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  • 執筆者の写真sfumita7

”虚構(フィクション)“が革命のはじまり

更新日:2021年8月2日

 ヒトの祖先が絵を描きはじめてから現代まで3万年ほどのアート思考の物語があります。アートの歴史はヒトの進化の歴史ともいえます。美術館や学校など限られた空間だけでアートを意識して鑑賞したり学んだりしている数百年間は、3万年の物語の中では、ほんの一瞬の出来事です。古代では木の実などの樹液や土、血液などを混ぜて作った絵具と木の枝や動物の毛を画材として使い、中世ではモザイク画やフレスコ画などの技法が開発され、ルネサンス期以降、絵画技法の発展や油絵が発明されてから現代まで、社会の変化に伴って絵画様式もその役割も変わっていきました。このようなアートとサイエンスの発展によって、ヒトや社会の進化が促進されたともいえるのです。

   『アテナイの学堂』1509年 - 1510年 ヴァチカン宮殿ラファエロの間


 「脳内革命」によりホモ・サピエンスが生き残り、さらに「科学革命」によって地球上にヒトだけではなく、ヒトが必要とする動物(家畜やペット)や植物(農産物)が爆発的に増えていきました。世界的大ベストセラー『サピエンス全史』では「脳内革命」によってヒトが劇的に進化したことが記されていますが、これは火を発見したことや道具を発明し使うことで、食事などの習慣が変わり、他の動物とは違った生活をしているから脳が発達したということだけではありません。他にも存在していたヒトの種族の中で、私たちの祖先である「ホモ・サピエンス」が唯一生き残ったのは”虚構“する能力が生まれ、それこそが一気に脳内革命を引き起こしたということです。ヒトという種族が氷河期など激変する環境を乗り越えて生き残るためには、家族単位ではなく”群れ、集団“として大勢で助け合いながら生活していく必要があったのです。組織として良くまとまって生きていくためには、共通した目標や考え方(ルール)が必要となりますが、そのためには大勢が共感するストーリー(虚構)が不可欠だったのです。私たちの祖先は、過酷な自然環境や天敵などから身を守ってきた経験によって知識が蓄積され知恵が生まれ、先人や賢者が危険を事前に回避して生き残る方法(物語、神話や宗教)を仲間や子孫に伝えるようになったのです。そんな「虚構」こそが、他のヒトの種族や動物たちとは全く違った脳内革命を起こし劇的に脳を覚醒させていったのです。情報の発信機能はどんな生き物にもありますが、その情報を伝える相手がいることで「表現」となります。伝えたい”虚構(フィクション)“をものとして作り、絵に描き残した表現が「アート」のはじまりとも考えられます。

       『空想上の動物が描かれているショーべェ洞窟の壁画』 ■なぜ、人はアートを生み出したのか


■アート(アーティスト)のやってきたこと(歴史)

アーティストは、自己を探求し、社会への見方や意見を作品で表現し、

新たな価値を表現(=創造力)してきました。

■今、アート思考が注目されている。

アート思考とは

A点からB点まで、できるだけいい手段でたどり着く方法ではなく、

B点を発明するプロセスなのです。

■地中海をゆりかごに育った西洋美術

美術における”技術の進歩”ではなく、美術についての”考え方や社会的な条件の        変化”を探求していきます。


・未開の像がぎこちなく見えるのは、技術が下手だからという現代人の常識。


・部族の作り手の技術は、西洋の巨匠作品に匹敵する写実的な作品を作ることができる。


・現代との違いは“技術水準”ではなく“考え方(思考)”の違い。


■アートヒストリー 3万2千年前~21世紀

 

◎古代美術

 •原始時代  :人類最古の絵、生死・サバイバル画(部族)    

 •古代エジプト:永遠の生命(死者の書)、生け贄の身代わり(副葬品) 

 •古代ギリシャ:絶対的な美の基本(彫刻)

 •古代ローマ :統制のための手段(彫像)


 ◎キリスト教美術(写実表現)

 •中世時代  :アートの暗黒時代(宗教画:モザイク画/フレスコ画)

 •ルネサンス期:知識と発展【人】( 研究:油彩画)

 •バロック・ロココ時代:権力と交流(宮廷画家)


 ◎近代美術            

 •ロマン主義の時代:市民と革命(伝統の解体)                      

 •印象派時代:写実からの独立:制作の目的(新しい基準)

 •モダンアートの時代:アバンギャルド 反体制 (伝統への否定)

 •コンテンポラリーの時代:価値観の再構築 


 ◎現代美術           

 •大量生産とデザイン:消費の時代(アートと社会)       

 •アートの多様性:価値の再設定(デジタル) 


■独自の視点

3万年前の古代壁画から 創作表現の発展に伴って、アート思考が展開し 、

人の思考が進化してきました。だから新しい生活様式を求められている今、   

世界的にアート思考が必要とされているのです。

これからの生活に備え、自分起点のアート思考を身に付けていきましょう。




【古代美術】アートのはじまり:約3万2千年前


■古代洞窟壁画には生きている証、生きるための情報が描かれている

 •古代人の基準:「効く」かどうか(霊験、ご利益があるかどうか)

  ※霊験:仏の不思議で測り知れない力のあらわれ。祈りに対して現れる利益。

            『ショーヴェ洞窟』約3万2000年前

※古代の絵を読み解くためのエピソード

 ヨーロッパの画家が、アフリカの原始的な生活をしているある村で、家畜の絵を描いて

 いたら、

あなたが家畜を連れて行ってしまったら、私たちはどうやって暮らしていいやら

 と村人が嘆いたという。


■映像の起源ともいえる壁画  古代洞窟壁画(ショーヴェ)は、 壁際のたいまつの火が揺れるとでこぼこの壁面に描かれた動物の絵が動いているような錯覚を起こさせる。映像技術のアイデアをすでに古代人は発想していました。生きていくため獲物がとれるように願いをこめて描かれ、まじないの儀式のために壁画をやりで突いたと思われるキズもあります。また、火を照らすとでこぼこの壁面に描かれた動物の絵が動いてみえる効果があり、映像の起源ともいえる高度な表現がみられます。



■ショーヴェ壁画を描いたネアンデルタール人

 ネアンデルタール人は肌が白く、金髪、碧眼、彫りの深い顔、奥目といった現代人の風貌で、プロレスラーのような強靭な体でした。複雑な会話ではなく、歌のような発声で感情を表現していたようです。


ネアンデルタール人が創った?ライオンマン


「マンモスの牙を材料に作られた約4万年前の彫刻像です。ライオンの頭と人間の胴体をあわせもつことから「ライオンマン」とよばれています。」<雑誌ニュートン(2019年1月号)より引用>

・4万年前にライオンマンが作られた理由:宗教・呪術・共同体のシンボル 等


■虚構のおかげで、認知革命が起きた   ※認知的能力(学習、記憶、意思疎通の能力)

■脳(思考力)が劇的に発達

・80万年前に火を発見し、30万年前には一部の人類種が日常的に使用。7万年前から

 3万年前にかけて、人類は、舟、ランプ、弓矢、針(暖かい服を縫う)を発明、芸術と

 呼べる品々、宗教や交易、社会的階層化の最初。

・たんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。

 ※特にクロマニョン人(ホモ サピエンス)は、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力

  できるようになり、世界を支配した。

 ※約30万年前には、ホモ・エレクトスやネアンデルタール人と、ホモ・サピエンスの

  祖先が、日常的に火を使っていた。

            『ラスコー洞窟』1万5000年前


■ラスコー壁画を描いたクロマニョン人

 クロマニョン人は猿人にちかく、体はひ弱でしたが声帯が発達していたため意思疎通の表現の幅が広かったようです。このコミュニケーション能力の高さで仲間と協力し合い組織的に生活していたクロマニョン人は、氷河期を生き残れましたが、家族単位で行動していた

ネアンデルタール人は激変する環境や想定外の過酷な状況に対応できずに死滅してしまいました。

・ネアンデルタール人 = 家族単位で行動:芸術家

・クロマニョン人(ホモ サピエンス) = 組織で行動:社会的な動物




古代美術】古代エジプト紀元前3000年

「エジプト文化とその芸術Ⅰ」

■ 死の文化(死者の書)

・古代エジプトの宗教では、人間の魂を永続させるために遺体と肖像を保存しました。

・「永遠」という言葉を好んだ民族

・「太陽のごとく永遠に」「永遠永劫に」「永遠の生命、健康、富」といった言葉は、

  繰り返し墓所内に刻まれた。

■彫刻家は「生かしつづける者」とも呼ばれた

・古代エジプトで生まれたアートの主題は、古代エジプト人の死生観(永遠なる命)から

 成るもの。※社会的構図(王、聖職者、軍人)

■ 古代エジプトの王は神と親戚関係

  エジプト絵画は「神に見せるためのもの」であり、王の権力が絶対であり絶大でした。

 初期の古代エジプトでは、王の死には廻りの者達が生け煮え(生きたまま埋葬)になると

 いう残酷な慣習がありました。その慣習に代わり(副葬品)として美術品が生まれまし

 た。アートは人間の代用といった考え方ができます。古代エジプトは、迷信による原始的

 な残酷さと美しいものをつくる能力が共存していた時代といえます。


■エジプト美術は美の追求ではなく、死後よみがえるための道具

  当初は王が死ぬと、死後の世界で働くためにその奴隷たちまでもが生き埋めにされてい

 ました。その代用品として、奴隷に見立ててつくられたシャブティ像が生まれます。


 また絵画は一見、稚拙な表現にみえますが、生物学者が納得するほど正確な特徴が描かれていて、生息を証明する重要な資料になっています。

■古代エジプトのアートが西洋美術のルーツ ・美術は地球上どこにでも存在しますが、約5000年前のナイル川流域の美術に見られ

 る形式は現代の美術に繋がっている。 ・ナイルに発する伝統は、師匠⇒弟子、崇拝者、模倣者⇒ギリシャの名匠(エジプト美術の

 学校に通学)⇒現代(古代ギリシャ人の美の定義を手本としている)。 ■エジプトといえば、誇大な大地に建つピラミット

           『クフ王が建設したギザの大ピラミッド』


■ギザの三大ピラミッド ・メンカウラー王、カフラー王、クフ王のピラミッド。

・エジプト古王国時代(第3 - 6王朝):エジプト古王国期と呼ばれ、エジプト最初の

 繁栄期に入る。        ■ピラミッドを築いたのは王のミイラのため  ※人類の建築技術を使える最古の(現存する)建物

・第4王朝(紀元前2500年頃)のファラオが建設したギザの大ピラミッド ・ピラミッドを築いたのは王のミイラのためであり、王の遺体は石棺に納められその中央に

 安置された。壁全体にまじないや呪文が書かれた。

・古代エジプト壁画では「人の目」を通したもの、また「人の意見」を通した独創的な表現

 を受け入れることは、神への冒涜を表すこととなり死罪に値した。 人の観察や感性では

 なく、すべては神と蘇った王に伝えるために描かれていた絵だった。

・王のミイラが復活したときに 自分が何者であるかを思い出すために描かれた 日常の

 記録だった。

              『ツタンカーメンの墓』


・遺体だけではなく、王の肖像(風化しにくい御影石)も一緒に残せば確実に生きつづけ

 ると考えられていた。墓のなかではまじないが働き、肖像を通して魂は生きつづけ

 ると信じられていた。


■神と蘇った王に伝えるための絵

・迷信による原始的な残酷さと美しいものをつくる能力が共存していた時代といえる。

・「人の目」を通したもの、また「人の意見」を通した(独創的な)表現を全く受け入れる

 ことがなかった。

・独創的な表現は、神への冒涜を表すこととなり死罪に値することだった。

・人の観察や感性ではなく、すべては神と蘇った王に伝えるために描かれていた。

・古代エジプト壁画は、記録・伝達を目的として描かれています。壁画は、人の目に触れな

 い石室(ファラオの墓)に描かれていた。

 この絵は、亡くなった王が復活したときに自分のことや生活習慣を思い出すためと神に見せる厳かなもので絵師に義務付けられたルールがありました。

このルールは「人(手足の長さなど)」や「身分」などの情報を正しく記録し伝えるための絵画法といえます。決められたルール以外で描かれた新しい創作的な絵は虚偽とみなされて神への冒涜に値し、死罪になりました。3000 年間もの間、エジプト絵画が変化しなかったのもそのためです。

①最も小さく描かれているのは子供ではなく奴隷、古代エジプト壁画では、  地位、身分が高い人物ほど大きく描かなくてはいけない  ②顔は横顔とする、目は正面を向く  ③肩、胸、腕は正面を向け胴体と足は横向き  ④足は左右を描き分けない・土踏まずを描く場合には、両足に描く  ⑤集団は上下左右にずらし重ねて描く  など

 死後の世界との接点が多く見られる古代エジプト美術。古代エジプト人は、死後の世界に対して独特の関心を持っていました。古代エジプト人ほど「永遠」という言葉を好んだ民族はないといわれます。かれらの死後の世界を描いたのが「死者の書」。



この「死者の書」が、のちのユダヤ教、キリスト教の「最後の審判」に影響をあたえたのです。

       『最後の審判』14世紀 ジョット・ディ・ボンドーネ




【古代美術】古代ギリシャ:紀元前800年~

「ギリシャ文化とギリシャ美術Ⅰ」 ■地域性、社会構造 ・海(地中海)を渡ってたくさんの文明が芽生えました。ギリシャや小アジアはエジプトと

 違い、偉大なひとりの王の存在によって時代が動いた訳ではない。


■飛躍的な発展を遂げた背景にある様々な要素   アドベンチャーを求める海賊王たちによって、ギリシャの入り江(地理的に好条件)が

 隠れ見のとなり、発展をしていきます。

■人に重点が置かれた文化、美術が形成された   クレタ島がメインの発信地であり、多くのアート(レリック:遺物)が発見されまし

 た。それらのアートは、楽しそうで生き生きしたもので、本土にも移行していきます。

 大きな建物がなく、小寺院(神や宿る寺)がたくさん出来小さな都市国家が誕生します。 支配関係はなく、独立心強く、争い事が絶えない時代でした。その頃の建物はエジプトと違い、人間のために人間がつくる建物でフレンドリーな感はありましたが、エジプトに匹敵するような威厳はなくなりました。しかし、この時代の木と石でできた建物を見ると、柱の上下部を意図的に削り取りとったフォルム(エンタシス)が見て取れます。

 シンプルな中にも工夫が施され、エレガンスな表現が試みられています。大げさではない工夫は、プロポーションの美しさと機能を備えてすばらしいデザインセンスといえます。 ※日本のタンスの蹴込みに通じるところがあります。

               『法隆寺のエンタシス』

  ギリシャの最初の彫刻家は、エジプトを手本に彫像をつくりましたが、その彫像は人体区分(黄金対比)を吟味しながらつくられた彫像でした。  ※エジプトの彫像は硬直したものが多く、ぎこちなさをぬぐいきれないものでした。

  時代背景としては、エジプト人は知識と表現が手に手を取っていたといえます。よっ

  て、「全て見せなければならない」という厳格なルールに則ったアートでした。

後に、ギリシャ人は観察力を重視し、古めかしいルールを破ることになります。 「全て見せる必要はない」という概念が美術革命を起こします。


              『サモトラケのニケ』      

               『ミロのヴィーナス』

                『ラオコーン』


■ギリシャでは、科学、哲学、数学、あらゆる事に対して前向きに考える人々が登場

                『哲学者ソクラテス』


             ソクラテスの弟子『哲学者プラトン』


 プラトンの弟子、アレクサンドロス3世の家庭教師、『万学の祖 アリストテレス』


              『数学者・哲学者ピタゴラス』

⑧ ギリシャ神話の神々は、限りなく人間に近い存在であり人間と同様、長所短所を持っていました。


【古代美術】古代ギリシャ:紀元前500年~

「ギリシャ文化とギリシャ美術Ⅱ」 ソクラテス曰く「精神がどのように人間の人体の動きに影響するか課題である」

① 「美の追求」を積極的に始める。 ・ 洗練された肉体(筋肉、骨、柔らかい肌)滑らかで、艶と張りのある彫像が多くつくられました。彫刻家は空間と動きを100%理解できるようになりました。

            『ディスコボロス:円盤投げ』

②都市国家であるアテネは栄え、パルテノン宮殿のような古典建築が誕生。 ・アテネの最盛期を築き上げたペリクレスは、30年間もの平和を保ち、パルテノン神殿の建立を実現しました。 ③その中には多くの彫刻、レリーフなどが飾られた。 ・それらが切っ掛けとなり、たくさんの彫像が注文されることになります。 ④彫刻やレリーフのモチーフは躍動感溢れるギリシャの神々やオリンピアの勝利者などだった。 ・当時の彫像は顏に表情をつけることはありませんでした。普遍的な顏が神に一番近いとされていました。感情は身体で見せる(人間の魂を表している)ものと思われていたので、アクションが伴った彫像が多く見られました。その多くは、オリンピックの聖地オリンピアで台座のみというかたちで近代に発掘されています。当時オリンピックは良家の人たちだけが出場でき、勝者は神に引き立てられた人、勝利の暁には自分の彫像をつくってもらうことができました。 ・その中には、吟遊詩人ホメロスが書いた作品がモチーフになっているものも数多くあります。ギリシャの神々は、人間のたくましさを持ちながらも、愚かさも持ちえている存在でした。そして、神であっても、人間同様、運命に左右されるのでした。 例:ローマ神話の酒神 バッカス よって、それら彫像には人間の感じるペーソスが表現されています。プラトンら多くの哲学者がこの地に集まり、思想会派も生まれます。 ⑦ その後、ギリシャは多くの戦争を繰り返すが西洋美術の基礎となるこの地の芸術は人々の精神の中に絶えず生き続けた。

              『パルテノン神殿内部』


            『パルテノン神殿内部 復元』


【古代美術】マケドニアの支配:紀元前200年頃~


「ローマ帝国の繁栄から衰退まで」 ①ギリシャはアレクサンドロス大王アは、アや北アフリカにおける類を見ない戦役 (東方遠征)に費やし、30歳までにギリシャからインド北西にまたがる大帝国を建設しました。

 マケドニアの若き王、アレクサンドロスは、ペルシア遠征の前に身の周りのすべてのものを友人に分け与えた。 「これじゃ、あなたには何も残らないじゃないか」 と心配した友人に 「私には未来がある」 と答えた。


   「アレクサンドロス王の先生は ギリシア人の大哲学者アリストテレス」  王に招かれたアリストテレスが「家庭教師」となります。弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えました。都ペラから離れた「ミエザの学園」で、紀元前340年までアレクサンドロスとその学友を教えました。こうして、王と共にギリシアの基礎的な教養を身につけた「学友」たちは、のちに大王を支える将軍となっていきました。大王の要請でアリストテレスは『王道論』と『植民論』を書き送りました。 アリストテレスは、古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンと共に、しばしば「西洋」最大の哲学者の住人と見做され、又その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。イスラーム哲学や中世スコラ学に多大な影響を与えた。そればかりではなく、東方遠征により、小アジア、エジプト、そしてインドまで領土を広げていきます。これがギリシャ文化に偉大な影響を与えることになります。何故ならば、制覇した幅広い地域にへレニズム文化を広めていくことになるからです。 アレクサンドロス大王の東方遠征によって東方の地域に伝播したギリシア文化が、オリエント文化と融合して誕生した文化を指してヘレニズム文化と称する場合がある。ヘレニズム(Hellenism)とは、ギリシア人(ヘレネス)に由来する語。その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス大王(在位前336年 - 前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。 これによって、ギリシャ美術は一大帝国の美術に発展します。文化的にはギリシャに制覇されてしまうことになります。ヘレニズム彫像はギリシャ初期彫像と違い、ゴージャスで強烈、熱烈、激しい彫刻といえます。 例:ラオコーン

ギリシア神話でのラオコーンは、槍を投げつけることによってトロイの木馬がギリシア軍の計略であることを暴露しようとした後に殺される。女神アテナによって遣わされた 海蛇がラオコーンを襲ったことによりトロイ人たちが、この木馬が聖なるものであると信じ込んだためである。 ラオコーンとふたりの息子が海蛇に締めつけられる様子はあがきながら生死をさまようすざましい姿である ローマは、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始り、領土を拡大して地中海の全域を支配する世界帝国になった国家です。 ローマのアーティストは主にギリシャ人でした。 ギリシャ人には軍事力がありましたが、小さな都市国家間のこぜり合いが多く、軍事的、政治的にも統一をはかることができませんでした。 よって、組織的なローマ人に制覇されていくことになります。 聖職者の代わりに哲学者が誕生。その存在はギリシャの発展に大きく結びついていきます。 ※哲学者とは、宗教と科学の狭間にある者で、宣教者でもあり科学者でもある また、ギリシャ人は厳格なルールに縛られない自由な人種だったので多くの発展が見られたともいえます。 ルールはあるもののその中にも限りなく自由があります。 これがその後のアーティストに大きな影響を与えることになります。 シアター(演劇活動)が始まるのもこの時代です。


■古代ギリシャ 美の定義(赤像様式陶器):紀元前8世紀

心身の動揺を伴うような強い感動を与えるものを”絶対的な美の基本”とした

紀元前2千4百年: 大哲学者ソクラテス、アクロポリス。

エジプト文明は地中海を渡り、クレタ島からギリシャ都市国家に影響していきました。 古代ギリシャ人は、アートを 「熟練した洞察力と直感を用いた美的な成り行き」と定義しました。 古代ギリシャの哲学者とは、宗教と科学の狭間にある者で宣教者でもあり科学者でもありました。 また、ギリシャ人は厳格なルールに縛られない自由な人種だったのです。 ルールはあるもののその中にも限りなく自由があり、 そんな思考が後世のクリエイターたちに大きな影響を与えたのです。 古代ギリシャの絶対的な美の基本 心身の動揺を伴うような強い感動【emotion】をどれくらい与えられるかにありました。 その頃はアートといった学術的な縛りはなく、教育や学問の目的が共通して人類に【emotion】を与えることだったといえます。 人の心を動かす本質を真剣に考えていたのです。 古代ギリシャ人は『絶対的な美』について、 見るものをどれくらい感動させられるか、という点にあると考えた結果、ギリシャの芸術作品は完璧な美を備えている神々の姿をとった彫刻が多くつくられたのです。そんなギリシャ彫刻は、顔の表情があまりありません。これは古代ギリシャ人の『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくものです。 日本でも平安貴族と鎌倉武士それぞれの考えの違いで彫刻の表情が全く違います。どの時代もアートは、人の考え、思いを伝えているのです。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスの弟子はプラトン、 プラトンの弟子はアリストテレス。 アリストテレスはアレクサンドロス大王の家庭教師でした。

弟子を集めてエロスを追求していたソクラテスは、自分の哲学を著作しなかったのでプラトンが書き残しました。


■アートは、ヨーロッパやアメリカで育った概念

「art」を翻訳するために日本が生み出した言葉「芸術」

「art」=「リベラル・アーツ」の意味

リベラル・アーツとは「すべての人に必要とされた学問」                                     「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本」


【リベラル・アーツの7つの科目】

[ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持つ] 文法学: 言葉を正しく使う方法を学ぶ 修辞学: 他人を論破する方法(弁論術、雄弁術、説得術)を学ぶ 論理学: 思考のつながりを明確にする方法を学ぶ 算術 : 計算方法を学ぶ 幾何 : 図形や空間の性質について学ぶ 天文学: 宇宙の性質や法則を学ぶ 音楽 : 音の性質や理論を学ぶ




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