人物画 東西の違い
皆さんは人物画と言ったら、どんな絵を思い浮かべますか?
例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナ・リザ」は西洋の人物画で最も有名な
一枚と言えるでしょう。
『モナ・リザ』1503 - 1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
美術解剖学を始めたダ・ヴィンチは、人体の骨格や筋肉を理解して描いていますが、遠近法も研究していたのでモデルを見たままに写し撮るのではなく、モデルの特徴を誇張したり、人物の立体感や奥行きを出すために手前のものを大きく描いてインパクトを出したりしています。
また、浮世絵の大首絵といわれる肖像画「東洲斎 写楽」も日本では最も知られた人物画でしょう。
この二枚のポピュラーな人物画の違いは、何だと思いますか。
『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』 東洲斎写楽
『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
このように明暗法や遠近法などの絵画技法で、構造感を大切にして描かれた西洋の人物画に対して、日本の人物画は先輩絵師の絵を何枚も模写することで、その技を受け継ぐ修業しているので、目鼻口や手などのかたちもパターン(記号)化された明快で平面的な表現で描かれています。
東西それぞれの絵を描く目的や文化的背景の違いで、人物表現が異なっていったのです。
まず”棒人間“で骨格やプロポーションなど構造をとらえる観方は西洋美術の絵画技法で、かたちの印象(たたずまい)や特徴を平面的に簡略化してとらえる観方は、日本美術の絵画表現といえるでしょう。
世界標準となった人物表現
人物画には、古代壁画のように簡単な線で描かれた「棒人間」から、写真のように陰影をとらえて写実的に細部まで描かれた「肖像画」などさまざまな表現があります。
『古代壁画(ラスコー)』
『アルノルフィニ夫妻の肖像』 1434年 ヤン=ファン=アイク
時代時代の絵を描く目的や用途によって表現方法(技法)が開発されてきました。そんな表現の一つにピクトグラムがあります。
言語圏の違う国々の選手や旅行者が一堂に集まるオリンピック。「何の競技が行われている会場なのか」「トイレなど会場の施設」を的確に案内するために文字による案内ではなく「共通言語」といえる絵で表示されたサインがピクトグラムです。このピクトグラムは、競技をする人物の動きや施設が平面的な人物表現で明快に示されています。
ピクトグラムは、「家紋」など絵で伝える文化・風習があった日本のデザイナーたちにより1964年の東京五輪ではじめて考案され、その後に世界標準となったのです。
「家紋」 日本の絵で伝える文化・風習
動物の目
皆さんは、人の「目」をどのように描きますか?目は、人それぞれ特徴があります
し、他の動物となると違う構造をしています。
人の目は顔の正面に二つあり、その目を閉じたり開いたりするまぶたは上についています。また、頭を上下左右に動かせる首を使って周囲を見ることができます。
『墓場の少女』 1824年 ウジェーヌ・ドラクロワ
鳥は地上から空までと高低差が広い行動範囲を自由自在に飛び回るため、頭はさまざまな方向に動き、まぶたは上下についています。
草食動物は広い範囲を見渡せるように二つの目が頭の左右両側に離れており、
『野うさぎ』 1502年 アルブレヒト・デューラー
狩りをする肉食動物は前方を走る獲物を追うために二つの目が顔の正面に寄っています。
『猫』 藤田嗣治
地面を這いつくばって歩くトカゲは、左右の広い範囲を見渡せるように頭の両側面に一つずつ目がついています。また上方からくる危険をいち早く察知するために下まぶたを下から上に持ち上げるように目を閉じることができます。
魚は、首がない頭の両側面や正面に二つついている目で周囲を見るために水中で瞬時に方向を変えられるからだの機能をもっています。その目は水中で乾くことがないのでまぶたがありません。
このように生き物は変動する環境に順応しながら、それぞれの生活習慣に合わせて進化してきたのです。このような構造と機能を理解すれば、的確な絵を描くことができるのです。
魔女の顔
皆さんは数年後、数十年後に自分の顔がどのように変わっていくかを想像したことがありますか?白髪になったり、しわが増えたりしていくだけではありません。
顔は、頭とあごの二つの部分でできています。頭の部分は少年期(5~14歳)後半で成人と同じくらいの大きさに成長しますが、あごの部分は青年期(15~24歳)まで成長を続けるので顔のプロポーション(顔全体の大きさや目鼻口の位置・間隔)が変化していきます。青年期から高年期(65歳以上)にかけて脂肪が落ち骨も薄くなり、歯も抜け落ちていくと少年期の顔のプロポーションにもどっていきますが、鼻骨は成長を続けるので顔の掘りは深くなり目つきは険しくなっていきます。
『グロテスクな顔の習作(部分)』 レオナルド・ダ・ヴィンチ
おとぎ話に登場する魔女の顔は、あごの骨は薄くなり脂肪が落ちて皮はたるんでいますが子供のプロポーションなのです。それなのに高い鷲鼻で掘りが深く目が鋭く、しわだらけの険しい表情をしています。
この顔は、何百年も生き続けている人の顔を解剖学的に想定して描かれているのです。
魔女のような老婆に限らず、美術解剖学を学ぶなどして人の顔の構造や機能、成長の過程を理解すれば、老若男女のキャラクターの違いを実際にモデルは見ないでも描き分けることができるのです。
絵だから伝えられる人物表現
人探しは、写真より絵の方が通報件数が多い。
捜査から得たあらゆる情報と解剖学の知識から、顔の絵を描いていく警官がいます。
そのスキルこそ、西洋美術から伝わった写実絵画の本来の手法といえます。
写実とは、写真のようにただ写し取ること(見かけ、表面的な情報)だけではなく、
その対象についての人柄など情報を描き伝えることなのです。
アルブレヒト・デューラー自画像1493年
カラヴァッジョ
『真珠の耳飾りの少女』 1665年 フェルメール
『自画像』1887年春 フィンセント・ファン・ゴッホ
進化の話
生き物のかたちや機能の進化には理由があります。例えば地球の自転の影響によって、すべての生き物がスパイラル構造で進化し成長してきたので、植物の茎や葉、動物の骨や筋肉、内臓もねじれた形をしています。
『腕骨格の研究手稿』 1510年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
『女性の手の習作』 レオナルド・ダ・ヴィンチ
『子宮内の胎児が描かれた手稿』 1510年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
『ウィトルウィウス的人体図』 1485年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
現代に生き残っている動物は、古代からの環境の変化に適応するために進化を続けてきました。その過程で細胞、骨、筋肉が圧し合い押し合うことで、からだから頭が押し出されました。
サルから進化した人は、二本足で立ったまま両手を使って行動できるようになりました。
しかし、直立したからだのバランスをとるために背骨がS字に曲がったことで、腰痛や肩こりに悩まされることになったのです。からだを支え二足歩行するために足の指は、手先のように起用に使う機能はなくなり短く退化していきました。
『人体スケッチ』 ミケランジェロ・ブオナローティ
人は、狩りや火を使った生活をしていく中で、両手を使って物を運んだり道具を作ったりするために指や脳の機能は発達していきましたが、便利な道具に頼る習慣がついてしまったので他の動物に比べて運動神経や五感(感覚)機能は退化していったのです。
光の芸術
西洋では、絵にリアリティーとインパクトを持たせるために明暗法や遠近法などの写実的な絵画技法が研究されました。古典絵画の時代にも現代の映画やテレビ、スマホ画像の高画質化と同じように技法や画材の開発、技術の発展が求められていました。
大きなキャンバスに描かれたバロック絵画は、王様の権威を知らしめるための現代においての宣伝ポスターや広告看板のようなものでした。
『ラス・メニーナス (女官たち)』 1656年 ディエゴ・ベラスケス
バロック時代のスター画家カラバッジョ(1571-1610)の光と陰をまるで舞台照明のように演出して描かれた絵画は、当時の最先端技術だった絵画技法(遠近法・明暗法)と画材が駆使された視覚効果だったのです。
『聖マタイの召命』1600年 カラヴァッジオ
新古典主義の画家カミーユ・コロー(1796-1875)は、現代の舞台照明などの演出表現の原点となる新しい明暗法を開発して、より深い奥行のある風景画を描きました。また、叙情豊かな雰囲気を伝える明暗表現を開発して、昔の良き時代の日常的な西洋風景を叙情豊かに描き、現代社会にその魅力を伝えているのです。
『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー
[未完成の美学]トルソの話
現代でも「美の象徴」「理想的な体型」として鑑賞され続けている古代彫刻『ミロのヴィーナス』。そのからだは、19世紀にエーゲ海のミロス島で発掘されたときには両腕は壊れてすでにない状態でした。
『ミロのヴィーナス』ミロス島出土 起源算100年頃 ルーヴル美術館蔵
人のからだのうち、頭、手足をのぞいた「胴体」のことを彫刻の用語で「トルソ(伊: torso)」と呼びます。
有名なトルソに古代ギリシア彫刻『サモトラケのニケ』やルネサンス期の大芸術家ミケランジェロ(1475-1564)が制作した『ベルヴェデーレのトルソ』があります。頭と手足がない姿はちょっと不気味ですが、欠けた手足のポーズや顔を想像して遥か古代に想いを馳せながら鑑賞してしまいます。
古代ギリシア彫刻『サモトラケのニケ』
ルネサンス期彫刻『ベルヴェデーレのトルソ』 ミケランジェロ・ブオナローティ
日本では、美術品として人の「からだ」は着物をまとった形として鑑賞されていました。「からだ」は「から(空)」でうつろなものでしたので、裸の「トルソ」を美術品として鑑賞する文化はなかったのです。
『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿
西洋では、古代から純粋に裸(からだ)の形を美しいものとして、絵に描かれたり彫刻されたりしてきました。さらに19世紀に起こったロマン主義[未完成の美学]の考え方が後押しをしたからこそ、頭や手足のない裸の「トルソ」が美術品として鑑賞されてきたのです。そして彫刻作品『考える人』で有名な芸術家オーギュスト・ロダン(1840-1917)の手によってトルソ彫刻は、芸術性の高いものとして飛躍したのです。
著書
“絵心がなくてもスラスラ描ける!
『線一本からはじめる人物の描き方』ロジカルデッサンの技法“より
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