きだった若き天才画家ラファエロは、社交的で他者の良い所を素直に受け入れる肯定的な性格だったようです。

   1509年-1510年に描いた『アテナイの学堂』では、レオナルド・ダ・ヴィンチのソクラテス役などその当時の巨匠をリスペクトしていたことが伺えます。




  優美な曲線で聖母像をたくさん描き、あまりにも美しい絵の女性に魅了された人にモデルは誰だとたずねられた時、「ある概念に従ったまでだ」と答えました。


『大公の聖母』1505年



  性格も温厚なラファエロは社交界でも人気者で人生絶好調でしたが、『キリストの変容』を作製中だった1520年の誕生日4月6日に早世してしまいます。また、この年の聖金曜日であったため死んだ瞬間、ヴァチカン宮殿にヒビが入ったという伝説もうまれるほど神格化されたのです。


『キリストの変容』1520年




ルネサンスの3巨匠三者三様

 社交的で社交界の花のラファエロは宮廷、財閥らパトロンに引っぱりだこのナイスガイ。

 ミケランジェロはこもりがちな性格で一途に仕事をするタイプ。

 ダ・ヴィンチはパトロンからの仕事も中途半端で完成させず、二人とは正反対。


 



3大巨匠の聖母像、観方の違い


『肉感的な優しい女性』ラファエロ 
『肉感的な優しい女性』ラファエロ 

『男性的なたくましい女性』ミケランジェロ
『男性的なたくましい女性』ミケランジェロ


『解剖学的な女性』レオナルド・ダ・ヴィンチ
『解剖学的な女性』レオナルド・ダ・ヴィンチ




 
 
 

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