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  • 執筆者の写真sfumita7

学びの真髄

更新日:1月25日



誰かの出した答えを目指す必要はない。 答えはいつも自分で創造していくもの


 「20世紀最大の画家」パブロ・ピカソの凄さを改めて感じている。作品性といったところよりも芸術活動の視点を変えたところに興味をそそられる。


 戦争の悲しみ、憎しみ、悔しさ、苦しさ…が表現された『ゲルニカ』。

 ドイツ兵から「この絵を描いたのはお前か。」と聞かれた近代美術の巨匠ピカソは

「この絵を描いたのは、あなたたちだ。」と答えた。


『ゲルニカ』1937年 パブロ・ピカソ


絵をじっくり良く観ることでもニューロンを刺激して、脳の処理速度が上がる。


絵を描くことは楽しみながら思考力、感覚が磨かれていく。

絵を描くことで、それまで見えなかったことが見えるようになってくるから楽しくて、ものごとへの理解や実感が速い。

受動的にすり込まれるのではなく、能動的に気づくことで自信、実力になる。


皆と同じものを日常で見て、同じような環境の中で、他の人が気づかなかったことが気になり、気になってしょうがなくなり探求が始まる、それが発見。



発見は、新発見によって、その重要性、信ぴょう性が薄くなる。

すぐに役に立つ知識はすぐに役に立たなくなる。

要は、その行動、思考の過程に気づきがある。

実績や成果ではなく、そこに至った過程に学びがある。

それこそ教育。

なぜ発見できたのか?なぜ気づけたのか?

その「なぜ」に学びの真髄がある。


『アテナイの学堂』(1509年 - 1510年) ヴァチカン宮殿ラファエロの間



「私がこれまでに価値のある発見をしたのだとしたら、

 それは特別な才能があったからというより、辛抱強く注意を払って観察したからだ」

                            by アイザック・ニュートン

 

 発明は、創造力の前に観察力。


 学校での評価も成績も低かったニュートンが、その後の世界に大きく影響する発見を立て続けにしていったのは、誰かが出した答えを追いかける人たちを評価する世界の中で、自分の疑問に対して、実際に目で確かめたことしか納得しワクワクできなかったから。

   自分の直観を信じて素直に実証をしていった。



社会や教育、企業に必要とされる創造性の本質として

スティーブ・ジョブズがピクサー映画の製作として掲げた理念である”「ストーリー」「キャラクター」「世界観」の3つを主要な側面として考える”は、

魅力的な社会や教育、企業を創造していくためにも重要なワードだと思う。


「思い込みをなくす」「気づき」「ストーリー性」「個人の感性」「関心をもつ」「世界観」「美意識」などといった創造性の本質を捉えた視点の導入が、息の長い考え方として社会や教育、企業に必要だと感じている。





評価のための学びは、本質を失っている


「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会

    をつくり、授かりものを忘れてしまった。人の脳に備わる本当に大切な能力、

    知覚・直感・想像力・創造力を 近代社会や教育で、ないがしろにしてきたことが

    現代社会に影響している。」

「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、

 それこそ教育だ。」

                   by 理論物理学者アルベルト・アインシュタイン


1921年、ウィーンでの講義中のアルベルト・アインシュタイン



理解する喜びを知って追及する欲求が生まれる。

能動的な学びが、あらゆる思い込みや決めつけられた枠から人を開放してくれる最も楽しいこと。


   あたりまえのことですが、地球上のものは地球に存在する物質の組合せでできています。炭とダイヤモンドの違いは、その物質ができる条件による違いです。

   歴史に残る芸術家や偉人、天才にしても他の凡人たちと同じ社会、似たような環境の中で、誰もが経験しえるいくつかのできごとが組み合わされて造り出されたといえます。


   どんな発想も発明もそれまでとは異なる新鮮な条件がそろった時に生まれてきました。これらは偶然の出来事のように思えますが、その特殊な条件がそろう状況に成るべくして成った必然とも考えられます。

   また、“寄り道・まわり道”をすることで、画期的な発想や発見に至ることがあります。無関係だと考えていたモノゴトとの共通点や接点を知ることで、理解が深まって視野も広がっていきます。 そんな”気づき“が最も高貴な喜びだと芸術家でもあり多岐にわたる分野の研究者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチも話しています。 


「最も高貴な喜びとは、理解する喜びである」by   レオナルド・ダ・ヴィンチ


「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わう     ことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いてい     る」とレオナルド・ダ・ヴィンチは嘆き

「あらゆる“楽しみ”で、感覚的知性を磨くことができる」と提唱していた。


トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 1515年頃)




 芸を志すものは、まず基本を学ぶ


 『型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした     奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか?』 立川談志


 古代ギリシャにおいて美の基本は、心身の動揺を伴うような強い感動(emotion)をどれほど人に与えられるかにあった。その頃はアートといった学術的な縛りはなく、教育や学問の目的が共通して人類にemotionを与えることだったといえる。人の心を動かす本質を真剣に考えていた人たちが古代から近代までいたからこそ、今がある。


 そもそも“基本”とは専門的な知識でもスキルでもなく、使い慣れていない新しい感覚を呼び覚ますこと。


『何の志も無きところにぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり』 

『日本を今一度 せんたくいたし申候』  坂本龍馬



 『人の世に道は一つということはない。    道は百も千も万もある。』 坂本龍馬


 自然と心が躍る、心を動かす美意識を身につけるために好きなことをみつける、気づいていける時間が貴重。

 「絵や歌が好き」「人が喜ぶことをやりたい」「散歩を楽しめる」。何時間でも続けてできることが、その人にとって“秀でた芸“。



 国語の授業の読み書きは、小説家など言葉のプロを生み出すためだけの学びではなく、社会で生きていくために必要なものです。

 数学の因数分解や地理の知識そのものが生活の役に立つんじゃなくて、いろんな枠組みで考えられるようになることが日常的に役に立つのです。

 歴史の授業も専門家を育てることだけが目的ではないように、絵を観たり表現したりする美術(アート)の授業も絵の上手い下手の評価ではなく、「観察力・思考力・伝達力」の感覚を磨いて生きる力を身につけていく大切な時間なのです。



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