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美意識を探求するアートリテラシー

更新日:2月9日



美意識をもつということ


何ごとも丁寧に接する。

些細なことにも関心と責任をもって対処する。

大小を勝手に決めつけて差別しない。

創造性のある行動。

相手への思いやりと自身の目的(想い)をもつ。



はじめに


あなたは、勉強が好きですか。人は、なぜ探究をするのでしょう。あなたは、何のために働くのですか。あなたにとって「学問」とは何ですか、あなたにとっての「仕事」とは何でしょう。


遠い昔、王に雇われる騎士や職人でも領土を借りて働く農民でもなく、自らの意志で生きはじめた大きな都市の市民には、「家柄、職業、宗教、国籍が問題なのではない。問題なのは、“おまえはいかなる人間か”といった新しい価値観」が生まれました。

19世紀、印象派の画家が描く絵に憧れて、パリ証券取引所の株式仲買人から画家に転職したポール・ゴーギャンは、大都会から南の楽園タヒチに飛び出し、名画『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』を最後に描き残しました。あなたは何者でしょう。


『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

1897-1898年 ポール・ゴーギャン


古代、エーゲ海に浮かぶ島々に都市国家をつくった民族、自由を好んだギリシャ人の絶対的な美の基本は”emotion[心身の動揺を伴うような強い感動]”をどれくらい与えられるかにありました。その頃はアートといった学術的な縛りはなく、教育や学問の目的が共通して人類に”emotion”を与えることだったといえるのです。


『ミノアの数字の壁の壁画のフレスコ画クノッソス』クレタ島ギリシャ


『ギリシャ彫刻』



ワクワクを感じるために学び、人の生活に“ワクワク感”を与えることが学問の目的でした。そんな新たな“気づき”の喜びが「最も高貴な喜び」だと、芸術家でもあり多岐にわたる分野の研究者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチも話しています。旧石器人からすれば“学びと工夫“の面白さと同様に”仕事“も生きることが目的であり、スケジュールをいつも自分で決める毎日が新鮮でドキドキワクワクするものだったのかもしれません。家族や仲間と共に生きていければ嬉しい。

 労働の原動力は、儲けや出世のためではなく、家族と一緒に生きていける”喜び”だったのです。家族とは何でしょう。何のために学び、創造するのでしょう。そんな大切なことに気づき、“ヒトの種”が生きた時代から、ヒトが生きるために造りだしてきたことをじっくりとイメージしながら見直していければと思います。アートヒストリーを自由に行き来するタイムトラベルのはじまりです。




【序章】


『“creativity:創造性”と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?』


人の心を高揚させ、歓喜させるオペラやバロック絵画、ハリウッド映画、おしゃれなインテリアやファッション、浮世離れした芸術家、あこがれのイラストレーター、卓越した巨匠たちの彫刻、イタリアやパリでの生活、ルーブル美術館、印象派画家たちが描きだす輝く色彩…などでしょうか?また、思いどおりに絵を描いたり、創作できたりすることだけが創造性の魅力、威力でしょうか?


『星月夜』1889年 6月、サン=レミ ファン ゴッホ



日本では、芸能スポーツに関する情報やその選手、芸能人たちの活躍は各メディアで頻繁に紹介され、社会におよぼす影響力もひろく知られていますが、アートやデザインもまた、あらゆる分野での可能性を秘めながらその威力や魅力を充分に有効利用されていないのが現状です。スポーツと同様、創造性も日常生活に密着したものです。また、その土地の文化に根付いたものであり、その時代を象徴するものでもあります。だからこそ創造性を学ぶことでその時代時代を生き抜く力を磨いていくことができます。

遠い昔、人類の祖先であるラミダス猿人が二足歩行で両手を使い始め、その後その手を使いネアンデルタール人やクロマニョン人が火を発見し石の道具を創り出すなどして、革命的に脳が発達したと考えられます。この時に人の“もの造り”の原点である「アート」と「サイエンス」が始まったと考えています。発達した声帯を使い歌のような発声で会話をしていたネアンデルタール人は石でつくった刃物で象牙を彫刻しました。また、石をサークル状に並べる儀式的なモニュメントをつくるなど最初の芸術家と考えています。一方、クロマニョン人は、ひ弱な筋力を補完するための投てき具や映像の原点ともいえる壁画を描いた最初の研究者と考えるとワクワクしてきます。さまざまな種のDNAが現代人に受け継がれてきているのです。


            『ブリュニケル洞窟ストーンサークル』

                                                                              創造性が人の心に影響していることを露呈する出来事として、現代では小学校で起きた無差別の殺傷事件発生の数ヶ月後、恐怖感が残る児童に対して学校に復帰させるために校内での合同授業でのリハビリが行われました。これは決められた図柄を指定された枠内に決められた色を生徒全員で一緒に塗っていくという単純な壁画制作でした。先生や友達と協力しながら一枚の壁画作品を完成させていく行為の中で生徒たちの心が徐々に開かれていき、小学校で友達と集まることの喜び、楽しさを自然に取り戻していけた創造性がもつ魅力、威力が効果的に使われていた印象の深い事例のひとつです。また、創造性を学んでいく過程で、自虐行為や過食の症状が無くなっていった教え子もいます。小さな出来事まであげていったらきりがありませんが、創造性の影響力は多岐にわたり、計り知れません。

舞台や絵画、彫刻、絵本など、いわゆる作家活動に限らず、あなたが創造性と考えるものなら「創造性の効用」が、理想の旅行計画やおもてなし料理、夢のマイホーム構想、明るい将来のためのリフォーム、家族を喜ばせるレジャー、自分を成長させる仕事とどんな表現にもあてはまるはずです。それが創造性の魅力であり、威力です。



『人の能力を補完する道具”アートとサイエンス”』


ヨーロッパでは現代までの二千年もの間、国家をつくって繁栄してきたバビロニア人やエジプト人、フェニキア人、ギリシア人、ローマ人、ガリア人、ゴート人といった民族は、領土を奪い合う中でほろび去り、あるいは他の民族と混血していきました。ただその国家をくりかえし破滅されたユダヤ民族だけが、国から国へと追い立てられ、迫害されながらも、おそろしく長い時間を耐えぬき生き残った唯一の民族なのです。ただ、死滅した生きものやほろんでしまった民族の生命力のあるDNAは、現代人に引き継がれ生き続けていると考えられます。




人は、他の生きものと同様に環境の変化や社会変動に順応して生きていくために必要な能力を補完するためにあらゆるものを造り続けてきました。それこそ、文明や文化の発展や後退をくりかえしながら、人が造りだしてきたものが”アートとサイエンス”なのです。

紀元前2千4百年、エジプト文明が地中海を渡り、クレタ島からギリシャ都市国家に影響していきました。ギリシャ人は、アートを「熟練した洞察力と直感を用いた美的な成り行き」と定義しました。


『パルテノン神殿』


『パルテノン神殿内部』


『パルテノン神殿内部 復元』



 これらのアート・ヒストリーは、壮大な過去をイメージする物語の世界です。本当のことは誰にもわからないのです。

 古代ギリシャ人が、人の心を動かす本質を真剣に考えていたようにこれまで人が造りだしてきたもの”アートとサイエンス“を「人が生きていくために必要な能力を補完するための道具」といった視点で見直していきました。人が生きていくためにこれまでもこれから先も必要となるクリエイティビティ(創造性)とは何なのかを探求していければと考えています。




【第一章:アート人間】


『芸術家の習性』


 芸術家は好奇心が強く、疑い深く、しつこく、なかなか諦めません。基本的にジコチュウで、結果的に名作を残してたくさんの人々に作品が愛されたとしても本人が納得しなければ嬉しくないのです。自分が新しい価値観を見つけて満足しなければ意味がないのです。

自分という人間は自分しかいないことを意識している人が芸術家なのです。比較されることも誰かと一緒にされることも嫌がる面倒くさい人間です。だけど失敗も成功も他人の所為にしません。

 「努力していれば報われる」のではなく、「報われるまで努力し続ける」と芸術家は考えているのです。

 自分の軸をもっているから自分にしかできない芸術を見つけられるのです。だから自分に正直に生きた芸術家の素顔は面白くて魅力的なのです。


ふらふら寄り道をする・好奇心が強い・知らないことに関心をもつ。


常にきょろきょろして、じっとしていない・答えは自分で探す


何ごとにも疑問を持つ・自己発電型エモーショナル人間。


いる時はウザいが、いないと寂しい・掴みどころがない。


夢への展開が止まらない


複雑な性格・みんなと同じことを嫌がる。


新鮮さを求める・バカなようで賢く、面倒くさい。


          鋭いけど寛容、繊細だけど大胆な行動もする


年齢に関わらず人に影響を与えるオーラがある


色んな側面があるギャップ人間


一生現役



 絵にしても小説にしても遊びにしても大切なのは、突き動かす衝動であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があることなのです。楽しいと思えることは、そのことに才能があるから楽しいのです。


 継続すること、継続してしまうことが重要で、何よりも説得力があります。 目的意識ではなく、そうしたいからしてしまうこと、 自分を突き動かしている「欲求・衝動」を与えられたものだと考えると、寸暇を惜しんでやってしまう好きなこと楽しいと思えることに才能があるといえるのです。


 物も事も人によって価値が違います。「こんなことしかできない。こんなものしかもっていない。」 といった自分の勝手な思い込みで価値を下げていませんか。好きなこと、楽しんでいたこと、続けてやってきたことの価値は 自分が考えている以上に高いのです。


 がんばらなくていい、新しく取り込む情報は一歩一歩、たまに立ち止まりながらも少しずつ前進さえすればいいのです。これまで選択してきたもの、すでに身につけていることを見直して、これまでとは視点を変えた新鮮な組み合わせで十分に使いこなしていけば、他にはマネできないものに勝手に成長していきます。


 芸術家は、それぞれのアート思考をもって創造的な生き方をしているのです。



『”アートは自分と無関係”ですか?』 


 美術館や画集で世界的な名画を鑑賞してもよく分からないのは、絵心や感性、才能の有無の問題ではありません。言葉や文化が違う異国の書籍や映画を翻訳や字幕なしに眺めているようなものなのです。


『マリー・ド・メディシスの生涯』 1621-1625年 ルーベンス


 絵には、制作された成り立ちや題材の意図、技法の発展、画材の発明、画家の師弟やライバル、パトロンなど影響を与えた人々との関係や社会背景があります。その時代のサイエンスとも共鳴し合ってきたアートはすべての人に関係し、芸術家のエピソードは異なる文化圏の人々の心にも響くはずです。

 古代人が絵を描きはじめてから現代まで4万年ほどのアート ヒストリーがあります。そんなアートの歴史はヒトの進化の歴史ともいえます。古代では木の実などの樹液や土、血液などを混ぜて作った絵具と木の枝や動物の毛を画材として使い、中世ではモザイク画やフレスコ画などの技法が開発され、ルネサンス期以降、絵画技法の発展や油絵が発明されてから現代までの数百年に社会の変化に伴って絵画様式もその役割も変わっていきました。アートとサイエンスの発展によって、ヒトや社会の成長が促進されたともいえるのです。


『アテナイの学堂』(1509年 - 1510年) ヴァチカン宮殿ラファエロの間



 アートに触れることで日常を非日常に変えるのではなく あまりにも日常的で普通のこととして見過ごしていることに視点を向けたり気づいたりすることで、考え方や意識までが変わっていきます。 アートに触れることで五感が機能して、結果的に今までとは違う世界が日常になっていくのです。

『芸術から教訓は受けない。頭が賢くなるのではなく、心が豊かになる。子どもたちは

ユーモアを求めている。人は失敗するし、失敗するものだから温かみを感じる。』

ミヒャエル・エンデ


 みんながクリエイターになれます。 創作は、本質に向かうから面白いのです。 本質に触れると楽しいしワクワクしてきます。 芸術、芸能、スポーツなど特殊な分野、職種だけではなく、日常的な生活、仕事そのものに 創造性が求められてきています。 創造性を意識すると毎日の作業が創作に変わり、やりがいや生きがいを感じられるのです。




『それぞれの答えをもつ芸術家』


 何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいます。絵にしても小説にしても勉強、仕事や遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があるということです。だから芸術の本当の魅力は、才能ではなく”強い想い”から浮き彫りになっていく作者自身の生きざまとそこから生まれた独特な表現なのです。


『ひまわり』1888年8月、アルル フィンセント・ファン・ゴッホ



 芸術家は十人十色で、それぞれが違った生き方をしています。それだけ生き方にはたくさんの選択肢があるということです。

 芸術家自身と創造したアート作品は「気質、習慣、思いの強さ、誰かの支え、出会い、環境、…」とさまざまな境遇(組み合わされた条件)の違いによって異なる魅力や特徴、それぞれが唯一無二のものとして構築されたといえます。


『パウロ・ピカソのアトリエ、女優ブリジット・バルドーと


幕末志士の坂本龍馬が

『人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。』

と語っていたように、十人十色の自分らしさを見つけて表現すれば誰でも芸術家といえるのです。





『ちょっとだけアートのはじまりの話』


 昨今、アートが教養や教育だけではなく、創造性や美意識、アート思考などこれまでとは違った視点でビジネスマンにも注目され見直されていますが、そもそもアートって何?でしょう。

 アートは、美術館や美術の教科書に載っていた画家や彫刻家がつくった芸術作品?でしょうか??アートには、「影響」「技」「術」「創造」…さまざまな意味があり、国や時代の違いによってもその意味は変わってくるし、ちゃんと定義づけされていません。


『ピエタ』 1498年 - 1500年 ミケランジェロ・ブオナローティ サン・ピエトロ大聖堂

 学校教育や社会人講座など、さまざまな世代に向けたアート指導の現場で「どんなアートをしたいですか?」という問いに対して「写真、絵画、映画、彫刻…がしたい。」といったモチベーションではなく限定された制作手段を答えてしまう人がほとんどです。

 「どんなことがしたいですか?」と質問をかえると「旅、開発、物語つくり、ゲーム、冒険、新発見、人助け、研究、語り部、教育…」と答えます。

 そんな時代を象徴する人々のさまざまな欲求・願望、ワクワクさせてくれるモノゴトこそ、その時代のアートといえるのです。


 アートのとらえ方によって”芸術のはじまり“を古代エジプトのピラミッドにファラオと一緒に埋葬された副葬品と考える人もいますし、美を定義づけた古代ギリシャ彫刻、あるいは4万年前の石器時代に描かれた最古の壁画だと考える人もいるのです。そうなると人類初の芸術家は石器人に生まれたとも考えられるのです。


『ツタンカーメン王 黄金のマスク』



『アートの”原因と結果”』

19世紀フランス パリでは、若き芸術家たちがモンマルトルの丘のバトー・ラヴォワール(洗濯船)を憧れ愛し、引き寄せられるように集まり、お互いをリスペクトし切磋琢磨していました。そんな街の小さな一角から世界を大きく変える芸術作品(新しい価値観)が次々と生み出されていきました。  

 産業革命が起こったイギリスでもそれまでの芸術を引き継ぐ保守的な新古典主義とその頃、時代を台頭した革新的なロマン主義の芸術家たちが、それぞれの信じる表現を主張し対立しながらも創造性を高めていき、サイエンス、アート、思想、世界の経済までも大きく揺るがす爆発的なパワーを発信していたのです。


『サルダナパールの死』1827年 ウジェーヌ・ドラクロワ



14世紀のイタリアのルネサンス期では学術的な縛りがなく、お互いの考え方や気づきと技術をぶつけ合いながら研究を繰り返し、数千年前の古代ギリシャ人は自由を愛し身体と精神を調和させ、古代エジプト人は、誰も観たことのない死の世界を書に綴り想像力を覚醒させていきました。  数万年前、最初の芸術家(石器人) が、天敵であるライオンの頭をもつ人型の彫像を象牙から造り、日常の記録、思考、伝達手段として洞窟に絵を描き、アートで飛躍的な進化をしたのです。  このような時代背景からアートの成り立ちや発展の「原因と結果」が読み取れるのです。




【第二章 アート思考】



『テーマ(構図:何を表現したいのか)』

「テーマ(目的)とモチーフ(素材)を生かす・素材を使って目的を他者に伝える」


 光、感触、高さ、深さ、広さ、静と動、感情、情熱、神秘…のような、作品の視覚的な効果をねらうためだけが構図をとる目的ではありません。「構図をとること」は、制作の根本にある目的「テーマ」を他者に伝えるための手段として考えるべきでしょう。構図をとるという行為は、料理に置き換えると「季節の素材を使って、その季節の素材を生かす調理をし、その季節にあった料理を完成させ視覚と嗅覚、味覚を楽しませる、季節料理の盛り付け。」のような作業とこだわりと言えるでしょう。決められた場所と与えられた状況で、客人が満足する接待(持て成し)を考えることも「構図」を考える行為にちかいのかもしれません。「構図」は、表現のための要素(行為)すべてに一つ一つ関連しなくては機能したと言えません。制作する「テーマ」が家庭の基準となる家訓、学校の校訓、国家の憲法だとしたら、「素材」は家族、生徒、国民で、「構図」は家族の約束、学校の校則、国家の法律みたいな存在です。

もし、あなたが「富士山を描いて下さい」と依頼されたらどうしますか?たくさんの画家が描いたモチーフ(対象)であり、日本人であれば大抵の人がその山の姿のイメージを思い描くことができるでしょう。「一般的」だからこそ、どんな富士山を描けばいいのでしょうか。そんな時、あなたの思い描く富士山の姿が「構図」に表れることになります。


富嶽三十六景『凱風快晴』 1832年  葛飾北斎



制作の「テーマや素材」を生かすも殺すも’構図’の完成度、またその構図を生かせる表現力が伴っているということが必要不可欠です。誰かに手紙を書く時のことを思い出して下さい。何かを知らせる、相手を喜ばせるなど「目的」があるはずです。’文字’あるいは’何らかの話題’という「素材」を使って文章(表現)にするわけですが、あなたの目的が相手に伝わったとしたらその手紙の内容を表現した「構図」は良いということが言えます。

色んなことを述べてきましたが、結局あなたの考える「構図」とは何でしょう。ある意味、秩序がなくても感情の赴くまま自由に表現することが大切とも言えます。しかし、「私は努力をしている、なのに達成感がなく気持ちがスッキリしない(報われない)、充実感がない。」という人は、「構図」のような目標達成のための明確なプロセスがないことで、むやみに労力を消費している割には建設的な作業にならないで、フラストレーションが溜まっているのでしょう。「哲学を持つ」みたいに人にとって必要不可欠とは言えませんが、どちらかというとあった方が、人生を豊かにするもの(芸術もそうかもしれません)なので、行動するテーマをもってみましょう。




『モチベーション(活力:目標。何をしたいのか。)』


「何のために、誰のために作品の制作をしたいのか」

あなたが伝えたいと願うこと、この時代に対して沸き上がってくる「モチベーション」(欲求・衝動」とは何でしょう。


 「人に会いたい時、そうでない時」「話すべきか否か」の違いもモチベーションの状態が左右しているのではないでしょうか。作品を制作したい、何かを表現したいという衝動、欲求が沸き上がった時も例外ではないでしょう。

 欲求、衝動、義務感、自信、コンプレックス、希望、何をのぞむのか。何を残したいのか。何をこわしたいのか、そして生み出したいのか。そのエネルギーを一つの方向へ絞り込み前に押し出すパワーの強さは、モチベーションや志の高さに関わってくるのではないでしょうか。


『紅白梅図屏風』 江戸時代(18世紀) 尾形光琳



要は、継続すること、継続できることが重要であり、何よりも説得力があります。理屈ではなく、あなたを突き動かしている「欲求・衝動」は何ですか?

 遊んできたことを思い出してみて下さい。食事の時間になろうが日が暮れはじめようが、空腹もいいつけもわすれて何かをさがしたり、友だちと競い合ったり、創ったりしていました。「子どもは遊びの天才」、何かに夢中になれるということがそのことに対して才能があるといえるのかもしれません。そう考えるとモチベーションをもつということは何も明確な目的がなくても、ただ時間をわすれて打ち込むことができ、その時に幸せであり、そのことすら意識しないほど充実している「もの・こと」なのでしょう。

子どもは何か目的をもって、いつも遊んでいるでしょうか。遊びたいという欲求や衝動が彼らを動かしているのではないでしょうか。そういった欲求や衝動を呼び覚ますモチーフ(対象)はさがすのではなく、すでにもっているもの、もっていたものを思い起こしてみるといいのでしょう。




『リサーチ力(観察眼:情報処理能力)』


「発見・展開・整とん」

 商品開発や出店、移転などする前にリサーチ(取材)がその後に多大な影響をおよぼすようにデザイン&アートの制作及び、作品発表に於いても例外ではありません。デザイナーや造形作家は一点の大作を制作するために多量の資料を準備します。写真などの図版資料、記録のためのスケッチやクロッキー、エスキース(企画、計画書)にそったディテール(部分)のエチュード(習作)を何枚も描きます(例えば、聖母像の手の表情や登場人物の顔の表情など)。作家の作風は制作だけでなく、その準備段階の取材の仕方の違いも個性として表れます。


『女性の手の習作』 16世紀 レオナルド・ダ・ヴィンチ


『ウィトルウィウス的人体図』 1485年頃  レオナルド・ダ・ヴィンチ



料理人や冒険家などあらゆるジャンルにおいて、アマチュアとプロと呼ばれる人の違いは技巧より意外と取材能力にその差がでるのかもしれません。ここで重要なのは取材する物質的な量というよりは、その内容や仕方が作品完成へと向かっているかどうかということです。漠然とした意識で進めてしまうと、取材することが作品イメージを具現化することにならないで、その量が増える(拡がる)とテーマが散漫になり迷っていく可能性があります。取材すると発見がたくさんあります。何かをみつける行為は基本的に楽しいので、その行為事体にのめり込んで目的を失ってしまいがちです。

 取材する内容がただ増幅するのではなく、テーマにそって必要な素材を選択収集しさらに吟味して切り捨てる作業も必要です。そこから派生していく内容やさらに掘り下げていくことで資料が増えていき作品イメージを他者に伝えていくための体制を整えていけるといいでしょう。


『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』1499年 - 1500年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ



人生において、この先自分はどう生きていくのかという「表現」に必要な取材とは何かと考えてみるとその重要さ、表現の成功のための必然性のイメージができるはずです。取材は事を起こし遂行するために必要なものなので、一度準備すればそれで終わるのではなく、事が進むに連れて展開していくことや状況に合わせて、その事が達成するまで続けることでその効果がみえてくるのでしょう。

 常に目的のために情報収集するアンテナをひろげて、新しい情報の発見、蓄積された情報からの展開、そしてイメージを具現化するために取材から獲た素材(データ)の整とん(分析)を怠らないことが「表現」のクオリティーを高めていくことに繋がっていくのでしょう。


子どもの行動にも色々と興味深い要素を発見(取材)することができます。例えば、その仕種は、私が知っている映画や舞台の名優の演技(動きや発声)を「なるほど、原点はここか」と感じさせたりします。

 行動の展開の意外性からか、その可愛さの効果なのか、子どもを観ていてあきません。その仕種に「可愛さの秘密」、その展開(変化)、成長速度などに「あきさせない」パターンが隠されているのだろう。このような発見も興味をもつことから始まるが、その取材する対象への愛情の深さで観えてくるものも変わってくるのだろう。


            『たとゑ尽の内』 江戸時代 歌川国芳




『イメージ(制作意図:何を望むのか)』

「意図するイメージ・浮かぶイメージ・沸き上がるイメージ」


「イメージ」という言葉は便利で色んなとらえ方で活用されています。「男のイメージ、女のイメージをもって…」「イメージをもって試合にのぞむ」「この土地のもつイメージとは」「イメージしなきゃ」、その言葉の意味をその用途にあわせていつも理解し適確にとらえられているのかあやしいものです。

 イメージすることには、必要な時に意図的に想像力を使って自分自身の中から引き出していくことと、対象物(場所、相手、物など)に関わった時に自然に浮かんでくる感触、感覚と、また全く無意識にいつ何時関係なく勝手に沸き上がってくる場合などがあります。


         『イメージの裏切り』 1929年 ルネ・マグリット


まず、意図的にするイメージの一例をあげます。スキーを習った時、滑る前日に上級スキーヤーの滑っている様子を紹介したビデオを鑑賞することや、経験者の話を聞くなどするイメージトレーニングをすすめられました。たとえ初めて体験することでもその要領をつかめば、その行為に似ている過去のなんらかの経験を応用していけます。要は過去の経験で無意識に培ってきた潜在能力を引き出すということです。確かに上達がはやくなったということもあります。それは意図して自分の行動を具体的に洞察し、必要な意識を発見できることでやるべきことが明快にみえてきた効果の現れだと思われます。


      『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー



浮かぶイメージの一例をあげます。デジャブに似た感覚を覚えたことがありますか?初めて訪れたはずなのにその土地の薫りに郷愁を覚えたり、初めてあった人に親しみを感じたりする、それが浮かび上がる潜在意識です。

 日頃少しずつ蓄積された潜在意識が夢で繋がり、具現化された映像として浮かび出てくることもあります。それもまたイメージが起こす現象です。


        『通りの神秘と憂愁』1914年 ジョルジョ・デ・キリコ 


次に湧き上がるイメージは感情と似ています。癒し、恐怖、不安、喜び、幸福な感情が何かと連動して突然突き上がってきます。そんなイメージがその時の自分のバロメーターになるのかもしれません。

 哲学、宗教、及びあらゆる学問の関心事である「人は何処からきて何処へいくのか」という疑問と同様、表現のためのイメージを思考することも「何処からきて…」にあてはまります。


『不可能の企て』 1928年 ルネ・マグリット


いずれにせよイメージがないまま行動に移した場合、作品制作でいえば技工だけに頼ることになったり、渾沌としたアイデアを繰り返したあげく、その表現にすぐにあきてしまったりしがちです。たとえ、なんとか(いつの間にか)作品が完成したとしても次の表現制作のための展開ができずにいき詰まりを感じてしまいます。


    『子宮内の胎児が描かれた手稿』 1510年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ



豊富な’イメージ’をもつためには、豊富な’取材’が必要です。その時に求めているもの気になるものにアンテナをひろげて生活していると不思議と情報がみえてきて必要な資料が集まっていきます。その時に何を望んでいるかでイメージできることも変わってきます。

             『北斎漫画』 江戸時代 葛飾北斎




『エスキース(効率:計画性レベルの高さ)』

「イメージを具現化する・思い描く理想を実現するための構想」


 エスキースとは、具体的な「夢」を具現化するというよりは、内なる欲求を吐き出す作業と言えるでしょう。


          『アイデアスケッチ』 ヘンリー・ムーア



体を動かした方が、喋りやすかったり、考えがまとまったりした経験がありませんか。エスキースは本番に失敗しないための練習ではありません。下書きとも違います。作業する手先と脳とは連動して機能するので、エスキースは脳を活性化させるための手先の運動と考えた方がいいでしょう。頭の中で想像するよりは、実際に紙面に絵を描き、視覚で確認していった方がイメージの画像(空間)を修正し、理想の画面に近付けていくことができます。

 スポーツ選手がテニスラケットやバットを振りながら自分の理想のフォームに調整していく行為と同じです。また、完成された状態を画面に描きながら段取り(プロセス)の計画をたて、目的(コンセプト)を確認していく面は、旅行前に行き先を下調べし経費を考えて交通手段を検討したり、またどういう目的の旅行なのかを確認したりするような作業に似ています。


『子どもの研究』レオナルド・ダ・ヴィンチ アカデミア美術館素描版画室



 長年の経験でこのような作業(思考)に慣れてきて、瞬時に頭の中だけで構想する人もいますが、制作(プロジェクト)の規模が大きくなった場合には特に必要になってきます。しっかりしたエスキースをすることで作品制作が無駄なく安定したものになります。

 作品制作においてエスキースは必要がないという人もいますが、旅行に例えるのならその人は「放浪好き」といえるでしょう。いい旅と思える状況を想像してみて下さい。ガチガチに計画された旅行も楽しむ余裕がなくリラックスすることができないし、逆に無計画すぎても無駄な出費が嵩み、貴重な時間を無意味に過ごすことになるかもしれません。

 人によりますが、まずは目的を明確にし、事前に下調べ(観察)した上で適度に放浪というバランスがいいのでしょう。しかし、大金を掛けた大きなプロジェクトとなるといき当たりばったりというわけにはいきません。リハーサルを重ね、あらゆる事体を想定し想像力を働かせシュミレーションしていくことが成功に繋がっていきます。


『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』1499年 - 1500年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ



 あなたなら一枚の絵を描くとしたら、どんな「旅」をしたいですか?また、旅することでどんな「絵」を仕上げていきたいですか?夢をもつ人、理想の状況を思い描いている人はたくさんいるとはいえ、具体的に行動に移す人、移し続ける人の数は絞られてきます。

 行動に移せるということは未来へのビジョンが浮かぶということです。そのビジョンを基にエスキースは組み立てられていきます。成功するためには元々そういった道を開いてくれるバックグラウンドがあると考えがちですが、何もないところから思い描くビジョンを実現するためにとった行動が、次の仕事へのバックグラウンドになっていきます。また成功するための重要な要素の一つとして「エスキース力」など、将来も続くであろう’展開(変化)’に対応していける力が大切になってくるのでしょう。

 いつも活き活きとして生命力に溢れた前向きな人は、目的を実現するためのエスキース力がしっかり身についているのではないのでしょうか。




『アピール(個性:やりたいことを素直に表現できているのか。)』

「自分の原点を再認識する・他者に物事を伝える力」


 すんなりと自分の気持ちを相手に伝えられることができるのはどんな時、どういう状況なのでしょうか。逆に素直な自分を表現できないときはどうしてでしょう。邪心、周囲の反応、思い込みなどに気を乱されて表現が鈍ってしまうのでしょうか。


      『真珠の耳飾りの少女』1632-1675年 ヨハネス・フェルメール



 あくびなどの生理現象は自然と出るのでしょうが、喜怒哀楽は、感情をおさえて(隠して)しまうなど生理現象に比べると我慢しやすいことも影響しているかもしれません。「嬉しいけどすましている」「怒っているのに笑ってごまかす」「嬉しくもないのに喜んでみせる」など、本人も周囲の人も精神的に消耗していきます。文明社会で他者と協調性を持って生活していく以上、自分の感情をおさえることも必要でしょうし、ルールを守るということはそういった組織の制約を架せられるということなのでしょう。

 日本では受け入れにくい他国の感情表現があります。自分を「アピール」することは奥ゆかしさと礼儀を重んじる日本人にとって比較的苦手な行為なのかもしれません。「自己アピールすることが美徳と言い切れない社会」とも言えるのでしょう。

 しかし、「アピール」することを拒んだり面倒がったり、遠慮し続けるとあなたを取り巻く様々なチャンスから取り残されていくことになりかねません。作品もそうです。何のアピールも感じないものは誰の目にも止まらない冴えない作品となることでしょう。

 他者に物事を伝えるためにはパワーが必要になります。もし、あなたに高いスキルがあって、どんなにすばらしいアイデア(作品)があったとしてもそれを「アピール」する力がなかったらあなたの能力が「宝の持ち腐れ」になってしまいます。


      『ヴィーナスの誕生』1485年頃 サンドロ・ボッティチェルリ



 「デザイン&アート」作品など何らかの表現で自分をアピールしていく場合、その作品を発表する`場`あるいは`時期(タイミング)`は、その表現に対する評価(価値)を左右していく大切な要素(判断基準)と言えます。

 そう考えるとどの場で、何を表現(発表)するのかということの前に、それが現代社会に対してどんな「アピール」に繋がってくるのかということが重要になってきます。また、作品制作の過程において、その「アピール」の内容(メッセージ)がその表現の志の高さに大きく影響してきます。


         『バベルの塔』 1563年頃 ピーテル・ブリューゲル



 時代を越えて引き継がれている習慣や表現、「デザイン&アート」作品には、それだけ社会における影響力が強い「メッセージ」「志」が込められているのでしょう。モチベーションが高く、アピールする意欲が強いほど影響力のある表現となります。

 では、「アピール」とは何でしょう。主張、懇願、要求、意志表明、呼び掛け、訴え、叫ぶことで自分の目的を表現する政治家の行為を思い出します。その生きるための欲求に素直に行動し続ける乳児の姿を思い出します。生命力に溢れたその姿に感動をすることが頻繁にあります。そんなところに人が生活の中で「何か表現手段を選択して自己アピール」する必然性の答えが秘められているかもしれません。


          『富嶽三十六景-神奈川沖浪』 葛飾北斎




『魅力(独自性)』


 「私しかしないこと・私だからすること・何時間でも続けられること」

私しかしなさそうなこと。例えば私の場合、子どもの頃から人が集まることと誰かのサポートをすることが好きでした。奉仕とかボランティア活動をしたいということとは少し違って、自分自身あるいは家族のために行動していることでも結果的に人と人、人と何かの「橋渡し」に繋がっていくことに充実感を感じています。そんな人はたくさんいるでしょうが、デザイン&アートの分野で私の培ってきたことを使って、それも日本で…という具合に私のもっている条件をつけていくとその人数も絞られていくはずです。

 そんなことが自分のやりたいことへの自信にも繋がったりします。どんなことが自分の自信として思えるのかで、それぞれのモチベーションが決まってくるように思えます。


ポスター『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』1891年 トゥールーズ=ロートレック



 私だからしていること。その時代、周りの環境も大きく関わってくるのでしょう。その時やっていること(習慣)や行動範囲を客観的に見直してみると意識していなかった自分自身の姿が浮き上がってきます。”著名人の行動、報道のあり方などテレビに向かって文句をいっている。流行に敏感。無意識に落書きをしている、喋っている。散歩が好き、暇であることが好き、嫌い。知らない人の中にいたい、集めたい…”など。

 自分の中では勝手に「普通」と思い込んでいることが意外と独特でその人の持ち味の現れだったりします。自分の特徴を発見して、その力を発揮していきましょう。


『蛇使いの女(The Snake Charmer)』 1907年 アンリ・ルソー



 何時間でもやっていられる。「いつの間にか時が過ぎていた」という感覚を覚えたことはありませんか?自分に適していることに気が付かずに見過ごしているのかもしれません。「仕事と遊びは別」、でしょうか?そんな考え方をいつ、どこで植え付けられたのでしょう。学校では、休み時間が「遊び」の時間?教室で学習することが楽しく「遊ぶ」になっている授業もたくさん存在しているはずです。家族が囲む食卓が「楽しい一時を過ごす場」になっている家庭もたくさんあります。職場の「仕事で遊ぶ」ために出勤する人もいます。

 唐突ですが、私は雲が好きで、やさしい雲、かっこいい雲と勝手に分類することで楽しんでいます。そんな時、その状況から何かを会得していると考えるので何時間たっても集中力が続きます。結果的にその場で過ごした時間に価値を感じ、その多くが記憶に残っています。記憶に残るということは、意識しようがしまいがその時が充実していたということです。逆に充実した時間を過ごすために何をすればいいのか再認識するためには、自分の記憶をたどってみるのも一つの方法でしょう。


         『記憶の記録 数分間 台風前日Ⅰ』 文田聖二



 道ばたの草木や石ころに心を引かれる人もいます。「そんなことで?」 でも、その人にとっては幸せなのです。

 心が揺さぶられるものも人によって違います。続けられることが実力。 癖は魅力。 好きなことが才能。 自分という人間は自分だけ、 磨かれた感覚が、自分らしい幸せを見つける力になると考えています。





『表現手段(スキル:他者への説得力)』

「イメージを表現できる方法、テンションが上がる行為、性分」


 アートの授業で、「どんなアートをしたいですか?」という問いに対して、「写真、絵画、映画、彫刻…がしたい。」など、ほとんどの学生が「イメージ・モチベーション」ではなく「限定された制作手段」を答えてしまいます。「どんなことがしたいですか?」と質問をかえると「冒険がしたい。日頃訪れない場所を探索したい。`基地`をつくりたい。物語をつくりたい。話題のもの、場所を調査したい。何かの役に立ちたい…」などの返答が出てきます。それこそアートの活躍の場になっていくはずなのに答えた本人にそんな認識がないのです。

 以前、パリ在住のアーティストたちと現代美術交流としてパリ市内に滞在(アーティスト・イン・レジデンス)し彼らと生活を共にしました。そのときに彼らの生活と密着した美術意識、社会でのアートの重要性、アーティストが存在する必要性、一般市民の芸術への理解や関心の高さを体感しました。日本では、芸術教育の影響なのか、芸術に対する認識の浅さの現れなのか、一般的に芸術の鑑賞や表現の幅を限定し、しかも「表現手段」は音楽、写真、絵画、映画、彫刻 といったものの枠内で考えてしまう人がたくさんいます。ガーデニングも料理、手紙、手編みのセーターも遊びで造った土だんご、砂の城、壁の落書き、収納など日常の中に「デザイン&アート」が溢れています。

 例えば、散歩は日常的な行為だが、何か明瞭な「イメージ・モチベーション」あるいは「衝動」をもった場合、それは「表現(パフォーマンス)」となりえるでしょう。私たちは生活を営むことですでに「デザイン&アート」に関わっているのです。あなたがやりたいと考えていること(衝動)が「デザイン&アート」の表現になりえるのです。


Dalton Ghetti作品


 「デザイン&アート」とはそれを表現する手段のことではないと述べてきましたが例外的な見方ができる場合もあります。例えば「無形文化財」に指定されている「技」などがそうです。「技」そのものが芸術といえることがあります。

 旅行にしても人とのコミュニケーション方法にしても目的達成(結果)を優先すれば、その手段(過程)は重要ではない。しかし、その過程(工程)にこだわるとしたら、その選択した工程そのものが「芸術」となるのだろう。なぜなら、たくさんの工程を重ねて制作される「漆塗り」などは日本の伝統工芸の「職人技」自体が芸術となる行為(表現)といえるからです。


              『白綾地秋草模様小袖』


               『八橋蒔絵硯箱』


では、デザイン&アートの「手段」は何を選べばいいのでしょうか?結論をいえば「衝動」に素直になればいいのですが、その「素直になる」ことがけっこう困難なのでしょう。「パートナー」みたいなもので、その選択を難しく感じている人が多いのです。

 出会い(運命的なもの)もあれば、目的達成のために相性の合うものを探し吟味して選択する必要があるのかもしれません。いづれにしても常に自分が自然体で素直に振る舞えることが大切で、更にあきないで続けるほどにテンションが上がっていくものを選べるといいのでしょう。


     『サマリー夫人』1877年 ピエール=オーギュスト・ルノワール



ありがちですが、最初から道具や手法、技法にとらわれない方がいいでしょう。そのためには、まず自分自身を「知る」必要があります。

 「自分」とはどんな存在で、どんな習性をもった「生きもの(表現者)」なのかがわからないと相性の合った「手段」はみつかりません。また、自分を知る様にその「手段」のことも末永く”共存”していくために少しは知っておく必要があるのでしょう。その「手段」があなたの「パートナー」になったとしたら、生涯を通じてきっと心強い存在になってくれるはずです。




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