日本でも人気のある印象派の画家たち、ゴッホやゴーギャン、モネ、マネ、ロートレック、モジリアニ…彼らの描く絵は、なぜ人々の心を打つのでしょう。 それは情熱や才能がありながらも評価されなかったり、マイノリティーだったり、生き方が不器用だったり、貧困だったりとどこか報われない切なさが彼らの表現の源にあることが、共感できる要因の一つではないでしょうか。
『星月夜』1889年 6月 ファン・ゴッホ
『タヒチの女(浜辺にて)』1891年 ポール・ゴーガン
『睡蓮(Nymphéas) 』1916年 クロード・モネ
『出番を待つ踊り子たち』1879年 エドガー・ドガ
『ムーラン・ルージュにて』1892年 トゥールーズ=ロートレック
『デディ・ヘイデン』1918年 アメデオ・モディリアーニ
彼ら芸術家自身と創造したアート作品は「気質、習慣、思いの強さ、誰かの支え、出会い、環境、…」とさまざまな境遇(組み合わされた条件)の違いによって異なる魅力や特徴、それぞれが唯一無二のものとして構築されたといえます。
あたりまえのことですが、地球上のものは地球に存在する物質の組合せでできています。炭とダイヤモンドの違いは、その物質ができる条件による違いです。
歴史に残る芸術家や偉人、天才にしても他の凡人たちと同じ社会、似たような環境の中で、誰もが経験しえるいくつかのできごとが組み合わされて造り出されたといえます。
どんな発想も発明もそれまでとは異なる新鮮な条件がそろった時に生まれてきました。これらは偶然の出来事のように思えますが、その特殊な条件がそろう状況に成るべくして成った必然とも考えられます。
また、“寄り道・まわり道”をすることで、画期的な発想や発見に至ることがあります。無関係だと考えていたモノゴトとの共通点や接点を知ることで、理解が深まって視野も広がっていきます。 そんな”気づき“が最も高貴な喜びだと芸術家でもあり多岐にわたる分野の研究者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチも話しています。
芸術家は十人十色で、それぞれが違った生き方をしています。それだけ生き方にはたくさんの選択肢があるということです。
幕末志士の坂本龍馬が『人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。』と語っていたように十人十色の自分らしさを見つけて、またそんな人たちと共に開放された気持ちで過ごしていければと思います。
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