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誰でも造形能力を持っている
更新日:2022年2月13日
バウハウス
1919年 、世界初の本格的デザイン教育機関としてドイツのワイマールに創立された「バウハウス」は、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。それまでにもヨーロッパ各地には芸術学校は存在したが、それらは全て、ある程度の才能がある人間しか受け入れてなかったが、バウハウスは「誰でも造形能力を持っている」ということを前提に芸術教育をカリキュラム化した。

※バウハウス:ドイツ語で「建築の家」を意味する。
・ナチスにより1933年に閉校(14年間 開校)
・ヒトラーの美術批評の基準は、ルネサンス芸術にあり、19世紀後半以降に生じた芸術
のほとんどすべてが彼にとっては「堕落」であった。
”どんな主義にも属さない画家”パウル・クレー[1879-1940]
•スイスの画家、美術評論家
•バウハウスで教鞭をとった。
•作風は表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特のも。
•音楽一家に生まれ、音楽に対する深い理解はバッハやモーツァルトらの古典音楽からスト ラヴィンスキーやヒンデミットら現代音楽にまで幅広い。
•ワシリー・カンディンスキーらとともに「青騎士 (ブラウエ・ライター)」を結成。

『忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel)』1939年 パウル・クレー

『小人のメルヘン』 1925年 パウル・クレー
”音楽を絵に描いた画家”ヴァシリ―・カンディンスキー(1866-1944)
•パウル・クレーらとともに「青騎士 (ブラウエ・ライター)」を結成。
•ロシアの画家。
•進歩や科学を価値あるものとは認めず、純粋な「内面性」の芸術によって世界を再生させ
よう願う、神秘主義者であった。
•純粋に色彩だけによる心理的効果、というものが存在することを強調している。
•色彩音楽の最初の試みを発表、いわゆる「抽象表現」という、まったく新しい世界が切り
拓かれた。

『フーガ』1914年 ヴァシリ―・カンディンスキー

『多彩なアンサンブル』 1938年 ヴァシリ―・カンディンスキー
それぞれの答えをもつ芸術家
何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいます。絵にしても小説にしても勉強、仕事や遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があるということです。だから芸術の本当の魅力は、才能ではなく”強い想い”から浮き彫りになっていく作者自身の生きざまとそこから生まれた独特な表現なのです。
芸術家は十人十色で、それぞれが違った生き方をしています。それだけ生き方にはたくさんの選択肢があるということです。芸術家自身と創造したアート作品は「気質、習慣、思いの強さ、誰かの支え、出会い、環境、…」とさまざまな境遇(組み合わされた条件)の違いによって異なる魅力や特徴、それぞれが唯一無二のものとして構築されたといえます。
幕末志士の坂本龍馬が『人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。』と語っていたように、アカデミックな美術教育を受けていなくても、誰でも十人十色の自分らしさを見つけて表現すれば芸術家といえるのです。
みんなクリエイターになれる
創作は本質に向かうから面白い。本質に触れると楽しい。芸術、芸能、スポーツなど特殊な分野、職種だけではなく日常的な生活、仕事そのものに 創造性が求められてきている。創造性を意識すると毎日の作業が創作に変わり、やりがいや生きがいを感じられる。

『 パス停留所でお出迎え 』

『 記憶の記録 数分間 ホームシアター 』

『 古河庭園 』

『 隅田川の数分間 』

『 泉 』
記憶と記録
旅行で撮影したスナップ写真に落胆する事が多い。例え、仕上がりが美しい写真だとしても違和感がある。記憶に残っている印象とは別物に感じられて、「記録媒体」としては、 納得できたことが少ない。私が絵を描いてきた事で培った感覚も影響しているのか、写真の持つ情報だけでは「記録」として満足できない。ビデオ映像も例外ではない(さながら窓から、外の様子をうかがうような’もどかしさ’’物足りなさ’に似ている)。従来の撮影だけでは、現場で体感した臨場感が写真に反映されにくい。それは、写真に含まれる情報の限界と、人間の五感機能、脳の働きに関する謎に問題が隠されている。
まず「記憶」は、何から構成されているものなのかを想定してみる。その要素(光、空気、音、時間、感情など)を体感する「現場での情報」と、それに繋がる「過去の情報(脳に貯えられている記録)」とに二分してみる。「思い出」として回想される瞬間に、その前者と後者が、どんな条件(状況)下で、どの様に絡み合ってくるかで”それ”は変異する。全く関係のない情報が、意識とは関係なく結びつく可能性もある。
どんなに状況を揃えたとしても、違う人間に同じ記憶は存在しない、ひとりの人間の場合、類似する記憶はあったとしても、その状況により厳密には条件が異なるので、思い出すたび全く同じ記憶が蘇ることはあり得ないという事が想像できる。その認識が、日常生活のコミュニケーションにも影響してくる(同じ時間を共有している様で、その出来事のとらえ方で変異する「現実」。それは、類似はしていても違う記憶として認識する方が自然である)。
記録する事において、写真はどこまで信頼できるのか。もしかしたら画家の卓越した目を持って描かれた絵画に含まれる情報量が、写真の情報を越える事もあるだろう(顔のモンタージュ写真より、幾つかの情報をもとに描かれた似顔絵の方が、参考メディアとして信頼できる様に)。逆に絵画的な表現力を写真制作に導入できたら、より「記憶」に近い「記録するメディア」になるだろう。
次に、何を記憶し、記録をしていくか。史観は、成功よりも挫折と失敗の場面を、幸よりも不幸を、はるかに多く呈示する。「歴史の幸福なページは空白」、哲学者ヘーゲルが語る様に”社会”を凝視するという事は、未来を切り開くための手がかりをつかむ事なのかもしれない。記録には、歴史には残らない”現実”もある。私しか残せない、残そうとしない個人的な記憶から社会をみてみる。
「作品制作について」の項目でも記述したが、私の制作のモチベーションは身近な所から見付けている。その事が最も「記憶」として生々しいからである。毎日の生活の中で、習慣としている事を通じて、その変化を敏感に察知する作業は、自分を取り巻く社会を正確に捕らえる「記憶」となると考えている。更にこれから起こりうる社会の有事を洞察し、それに適応する術を「記録」していく。

『 横浜 』

『 明治神宮 夕暮れの数分間 』

『 妻の実家 』

『 静岡 台風前日 』

『 実家 妻の遊び場 』
新しい生活様式への転換をきっかけに自宅や近所、地域のことを見直している。それがとても良い。 ベランダ菜園にはじまり、在住している多摩地区で、狭山丘陵や奥多摩、薬草植物園など、散歩感覚の観光気分を家族で楽しめるスポットが増えてきている。
何よりも家族の中での発見、嬉しい価値変換が起きていることが楽しい。

『 読書 』

『 池 』

『 入口出口 』
明治トンネル(有形文化財)
静岡市と藤枝市の境にまたがる宇津ノ谷峠に日本最初【明治9年(1876)】の銭取りトンネルがあります。家族で峠を歩いてみましたが、高尾山登山のように爽やかで気持ちがよく、時代や時間の感覚がなくなりタイムトラベラーになった感じがしてきます。峠の民家の縁側で日向ぼっこしている置物のようなおばあちゃんの膝で、猫が丸まってたりして、のどかでいい感じでしたよ。午前中がオススメ。日が暮れると怖そう。

『 二人分 』

『 シーソー 』

『 主がいない時間 団地の公園 』


『 小田原漁港 』

『 ローマの広場 』


『 カンポ広場 』

『 エッフェル塔 』


『 ノートルダム 』

『 橋 パリ 』

『 記念碑 』
写真で捉えるドローイング
デジタルカメラを使用し、視線の跳躍(瞬間移動)に合わせてシャッターをきる。立ち止まった地点からの視野の範囲内で、数百枚のカットを撮影する事になる。撮影されたカットをつなぎ合わせ、「記憶」に忠実に再構築する。再構築された画面には、撮影時の時間の経過、カットごとの観点の情報が含まれる。多数の観点の総合的な情報によって造られる画面は、人間の視覚機能、脳が空間認識するシステムに近い状態で、視覚データ化される事になると考えられる。
総合的な情報処理の中には、撮影の現場で「五感」によって感じとった感覚も、感情表現(絵画表現で培った色彩感覚や画面構成など)として含まれながら画像処理される。
この一連の撮影作品は、「写真」というよりは「絵画」に近い感覚で制作(ドローイング)されている。

『 公園散歩 』

『 瓦屋根 』

『 神田祭蔵出し 』

『 神田明神 』

『 都庁 』

『 渋谷センター街の数分間 』

『 新宿三丁目交差点 』
記憶と記録、写真の持つ二つの特性をデジタル技術とインスタレーションによって新しい形で結び付ける。
私の「記憶をデジタル処理化した場面」数百カットを、指定された場所(展示スペース)に再構築することで、「記録としての空間」を出現させる。
その画像は、侵食する様に展示スペースの壁面や床を拡充し、過去に存在した「記録の世界」と「現実の風景」を融合する。その様は、無意識に蘇ってきた過去の記憶を日常の意識の中で、無意味にたどってしまう行為に似ている。
『 記憶と記録 基準形成 』

2002. 11月 第57回 南日本美術展:JAL賞受賞



『 記憶と記録 大河 』

2003. 11月 第58回 南日本美術展:空間造形部門 優秀受賞受賞

2004年 『 記憶と記録 』


『 記憶と記録 天地悠遠 』

2005. 11月 第60回 南日本美術展:空間造形部門 優秀受賞受賞



『 記憶と記録 都庁 』

2006. 11月 第61回 南日本美術展:空間造形部門 委嘱作家賞受賞



『 記憶と記録 神田祭 』




『 記憶と記録 プライベートタイム 』

2008. 11月 第63回 南日本美術展:空間造形部門 委嘱作家賞受賞



2010年 『 記憶と記録 ふたつの生活 』



『 記憶と記録 記憶ハイブリット 』

2012. 11月 第67回 南日本美術展:空間造形部門 委嘱作家賞受賞



2014年 『 ハイブリットソール 』




2011年 『 記憶と記録 』




2012年 『 記憶と記録 』

2012. 11月 第67回 南日本美術展:空間造形部門 委嘱作家賞受賞


2015年 『 ブレイク・スルー 』

2015. 11月 「第70回 南日本美術展 70周年記念大賞受賞」鹿児島・黎明館



2018年 『 ブレイク・スルー 』

2018. 4月 「岡本太郎現代芸術賞展」東京・岡本太郎記念美術館
