子供は、遊びの天才。ドキドキワクワク感で生きている。毎日が、のめり込めることで溢れている。例えば、絵を描く時間も”楽しいこと”のひとつでした。
壁や地面に描いた絵、クレヨンで描いた夏休みの思い出、着てみたいドレスや試してみたい髪型の絵、絵ハガキ、友達や先生の似顔絵、教科書に描いたラクガキ……。子どものころを思い起こせば、ほとんどの人にとって絵は身近な存在だったと思います。今、絵が苦手という人はいつから描くことが楽しくなくなったのでしょう。
『魚の魔術』 パウル・クレー
幼いころは、描く絵に「正解」を決めつけていなかったので、うまいもへたもなくワクワクして好きな色で自由自在に塗ったり線を描いたりしていました。
それが年頃になるにつれ、人によっては漫画やアニメのキャラクターを描き写したい欲求が出てきて、上手に描けるクラスの人気者と比べてしまい、絵を描く才能の有無を決めつけていったのではないでしょうか。
あるいは美術館や画集、美術の教科書などで写真のように描かれた写実絵画や個性的な名画に出会ったときに「自分には画家のような絵を描くことはできない」と思い込み、いつの間にか描く絵の「正解」を勝手に決めて「写真のようにうまく描き写せないから恥ずかしい」と絵を描くことを避けるようになっていった人も少なくないと思います。
『忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel)』1939年 パウル・クレー
大半の人が絵を描けないのではなくて、「描かなくなったから苦手だ」と思い込んでいるのです。絵に正解はありません。
誰かに評価されることや比較・競争をするためではなく、自分がワクワクできたり誰かが喜んでくれたりすればそれで良いのです。まずは絵を描きはじめることが大切です。
どんな目的であっても絵を楽しんで描く習慣がつけば、誰でも上達していくのです。
古代壁画や絵巻物に学ぶ 平面的な絵の技法
古代から絵を描くことは日常的に行われていました。たとえば紀元前3000年に始まった古代エジプト文明では、絵は神話や歴史を伝えるための重要な手段でした。
古代エジプトでは、絵は単なる装飾や表現だけでなく、社会的地位や宗教的意味を持つ象徴として描かれていました。身分の高い人ほど大きく描かれることで、その人の重要性が強調されました。これは、単なる芸術表現にとどまらず、当時の社会秩序や価値観を反映したものでした。
平面的な表現でありながらも、古代エジプトの壁画は、独自のスケールと配置により奥行きと迫力を感じさせる効果を生み出していました。
『源氏物語絵巻』と日本の絵巻物
平面的だけど奥行きが感じられる絵としては、日本の絵巻物も挙げられます。日本の絵巻物は、物語を視覚的に伝える手段として発展し、吹抜け屋台や空気遠近法など独自の技法を用いて、平面的な構図でありながらも深みと動きを表現していました。
これらの技法は、視覚的に物語の流れや感情を伝えることを目的としており、単なる静止画以上の意味を持っていました。
デッサンを学ぶと絵画鑑賞の楽しみ方も変わる
デッサンの基礎を学ぶことで、モチーフの観察が深まり、絵画の理解も深まります。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナ・リザ」をよく観察することで、キャンバスのサイズ、顔の表情の微妙な違い、背景の風景など、さまざまな視点からの新たな発見が得られます。
『モナ・リザ』1503 - 1505 1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチは、芸術家であると同時に自然科学者でもありました。彼は、「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆き、感覚的知性を磨くことが、あらゆる楽しみの根底にあると提唱しました。
ダ・ヴィンチの言葉にもあるように、日常の中で五感を研ぎ澄ませることは、絵を描くことにも通じ、日常の中で見落としがちな美しさや細部に気づく力を養うことにつながります。
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