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見えないものを、見る人――家族の記憶と、日本の美意識
《ロビンソンの庭》 文田聖二 朝、カーテンを開けると、 昨日までとは少し違う光が部屋に入ってきた。 秋が近づいている。 そう思ったのは、気温が何度下がったからでも、カレンダーを見たからでもない。 光の色が違ったのだ。 夏の光には、こちらへ押し寄せてくるような力がある。 けれど秋の光は、少し遠くからこちらを見ている。 私はしばらく窓辺に立っていた。 ベランダでは妻が花に水やりをしている。 ジョウロからこぼれる水が葉に当たり、小さな粒になって朝日に光った。 それだけの風景だった。 けれど、なぜだろう。 歳を重ねるほど、こういう何でもない光景を、私は何度も見つめるようになった。 若い頃なら見過ごしていただろう。 美しいものは、美術館の中にあると思っていた。 けれど今は違う。 人生の後半になって、ようやくわかってきた。 美しいものは、そこにあるのではない。 こちらが気づいたときに、初めて現れるのだ。 観るということ 日本語には、不思議な言葉がある。 「観察」。 観て、察する。 ただ「見る」のではない。 目の前にあるものをよく観て、その奥にあるものまで感じ
聖二 文田
1 日前読了時間: 11分


ブログ小説『創造革命――世界を変えるのは、小さな「気づき」から』
『法界無常 “everything is constantly changing” 2026』№10 休日の朝、 私は食卓でコーヒーを飲みながら、窓から差し込む光を見ていた。 東京郊外の、ごく普通の朝だった。 妻がベランダで花に水やりをしている。 息子たちは、それぞれの時間を過ごしている。 冷蔵庫が低い音を立て、遠くで車が走り、カーテンが風にわずかに揺れている。 歴史の教科書には、決して残らない朝である。 けれど 私は、こういう時間にこそ、人間にとって大切なものが隠れているような気がしてならない。 「ねえ、お父さん」 息子がふいに聞いた。 「どうして人間って、絵を描くんだろうね」 私はコーヒーカップを置いた。 いい質問だと思った。 そして、すぐには答えなかった。 窓から入ってきた光が、テーブルの上に四角い形をつくっている。 その光を見ながら、私は考えた。 ――人間は、なぜ絵を描くのだろう。 上手になるためだろうか。 美しいものをつくるためだろうか。 有名になるためだろうか。 いや。 もっとずっと昔から、人間は描いている。 美術館も、美術大学も、展
聖二 文田
10月1日読了時間: 11分


ブログ小説『新しい価値――まだ、この世界にないもの』
『異世界画 2026』№3 小さな食卓から始まる革命 「新しいものって、どうやって生まれるんだろうね」 夕食のあと、次男がふいに言った。 妻が食器を重ねる音がした。 長男はスマートフォンから目を上げ、 「誰もやったことがないことをやるんじゃない?」 と答えた。 私は少し考えてから言った。 「たぶんね。新しいものをつくろうとして生まれるんじゃないと思う」 「じゃあ、どうやって?」 「今まで当たり前だと思っていたものを、誰かが『本当にそうなのかな』って疑ったときじゃないかな」 窓の外には、いつもの東京の夜があった。 電車が走り、家々の窓に灯りがともり、どこかの家から夕食の匂いが漂ってくる。 歴史というものは、もっと遠い場所で起きていると思われがちだ。 王宮や戦場。 議会や研究所。 あるいは、天才たちのアトリエ。 けれど、 本当はそうではないのかもしれない。 世界を変える最初の一粒は、案外こんな食卓で生まれる。 「これって、本当にそうなのかな」 そんな、ひとりの人間の小さな違和感から。 洗濯船に集まった若者たち バトー・ラヴォワール 20世紀初頭のパリ
聖二 文田
9月30日読了時間: 12分
![ブログ小説[幸せは、見つけるものではなく、気づくもの]](https://static.wixstatic.com/media/4430ab_edb35f4c7b814b28be6279497a3b5c1c~mv2.jpg/v1/fill/w_333,h_250,fp_0.50_0.50,q_30,blur_30,enc_avif,quality_auto/4430ab_edb35f4c7b814b28be6279497a3b5c1c~mv2.webp)
![ブログ小説[幸せは、見つけるものではなく、気づくもの]](https://static.wixstatic.com/media/4430ab_edb35f4c7b814b28be6279497a3b5c1c~mv2.jpg/v1/fill/w_454,h_341,fp_0.50_0.50,q_90,enc_avif,quality_auto/4430ab_edb35f4c7b814b28be6279497a3b5c1c~mv2.webp)
ブログ小説[幸せは、見つけるものではなく、気づくもの]
『異世界画 2026』№2 朝、カーテンを開けると、 いつもの光が、いつもの部屋に入ってきた。 テーブルの上には、昨夜のまま置かれた鉛筆が一本。 飲みかけのコーヒー。息子が置き忘れた本。妻が水をやった小さな鉢植え。 どこにでもある朝だった。 けれど、私は思った。 もしかすると芸術というものは、美術館の中にあるのではなく、こういうところから始まるのではないだろうか、と。 人は「特別なもの」を探して生きている。 特別な才能。 特別な成功。 特別な出会い。 特別な幸福。 けれど芸術家は、ときどき逆のことをする。 誰も見なくなったものを、観る。 誰も立ち止まらなくなった場所で、立ち止まる。 そして、誰もが知っているはずのものの中から、誰もまだ気づいていないものを見つける。 それが、アート思考なのかもしれない。 「今日は、何色?」 《曜日の色:月曜日》 文田聖二 ある朝、まだ幼かった息子に聞いたことがある。 「今日の空、何色に見える?」 息子は窓の外を見た。 私は当然、 「青」 と答えると思っていた。 ところが彼は、しばらく考えて言った。 「白っぽい青と、
聖二 文田
9月29日読了時間: 9分


ブログ小説『なぜ?――違和感は、世界から届く小さな手紙』
『法界無常 “everything is constantly changing” 2026』№10 いつもの朝に、小さな「なぜ?」が落ちていた 朝、カーテンを開けると、光が部屋の床を斜めに横切っていた。 同じ窓。同じテーブル。同じ椅子。 何年も暮らしてきた家なのに、その日の光は少しだけ違って見えた。 「ねえ、なんで朝の光って、こんなにきれいなんだろうね」 妻が何気なく言った。 私はコーヒーカップを持ったまま、窓のほうを見た。 「なんでだろうね」 答えは、それだけだった。 けれど、私はその言葉が好きだ。 ――なぜだろう。 考えてみれば、私たちが何かを知ろうとするとき、たいてい最初に現れるのは答えではない。 小さな疑問である。 「なぜ?」 子どもが何度も口にする、あの言葉だ。 大人になるにつれて、私たちは「なぜ?」を言わなくなる。 知らないことを恥ずかしいと思うようになり、分からないことにも分かったような顔をする。 そして、いつの間にか世界を「そういうものだ」と片づけてしまう。 けれど芸術家という仕事を長く続けていると、むしろ逆なのではないかと思う
聖二 文田
9月28日読了時間: 10分


ブログ小説『変革の礎――世界を変えるのは、小さな「気づき」から』
『法界無常 “everything is constantly changing” 2026』№1 朝、カーテンを開けると、 昨日と同じ街があった。 東京郊外の住宅地。 向かいの家の屋根。電線に並ぶ鳥。道路を急ぐ自転車。遠くから聞こえる電車の音。 台所では妻が湯を沸かしている。 何も特別なことのない朝だった。 けれど私は、こういう朝が好きだ。 芸術家という仕事を長く続けていると、「特別なもの」を探すより、「普通のものの中にある特別なもの」を探すようになる。 光の角度。 湯気のかたち。 テーブルの傷。 家族の横顔。 昨日までは気にも留めなかったものが、ある日突然、美しく見える。 私は思う。 もしかすると、人間の歴史を変えてきたものも、最初はそんな小さな「気づき」だったのではないだろうか。 洗濯船から始まった革命 バトー・ラヴォワール 20世紀初頭のパリ、モンマルトル。 そこに「バトー・ラヴォワール」と呼ばれる古びた建物があった。 日本語にすれば「洗濯船」。 名前だけ聞けば洒落た芸術家村を想像するかもしれないが、実際の暮らしは決して優雅ではなかった。
聖二 文田
9月27日読了時間: 9分


ブログ小説『実現したいこと――人生は、まだ名前のない作品』
『法界無常 “everything is constantly changing” 2026』№18 「お父さんは、何をつくりたいの?」 ある休日の午後、息子が唐突に訊いた。 私は仕事机の前に座り、削りかけの鉛筆を握っていた。 窓の外では、洗濯物が風に揺れている。 妻がベランダでシャツを取り込み、台所からは湯の沸く小さな音が聞こえていた。 どこにでもある家族の休日だった。 「何をつくりたいって?」 「だから、絵とか、彫刻とか」 私は少し考えた。 画家なのだから、 「絵を描きたい」 と答えればいい。 けれど、その日はなぜか、その言葉が口から出てこなかった。 私は鉛筆を机に置いた。 そして言った。 「そうだなあ……面白いものを見つけたいかな」 息子は不思議そうな顔をした。 「それ、作品なの?」 私は笑った。 そのとき、台所にいた妻が言った。 「いいんじゃない。見つけたものを絵にすれば」 なるほど。 私は思った。 もしかすると、順番は逆なのかもしれない。 絵を描きたいから、何かを探すのではない。 何かを見つけてしまったから、それを誰かに伝えたくなって、
聖二 文田
9月27日読了時間: 10分


ブログ小説『美意識の基本――世界は、見ようとした人にだけ美しくなる』
『ふたり分』 文田聖二 朝、カーテンを開けると、 昨日までとは少し違う光が部屋に入っていた。 ほんの少し、秋の色をしていた。 光に色などあるはずがない、と昔の私は思っていた。 けれど、絵を描くようになってから、光にも季節があることを知った。 夏の光は、ものの輪郭を奪うほど強い。 冬の光は、低いところから静かに差し込み、椅子の脚や湯呑みや人の横顔に、長い影をつくる。 春の光は少し霞み、秋の光には、なぜか遠くを見るような透明感がある。 芸術家の家といっても、朝の風景は普通の家庭とたいして変わらない。 妻が台所に立ち、私はコーヒーを淹れる。 家族の誰かが脱ぎっぱなしにした靴下があり、テーブルには昨日の郵便物が置かれたままになっている。 芸術とはほど遠い。 けれど、私は思う。 もしかすると―― 美意識というものは、美術館ではなく、こういう場所から始まるのではないか。 0を1にする人 私は長いあいだ、学生たちに絵を教えてきた。 デッサンを教えると、多くの人は最初、 「どう描けば正解ですか」 と尋ねる。 鉛筆はどの角度で持つのか。 どこから描き始めるのか。
聖二 文田
9月24日読了時間: 10分


ブログ小説『想いは、届いたときに作品になる――想いの伝え方』
『法界無常 “everything is constantly changing” 2026』№2 夕方、仕事から帰って アトリエの扉を開けると、 窓から細長い光が差し込んでいた。 一日の終わりの光だった。 朝の光とは違う。 何かを始めさせる光ではなく、今日という一日を静かに包み込んで、「これでよかったのだ」と言ってくれるような光だった。 私はしばらく、電気をつけずにその光を眺めていた。 机の上には、描きかけのデッサン。 壁際には画集。 床には使いかけの鉛筆と、消しゴムの屑。 そして 少し離れたところに、家族の気配があった。 台所から食器の音がする。 妻が夕食の支度をしている。 息子たちがまだ幼かったころなら、ここに笑い声があり、兄弟喧嘩があり、「お父さん」と呼ぶ声があった。 子どもは大きくなる。 親も歳をとる。 けれど、不思議なことに、家というものには昔の声が残っている。 誰もいない廊下に、かつて走っていた小さな足音を思い出すことがある。 私はふと考えた。 人は、なぜ絵を描くのだろう。 上手に描くためだろうか。 美しいものを残すためだろうか。
聖二 文田
9月24日読了時間: 13分


ブログ小説『想いの可視化――まだ存在しないものを見る力』
『異世界画 2026』№1 「お父さん、絵って、描く前はどこにあるの?」 ある日の夕方、息子がそんなことを聞いた。 私は仕事机の上に散らばった鉛筆を集めながら、手を止めた。 窓の外では、一日を使い切った太陽が、東京郊外の家々の向こうへゆっくり沈んでいた。 台所からは、妻が夕食をつくる音がする。 包丁がまな板を叩く音。 鍋の蓋が小さく鳴る音。 テレビから聞こえてくるニュース。 兄弟が何かを言い合っている声。 どこの家にもある夕方だった。 けれど息子の問いだけが、その日常の中に、小さな穴を開けた。 「そうだなあ」 私は少し考えて答えた。 「まだ、どこにもないんじゃないかな」 「どこにも?」 「うん。でも、心の中にはある」 息子は怪訝そうな顔をした。 「それって、あるの? ないの?」 私は笑った。 「そこが面白いところなんだよ」 見えないものから、世界は始まる 人間は不思議な生き物だ。 まだ存在していないものを、先に見ることができる。 家を建てる人は、土地しかない場所に家を見る。 作曲家は、まだ一音も鳴っていない静寂の中に音楽を聴く。...
聖二 文田
9月23日読了時間: 10分


ブログ小説『らしさが魅力――誰かにならなくていい』
『法界無常 “everything is constantly changing” 2026』№11 らしさは、探すものではなく、すでにそこにある 「お父さんって、雲を見てる時間、長いよね」 ある日、息子にそう言われた。 窓の外には、夕方の雲が浮かんでいた。 東京の空は狭い。 ビルと電線と屋根のあいだから、空が切り取られている。 けれど、狭いからこそ、その向こうを想像することができる。 私は昔から雲を見るのが好きだった。 やさしい雲。 少し寂しい雲。 威張っている雲。 急いでいる雲。 台風の前の、何かを知っているような雲。 もちろん雲にそんな種類があるわけではない。 私が勝手にそう呼んでいるだけだ。 「今日は、かっこいい雲だな」 そう言うと、息子が笑った。 「雲に、かっこいいとかあるの?」 「あるんだよ。お父さんの中では」 そのとき、ふと思った。 ――これが「らしさ」というものなのかもしれない。 誰にも教えられていない。 役に立つかどうかも分からない。 褒められるためでもない。 それなのに、なぜかやってしまう。 気がつけば、ずっと続けている。..
聖二 文田
9月21日読了時間: 11分


ブログ小説『”好き”というパワー――人生を動かす、小さな火』
「お父さんって、どうしてそんなに絵が好きなの?」 ずいぶん昔、息子にそう聞かれたことがある。 私はすぐには答えられなかった。 アトリエの机には、描きかけの紙が何枚も重なっていた。 鉛筆、消しゴム、擦り減った色鉛筆。 窓から差し込む午後の光が、紙の端だけを白く照らしていた。 妻は台所で夕食の支度をしている。 もう一人の息子はリビングで何かをしている。 どこにでもある家族の夕方だった。 けれど、 息子のそのひと言だけが、小さな石を水面に落としたように、私の心の奥へ波紋を広げていった。 ――どうして、絵が好きなのだろう。 考えてみれば、不思議な問いである。 好きになることに、理由などあるのだろうか。 人は「役に立つから」という理由で夕焼けを好きになるわけではない。 「将来有利だから」と桜を眺めるわけでもない。 好きという感情は、いつも理屈より少し早くやってくる。 心が先に動き、理由はあとから追いかけてくる。 もしかすると、人生を動かしているものの多くは、そういうものなのかもしれない。 心の中には、まだ名前のない絵がある 私は机に置かれた一枚の紙を息子に
聖二 文田
9月19日読了時間: 10分


ブログ小説『自分を見失わない――見えている世界の、その向こう側へ』
朝、カーテンを開けると、 光が部屋の床を斜めに横切っていた。 妻が台所に立っている。 湯気の向こうで、包丁が小さな音を立てていた。 息子たちはそれぞれの場所で、それぞれの朝を始めている。 私はコーヒーカップを手にしたまま、その光景を眺めていた。 何十年も絵を描いてきた人間なのだから、普通の人より「観る」ということには慣れているつもりだった。 けれど、ふと思った。 私は、本当にこの風景を見ているのだろうか。 妻の横顔を。 息子たちの成長を。 窓から差し込む光を。 いつもの食卓を。 それとも私は、「いつもの朝」という名前をつけた瞬間に、見ることをやめてしまっているのだろうか。 人間は、不思議な生き物である。 目を開いているからといって、見えているとは限らない。 むしろ私たちは、自分が見たいと思ったものだけを拾い集めて、「これが世界だ」と信じながら暮らしているのかもしれない。 レオナルドは、なぜ人体を切り開いたのか 『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ パルマ国立美術館 500年以上前。 フィレンツェやミラノの夜の静けさの中で、ひ
聖二 文田
9月14日読了時間: 11分


ブログ小説『らしさに気づく――人生という名の自画像』
「あなたらしさって、何ですか」 そう聞かれたら、私は少し困る。 画家であることだろうか。 人に絵を教えることだろうか。 夫であることか。 二人の息子の父親であることか。 あるいは、鹿児島で生まれ、強い太陽の光や、台風の風や、桜島の噴煙を見ながら育った少年だったことだろうか。 考えてみれば、人は不思議なものである。 自分のことを、誰よりも長く見ているはずなのに、案外、自分のことを知らない。 鏡は毎朝、顔を映してくれる。 しかし、鏡の中には「自分らしさ」までは映らない。 自分という、いちばん近くて遠い人 ある休日の午後だった。 私はアトリエで昔のスケッチブックを整理していた。 紙には鉛筆の粉が残り、ページの端は少し黄ばんでいる。 若い頃のデッサン。 大切な人の何気ない姿。 旅先で描いた風景。 完成しなかった作品のアイデア。 上手いものもあれば、どうしてこんなものを描いたのだろうと思うものもある。 けれど、捨てられない。 隣の部屋から、妻と息子たちの話し声が聞こえてきた。 家族というものは面白い。 同じ家で暮らし、同じ食卓を囲んでいても、四人とも違う
聖二 文田
9月14日読了時間: 12分


ブログ小説『歴史に残らない幸福の記録――世界史には書かれない、小さな家族の物語』
幸福なページは、たいてい空白である 歴史というものは、ずいぶん騒がしい。 戦争が始まった日。王が即位した日。革命が起きた日。国境が変わった日。偉大な発明が生まれた日。 そういう日は、何年何月何日と記録される。 けれど、 家族四人で笑いながら夕飯を食べた日。 妻の料理が思いのほか美味しくて、みんなが少し食べすぎた夜。 子どもがくだらない冗談を言い、それを聞いた父親が吹き出した瞬間。 窓から射し込んだ午後の光が、いつもと違って美しかった朝。 そんな日は、歴史の教科書には載らない。 『記憶の記録 一緒が嬉しい 』文田聖二 哲学者ヘーゲルは、歴史の幸福なページは空白だという意味のことを書いた。 なるほど、と思う。 幸福は、歴史になりにくい。 幸福な人間は、その瞬間に忙しいからだ。 「いま、私は幸福である」 などと、わざわざ記録する暇もなく、 笑い、食べ、話し、眠り、 そして翌朝には、 「昨日は楽しかったな」 くらいの言葉に変わってしまう。 だから私は思うようになった。 歴史に残らないものこそ、残しておかなければならないのではないか。 私は芸術家である。.
聖二 文田
9月13日読了時間: 12分


ブログ小説『自分の流』――正直に生きる人は、なぜ面白いのか
お父さんって、どうして絵を描くの? 昔、息子にそんなことを聞かれたことがある。 私は少し考えてから、 「描きたいからかな」 と答えた。 あまりにも単純な答えだったので、息子は少し拍子抜けしたような顔をした。 けれど、今になって思う。 あの答えは、案外、間違っていなかったのかもしれない。 人は大人になるほど、「やりたいから、やる」ということが難しくなる。 これは仕事になるだろうか。 誰かに評価されるだろうか。 失敗したら恥ずかしくないだろうか。 そんな問いが、いつの間にか「やりたい」という気持ちの周囲に柵をつくってしまう。 けれど子どもは違う。 描きたいから描く。 歌いたいから歌う。 面白そうだからやってみる。 そこにはまだ、「他人からどう見えるか」という額縁がない。 考えてみれば、アートの原点とは、案外そこにあるのではないだろうか。 正直に生きている人は、面白い 私は長い間、絵を描き、絵を教え、たくさんの作品を見てきた。 上手な人にも会った。 器用な人にも会った。 驚くほど技術のある人にも会った。 けれど、いつまでも心に残るのは、不思議なことに「
聖二 文田
9月13日読了時間: 11分


ブログ小説『家族という、ひとつのアトリエ』
何度も思い出すこと 人間は、忘れることで生きていける。 けれど、ときどき不思議に思う。 何十年も前の、どうでもよさそうな一瞬だけが、なぜか消えない。 父の声。母の笑った顔。夕方の台所の匂い。子どもの寝る前の「おやすみなさい」。 人生を決めた大事件よりも、そんな小さな出来事のほうが、歳を重ねるほど鮮明になっていく。 記憶とは、過去を保存する倉庫ではないのかもしれない。 今の自分に必要なものを、遠い時間の中から何度でも取り出してくれる、心のアトリエなのだと思う。 心の世界 大学受験のため鹿児島を離れ、東京へ出た。 まだ携帯電話もメールもない時代、故郷の両親と僕をつないでいたのは、手紙と長距離電話だった。 小学生の頃の母は厳しかった。 しつけにも教育にも細かく、子どもの僕には、その厳しさばかりが見えていた。 ところが僕が大人になるにつれ、母は少しずつ丸くなっていった。 笑うことが増えた。 息子たちが家庭を持ってからも心配性だけは変わらなかったが、それも今なら分かる。 親というものは、子どもが何歳になっても、心のどこかでは「あの小さな子」のまま見ているの
聖二 文田
9月6日読了時間: 16分


人の能力を補完する道具
ヨーロッパでは現代までの二千年もの間、国家をつくって繁栄してきたバビロニア人やエジプト人、フェニキア人、ギリシア人、ローマ人、ガリア人、ゴート人といった民族は、領土を奪い合う中でほろび去り、あるいは他の民族と混血していきました。 ただその国家をくりかえし破滅されたユダヤ民族だけが、国から国へと追い立てられ、迫害されながらも、おそろしく長い時間を耐えぬき生き残った唯一の民族なのです。 ユダヤ人 ただ、死滅した生きものやほろんでしまった民族の生命力のあるDNAは、現代人に引き継がれ生き続けていると考えられます。 人は、他の生きものと同様に環境の変化や社会変動に順応して生きていくために必要な能力を補完するためにあらゆるものを造り続けてきました。 それこそ、文明や文化の発展や後退をくりかえしながら、人が造りだしてきたものが”アートとサイエンス”なのです。 古代エジプト シャプティ 古代ローマ 水道橋 紀元前2千4百年、エジプト文明が地中海を渡り、クレタ島からギリシア都市国家に影響していきました。ギリシア人は、アートを「熟練した洞察力と直感を用いた美的な成
聖二 文田
8月26日読了時間: 2分


生きるために人が造ってきたもの
あなたは、勉強が好きですか。人は、なぜ研究をするのでしょう。あなたは、何のために働くのですか。あなたにとって「学問」とは何ですか、あなたにとっての「仕事」とは何でしょう。 遠い昔、王に雇われる騎士や職人でも領土を借りて働く農民でもなく、自らの意志で生きはじめた大きな都市の市民には、「家柄、職業、宗教、国籍が問題なのではない。問題なのは、“おまえはいかなる人間か”といった新しい価値観」が生まれました。 19世紀、印象派の画家が描く絵に憧れて、パリ証券取引所の株式仲買人から画家に転職したポール・ゴーギャンは、大都会から南の楽園タヒチに飛び出し、名画『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』を最後に描き残しました。あなたは何者でしょう。 『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』1897-1898年 古代、エーゲ海に浮かぶ島々に都市国家をつくった民族、自由を好んだギリシア人の絶対的な美の基本は”emotion[心身の動揺を伴うような強い感動]”をどれくらい与えられるかにありました。その頃は
聖二 文田
8月24日読了時間: 2分


アートの化学反応
「当たり前」と「異物」が出会ったとき、世界は少し違って見えはじめる アートの歴史を振り返ってみると、新しい表現は、まったく何もない場所から突然生まれてきたわけではない。 むしろ、その反対である。 『レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿』より 『ひまわり』1888年8月、アルル フィンセント・ファン・ゴッホ 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重 『フーガ』1914年 ヴァシリ―・カンディンスキー 誰もが知っているもの。毎日のように目にしているもの。すでに存在している技術や文化。そして、ときには「これは芸術ではない」と考えられていたもの。 それらが、これまで出会わなかった何かと出会った瞬間、思いがけない反応を起こす。 『落穂拾い』1857年 ジャン=フランソワ・ミレー 『静物』1879-82年 ポール・セザンヌ 『リスニングルーム』1952年 ルネ・マグリット Dalton Ghetti 『赤い風船に手を伸ばす少女』 バンクシー 化学の実験で、二つの物質を混ぜ合わせた途端、色が変わり、熱が生まれ、まったく別の物質が現れるように。...
聖二 文田
8月23日読了時間: 10分
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