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  • 執筆者の写真sfumita7

思いを絵に描くと実現を引き寄せる

更新日:2022年5月21日



『誕生日』1915年 マルク・シャガール



創造性はアートの世界だけではなく、繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。


自分の視点が変わることで世界の見え方が変わる。

アートに触れることで、日常を非日常に変えるのではなく、

あまりにも日常的で当たり前のこととして見過ごしている”奇跡”に気づいたり、見直したりして視点が多角化して視座が変わり、結果的に今までの日常が変わる。


芸術家たちは

いつの時代も新しい価値を探し求めて、未知の領域への挑戦を繰り返してきた。

だから、時代時代に必要とされるアートが社会変動と共に変貌し続けている。


『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー



”思い描く絵”のつぶやき


『絵に描くと心が折れにくくなる』

サムネイルやアイデアスケッチは漠然とした「夢」を具現化するというより、

内なる欲求を吐き出す作業といえる。

目的やアイデアが視覚化されると積極的に行動できる。

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』 1499年 - 1500年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ 

ポテンシャルの高い人は

不安な点や分からないことは悩む前にすぐ調べて、集めた情報で洞察し予測し行動計画を設計する。後は迷わず問題を解決するための工夫を繰り返す。

余計な心配や悩んでいる時間が少なく、目的に前向きな明快な生き方。

『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿』より

よく観ていなくて、思い込みで判断していたことに気づいた時にはすぐに見直す。

その想いが変わらないで、その強さが増していくことは 何度でも掘り下げて考え続けていく。

本当のことはごまかせないけどすぐには分からない。考え続けるしかない。 ”絵画や小説など芸術の手法は「異なった日付のさまざまな出来事や小さな事件を現在という時間のなかに呼び出し混合する」” by レヴィ ストロース

ピカソだけが理解し評価していた画家アンリ・ルソーの植物園でのスケッチと動物写真集と知人の旅行記のブリコラージュで描いていた絵を思い出す。

パリの画家アンリ・ルソー

異国のジャングルや森の中を描いていることからナポレオン4世のアフリカ遠征に同行したなどとうわさされていたが実際には近所の植物園でのスケッチとお気に入りの動物写真集と旅行をしてきた知人の話を参考に描いていた。

『蛇使いの女(The Snake Charmer)』 1907年 アンリ・ルソー

目が覚めた後に夢の続きをみれないように

一瞬のひらめきは、見える化しておかないと

その夢の意図を知ることはない。

ひらめきを写真に残すことはできないが 絵に描くことはできる。

頭の中の出来事は絵に描くしかない。

『眠る女たちの習作』 ヘンリー・ムーア

妻と子育て、家事をして共に働いているので、

妻の行きたいところへ旅行にでも連れて行きたいが、なかなかできない。 近場の散歩かドライブしかできないくても喜んでいる妻を見ると申し訳ない気持ちになる。だけど、一緒に将来の計画を立てながら毎日、旅行していると思うとそれはそれで楽しい。 親が子供に望むことと子供本人が望むことは違う。

自分の思い込みと相手が思っていることとは違う。 相手をよく観て、相手を想う気持ちが 自分を生かすことになる。 独りでは生きていけない。 人はコミュニケーションを必要とする生き物だから 他人の反応よりは、自分がどう反応できるかが大切。 分かりやすく、普通に見えることほど凄い。

複雑で、分かりにくく感じるものは 芯、軸、骨格、システム、本質を見抜いて、シンプルに捉えればいい。

『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳

劣等感を感じたら何も考えないですぐにぼ~とする。

一度寝た後、自分のいいところを思い出して見直す。 劣等感を感じると空しくて悔しくて、辛いものですが、 そんな対象が具体的に存在しているほど 競って無理して乗り越える必要はなく、 自分にできることをよく見直してみる機会にすればいい。 面倒で無駄なものに思えていたことが

自分の成長に繋がっていくことを実感した人は 面倒や壁にぶつかるときこそ「チャンス!」と感じるようになる。 むしろ、面倒に感じなくなってきたこと、時ほど停滞している。 好き、楽しいと感じることもよく考えれば 手間をかけ工夫を繰り返す面倒なこと。 つい考えてしまう。

休みたいのにやり残していることを考えて 過ぎたことまで思い出して、脳の回路が開きっぱなしで疲労していく。 寒い、きつい、眠い…、実は不快な思いをしている時に 脳を休めている。 不快なことを我慢している間は無心になっている。 そんな捉え方で過酷な状況を乗り越える。

『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿

人の心を揺さぶる音楽や言葉は、

大切な人と過ごしている時間や自然の中を散歩しているような効力がある。

一瞬で人の心を変えてしまう絵の威力も運命の人と出会ったように凄い。

『凱風快晴』 1832年 葛飾北斎

数十年前からずっと続いていること。

時たま思い出しそうになることが とても大切なことだということは分かるが どうしても思い出せない。 数十年前からずっと続いている。 全く異なる経験が少しづつ整理されてきて 接点が観えてきて繋がってくる。 そんな時、大切なことを思い出しそうになる。 ぼ~っとしている時は、考えないで感じている。

何でもよく観たり感じたりするようにして 五感を磨く習慣がついていくと感動することが増える。 それは日常の中の奇跡に気がついているということ。 気づきが増えると人も物事も時間も大切にする。 誰かからすり込まれた知識や技術よりも

自身の先見の明やリサーチ力、分析力の差で 成果や精度、クオリティーの違いが出てくる。 そんな思考力を駆り立てていくのが 誰かへの想いだったり、思いやりだったり、 突き動かす衝動だったり、持ち続けている執着心だったり、 欲求の深さだったりする。 紙と鉛筆、手帳とペンさえあれば、

いつでもどこでもイメージする無限の世界を可視化できる。

「僕らの仕事は技術的なことで成り立ってるんじゃない。アイディアってやつは、鉛筆描きのスケッチからだって生み出せる。いま、僕らがもっているいろんな道具がなくたってね。」  ウォルト・ディズニー 動物のしぐさに癒されることも心が揺さぶられて、

何かを好きになってしまう理由もなぜ出会うのかも解らない。 その答えも、自然の構造の中にあるのかもしれない。 意識も感情も宇宙の構造と同じ。 先の心配や行き過ぎた夢を持つと

無駄に悩むことになるから、今できることから着実にやることが 自信になる。 大きな夢を持って、一歩一歩、 少しでも前進することを毎日続ける。 自分らしく生きる。 ゲゲゲの鬼太郎は、リーダーシップを発揮している。

鬼太郎は妖怪から人間を守っているのではなく、身勝手な開発や自然破壊を続ける人間と風習や自然を守り伝承しようとする妖怪との間(文明と文化、開発と伝承)に立って最善の解決策を考えている。 人を想うことから始めるといい。

争い事は双方に正義があるので、善悪で判断している限りなくならない。 ルールも協定している関係でしか成立しない。 要は 協働か闘争かの選択になる。 協働していくためには相手を理解し双方の意見から最善策を導き出せる 創造性が必要となる。 創造は、想い。 視点を変えると世の中が新鮮にみえてくる。

名称で物事を決めつけないこと。 例えば『テーブル』は、平らな板に三、四本の足が付いている物体。 テーブルを初めてみる人にとっては、 ベッドになるし、 腰掛けられるし、 日よけにもなる。 横に倒せば壁にもなる。 必要なだけがいい、余ったものはお裾分け。

お金や物を新たに増やし続けていくことではなく 今、そこにあること、持っているもので上等。 有り合わせの料理のように工夫して 組み合わせ(ブリコラージュbricoleur)ながら 人も物も場も何度でも新鮮な心で 繰り返し活かしていく豊かさ。 役に立たないものはない。

意外な組み合わせで誰からも気にされていなかった”もの”も”人”も新鮮に生まれ変わる。新鮮な視点をもつことで新しい価値が生まれる。

『海辺に現れた顔と果物鉢』 1938年 サルヴァドール・ダリ



文田聖二 FUMITA SEIJI(@fumitaseiji)さん / Twitter

フォロワー5万人の人気ツイートより




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