【名 前】 レオナルド・ダ・ヴィンチ
【生まれ】 1452年4月15日 イタリア アンキアノ
【死 亡】 1519年5月 2日 フランス アンボアーズ クロ・リュセ城

【芸術活動】 絵画・壁画(フレスコ)制作/美術解剖学/建築/自然科学
まだ学問的にアートといった縛りのなかったルネサンス期の万能人。

『ウィトルウィウス的人体図』、1485年頃
【生息地】 ルネサンス期イタリア
【特徴・習性】
万能・大天才・マイペース型イケメン・気分屋・飽きっぽい・人望がない
【エピソード】 『名馬に癖あり』
ルネサンス期のミケランジェロ、ラファエロらと三代巨匠(芸術家)の一人。「最後の晩餐」「モナ・リザ」などで誰もが知っている画家ですが、それは彼の単なる一面であり、環境の観察に膨大な時間を費やしていた科学者でもある。
日本では天才や学者の代名詞のように扱われているダ・ヴィンチだが、西洋ではその多彩な才能から様々なゴシップ(噂)で騒がれていた。

『モナ・リザ』1503年 - 1505 1507
「最も高貴な喜びとは、理解する喜びである」と語るレオナルド・ダ・ヴィンチは「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆き、あらゆる楽しみの根底には感覚的知性を磨くといった真面目な目的があると提唱していた。

レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』1495年 - 1498年 イタリア
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれている遠近法(一点透視図法)を完璧に実証している絵。その消失点であるキリストのこめかみには穴が空いている。ダ・ヴィンチは芸術的な感性が豊かなだけではなく、この穴からひもを引っ張り作図するなど技法や作業法を論理的に開発する研究者でもあった。

大天才のざんねんな一面
多岐にわたり才能を発揮して探求心を持ち続けた彼ですが、地位や名誉、世間の目や評価には関心がなかったようです。依頼された大切な仕事の期限を守らず、飽きっぽく途中で投げ出してしまうほどいい加減な一面があった。
彼の工房で修行をする弟子たちに対しても教育熱心ではなかったようで、意外にも尊敬される師匠ではありませんでした。どちらかというと気分屋でマイペースのいい加減なアウト人間として、弟子からはバカにされていた。
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