「知りたがりの万能人」
レオナルド・ダ・ヴィンチは、凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆いていました。
1452年4月15日~1519年5月2日。イタリア、トスカーナのヴィンチ村生まれ。レオナルド・ダ・ヴィンチという名は「ヴィンチ村生まれのレオナルド」という意味。画家としての側面は、その多様な才能の一部に過ぎず、芸術から科学に至る幅広い分野で業績を残した。絵画作品は十数点といわれているが、多くの科学研究の手稿などを残している。
『トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルド自画像(1513年 1515年頃)』
「師匠を超えたダ・ヴィンチ」
1466年に、14歳だったダ・ヴィンチは、フィレンツェで最も優れた工房の1つを主宰していたアンドレア・デル・ヴェロッキオに弟子入りしました。芸術家列伝を著したジョルジョ・ヴァザーリによれば『キリストの洗礼』でヴェッロキオとダ・ヴィンチは共作し、ダ・ヴィンチはイエスの横に控える天使たちを担当したそうです。当時のダ・ヴィンチの技術は、ヴェロッキオが「二度と筆をとらない」というくらい高いものでした。
また20歳ほどで組合よりマスター(親方)の資格を与えられたことから、若くしてその才能は開花していたことがわかります。
『キリストの洗礼』 ヴェロッキオ
『キリストの洗礼(部分):左の天使がダ・ヴィンチ作』
「ダ・ヴィンチが編み出したトリック効果」
幅が9mもあるこの作品は、イタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂壁面に描かれました。依頼を受けたダ・ヴィンチは、ただ題材を描くのではなく、絵の中にトリックを仕掛けています。「一点透視図法」で描くことで、イエスと12人の使徒がまるで見る人と一緒に食事をしているかのように描いたの
です。
『最後の晩餐』1495-97年
レオナルド・ダ・ヴィンチ サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
一点透視図法は、消失点を1つ決めて、そこから放射線状に広げて空間を描く技法です。ではその消失点は絵のどこに設定されているのでしょうか。
答えはイエスの右のこめかみです。ダ・ヴィンチはイエスの右のこめかみに釘くぎを打ち、そこから糸を張ってテーブル、天井、床などを描きました。こめかみを消失点としたもう1つの理由に、イエスの顔のうしろの窓があります。窓の光が、放射線状にのびる天井や壁面の線の効果で、聖人の頭に描かれる光輪を感じさせることに成功しているのです
透視図法の効果で、イエスと12使徒が、修道院で食事をとる人々と同じ空間にいるように感じられる。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
「消失点が見つかるまでの絵画」
絵という平面的な世界の中で、現実と同じような立体感を表現するには透視図法ほうが必要です。では透視図法を使わずに描くと、どうなるのか見てみましょう。下に挙げた絵は、一点透視図法が編み出されていないルネサンス初期に描かれた祭壇画です。消失点が設定された絵と見比べると、空間に違和感を感じます。ダ・ヴィンチは当時の最先端科学であった消失点を研究した1 人であり、積極的にその技術を絵画に落とし込んだ画家なのです。
『聖三位一体、聖母、聖ヨハネ寄進者たち』1425-8年頃 マザッチョ
「モナ・リザは微笑んでいなかった!?」
”モナ・リザの微笑み”といえば誰だれもがイメージできるくらい有名な表情ですが、本当に微笑んでいるのかは研究者の間でも長年議論が続けられています。一見すると微笑んで見えるのですが、スフマート技法による頬や口角の微妙な凹凸の表現によって「笑ってないのに微笑んでいるように見せている」という説があります。ためしにモナ・リザの口の部分を隠して見てみてください。また、左右の目をそれぞれ隠したり、顔の半分を隠すとどうでしょうか。見える顔のパーツによって、モナ・リザの表情も変って見えるのではないでしょうか。生涯に渡り加筆をし続けた未完の作品といわれる『モナ・リザ』。見る者にとっても常に新しい作品に見えるのはそのせいかもしれません。
『モナ・リザ』1503 - 1505 1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
「アートはサイエンスであると考えた画家」
「自分の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」とダ・ヴィンチ自身が言葉を残したように絵画、彫刻、建築、土木、人体、科学技術などに通じ、多岐にわたる分野で足跡を残しています。そんな彼の研究の1つに人体解剖があります。
ダ・ヴィンチは、絵の対象となる生物の構造をしっかり理解することによって真実の美しさに近づけて描けると考えていました。実際に動物を解剖し、後に人体解剖に立ち会った彼は、自らも人体を解剖して得た知識で美術解剖学を始めたのです。「人をさまざまなポーズで描くためには、姿勢や運動をするために骨や筋肉がどのような動きをしているかの理解とつくりの知識が豊かであることが大切である。」と語り、極めて精密に描き記録した解剖図などを、芸術的な図とともに1万3000ページにおよぶノートに描いています。
彼にとって生物の構造や水の流れなど自然の摂理、つまり「サイエンス」を理解することは芸術を探求し美を創作していくことと同じだったのかもしれません。
『ウィトルウィウス的人体図』、1485年頃 ダ・ヴィンチ
『レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿』より
『子宮内の胎児が描かれた手稿』 1510年頃
レオナルド・ダ・ヴィンチ ロイヤル・コレクション(ウィンザー城)
『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ パルマ国立美術館
人は経験によって色の感じ方が違うことにゲーテは気づき
ダ・ヴィンチは老若男女の違いを解剖によって発見し、
画家コローは光の演出によって奥行を具体的に設定できることなどに気づくまで
庶民は何の疑問も持たずに日常のこととして見過ごしてきた。
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