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人を育てるということ
人を育てるということは 自分がやってきたこと、成しえなかったことを任せるということで 任せるからには、その相手を信じる責任がある。 誰かに任せるということは 自分ができなかったこと、できなくなったことを 認めるということでもある。 だから、誰かに任せた後は それまで自分ができなかったこと、やっていなかったことを目的として、 新たに創めることが 自分にとっても任せた誰かにとっても 成長していける希望となる。 『鳥獣戯画絵巻』 無名の僧侶たちが80年間かけて庶民の生活を描いた。 「人を育てる」という営みには、歴史的背景と心理学的意義が深く刻まれています。 とくに、任せることや信じる責任、そして自分の限界や変化を認めるという点は、 現代の子育てや人材育成論にも共鳴します。 歴史的観点:継承と信頼 歴史を遡れば、家業や芸術、技術などを子どもや後継者に託す場面は無数にあります。その際、単に「やり方」を伝えるだけでなく、自分と違うやり方や新しい発想を認めていく柔軟さが鍵となりました。 江戸時代の職人社会や家督制度などでも、若い世代に任せるとき「一任する
sfumita7
2 日前読了時間: 3分


反復の効果
デッサン習得においても「反復して同じモチーフを描くこと」と「新しいモチーフへの挑戦」の両方が重要であり、その実践は歴史的な巨匠たちにも見られます。 例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロは繰り返し人体素描や石膏像の模写を行い、観察力と構造理解を徹底して磨き上げました。こうした継続的な反復は特徴や形態の把握を深め、絵の上達を実感できる鍵となります。 『人体スケッチ』 レオナルド・ダ・ヴィンチ 『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ 『人体スケッチ』 ミケランジェロ・ブオナローティ 『人体スケッチ』 ミケランジェロ・ブオナローティ 一方、ピカソやゴッホなども既存の題材を何度も繰り返す一方、新しい表現やモチーフへのチャレンジによって独自性を獲得しました。 『若きアルルカンの頭部』パブロ・ピカソ 『泣く女』 1937年 パブロ・ピカソ 『ひまわり』1888年8月、アルル フィンセント・ファン・ゴッホ 低『星月夜』1889年 6月、サン=レミ ファン ゴッホ ポール・セザンヌの「何を描くかではなくどう描くかが問題」という言葉
sfumita7
4 日前読了時間: 3分


夢を持つことができませんか?
人は、なぜわざわざ「描く」のでしょう。 色や形、音や言葉──それらは生きるうえで必ずしも必要ではありません。それでも何千年ものあいだ、人はアートをやめませんでした。 黒澤明監督 絵コンテ 「芸術」という日本語は、西洋のartを訳すために生まれた言葉です。けれど、もともとartは「リベラル・アーツ」、つまり「人が自由に生きるための知恵」を意味していました。 古代の学問には、文法、修辞、論理、算術、幾何、天文学、音楽という七つの柱がありました。それらは、言葉を使って考えること、世界の法則を見出すこと、人間らしく生きる術を学ぶこと。アートはもともと「飾る」ものではなく、「生きる力」そのものだったのです。 古代ギリシャ パルテノン神殿 デッサンとは、「手で考える」ということです。 指先が迷いながら紙をなぞるとき、頭の中で固まっていた景色が少しずつ形を変えていきます。描くことは、思考を整理する行為であり、同時に心をほぐす行為でもあります。まだ見ぬ未来を旅する前に、行き先を地図に記してみるようなもの。 レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿より...
sfumita7
11月16日読了時間: 3分


なぜ「創造性」を求められるのか
「創造性」という言葉を聞くと、才能のある人や天才的な芸術家を思い浮かべるかもしれません。でも実は、創造性は特別な人だけが持つ力ではありません。人が「考える」「感じる」「つくり出す」ことの根っこにある、誰もが生まれながらに持つ力なのです。 19世紀ヨーロッパの画家ドラクロワは、その力を絵筆で表そうとした一人でした。彼の代表作「民衆を導く自由の女神」は、ただの戦いの場面ではなく、人々の「自由になりたい」という意志そのものを描いた作品として知られています。派手な色使いや大胆な構図の中に、社会の叫びを表現したのです。当時の人々はその絵に、自分たちの希望を見たのです。 『民衆を導く自由の女神』 1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ このようにアートは、単なる「感性の表現」ではありません。その背後には、時代の流れ、社会の考え方、人々の生きる姿勢が強く影響しています。 例えばドラクロワの時代、ヨーロッパは産業革命によって大きく変わりつつありました。機械が人の仕事を奪い、工場では同じ作業を繰り返す労働者が増えていきました。時間は管理され、規律が重視され、やがて「個
sfumita7
11月10日読了時間: 4分


子どもはみんな芸術家──見るという行為の哲学
子どもが描く絵は、しばしば大人の基準から見て「拙い」と評される。にもかかわらず、それらには世界の本質を射抜くような力がある。線は震え、形は省略されていても、そこには確かな「見るという出来事」が刻まれている。 ピカソはこう言った。「子どもは誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」この言葉は、単に表現の自由さを讃えるだけではない。彼が問うているのは、人間がいかに世界と関わり続けるかという根源的な認識の問題である。 子どもの絵が自由なのは、技術の未熟ゆえではなく、見ることと描くことが分かたれていないからだ。見ることそのものが創造なのだ。 パブロ-ピカソ『ブタ』 見るとは「知る」ことではない 印象派の画家クロード・モネは、同じ睡蓮を何十枚も描き続けた。対象は同じでも、光は刻一刻と変わり、見るたびに新しい世界が現れる。モネにとって重要なのは、花でも池でもなく「見るという経験」そのものだった。絵画とは、その不断の体験の記録である。 ここでの「見る」は、「知る」とは異なる。知識としての理解は、対象を固定し、概念に還元してしまう。だが
sfumita7
11月9日読了時間: 3分


空間を描くことは、世界を感じること──遠近法・間・余白に宿る感性
絵を描くとき、私たちは無意識のうちに「空間」を描いています。山と空の距離、光の奥行き、人と人の間のぬくもり――それらをどう感じ、どう表すかが絵の印象を決めます。実はこの“空間の感じ方”こそ、文化や時代によって大きく違っているのです。 『長岡の花火』 山下清 一点透視図法と「見る私」 中学校の美術の時間に、遠近法で道や建物を描いたことがあるでしょう。線を引くと、すべての線が一点に集まり、まるで自分の視線が世界の中心にあるように見える。それがルネサンス以降、西洋絵画が見つけた「一点透視図法」です。 『最後の晩餐』1495-97年 レオナルド・ダ・ヴィンチ サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 この方法は、「世界をどう見るか」という哲学と深く結びついていました。自分という観察者の目を中心にして、すべてを整理・把握しようとする視点――いわば「私」が世界を理解するための秩序の目。遠近法の画面には、「見る私」と「見られる世界」という分かれ方がはっきり現れています。 西洋の絵は、科学や建築とも通じる「世界を構築する眼」の象徴でもあったのです。 東洋の空間、
sfumita7
11月9日読了時間: 3分


人を成長させる教育
【目配り・気配り・心配りの系譜】 江戸の町がまだ木と紙に覆われ、川面には版木の香りが揺れていたころ、浮世絵の工房はひとつの小さな社会をなしていた。版元は組織の要であり、絵師・彫師・摺師たちの力を束ねる舵取り役だった。だが彼らには、命令も説教もほとんどしない。職人というのは、言葉より背中を見て育つからだ。 版元が教えるのは技術ではない。もっと根にある「働くとは、何かを受け取り何かを渡すことだ」という哲学である。仕事は技より心で磨く。だから版元は、職人の日常の仕草――掃く、拭く、食卓を整える――その一つひとつに目を凝らした。そこに「どこまで丁寧に向き合おうとするか」という、美意識の深さが映るからだ。 『名所江戸百景 亀戸梅屋敷 のぞき見る』1857年 歌川広重 江戸という時代は「見立て」と「気づき」の文化であった。春画にも風俗画にも、どれほどの含意や気づかいが潜んでいることか。人の心に入り、なお軽やかにすれ違う、そんな繊細さこそが教養の本質だった。版元が職人に求めた「目配り」「気配り」「心配り」は、まさにこの教養を日々の労働の中で体現する修練だった。
sfumita7
10月25日読了時間: 2分


日本の美意識 ― 心という旅路
夜明け前の静けさの中、一筋の風が障子を震わせる。見えぬはずの風が、確かにそこに在ることを、耳と肌が告げている。日本人は遥か昔から、その“見えぬもの”を見える姿へと姿を変えてきた。 『紅白梅図屏風』 尾形光琳 『凱風快晴』 1832年 葛飾北斎...
聖二 文田
9月23日読了時間: 4分


日常を更新するアート
私たちはよく「芸術は世界を写すもの」と思いがちですが、実際はもう少し違います。芸術家はただ描いているのではなく、「人間はどう世界を見ているのか」を探っているのです。 わずかな光の揺れや、色が作り出すニュアンス。そうしたものを注意深く見つめることで、芸術家は感覚の奥に潜む秘密...
聖二 文田
9月23日読了時間: 3分


不快を快に転じることのできる文化
浮世絵の影響を受けたのは画家だけではありません。 音楽家ドビュッシーが1905年に発表した交響詩「海」の楽譜の表紙は 北斎を模したものでした。彼も自宅に多くの浮世絵を飾っていたとか 『富嶽三十六景-神奈川沖浪』 葛飾北斎...
聖二 文田
9月14日読了時間: 5分


日本文化と西洋文化の逆転
自然からの恵みである森や川を共有し、共存していた縄文人を日本人のルーツとして捉えた岡本太郎は、大阪万博で『太陽の塔』をデザインした。 渡来人が森を切り崩し田畑にし稲作が始まった弥生時代から大きな争いが始まった。 日本文化のルーツは縄文時代。 『太陽の塔』 岡本太郎....
聖二 文田
9月14日読了時間: 6分


日々を美しく仕立て直す
西洋と日本の美術と働き方の違いをめぐる議論は、単なる技法や習慣の対比ではありません。それは、文明がいかに人間の生き方を形づくり、どのように「働く」という普遍的な営みを彩ってきたかを映す大きな鏡なのです。 光と影、線と余白...
聖二 文田
9月11日読了時間: 5分


日本文化の特異性
「不快」を「快」に変える力 日本文化には、「不快」を「快」へと転換する力が根付いています。これはただ単に不快な状況を避けるのではなく、それを受け入れ、昇華させるというアプローチです。たとえば、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』に見られるように、風や雷という自然の荒々しさを美しい芸...
聖二 文田
9月6日読了時間: 5分


昭和ギャグマンガの思い出
戦争孤児の兄弟がいた。 生きていくために兄は必死で食べ物を探し回り、やっと手に入れたサツマイモを 歳の離れた幼い弟に「お兄ちゃんは食べたから、これは全部お前が食べていいよ。」 と渡す。 弟は、可愛がっていた子犬にサツマイモの半分を食べさせようとする。...
聖二 文田
9月3日読了時間: 1分


観察力は予測能力=知能
デッサンがうまくなる方法を考えると、多くの人は「線をきれいに引くこと」や「形を正確に写すこと」を思い浮かべます。しかし実は、それ以前に欠かせないものがあります。それが「見る力=観察力」です。 この「観察力」は、AIの世界で「予測能力」が知能とされるように、目に見えない裏側や...
聖二 文田
9月1日読了時間: 2分


光で学ぶアート魂
光で学ぶ アート技法とは、目の前のものをそっくりに写すためだけの方法ではありません。それは「自分が見た世界をどう感じ、どう表現するか」という技術です。 西洋の芸術では、光と影の対比を通して形の奥にある真実を追い求めてきました。光があれば必ず影が生まれる、そこに存在の確かさや...
聖二 文田
8月24日読了時間: 11分


アートとサイエンスの交差点から考える「表現の本質」
~創造のプロセスを読み解く8つの視点~ 【第一章】 『構図:テーマとモチーフを生かす』 アート作品において「構図」を考えることは、単なる見た目の美しさやバランスを追求するだけではありません。むしろ、構図は「何を伝えたいのか」というテーマを、どのような素材(モチーフ)を使っ...
聖二 文田
7月8日読了時間: 6分


美意識:美しい生き方、働き方
「歳を重ねて美しくなる人は、生き方がいい」 こんな生き方をする人は、美意識を磨いている。 どんな日も、ちょっとした気づきや発見が、心を押し上げてくれる。 些細な気づきで、美意識は磨かれる。 『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿 雨も風情に変える日本人。 西洋の画家を驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。 今、当たり前のものとしてみている、感じていることは先人が気づかせてくれた。 気がついていない画期的、革命的なことがまだある。 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重 顔の表情があまりないギリシャ彫刻 これは古代ギリシャ人の『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくもの。 日本でも平安貴族と鎌倉武士それぞれの考えの違いで彫刻の表情が全く違う。 どの時代も人の考え、思いを伝えている。 古代ギリシャ像 ヘルメス(頭部) 平安時代にピカチュウとケロロ軍曹 発見!! 二足歩行をする耳の先の黒いウサギとかえる。 1000年前の絵巻物につながる日本アニメは独自に発展した
sfumita7
6月9日読了時間: 28分


美しい生活と仕事をするための美意識Ⅱ
「歳を重ねて美しくなる人は、生き方がいい」 こんな生き方をする人は、美意識を磨いている。 どんな日も、ちょっとした気づきや発見が、心を癒し、元気をくれる。 些細な気づきで、美意識は磨かれる。 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重...
sfumita7
6月8日読了時間: 4分


美しい生活と仕事をするための美意識Ⅰ
「歳を重ねて美しくなる人は、生き方がいい」 こんな生き方をする人は、美意識を磨いている。 どんな日も、ちょっとした気づきや発見が、心を癒し、元気をくれる。 些細な気づきで、美意識は磨かれる。 『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー...
sfumita7
6月8日読了時間: 13分
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