top of page

アートシンキング  文化的な生き方は他人に左右されない

  • Writer: 聖二 文田
    聖二 文田
  • Aug 25, 2024
  • 11 min read



「自分らしさ」とは、固定された概念ではなく、時代や社会の流れに応じて変化し、多様な選択肢が存在するものである。坂本龍馬が「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある」と語ったように、自己を表現する方法や生き方は無限にある。

芸術家たちは、いつの時代もその時代背景とともに新たな価値を創造し、社会に変革をもたらしてきた。彼らは、自らの感性を信じ、他者に流されずに自分だけの道を歩んできたのである。



創造性の力


創造性は、芸術家や一部の特別な人々だけに必要なものではなく、すべての人々にとって重要な資質である。例えば、江戸時代の浮世絵師たちが、日常の中に美を見出し、それを作品に昇華させたように、私たちも日々の生活の中で創造性を発揮することで、日常を特別なものに変えることができる。日本の浮世絵や俳句は、まさにそうした日常の中に潜む美を捉えたものであり、それは現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれる。



気づきと自己表現


「見えないものが見えるようになる」という若冲の「群鶏図」や、ルドンの幻想的な作品は、表面的な現実の向こう側にある真実を捉える力を示している。このような「気づき」は、芸術を通して培われ、私たちの日常生活や仕事にも大きな影響を与える。


ree

『群鶏図』 宝暦11年(1761年)-明和2年(1765年)頃 伊藤若冲


ree

『花瓶の花』1912年-1914年 オディロン・ルドン



レオナルド・ダ・ヴィンチが「凡庸な人間は注意散漫に眺め、感じることもなく触れ、味わうことなく食べている」と嘆いたように、私たちは日常の中で多くのことを見逃している。しかし、意識的に「よく観る」ことで、世界の見え方が大きく変わり、豊かな感性を持つことができる。


ree

トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 1515年頃)




日本文化とその独自性


西洋の文化が「絵で埋める」傾向があるのに対し、日本の文化は「余白を活かす」という美意識を持っている。これは、日本人の精神性や自然観が反映されたものであり、シンプルでありながら深い意味を持つ作品が多い。尾形光琳の「紅白梅図屏風」や、広重の浮世絵などは、その代表的な例である。

日本人は、自然の一部として自分を位置づけ、そこから感動や癒しを得る文化を発展させてきた。このような美意識は、現代の日本アニメや漫画にも受け継がれており、世界中で愛される理由の一つとなっている。


ree

『紅白梅図屏風』 尾形光琳


ree

『名所江戸百景 亀戸梅屋敷 のぞき見る』1857年 歌川広重




自分らしさと繋がり


現代社会において、個人のアイデンティティを保つことはますます難しくなっているが、それでも「繋がり」を意識することが安心感や希望に繋がる。

幕末の志士たちがそれぞれの信念に従い行動したように、私たちも自分のスタイルを持ち、他者との関係の中で自己を表現していくことが重要である。


ree

坂本龍馬



坂東玉三郎が「お客様に生きていてよかったと思っていただくこと」を目的としているように、私たちも他者との繋がりの中で、自分らしさを発揮し続けることが求められている。


ree

坂東玉三郎




文化の力


文化は贅沢ではなく、生きるために必要不可欠なものである。文化的な活動が途絶えると、社会は閉塞感に覆われてしまう。日本が持つ豊かな文化を守り、育てていくことが、私たちの未来を豊かにする鍵である。

幕末の志士や、江戸時代の浮世絵師たちがそうであったように、現代の私たちも文化を通じて自分らしさを見つけ、他者との繋がりを大切にしながら生きていくことが求められている。




道は百も千も万もある :「自分らしさ」  


「自分らしさ」という言葉は、時代を超えて人々の心に響き続けるテーマである。これを一つの形に固定することはできない。それは、まるで流れる川のように、社会の変化とともにその形を変え、私たちの選択肢を広げ続けるからだ。

幕末の志士、坂本龍馬はかつて「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある」と語った。彼が見据えた未来には、無限の可能性が広がっていた。私たちが生きる現代においても、その言葉は色あせることなく、自己を表現する無数の方法が存在している。


歴史を振り返れば、芸術家たちは常に時代の風を感じ取り、その感性によって新たな価値を創り出してきた。彼らは時に風変わりな存在と見なされながらも、他者に流されることなく、自らの道を貫いた。浮世絵師たちは、日常の中に潜む美を掘り起こし、それを一枚の紙に凝縮させた。彼らの作品は、当時の人々にとっての鏡であり、現代に生きる私たちにも多くの示唆を与えている。


明治維新以降、日本社会は西洋文化を取り入れながらも、日本固有の文化を守り育んできた。この「和魂洋才」の精神は、現代にも息づいており、私たちが日々の生活の中で自分らしさを見つけ、育むための礎となっている。生活を芸術として捉え、日常の一瞬一瞬を楽しむことが、人生をより豊かにし、意味深いものへと変える。

創造性は、芸術家だけに与えられた特権ではない。それは、私たち全ての人々に内在する力であり、日常の中で発揮することができるものだ。江戸時代の俳人や画家たちが、日常の中に美を見出し、それを作品に昇華させたように、私たちも日々の生活の中で創造性を発揮することで、特別なものへと変えていくことができる。


日本の文化には、自然との調和や「余白」を尊ぶ美意識が息づいている。西洋の文化が「全てを埋め尽くす」傾向があるのに対し、日本の文化は「空間を活かす」ことで深い意味を持たせている。尾形光琳の「紅白梅図屏風」や、広重の浮世絵などは、その象徴的な例であり、これらの作品は現代の日本アニメや漫画にも通じる独自の感性を反映している。

私たちが現代社会で「自分らしさ」を保つことは容易ではないが、他者との「繋がり」を意識することで、心の安定と希望を見出すことができる。幕末の志士たちが信念に従って行動したように、私たちもまた、自分のスタイルを持ち、他者との関係の中で自己を表現していくことが求められている。

 

文化は、単なる贅沢品ではなく、生きるために不可欠なものである。もし文化が失われれば、社会は無味乾燥なものとなってしまう。私たちが日本の豊かな文化を守り、次世代へと受け継いでいくことは、未来を豊かにする鍵である。坂本龍馬や江戸時代の芸術家たちが示したように、私たちもまた、文化を通じて「自分らしさ」を見つけ、他者との繋がりを大切にしながら歩んでいくことが大切なのである。



日常に宿る奇跡


私たちの周りには、気づかないだけで無数の奇跡が存在している。それは、妻が愛情を込めて作る一皿の料理かもしれない。あるいは、窓から差し込む一筋の光の中でくつろぐペットの姿かもしれない。

ree
ree

   これらの日常の風景を丁寧に記録し、心に留めることで、私たちの人生は豊かになっていく。それは、江戸時代の人々が浮世絵に日常の風情を見出したように、現代を生きる私たちにも可能なことなのだ。



自分らしさへの道


坂本龍馬が説いた「万の道」は、今も私たちの前に広がっている。それは、自分らしさを見つけ、自由に生きることへの招待状だ。

芸術家たちが示してきたように、生き方に正解はない。大切なのは、自分の心に正直に、自分だけの道を歩むことだ。そうすることで、私たちは真の意味で「生きていてよかった」と思える人生を手に入れることができるのだ。


ree

日本の文化が育んできた「自分らしさ」への尊重。それは、混沌とした現代社会においてこそ、私たちを導く灯台となるだろう。


『open mind トンネル』 文田聖二
『open mind トンネル』 文田聖二


文化的な生き方は他人に左右されない


私たちが平凡な日常の中で自分らしく生きるためには、他人に左右されない独自の美意識を持つことが重要である。生活をアートとして捉え、日常を能動的に楽しむことで、人生はより生き生きとしたものになる。


明治維新以降の日本社会においても、個々人が西洋文化を受け入れつつも、日本固有の文化を守り育んできた。その結果、現代においても、独自の美意識が日本文化の中に息づいている。




正直に生きている人


歴史の波間に揺れる人々の魂を映し出す鏡、それがアートである。

時代を超えて人の心を揺さぶる自己表現の力は、まさに人類の叡智の結晶と言えよう。


ree

古来より、芸術家たちは己の内なる声に耳を傾け、それを形にすることで社会に問いかけてきた。


ree

『フランス・バニング・コック隊長の市警団』 1642年 レンブラント・ファン・レイン



レンブラントの筆が描き出す光と影の交錯は、17世紀オランダの栄華と苦悩を雄弁に物語る。


一方、江戸の粋を体現した歌麿の浮世絵は、庶民の哀歓を繊細な線で紡ぎ出した。


ree

『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿



時代は移り変わっても、真摯に生きる人間の姿は常に人々の心を打つ。

それは西洋と東洋、古今東西を問わない普遍の真理である。


ree

『緑の筋のあるマティス夫人の肖像』1905年アンリ・マティス



マティスの大胆な色彩が放つ生命力、若冲の緻密な筆致が織りなす幻想世界。

これらは単なる視覚的快楽を超え、見る者の魂を揺さぶるのだ。


ree

『群鶏図』 宝暦11年(1761年)-明和2年(1765年)頃 伊藤若冲



ピカソの『ゲルニカ』が戦争の悲惨さを雄弁に語り、ジョン・レノンの歌声が平和への希求を世界中に響かせたように、

アートは時に社会を変える力を持つ。

それは、己の内なる真実を赤裸々に表現する勇気から生まれるものだ。


ree

『ゲルニカ』1937年 パブロ・ピカソ



日本の文化では、謙虚さや遠慮が美徳とされてきた。しかし、グローバル化が進む現代において、自己表現の重要性は増している。


ree

落語家 立川談志



立川談志が説いたように、「正直に生きている人は面白い」のだ。

自らの内なる声に忠実であることこそが、真の自己表現への道となる。


アートは、時代の空気を敏感に感じ取り、それを形にする。

それは時に挑発的で、時に慰めとなる。

しかし、その本質は常に変わらない。人間の魂の叫びを、美しく、力強く、

そして永遠に響かせ続けることだ。


我々一人一人が、自らの内なる芸術家の声に耳を傾けるとき、

そこに新たな歴史が生まれる。

アートの民主化とは、すなわち魂の解放である。それは、人類が手を取り合い、より豊かな未来へと歩みを進めるための、かけがえのない道標となるだろう。




覚醒する力


人も自然の一部であり、その繋がりを感じることは、私たちが持つ本能的な直感を研ぎ澄ますために重要です。

郷里 鹿児島での生活では、自然の力が至るところで感じられました。強烈な日差しが肌を焼き、台風の到来が生活を脅かし、桜島の噴火が大地を揺るがし噴煙が太陽を覆いみるみる暗くなっていくとき、私たちは自然の存在を強く意識せざるを得ません。


ree


自然の猛威を前にして私たちは無力であり、その中で生きることで、自然の力に畏敬の念を抱くようになるのです。


自然を感じながら生活している人々は、その感覚が鋭敏であり続けることが多いように思われます。それは、自然との共生が彼らにとって当たり前のものであり、自然の一部である自分たちがその中で生きることを常に意識しているからでしょう。

私たちもまた、自然から切り離された生活を送ることなく、その恩恵を日々の生活の中で感じ取ることができるはずです。東京の都会暮らしでは、遠くに見える富士山や高尾山、近所の公園でさえ、自然との繋がりを感じることができる場所です。


ree



脳の覚醒


「脳内革命」によってホモ・サピエンスは他の種族とは異なる道を歩み、生き残りを果たしました。『サピエンス全史』に記されているように、ホモ・サピエンスが劇的な進化を遂げたのは、単に火を扱い、道具を使うようになったからではありません。


彼らが持っていた"虚構"の力――すなわち、存在しないものを信じ、共有する能力が、脳の劇的な発達を促したのです。


ree


過酷な環境を生き抜くためには、家族単位ではなく、大きな集団で助け合う必要がありました。その集団をまとめるためには、共通の目標やルールが不可欠であり、それを支えるのが虚構による物語でした。



ree

ree

空想上の動物が描かれているショーヴェ洞窟の壁画


私たちの祖先は、自然の脅威から身を守るために知識と知恵を蓄積し、それを次の世代に伝えてきました。これらの物語が他の動物にはない脳の覚醒を引き起こし、私たちを今の姿へと導いたのです。




創造力とアートの力


創造力は私たちの生存に欠かせない能力です。実生活の中でこそ、その力は発揮され、日常をより豊かに、より深く感じさせてくれます。私たちがアートに触れることで、日常の中に潜む奇跡に気づくことができれば、その日常が非日常へと変わり、私たちの視座が広がり、世界の見え方が変わるのです。

例えば、クロマニョン人が描いたラスコー洞窟の壁画は、単なる狩猟の記録ではなく、命を繋ぐための祈りや信仰が込められたものであり、その創造力が彼らを氷河期から救ったのです。


ree

ラスコー洞窟の壁画




寄り添う自然


自然の中で生きる植物たちは、まさにその地の環境に適応しながら生き抜いてきました。強風に耐える草花や、高く伸びる木々、触れると閉じる葉、虫を引き寄せる花びらなど、その形態や機能はそれぞれの環境に応じて進化してきた結果です。


日本の「桜」やハワイの「プルメリア」が国を象徴する植物であるのも、各地の環境や季節がそれぞれに適した植物を生み出してきた証拠といえるでしょう。


ree

プルメリア


深い森の中で繁茂する植物たちは、一見すると無秩序に見えるかもしれませんが、実はそれぞれが微妙なバランスを保ちながら共生しています。冬に咲く花、日光を求めて伸びる木々、日陰でも生き延びるコケ類――これらの植物は、それぞれの特性を活かしながら与えられた環境に適応してきました。


ree

このようにして形成された森は、季節ごとに変わる草花が交代しながら、常に生命力に満ち溢れた美しさを私たちに見せてくれます。



自然に触れていると知覚(五感)が冴えてきます。知覚が磨かれるとあらゆる情報を敏感に感じ取ることができるようになります。季節の色や香りの変化に気づき、空や星が輝き出し、雨や夕暮れでさえ楽しめるようになっていきます。


私たちが自然の一部であり続ける限り、その創造力は絶えず私たちを進化させ、新たな可能性へと導いてくれることでしょう。

 
 
 

Comments


©2023 by 文田聖二 SEIJI FUMITA。Wix.com で作成されました。

bottom of page