自然の存在
気配を感じて 「富士山がいた!!」と、 思わず撮りました。
『富士山』
自然の存在を感じていないということは、直観が鈍くなっているといえます。
郷里の鹿児島は強い日差し、台風の影響、桜島の噴火といった自然の存在感が大きい。鹿児島の人だけではないが、自然の存在を感じながら生きている人たちはそれが強ければ強いほど感性が鈍らないのです。
人も自然の一部だから。最近はその恩恵を富士山や高尾山からも感じています。
『桜島』
寄り添う自然
植物には、強風に耐えるしなやかな草花、高く伸びる木々、触ると開く不思議な葉、虫を呼び寄せる鮮やかな花びらなど、さまざまな形や特徴の違いがあります。それぞれの特徴は、その地の環境や季節が大きく影響しています。
『北斎漫画』
『北斎漫画』
日本の「桜」やハワイの「プルメリア」などその国を象徴する植物があるのも、国によって違う環境や季節が、独自の植物を生み出していった結果といえるでしょう。人間と同じように、植物も長い時間をかけてその地に適した進化をとげていったのです。
深い森の中でうっそうと咲き乱れている植物は、雑多なように見えて実は絶妙なバランスを保ちながら共生しています。冬に咲く花、日光を浴びるために高く伸びる木々、日陰でも生き続けるコケ類……。それぞれの植物が与えられた環境の中で生き残るために順応してきた結果、それぞれの形や特徴、性質を持ち備えていったのです。
『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー
これらさまざまな植物が、その特性を生かし枯かれては咲さくといった再生を繰り返しながら形成されている森では、季節ごとに咲く草花が入れ替かわります。そして常に生命感があふれるいろいろな自然の美しさを見せて、人に季節感を味あわせてくれるのです。
『日傘の女(左向き)』1886年 クロード・モネ
『花咲くアーモンドの木の枝』 1889年 フィンセント・ファン・ゴッホ
『名所江戸百景 亀戸梅屋敷 のぞき見る』 1857年 歌川広重
『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳
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