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  • 執筆者の写真sfumita7

何度も思い出すこと

更新日:1月25日


『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー



ハーモニカ


「お父さん、ハーモニカって、どうやるの?」と中1の息子。

最近は学校で吹かないらしい。

「息を出したり、吸ったりしながら」と説明をしながら

ふっと、二十数年前に憧れて買ったハーモニカを思い出したので

納戸から出して吹いてみた。

息子は喜んだが、中間テスト前の深夜なので

妻に叱られた。息子即寝る。




思い起こせば


我が家でゴミの処理は父親である私が担当している。

特に生ゴミなどを捨てるときに嫌な臭いを残すことで

家族に不快な気分にさせないように気遣っている。


思い起こせば実家での生活の中で

キッチンやトイレの悪臭の記憶がない。

きっと母が家族のために

毎日、掃除をしてくれていたのだろう。

普段の生活の”快適“は、あたりまえではない。


清潔な食器、ふかふかの布団、…

快適な生活の陰には、気遣ってくれている存在がある。



『牛乳を注ぐ女』1658年 ヨハネス・フェルメール




リビングの勉強机


兄が中学受験の勉強に集中するために

兄弟部屋から、自分の勉強机をリビングへ移動した。


母親が夕飯の支度をしているそばで、

海の絵コンクールに出品する水彩画を

無心に描いていた幸せな時間をふと思い出した。




今日は勤労感謝の日


中2になる息子が部活の早朝練習から「ただいまー」と帰宅すると

いきなり前に座って

「お父さん、ありがとう。色々と…学校や塾に行かせてもらって、いつも家族のために働いてくれて感謝してます。」 数日前に14歳の誕生日を迎えた息子。


これまで妻と共働きで何とかやってきました。

たまに「家族のためにも別の仕事の選択肢があったのかな~」と思い悩むこともありました。 「お母さんにもありがとうっていってあげてね」というと

嬉しそうに返事をしてくれた息子の顔をみて、色んな悩みや迷いが吹っ切れました。

子どもは、勝手に育っています。今日、いつのまにか大きくなった息子をみて、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

こちらこそ、ありがとうね



『種まく人』1850年 ジャン=フランソワ・ミレー




作文


小学生の頃、

大して国語の成績が良いわけでも学校で作文を評価されたこともないのに

父親から「聖二は作文が得意だもんな~」と言われたことが

思いがけずビックリして嬉しくて、

そのおかげで色んなことに対して自信を持つことができたことを思い出しました。

人はもらった温かさで成長していきますねー。




感謝


昨年の年末に父が他界した。 洋画家だった父は生前、描いてきた100号以上の大作を含む 油絵 数十点を地元 鹿児島の美術館や図書館、病院、個人に寄贈し続け、紺綬褒章まで受賞した。 それでも自宅アトリエには、描いてきた一生分の資料と制作途中の油絵やデッサンが残されていた。 父のアトリエを整理しながら、父の痕跡”もの造り”の宿命を実感していた。


「父の絵をもらっていただける方にお譲りします」


父のアトリエを再現した葬儀に来ていただいた方に一報した。


数日後、父の職場でお世話になったという方からの紹介で、父の作品を収蔵している地元の美術館から連絡があり、数点を収蔵してくれることになった。 さらにその美術館の学芸員の方に父のアトリエに残されていた描きかけの絵を含むすべての作品をすべて管理していただけることになった。 信じられない展開が続き、ただただ感謝と嬉しさと驚きを感じている。


「鹿児島におじいちゃんの絵を観に行く楽しみができたね」 と妻や息子たちも喜んでいる。


「お父さんは幸せ者だね」







今だから分かる


大学受験のために上京し、ひとり暮らしが始まった。

盆と正月に帰郷した時には毎晩、深夜までテーブルを囲んだ。

学生生活や思い出話を

ずっと笑みを浮かべながら嬉しそうに聞いてくれていた両親の顔を思い出す。


家族を持ち子育てをしている今、

離れて暮らしている息子たちの帰郷を両親がどれだけ待ちわび、

どれほど嬉しかったのか、その気持ちが分かる。


『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』1878年 

ピエール=オーギュスト・ルノワール




ありがとう


何でもないことですが

無事に帰宅できたときや職場や家庭での問題の糸口が見えた時に

「おじいちゃん、ありがとう」となぜかつぶやいてしまう。


数十年前、大学受験のときに遠く離れた郷里の施設で、

七夕の短冊に合格祈願をしてくれていたおじいちゃんのことをいつも思い出す。





銭湯


大学受験のために上京してから、

風呂無し共同の洗い場とトイレの下宿生活が始まり、銭湯に通い始めた。

子供の頃にも何度か家族で夕暮れに銭湯まで歩いた記憶があったので、

不便に感じることはなく、むしろ特別で楽しい空間だった。

内風呂が当たり前となった生活になって、

結婚し子供が生まれ、銭湯の良さを忘れかけていたときに

風呂の湯沸かし器が故障した。

幼い息子たちを連れて家族で初めて地元の銭湯に通った数日が、

とても大切な思い出になっている。






嬉しかったこと


 高1の2学期に他県から、大作が転校してきた。大作はランクが上の進学校にいたらしく成績が良く、ブレザー姿の学生の中で詰襟の学ラン姿で目立っていた。最初は一人でいることもあったが、クラスの男子半数以上が所属していたラグビー部に入部してすぐに打ち解けていった。ちなみに美術部だった僕とは特に二人で話すこともなかったが、どこか気の合うヤツだった。

 校内のマラソン大会で文化部だからといって運動部に負けたくなかったので、土曜の放課後にコースを走っていたのだが、大作が一緒に走るようになった。いつもはラグビー部の友だちと行動を共にしていたが、たまに美術部にも遊びに来るようになった。


 そんなある日、約束もなしに休日の午後に大作がいきなり自宅にきた。彼とはあまり言葉を交わさずに漫画本や音楽を聞きながら時を過ごした。夕飯時になっても帰ろうとしなかった彼は、どうやら親と喧嘩をして家を飛び出してきたらしかった。母親が大作の自宅に電話をしてくれて、一晩泊まることになった。夕食後に二人でいろんな話をした。

 その後、学校ではこれまでと変わらず、二人で話すことはなかった。ただ、あの日”家出”をして独りで悩んでいた彼が、特別な親友でも近所でもなかった自分を頼ってきてくれたことが、とても嬉しかった。






バイト


学生時代に色んなバイトをして、

様々な人たちと共に働いた。問題がない職場はなく、みんな踏ん張っていた。

どのバイト先の誰だったかは覚えていないが

「どうせやるなら笑ってやった方がいいに決まっている。」と言ってくれたことが、

今でも心を強くしている。


『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿




不思議なこと、嬉しいこと


地元や近所だけではなく旅行先でも道を聞かれる。

国内だけではなく海外でも道を聞かれた時にはさすがに驚いた。


初めての場所や知らない人たちの中にいることが好きで

どこにいてもぼ~っと考え事をして

郷里のように落ち着く。大抵、同じ気分、その所為だろうか。





お仕事のにおい


働くと汗をかく。

帰宅をすると小学生の息子が「お仕事のにおいだね。」と声をかけてくれる。

その優しい気持ちで仕事の疲れが吹き飛ぶ。

やっぱり思いやりや愛情が、元気な未来を創っていくと思う。






旅行


妻と子育て、家事をして共に働いているので、

妻の行きたいところへ旅行にでも連れて行きたいが、なかなかできない。


近場の散歩かドライブしかできないくても

喜んでいる妻を見ると申し訳ない気持ちになる。

だけど、一緒に将来の計画を立てながら

毎日、旅をしていると思うとそれはそれで楽しい。





お辞儀


車の運転中に信号機のない横断歩道に

子どもとママさんが横断しようとしていたので停車したら、

子供が手を上げてママさんがお辞儀をしながら足早に渡っていった。

ごく当たり前の風景だが、助手席の妻が

「お辞儀をして渡るのって日本人だけで、外国の人は驚くらしいよ。」と、

日本人っていいね。






空と唇


気になるところは人によって違う。

僕は雲が気になるし面白いと感じるから、空がみえる場所にいれば結構どこでも楽しめる。美術解剖学を研究している妻は人の口元、鼻の下から唇とのバランスが気になるらしい。

考え方の違う人と一緒にいると面白い。


『記憶の記録  記憶ハイブリット』2012年 文田聖二




美術の先生


高校時代に美術の先生が

「ザンヌは絵を描くことを研究した。」と教えてくれたが理解ができなかった。

「構図や画面のバランスを考えて、わざと形を歪めたりしている。」とか、

よく分からなかったが、熱心に語ってくれたのでセザンヌの絵が好きになった。


『静物』1879-82年 ポール・セザンヌ




お父さん、おやすみなさい


寝る前に毎晩、仕事をしているところにきて

声をかけにきてくれる家族。

どれだけ、その一言で色んなことを取り戻せているか、

その嬉しい気持ちをいろんな形で伝えていきたい。






小学生の息子が洗濯物を取り込みはじめた


洗濯物をいっぺんに運ぼうとして両手が塞がっているので

サッシを足先で器用に開けながらベランダと部屋を往復している。

段取りが悪く、じれったいといえばじれったくもどかしいが

けなげといえばけなげ。

いずれにしても一生懸命は観ていて感動する。




平和で良し


夜まで続いた会議を終え、21時に帰宅。

遅い夕食をとりながら小6・4の息子二人に「今日はどうだった。」と声をかけると

「トイレの電球が切れた。」と答え、

「トイレの電球が切れたことを超える出来事は?」と聞くと

「なしっ」と即答された。平和で良し。





何でもいいから話しかける


「どうでもいい、つまらないことを話しちゃったな~」 なんて、

少し後悔するぐらいがいい。どうでもいいことでも会話ができると嬉しいもんだ。

そんなたわいもない会話がきっかけで、人と通じ合えていく。

そういえば実家にいた頃、よく両親から話しかけてくれていたな~




灯り


灯りを変えただけで環境が変わる。

火にちかい光は良い。たき火が好きだけどめったにできない。

たき火は落ち着く。キャンプの夜は火があるだけでいい。





運動会


ふたりの息子のおかげで、これまでの人生で運動会というものを31回も経験したことになる。

孫ができたら40回は越えるかもしれない。



保護者たちが敷物で場所取りをして見守る中、生徒が足並みを揃え行進し入場。

対戦相手とお互いに応援し合う応援合戦に始まり、激しい騎馬戦でも礼儀を重んじる。

昼は校庭で家族とお弁当を囲み、ダンスに日本民謡、地元音頭、色んな文化が入り交じり子供も大人も先生もみんなで踊る。

綱引きではみんなで力を合わせて楽しさを共有し、最後は校長が勝者を讃え、敗者にもその努力を讃え、応援した保護者に感謝の言葉を贈る。

毎度、子供の一生懸命に感動して、晴れやかな心持ちで帰宅する。

最近は日本の児童も国際的になってきたが、日本の普通と海外の当たり前とはまだ違う。




縁側のある家


中1の息子が、家庭科の宿題「住んでみたい家の間取り」で、

なぜか『磯野家(サザエさん)の間取り』を理想としていた。

条件は「庭と縁側があり、風通しの良いこと」らしい。

小さいころによく古民家園に連れて行ったせいかな?

息子よ~将来、こんな家を建ててくれないかな~、縁側で昼寝がしたい。





叔父の笑い声


もう亡くなってしまったが、

大好きだった叔父の笑い声と笑顔をずっと覚えている。

そんな叔父の口癖が

「上等、上等ー、偉いなー」、いつも人を褒めていた。

母方の7人兄弟の長男で

戦時中に幼い兄弟たちを抱えて満州から帰国し、

その後も兄弟の世話をしながら大変な苦労をしてきた強くて優しい大人。




家族時間


家族が集まっている時を「家族の時間」「家族の日」と我が家では名付けている。

この時をいかに過ごすかということのために、実はすべてが回っている。






誕生会


 九才の頃、お盆や正月、クリスマスでもないのに昼間から母親がご馳走をテーブルに並べていた。イケメンでしかも学校の成績はいつもオール5の年子の兄が、自宅で誕生会を開いた。「聞いてないよ~」、プレゼントをもって集まった女子軍団に圧倒されて、嵐が去るのをじっと待つように隣の部屋で息をひそめていたことを覚えている。

夜の食卓では、兄も母親もいつもの様子で、兄のように人気者でない弟(私)を気遣ってくれたのか、誕生会のことは話題に上がらなかった。だから、何が起こっていたのか記憶にない。


 十才の頃、クラスの男子から誕生会に”御呼ばれ”された。呼ばれるほど仲の良い友達ではなかったので、プレゼントは自分が好きなプラモデルを用意した。

行ってみると、その子とドレスのような服を着た母親に笑顔で迎えられて、慣れない雰囲気のまま大邸宅のピアノが置かれている広いリビングに通された。

違和感だらけの空間の中、集まったクラスメイトのほとんどがまたもや女子。その子のピアノ演奏会が始まったこと以外は、ほとんど記憶にない。


 十一才の頃、会話を交わしたことのない友達から誕生会に”御呼ばれ”された。その子は、体が大きく坊主頭で大人びた強面の顔で、ドッジボールをしているとき以外は大抵一人でいた。

今回も何をプレゼントしていいのか見当もつかなかったので、自分が組み立てたいプラモデルを用意した。そもそも何で声をかけてきたのかも分からないけど「せっかく呼んでくれたんだから」といった軽い気持ちで自宅を出た。

教えてもらった家までの初めてみる道をトボトボ歩きながら、うわさで聞いていた暴走族のお兄さんがいないことを祈っていた。山間の寂しい国道沿いに建っている粗末な長屋の一角に着くとその子が立っていた。

玄関を入ると土間に台所があり、狭い部屋が二間。その子のお母さんが軽食(雀の串焼き)とショートケーキを二つ、ちゃぶ台に用意してくれていた。

その時に誕生会に呼ばれたのは、自分一人だけだと悟った。プレゼントをわたすとその子もお母さんもとても喜んでいた。その子の笑った子供らしい顔を見たのは初めてだと思う。ほとんどお母さんがしゃべっていた。

その子のお母さん:「いつもありがとうね。」

心の声:「ドッチボールはやってるけど、ふたりで遊んだことも話したこともない…けど」

その子:学校ではみせたことのない穏やかな顔で、ずっと黙っている。

その子のお母さん:「雀、美味しいよ。」

心の声:「雀って、食べられるんだ。」

その子:プラモデルをずっと手に持っている。

奥の部屋に人のいる気配はしたが、とうとう顔は見せなかった。誕生会は静かで質素だったが、とても満ち足りた時間に感じた。

帰るときにも、その子とお母さんが一緒に玄関の外まで出てきてくれて、「今日は、ありがとう…またね。」と終始、親しくしている友達のように接してくれた。その表情、西日の優しい光、見慣れない国道の風景が目に焼き付いている。

 誕生会に行くまでの自分とは色んなことが変わっていた。自宅に帰る途中で、何かが込み上げてきて泣きそうになった。とても清々しく、嬉しく、優しい気持ちになれたことを覚えている。





出来事


自分にとって大切なことが起こり

実は関わっているのに

気づかなかったり忘れたりしている。

そんな日常で起こっている出来事、出会いをスルーしないように

常に世間と関わりを持っていかないと

いずれ孤立した虚しい生活になってしまう。




記録と記憶


子どもは、常に動いている。

撮影していると良く分かるが、公園を埋め尽くすほど動いている。


『記憶の記録 みどり広場』 文田聖二




ボヘミアン・ラプソディ


妻が「映画を観にいきた!」ということで

息子も誘って、家族で映画館に 『ボヘミアン・ラプソディ』 元気をもらいました。

もの造りをしていると何かと摩擦が起こって

気苦労が絶えませんが、

そん時にタイミングよく出会えた映画でした。観てよかった。家族に感謝!!





鶴の一声


夕食で、

妻にあることを提案したら、妻は不安要素の方が先に出てしまうようで、

二人であれこれ語り合っていたら、そんな会話を聞いていた中学生の息子が一言。

「決断するときはシンプルな考え方がいいよ!」 夫婦で納得。




麺好き


1日1食は麺類。

ラーメン、そば、うどん、パスタときて、たまにソーメンを食べるとすっきり新鮮に味わえる。冷麺、ほうとう、フォーもいいけど、

朝から立ち食いそばで、テンションを上げる。




あいさつ


「おはよう」「いってきます」「ただいま」「お帰りなさい」「お疲れさま」「おやすみ」

「ありがとう」「ごめんなさい」「うれしい」「今日はどうだった」「良かったね」

「どうしたの?」「今日はね」「元気」「明日は」…なんでも声を出して伝える。

伝える相手がいてくれることが大事なこと。




褒める


我が家には9才のパピヨンがいる。

飼い主の欲目で、いつも可愛く賢く思えてしまうので

普通に食べて、トイレをするだけで やたらと褒めてしまう。


毎日、何度も褒めているので いつの間にか自分も嬉しくなってきている。

脳は主語を判別しないから、

どうやらいつも自分を褒めていることになっている。





台風一過


色んなものが吹き飛ばされて

「こんなにきれいだったんだ。」と毎回、気づかされる空、植物、街、色、光、空気。

この時に撮影した写真や描いた絵、記憶は外さない。

昨日の夕暮れから夜にかけての空は不思議なほど深い青だった。

闇が青。自分の場合、そんな場合の記憶を刻んでおく。




思い出す音


「太陽がみえる!きて、ママ。…きれいだなあ〜」とかわいい声が聞こえた。

言葉も心地よい音のように曲のように聞こえる時がある




子どもとの会話は油断禁物


「どんな友達が欲しい?」と小学生の息子から聞かれ

「仕事で知り合った人と仲良く出来るといいかな〜」と答えると

「僕は、自然と仲良くなりたい。風とか海とか。」

とスケールのでかいことを言われ、自分の返答に後悔。





表現って素晴らしい


小学生の息子は、

トイレにいきたくなると「お便りが届いている。」といいながら走っていき、

漏れそうなときは「ポストがあふれそうだ。」と言って走っていく。




忘れていたこと


小学生の頃、クラスの男女全員ひとり一人に

毎回、絵を描いて暑中見舞いと年賀状を送っていた。

それが普通だと思って絵を描いていた。

そのせいかわからないが学校生活が楽しくて、

辛いことはあったが嫌いな人がいなかった。




平成日記


二十世紀末、バブルが弾け、「援助交際」という言葉の意味を誰もが知り、ブルセラショップが繁盛していた頃、私は女子高校の美術講師をしていた。ある生徒が美術室の清掃中に突然、「女子高生と話ができて、嬉しい?」、「先生は、幸せ?」と尋ねてきたことがある。また、授業中に「女子高生が大嫌い。女子高生相手に喜んでいる大人も気持ち悪い。」と発言した女子高生の言葉も印象的だった。

大人として、男性として、教師として考えさせられる瞬間が不意に訪れる。語りかけてきた彼女達はいずれも、悪意も愛情も感じないその顔は無表情で真剣だった。私の高校時代とは幸福感が違ってみえる生徒に対して、そんな時に私は、適確な意見を述べているのかどうかいつも発言に気をつかっていた。しかし、返答する私をみる彼女達の無表情な顔を思い返してみると彼女達の心情として、その発言内容が重要なのではなかったのかもしれない。何か答えというよりは、大人である私が常に問題意識をもっているのか、自信をもって人生を歩んでいるのか、幸せなのかを確認したかったのか、あるいはそうあってほしいと願っていただけなのかも知れないと思えてくる。

子どもがいずれ自分も参加する社会とそこに生きる大人をみつめるのは自然なのことで、先人は後人に何かを教える前にその人自身の生き方を観られていることを自覚して自分を表現することがその責任を果たしているといえるのだろう。

子どもは、疑問をたくさんもっている、しかも日々どんどん増えていく。そんな時、子どもは大人を観る。それから友だちと自分を対比し、それでも答えがみつからなかった時に自己解決を試みる。その時、自分の限界を決めつけて引きこもらず、納得する自分独自の意見に辿り着くためには、他者(外界)とのコミュニケーションが大切となり、そのための自己表現が必要となってくる。自分らしい表現をみつけることは人生への自信や、充実に繋がっていく。

「昭和」が消え、「平成」が徐々に色付き、21世紀になった今日、確かなものが「老い」と「死」ぐらいになり、あらゆる分野で見直しが叫ばれている。そんな不信の続く日本社会の状況だからこそ、日々察知したことを自分のフィルターをとおして「表現する」ことが、この社会生活に対する漠然とした疑問や不安を解消し、自分の存在を確かなものとして維持し飛躍できる手段となる。そして、そんな人々の表現する姿とその記録が後世に残る確かな現時代の痕跡となるだろう。





帰宅をすると


「おかえりなさい。お仕事の匂いがする」と玄関まで出てきてくれて

「おやすみなさい」と寝る前に声をかけてくれて

いつも疲れを癒してくれる息子。

「お便りがきた」とトイレに駆け込み、「大自然と友達になりたい」

と言っていた息子が

今日、小学校を卒業式した。

素直に育ったな~




閲覧数:365回2件のコメント

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2 Comments


虹わたる
虹わたる
Mar 08

癒やされました

ありがとうございます


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虹わたる
虹わたる
Jun 04, 2023

文田先生、こんにちは

登録が消えていましたので

写真帖制作のため、改めて登録させて頂きました

貴重な大作写真帖なので公開までお時間かけさせていただきますのでヨロシクお願いいたします

🌈💕

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