芸術は常に時代を映す鏡であり、同時に未来を指し示す道標でもある。
古代エジプトの『死者の書』から、14世紀のイタリア・ルネサンスまで。
『死者の書』
ミケランジェロ『最後の審判』システィーナ礼拝堂
人類の歴史において、芸術は常に私たちの想像力を刺激し、新たな世界への扉を開いてきた。 そして今、私たちは再びその扉の前に立っている。
芸術は、時に社会の枠を超え、時代を先取りする。それは、産業革命後のイギリスでも同じだった。 新古典主義とロマン主義。二つの潮流が激しくぶつかり合い、その衝突から生まれた火花が、19世紀の芸術を照らし出した。
『グランド・オダリスク』 1814年 ドミニク・アングル
ダヴィッドやアングルの厳格な線と形。そしてドラクロワの情熱的な色彩。それらは単なる絵画の様式を超え、フランス革命後の新しい時代の精神を表現していたのだ。
『民衆を導く自由の女神』 1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ
『民衆を導く自由の女神』。この絵は単なる絵画ではない。それは自由と平等を求める人々の魂の叫びであり、新しい時代の幕開けを告げる預言でもあった。
19世紀末のパリ、モンマルトルの丘。そこには、芸術家たちの魂が宿る一つの建物があった。バトー・ラヴォワール、その名は「洗濯船」。
セーヌ川の洗濯船を思わせる、粗末で揺れる集合アトリエ。しかし、この場所こそが、20世紀の芸術を変革する天才たちの揺りかごとなったのだ。 ピカソ、モディリアーニ、コクトー、シャガール。彼らは皆、貧しくとも情熱に満ちていた。
左からモディリアーニ、ピカソ、アンドレ・サルモン(1916年8月12日パリ)
そして、彼らの中に一人の異彩を放つ画家がいた。アンリ・ルソー、50歳を過ぎた税関吏。独学で絵を学び、その素朴で夢想的な作品は、当時の美術界では理解されなかった。 しかし、若き天才ピカソの目に留まったルソーの絵。たった5フランで購入されたその作品が、芸術の新たな地平を切り開く契機となったのだ。
『蛇使いの女(The Snake Charmer),』 1907年 アンリ・ルソー
バトー・ラヴォワールで、ピカソはルソーを称え、若い芸術家たちは彼を励ました。この小さな出来事が、やがて『アビニヨンの娘たち』を生み、キュビスムという革命を起こすのだ。
『アビニヨンの娘たち』1907年-1908年 パブロ・ピカソ
バトー・ラヴォワールの芸術家たちのように、既存の枠を超え、新たな表現を模索する時が来たのだ。
なぜなら、芸術こそが人類の進化の証であり、未来への希望なのだから。
Comments