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  • 執筆者の写真sfumita7

本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられる

更新日:2月3日



日本の文化を象徴する言葉


 歌舞伎役者 坂東玉三郎氏の芸の目的は「お客様に生きていてよかったとおもっていただくこと」。


五代目坂東玉三郎



創造していくための重要なワード


 社会や教育、企業に必要とされる創造性の本質として、スティーブ・ジョブズがピクサー映画の製作として掲げた理念である ”「ストーリー」「キャラクター」「世界観」の3つを主要な側面として考える” は、魅力的な社会や教育、企業を創造していくためにも重要なワードだと思う。


 「思い込みをなくす」「気づき」「ストーリー性」「個人の感性」「関心をもつ」「世界観」「美意識」などといった創造性の本質を捉えた視点の導入が、息の長い考え方として社会や教育、企業に必要だと感じている。


 芸術の本質は、人に開放感をあたえること。思い込みによる閉塞感が人を不安や不幸にしていく。だから清流のように新鮮な情報を伝え続ける絵や音楽、違う言語の文化交流が人には必要。



本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられる


 文化は、贅沢とは違う。文化は人生に必要不可欠なもので、ビルに例えると窓や灯り、屋上のようなもの。生きていくために雨風をしのげる屋根や壁はあっても窓や灯り、屋上のないビルの中で生活していると人は閉塞感にさいなまれ、人生が貧しく荒んだものになってしまう。

 歌舞伎や浮世絵などの伝統芸能、美術館だけではなく、祭、映画館、ライブハウス、コンサート会場、小劇場、漫画喫茶、ネットカフェ、ゲームセンター、絵画教室…なども日本の大切な文化を支えている必要不可欠な場所である。そんな文化が途絶えてしまわないように日本も文化、その担い手たちを守る姿勢が必要。そんな国の姿勢の違い、各国の社会や人の意識が、未曽有のできごとへの対処の仕方に露呈される。こんな時だからこそ、日本社会での文化活動の位置づけや日本人の文化への意識、認識を見直す機会になればいいと感じている。

 日本では、自然の一部として一体感を感じることで情緒に感動し癒され、心で理解する情緒思考文化が栄えた。世界の中で、日本人は絵が上手い民族である。日本文学も俳句もビジュアル的な言語、 生け花も茶道もビジュアル的な文化、 日本の文化は映像文化、 日本人はビジュアル人間、 ビジュアルを巧みに操る民族、だから日本アニメや漫画は世界から支持されているのに大半の日本人が絵を描けないと思い込んでいる。

 才能が埋もれている。世界の中でも日本人は絵が描ける環境にいることに気がついていない。日本人は日常的に良質なクオリティ画像に囲まれて育っている。そのDNAをもっと教育や仕事に活かすべきだと考えている。


 絵を描いたり、ものを造ったりしているときの充実感は 子供の頃、時を忘れてずっと遊んでいた時間に似ている。絵を描くことで、思考(イメージ)と行動の繰り返しを楽しみやすくなり人を成長させ、充実させていく。楽しいから集中し、思考量が増えて具体的な行動に移れるのである。歌舞伎もオペラも伝統文化は五感を使って伝承していくシステムの一つ。中世西洋の教会も布教のためのシステムとして捉えると天を見上げさせるための天井画やステンドグラスのように五感を使って教えを認識させるための伝達技術を駆使した建造物である。本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられるのである。


 西洋は「絵で埋める」 細部まで描きこまれていたり、肖像画であっても背景が描かれたりしている。



『オフィーリア』 1851-52年 ジョン・エヴァレット・ミレー


※背景に描写される草花には象徴的な意味が込められている。 ヤナギは見捨てられた愛、

 イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純

 潔・夭折(ようせつ:若死に)、ケシの花は死を意味している。


 西洋人は「余白があることを恐れる」が、日本は描くべきものだけを描きあとは余白にする。「日本人は満たされていることに恐れを抱く」。


『氷図屏風』 江戸時代 円山応挙


 日本のいさぎよい絵は、漫画・日本アニメのルーツ。 シンプルなイラストは明快で分かりやすいが、簡単に描くということではなく無駄な線を省いているのだ。 的確に情報を伝えられる線をみつけ最小限の必要な線だけで 印象や特徴を明快に描いている。





『鳥獣戯画絵巻』


※平安時代後期から鎌倉時代までの80年間をかけて、無名の僧侶たちによって庶民の日

 常生活が、擬人化された動物キャラクターで描かれた。


 日本では脳を休める情緒思考文化が栄えた。平安時代の絵巻物や江戸期に見られるような日常の風情に感動して癒される浮世絵である。日本人は、不快を快に転じることのできる文化を持っている。 西洋の画家たちを驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。 当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。今、当たり前のものとしてみている、感じていることは先人が気づかせてくれた。


『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重



創造する過程に学びがある


 発見は、新発見によって、その重要性、信ぴょう性が薄くなる。すぐに役に立つ知識はすぐに役に立たなくなる。要は、その行動、思考の過程に気づきがある。実績や成果ではなく、そこに至った過程に学びがある。それこそ教育。なぜ発見できたのか?なぜ気づけたのか?その「なぜ」に学びがある。自分で気づいたこと、実感できたことが身についている。「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。」by アルベルト・アインシュタイン。


好きなことが才能。続けられることが実力。癖は魅力。磨かれた感覚が幸せを見つける力になる。 誰もがやっていることできることでも 自分らしい新鮮な組み合わせで相対性を実感し充実した時間を過ごせる。自分という人間は自分だけ。



日々の気づきが文化を育てる


 文化に触れることは簡単。 競争で勝ち抜くことが文化ではない。特別な優遇もなく、お金を使わなくても らしいこと、好きなこと、楽しいこと、大切と思えることで日々、暮らしていけることが、どれだけ幸せなことかを気づくために文化がある。意思、意図、意識、意味を見いだせる文化。生き続けている意が様々なものたちを救ってきた。「私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである」by アルベルト・アインシュタイン。文化は専門的な芸術世界だけではなく、繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。

 気づきが増えてくるほどに 人に対しても物事にも丁寧に接するようになり、時間も大切にしていく。ぼ~っとしている時は、考えないで感じている。 何でもよく観たり感じたりするようにして、五感を磨く習慣がついていくと感動することが増える。それは日常の中の奇跡に気がついているということ。

 

 家族で小さな花壇を造った。頭の中が整理されていく充実した時間だった。


 バルビゾン派と呼ばれる画家たちは、ただ田舎暮らしを楽しみたい人たちではない。都会の下らない権威や醜い争いから離れ 人間本来の生き方を正しく見直そうとした賢者たち。


『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー



アートは「非日常的なもので、何だか分からないもの」と思い込んでいませんか。美術館や画集で世界的なアートを鑑賞してもよく分からないのは、絵心や感性、才能の有無の問題ではありません。言葉や歴史・文化が違う異国の書籍や映画を翻訳や字幕なしに眺めているようなものなのです。

      

『サルダナパールの死』1827年 ウジェーヌ・ドラクロワ


中国春秋時代の軍事思想家 孫武の兵法書『孫子』に記されている「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。」を読み解けば良く理解できます。

 アートには、それぞれ制作された成り立ちや題材の意図、技法の発展、画材の発明、作家の師弟関係やライバル、パトロンなど作者に影響を与えた人々など環境や社会背景の違いがあります。また、その時代のサイエンスとも共鳴し合ってきたアートは、文化的な生活習慣のあるすべての人に関係しているのです。


 アート作品や作家のエピソードは、その国の歴史や文化を理解すれば異なる文化圏の人々の心にも響くはずです。


『散歩、日傘をさす女性』 1875年 クロード・モネ

 ヒトの祖先が絵を描きはじめてから現代まで3万年ほどのアート ヒストリーがあります。アートの歴史はヒトの進化の歴史ともいえます。

 美術館や学校など限られた空間だけでアートを意識して鑑賞したり学んだりしている数百年間は、3万年のアート ヒストリーの中では、ほんの一瞬の出来事です。

 古代では木の実などの樹液や土、血液などを混ぜて作った絵具と木の枝や動物の毛を画材として使い、中世ではモザイク画やフレスコ画などの技法が開発され、ルネサンス期以降、絵画技法の発展や油絵が発明されてから現代まで、社会の変化に伴って絵画様式もその役割も変わっていきました。

 このようなアートとサイエンスの発展によって、ヒトや社会の進化が促進されたともいえるのです。


ショーヴェ壁画



 「脳内革命」によりホモ・サピエンスが生き残り、さらに「科学革命」によって地球上にヒトだけではなく、ヒトが必要とする動物(家畜やペット)や植物(農産物)が爆発的に増えていきました。

 世界的大ベストセラー『サピエンス全史』では「脳内革命」によってヒトが劇的に進化したことが記されていますが、これは火を発見したことや道具を発明し使うことで、食事などの習慣が変わり、他の動物とは違った生活をしているから脳が発達したということだけではありません。

 他にも存在していたヒトの種族の中で、私たちの祖先である「ホモ・サピエンス」が唯一生き残ったのは”虚構“する能力が生まれ、それこそが一気に脳内革命を引き起こしたということです。


『ライオンマン』

 何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいます。

絵にしても小説にしても勉強、仕事や遊びにしても大切なのは才能や能力の有無ではなく突き動かす衝動(虚構、仮説)であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があるということです。だから時代を超えて多くの人に支持され残っているアート作品からは、作者の生き様や”強い想い”が浮き彫りになってみえてきます。


 そんな独特な衝動と欲求(表現)を読み解いていくと作品制作の意図や魅力に気づき、閉塞感から解放され、自身のモヤモヤしていた気持ちが晴れてバージョンアップすることができるのです。だからアートを理解できると気持ちが良く、リフレッシュして失くしてしまった自信や元気が出てくるのです。


『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

1897-1898年

 作家自身と創造したアート作品は「気質、習慣、思いの強さ、誰かの支え、出会い、環境、…」とさまざまな境遇(組み合わされた条件)の違いによって異なる魅力や特徴、それぞれが唯一無二のものとして構築されたといえます。

アーティストは十人十色で、それぞれが違った生き方をしています。それだけ生き方にはたくさんの選択肢があるということです。




文化的な生き方は他人に左右されない


・放っておけば平凡で代わり映えもしない日々の繰り返しに埋没してしまう日常を

 いかに生気に溢れて楽しみや生きがいを追求する能動的な人生に転機するか

・自分らしく幸せに生きること

・生活をアートとして捉え、他人に左右されない生き方を一つの美意識とする

・転じることが成長、明日がくる限り、常に新しい自分を建立していく

・自分なりに丁寧に生きる


幕末志士の坂本龍馬が『人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。』と語っていたように誰でもそれぞれ自分が選んだ表現(仕事)を磨いていけばいいのです。


坂本龍馬

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