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  • 執筆者の写真sfumita7

食とアート

更新日:2021年8月13日


 古代ローマ人は、1日の食事をだいたい朝、昼、夕の3回に分けて摂っていた。その中でも一番しっかりと食べる食事をケーナと呼ぶ。ローマ初期の頃、ローマ人は1日の中でも昼間の食事をしっかりと食べていたので、昼食をケーナと呼んでいたが、どうも昼間は暑く、食欲がでなかったらしい。。時代が進むと、ケーナは昼食から夕食へと移行していき、日没前の午後4時から5時ごろに始まる。暗くなる前に食事を済ませ、日没後はすぐに眠っていたようだ。現在では考えられない食事習慣だった。日本では、食ってすぐ横になると「牛になるよ」と言われる。


 古代ローマ時代では、食のマナーも現代とは違う。ご馳走であふれている食卓を囲んだ台の上に寝転びながら食事をしていた。

 手掴みで魚や果物をほお張り、骨や種など食べ残しを床に放り投げていた。しかも食事中に吐いてまでして、豪華な食材の味を楽しもうとしていた。吐くためのアイテムとしてクジャクの羽が使われていた。

そんな贅沢で堕落しきった古代ローマ貴族の食事習慣が、床モザイクの表現から伝わってくる。いかに多くの種類の豪華な"残飯"が床に転がっているが豊かさの証だったので、その床には既にモザイクで魚の骨や果物の芯や皮などが表現されていた。

『掃いていない床』




バロック絵画の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスはコミュニケーションの達人だった。王の側近の役割を任される宮廷画家であり、優秀な外交員でもあった。現代でいえば売れっ子デザイナーといえる彼を悩ましていた病は痛風。王侯並みのs食生活が原因だったのか贅沢な晩餐会などの付き合いの数も多かったのだろう。

『マリー・ド・メディシスの生涯』 1621-1625年 ルーベンス


『自画像』 ピーテル・パウル・ルーベンス 1639年頃


【日本の美人の象徴】


 古代時代の「高松塚古墳」から、平安時代の「紫式部」、江戸時代の「浮世絵」と日本の

美人画はほぼ変わっていない。細くつり上がった目、鉤鼻におちょぼ口、そして下膨れの顔。庶民は貧しい食生活で粗食だったのでがりがりに痩せていた。庶民にはあり得ない下膨れのぽっちゃり顔は、憧れで豊かさ(美しさ)の象徴だった。

『高松塚古墳壁画』藤原京期(694年~710年)



『源氏物語』 紫式部 平安時代


『ビードロをふく女』 江戸時代 喜多川歌麿


『見返り美人図』 江戸時代 菱川師宣


『一日一畫』 日本画家 池上紘子

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