コミュニティーの援助力
新興住宅街のように歴史もなく、地域に根付いた風習、いわゆる祭りなどがない都会の街にはコミュニティーが生まれにくい。
コミュニティーは助け合いの中から起こるもので、無理やりつくるものではない。経済的に安定していると助け合いどころか、隣人とのコミュニケーションさえもわずらわしく感じる人が増えている。
歴史もあって大きな”祭”が伝承されていたとしても、そこの住民が経済的に潤っていると祭本来の想いや目的が御座なりになり、ただ娯楽として楽しむイベントになり”助け合いの象徴”ではなくなる。
今は、ものの豊かさを求めたコミュニティーではなく。心の貧しさを援助し合うコミュニティーが必要なのかな?と感じた。
多様性を認めて援助し合うコミュニティーでのリーダーシップ
隣に住んでいる高齢のおばあちゃんとは親戚のような関係ができている。そのおばあちゃんは、我が家だけではなく常に近所の方たちのことを気遣い、話を聞いてあげたり、時には得意でないことは頼ってきたりして、ご家族の方からも近所でも慕われている。
このおばあちゃんにはリーダーシップが身についている。
『民衆を導く自由の女神』1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ
実はそういったリーダーシップ力を持っている方が、隣人の中に数名いて、その時々でリーダー的立場が入れ替わりながら近所の問題を対処している。
独りのリーダーの存在より、リーダーシップをとれる人がたくさんいた方がみんなが協力的になり納得した生活を送れるから幸せになれる。
そんな隣のおばあちゃんを赤ん坊の頃から慕っている小学生の息子に
「リーダー、リーダーシップって、どういうものだと考えている?」と聞いてみたら
「みんなの意見を聞ける人」と答えてくれた。
まずは、意見の違うそれぞれの考え方を否定しない。よく聞いて理解した上で、みんなが気付いていない情報を投げ入れて現状の要因はなんであるかを問題提起して、みんなに具体的な意識をもって見直し考える機会を与える力が必要。
それから何を優先すべきなのかを判断し、その解決のために意見の違うそれぞれが納得できるように根気強く説得し実現できる力。
そんなリーダーシップをとれる存在が一人のリーダーではなく、組織の随所に存在していくように育て任せていける環境をみんなで作っていく必要がある。
援助力で成長していく文化的社会
再び息子に「こういったことを学校で先生が話したり、みんなで考えたりしてる?」と聞くと「そんなことを話し合うことはない。」と返答された。
「学んだことをテストされ、決められた内容に答えていくことも重要だけど、何が問題なのかを発見して、答えのない解決策を考えることは大切なんだよ。」と話し、
「自分の考え方や判断力を持つためには、的確な情報を捉える力が必要で、そのためには五感(感覚)を磨く必要がある。世の中のものはほとんどコピー&ペーストだから、実際に自分で触れて、観て聴いたり味わったりして実感した情報を捉えていかないと作為的な情報にすぐにだまされてしまう。」
「好きなことをたくさんやることで感覚が磨けるから、学校で与えられることだけではなく、自分がやりたいことを見付けて楽しむことも大切だから、よく学んでよく遊んでね。」と話すと
「分かった。」と答えて、早速、何かをごそごそ始めだした。勉強をしているのか何をしているのかわわからないが、何かを集中してやっているようだ。
そんな息子の将来のためにも、多様な才能を認め合い、お互いのそれぞれ違う能力で援助し合う「競争ではなく協同で成長していく社会」になっていけるように文化で社会貢献していきたいと考えている。
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