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非文明にあこがれた転職画家
更新日:2021年5月30日
ゴーギャンは20代半ばまで、船乗りや株の仲買人など実業家として充分な財をなしていました。そんなゴーギャンが絵を描くようになったのは、印象派など近代絵画を見たことがきっかけです。

『自画像』 1889–1890年 ポール・ゴーギャン
妻の実家デンマークへの渡航、仕事でパナマに渡るなど移動の多い生活の中、滞在したブルターニュで画家のコミュニティに参加し、絵画を巡り議論を交わします。画家としての評価を得だし、仕事を捨て画業に専念し始めたのは35歳の頃です。
妻と子供5 人を抱え、経済的に困窮していきますが、幼少時に過ごした祖父の故郷ペルーの生活や、パリ万博で先史時代の石器や装飾品を見たことが発端となり、西洋文明と対極の非文明へ興味をもち始め、家族を置いて単身で南国タヒチへ渡ります。

『ダン族の仮面 』 1910-20年頃 西アフリカ
この頃、ゴーギャンだけではなくアカデミーの芸術家たちも「未開人」の美術、アフリカの彫刻などに熱狂し、骨董屋で二束三文で買ったアフリカの部族の仮面などをアトリエに飾って、制作のお手本にしていました。

『イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)』1891年 ポール・ゴーギャン
行動力と情熱のあるゴーギャンは「未開人の美術」をお手本にするだけではなく、生活習慣の原点に立ち返るために未開の地にどっぷりと浸かることで、文明が染みついた自分にはない力強さを吸収し、絵を描こうとしたのではないでしょうか。
ゴーギャンの絵は、分割された面ごとに使われる鮮やかな色が特徴的で、同時代の画家と同じように浮世絵の影響が見られます。しかしそれらは理さいはい屈ではなく、本能的な采配によってコントロールされているような素朴な魅力があります。

『タヒチの女(浜辺にて)』1891年 ポール・ゴーギャン
黒髪に茶褐色の肌をした南の島の女性たちが描かれています。
この絵は、近代的な文明に染まっていない生活や文化を求め、はじめて南国タヒチに渡ったときに描いた絵です。
生命力を感じさせる女性の体格、大きめで立派な鼻、腕と手指は太く力強くむき出し、大地を逆に支えているようにも見えてきます。
女性の衣服の鮮やかな赤やピンク、背景の砂浜の黄色、海の緑、黒髪に映える黄色の髪飾りはひときわ鮮やかに強調されており、画面は繊細さとは対極の力強さで満ちています。