創造思考
- 聖二 文田
- 1 日前
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更新日:9 時間前
絵師の遺伝子
画家と絵師
西洋絵画と日本絵画は、その根本的な思想や表現方法において、大きく異なる特徴を持っています。

『雪中虎図』 葛飾北斎
西洋絵画は「絵で埋める」文化が根強く、細部まで丹念に描きこまれることが多くあります。たとえば、ジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』(1851-52年)では、背景に描かれた草花には象徴的な意味が込められており、各要素が物語の深層にリンクしています。
”ヤナギは見捨てられた愛を、イラクサは苦悩を、ヒナギクは無垢を、パンジーは愛の虚しさを、そして首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折を、ケシの花は死を意味する”
このように、西洋絵画では、細部の描写が全体の物語や感情を深く伝える役割を果たしており、背景と前景が密接に関連しています。

『オフィーリア』 1851-52年 ジョン・エヴァレット・ミレー
一方、日本の絵画においては「余白」が重要な要素となります。日本人は「描くべきものだけを描き、あとは余白にする」という美意識を持ち、余白は空間の表現として、想像力や精神性を映し出す場として捉えられます。
江戸時代の円山応挙が描いた『氷図屏風』などは、余白の美しさが際立つ典型的な作品です。これは、後の日本の漫画やアニメのルーツにもつながる、シンプルでありながら情報を的確に伝える表現方法の基礎を築いています。

『氷図屏風』 円山応挙
日本の線描と西洋の写実
西洋画家は、ルネサンス以降、視覚をいかにして正確に描写するかを追求しました。特に写実主義の発展により、視覚情報を細部まで正確に描くことが芸術の一つの到達点とされました。
アルブレヒト・デューラーの『野うさぎ』(1502年)は、その代表的な例であり、毛の一本一本までが緻密に描写されています。

『野うさぎ』 1502年 アルブレヒト・デューラー
一方、日本では、情緒を重んじ、心で理解する情緒思考文化が栄えました。浮世絵はその代表で、視覚情報を簡略化し、記号として表現することで、瞬時に感情や状況を伝える力を持っています。
葛飾北斎の『富嶽三十六景-神奈川沖浪』は、シンプルな線描でありながら、見る者に強烈な印象を与えます。日本の線描は、物体の境界を示す線の位置や傾き、太さなどの要素が、視覚情報の入り口として強く訴えかける力を持っています。

『富嶽三十六景-神奈川沖浪』 葛飾北斎
自然と自己の境界
東洋においては、自然と自己の境界が曖昧であるとされ、人間だけでなく、山や海、空や雲、そして名もなき雑草や昆虫に至るまで、本気で向き合い描くことが求められました。


『北斎漫画』 葛飾北斎
これにより、主観と客観が一円相になることを理想とし、それを象徴的に表現することが重視されました。
日本の伝統的な絵画は、自然そのものを描くというよりも、自然を通して自己の精神や感情を表現する手段として発展してきたのです。

『一円相画賛』 仙厓和尚
オノマトペからの質感表現
日本語には豊富なオノマトペ(擬音語・擬態語)があり、その語彙の多様さは日本の文化に深く根付いています。オノマトペは、感触や音、状態、感情を表現する言葉であり、微妙なニュアンスを的確に伝えるために日常的に使われています。
特にマンガでは、オノマトペが質感表現に大きな役割を果たしており、文字そのものが視覚的なイメージを伝える手段となっています。
たとえば、「ふわふわ」と「キラキラ」は、それぞれ異なる質感を持つオノマトペであり、視覚的にもそれぞれのイメージが反映されています。


日本が伝える文化
平安時代の絵巻物や江戸時代の浮世絵は、情緒思考文化の象徴であり、その美しさは心を癒し、脳を休める効果があります。
西洋の画家たちを驚かせたのは、歌川広重の雨の表現です。広重が描いた『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』(1857年)は、線で雨を表現するという新しい発想を取り入れました。これは、当時の西洋には存在しなかった視覚表現であり、広重の絵が世界に与えた影響は計り知れません。

『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重
「草木国土悉皆成仏」という仏教思想は、日本の芸術や文化に深く根付いています。草や木、土や風に至るまで、すべてのものに仏が宿ると考えるこの思想は、日本のロボットや漫画のキャラクターたちに命を吹き込んでいます。
この考え方は、人間と同じように自然や無生物にも魂が宿るとする独特の世界観を生み出しました。

鉄腕アトム

『凱風快晴』 1832年 葛飾北斎

『長岡の花火』 山下清
このように、西洋と東洋の絵画はそれぞれ異なる発展を遂げてきましたが、その背後には文化や思想の違いが色濃く反映されています。
西洋の写実と東洋の情緒という二つの異なる美意識は、今日においても互いに影響を与え合いながら、それぞれの文化を豊かにしています。
楽しさの開放
子供は、遊びの天才。ドキドキワクワク感で生きている。毎日が、のめり込めることで溢れている。例えば、絵を描く時間も”楽しいこと”のひとつでした。
壁や地面に描いた絵、クレヨンで描いた夏休みの思い出、着てみたいドレスや試してみたい髪型の絵、絵ハガキ、友達や先生の似顔絵、教科書に描いたラクガキ……。子どものころを思い起こせば、ほとんどの人にとって絵は身近な存在だったと思います。
今、絵が苦手という人はいつから描くことが楽しくなくなったのでしょう。

『魚の魔術』 パウル・クレー
幼いころは、描く絵に「正解」を決めつけていなかったので、うまいもへたもなくワクワクして好きな色で自由自在に塗ったり線を描いたりしていました。
それが年頃になるにつれ、人によっては漫画やアニメのキャラクターを描き写したい欲求が出てきて、上手に描けるクラスの人気者と比べてしまい、絵を描く才能の有無を決めつけていったのではないでしょうか。
あるいは美術館や画集、美術の教科書などで写真のように描かれた写実絵画や個性的な名画に出会ったときに「自分には画家のような絵を描くことはできない」と思い込み、いつの間にか描く絵の「正解」を勝手に決めて「写真のようにうまく描き写せないから恥ずかしい」と絵を描くことを避けるようになっていった人も少なくないと思います。

『忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel)』1939年 パウル・クレー
大半の人が絵を描けないのではなくて、「描かなくなったから苦手だ」と思い込んでいるのです。絵に正解はありません。
誰かに評価されることや比較・競争をするためではなく、自分がワクワクできたり誰かが喜んでくれたりすればそれで良いのです。まずは絵を描きはじめることが大切です。
どんな目的であっても絵を楽しんで描く習慣がつけば、誰でも上達していくのです。
古代壁画や絵巻物に学ぶ 平面的な絵の技法
古代から絵を描くことは日常的に行われていました。たとえば紀元前3000年に始まった古代エジプト文明では、絵は神話や歴史を伝えるための重要な手段でした。

古代エジプトでは、絵は単なる装飾や表現だけでなく、社会的地位や宗教的意味を持つ象徴として描かれていました。身分の高い人ほど大きく描かれることで、その人の重要性が強調されました。これは、単なる芸術表現にとどまらず、当時の社会秩序や価値観を反映したものでした。
平面的な表現でありながらも、古代エジプトの壁画は、独自のスケールと配置により奥行きと迫力を感じさせる効果を生み出していました。
『源氏物語絵巻』と日本の絵巻物
平面的だけど奥行きが感じられる絵としては、日本の絵巻物も挙げられます。日本の絵巻物は、物語を視覚的に伝える手段として発展し、吹抜け屋台や空気遠近法など独自の技法を用いて、平面的な構図でありながらも深みと動きを表現していました。
これらの技法は、視覚的に物語の流れや感情を伝えることを目的としており、単なる静止画以上の意味を持っていました。

デッサンを学ぶと絵画鑑賞の楽しみ方も変わる
デッサンの基礎を学ぶことで、モチーフの観察が深まり、絵画の理解も深まります。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナ・リザ」をよく観察することで、キャンバスのサイズ、顔の表情の微妙な違い、背景の風景など、さまざまな視点からの新たな発見が得られます。

『モナ・リザ』1503 - 1505 1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチは、芸術家であると同時に自然科学者でもありました。
彼は、「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆き、感覚的知性を磨くことが、あらゆる楽しみの根底にあると提唱しました。
ダ・ヴィンチの言葉にもあるように、日常の中で五感を研ぎ澄ませることは、絵を描くことにも通じ、日常の中で見落としがちな美しさや細部に気づく力を養うことにつながります。
”自分らしさ”道は百も千も万もある
千の道、万の生き方
江戸の喧騒が近代へと移ろう幕末の世に、一人の志士が叫んだ。
「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。」
坂本龍馬のこの言葉は、時代を超えて今なお私たちの心に響く。それは、人生における無限の可能性と、自由な選択の大切さを説いているのだ。

坂本龍馬
日本の文化は、この多様性を尊重する精神を脈々と受け継いできた。江戸時代の浮世絵師・歌川広重が描いた『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』。

『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重
その雨の表現は、西洋の画家たちを驚かせた。線で雨を視覚化するという発想は、当時の西洋にはなかったのだ。この独創性こそが、日本文化の真髄である。
芸術が開く新たな扉
芸術は、私たちの目を開き、心を解放する力を持つ。尾形光琳の『紅白梅図屏風』や伊藤若冲の『群鶏図』を見れば、日常の中に潜む美しさや驚異に気づかされる。

『紅白梅図屏風』 尾形光琳

『群鶏図』 宝暦11年(1761年)-明和2年(1765年)頃 伊藤若冲
それは単なる絵画ではない。私たちの生き方そのものを変える力を秘めているのだ。現代の歌舞伎役者・坂東玉三郎は言う。「お客様に生きていてよかったと思っていただくこと」が芸の目的だと。この言葉は、芸術の本質を鋭く突いている。芸術は、人々の心に生きる喜びと勇気を与えるものなのだ。

日常に宿る奇跡
私たちの周りには、気づかないだけで無数の奇跡が存在している。それは、妻が愛情を込めて作る一皿の料理かもしれない。あるいは、窓から差し込む一筋の光の中でくつろぐペットの姿かもしれない。


これらの日常の風景を丁寧に記録し、心に留めることで、私たちの人生は豊かになっていく。それは、江戸時代の人々が浮世絵に日常の風情を見出したように、現代を生きる私たちにも可能なことなのだ。
自分らしさへの道
坂本龍馬が説いた「万の道」は、今も私たちの前に広がっている。それは、自分らしさを見つけ、自由に生きることへの招待状だ。
芸術家たちが示してきたように、生き方に正解はない。大切なのは、自分の心に正直に、自分だけの道を歩むことだ。そうすることで、私たちは真の意味で「生きていてよかった」と思える人生を手に入れることができるのだ。

日本の文化が育んできた「自分らしさ」への尊重。それは、混沌とした現代社会においてこそ、私たちを導く灯台となるだろう。
記憶の迷宮を探る
人間の記憶という不思議な迷宮。その奥深くに潜む真実を探る旅は、まるで霧に包まれた未知の大陸を探検するかのようだ。
我々の脳は、意識せずとも日々膨大な情報を記録し続けている。それは時に、思いもよらぬ瞬間に鮮やかによみがえる。

『記憶の神秘』 文田聖二
ある日、ふと目にした風景。耳に届いた何気ない会話の断片。指先で触れた質感。それらは無意識のうちに脳裏に刻まれ、やがて思い出という名の宝石となって輝き始める。我々の意識が捉えきれない世界を、脳は静かに、しかし確実に記録し続けているのだ。
この不思議な現象は、科学の粋を集めてもなお完全には解明されていない。しかし、芸術家たちは古来よりその神秘に魅了され、独自の方法でアプローチしてきた。絵画や音楽、文学といった創造的な営みは、まさに記憶との対話から生まれるものではないだろうか。
価値を変えていった”気づき”
最先端技術を駆使した空間
昔の作品は、古典って言われるけど、その当時は最先端の技術で制作されてたヒット作。 教会は、建築技術、ステンドグラス、フレスコ技法など その時代の最新技術を使い、庶民たちを空間的に圧倒し、神の存在を信じさせた。 今でいうアミューズメントパークや最先端技術を駆使した魅惑のイベント空間である。

『アヤ・ソフィア(内部)』
ただ反発しても結果は出せない
アートの暗黒時代”ビザンチン”。宗教のために美術が利用された時代から、人間本来の姿に関心を向けていった”ルネサンス”に繋げた画家ジョット・ディ・ボンドーネの功績は大きい。

『キリストの哀悼 The Mourning of Christ』 1305年 ジョット・ディ・ボンドーネ

『最後の審判』 ジョット・ディ・ボンドーネ
絵画技法の発展「描いた絵が大理石に代わるフレスコ画」
石灰と川砂を混ぜたモルタルが乾く前に描くので表面ににじみ出た石灰が被膜となり大理石化するので色が退色しにくくフレッシュ。 だから、語源はイタリア語の "fresco" (新しい、新鮮な)という意味。


ヴァチカン市国 システィーナ礼拝堂
どの色が使われているかで西洋絵画の読み解きができる
西洋の宗教絵画の色彩ルール
赤=慈愛・殉教・権力
黄=異端者・邪悪さ
白=純潔・無垢
黒=禁欲・死
緑=希望・恋
青=誠実さ・悲しみ
多色、縞=社会の規範を乱す者

『宗教画』
西洋絵画のルール
羊=純真・神への犠牲 鳩=清純さや犠牲の象徴・平和や愛を表わす
牛=生け贄・人類の犠牲となったイエスを象徴する
白鳥=音楽や愛を象徴
ユリ=聖母マリアの純潔を象徴する花
バラ=愛と美、聖母マリアの純潔の象徴
ブドウ=イエスの生命の象徴、血を表す
サクランボ=イエスの受難と聖餐(キリスト教の儀式:最後の晩餐など)を象徴
ドラゴン=災いをもたらす邪悪な存在。異教徒
兎=多産と色欲。聖母マリアの足元に描かれる時は色欲が純潔に打ち負かされることを示す。

『うさぎの聖母』1530年頃 ティツィアーノ
サイエンスの発達
14〜16世紀、ルネサンス。ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ。油絵具の誕生。活版印刷術、羅針盤、火薬の三大発明。コロンブス、マゼラン。

活版印刷術『グーデンベルグ聖書』

羅針盤

火薬
写実絵画の誕生と発展
写実絵画の発展において、デッサン技法とカメラ技術の発展は大きく影響しました。
デッサン [dessin:仏] とは、物体の形、明暗などを平面に描画する美術の制作技法、過程あるいは作品のこと。
語源(ラテン語 designare)は「デザイン」と同じで
” 計画を記号に表す、図案、設計図”といった意味をもつ。

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』 1499年 - 1500年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
カメラ・オブスキュラは、暗い部屋の中に小さな穴をあけ、外の景色を壁に逆さまに映し出す装置です。 光はまっすぐ進むため、穴を通った光だけが反対側の壁に届き、風景が反転して見えます。
これは現代のカメラの原理につながる、もっとも古い光学のしくみの一つです。 画家たちはこの投影された像を観察し、遠近感や形をつかむ手がかりにしました。
たとえばフェルメールのような写実的な画家と結びつけて語られることもあります。

『牛乳を注ぐ女』1658年 フェルメール
つまりカメラ・オブスキュラは、「見る」ことを助ける道具であり、カメラの祖先ともいえる存在です。 仕組みはシンプルですが、絵画、科学、写真の歴史に大きな影響を与えました。

カメラ・オブスキュラ
進化の証
芸術は常に時代を映す鏡であり、同時に未来を指し示す道標でもある。
人類の歴史において、芸術は常に私たちの想像力を刺激し、新たな世界への扉を開いてきた。そして今、私たちは再びその扉の前に立っている。

『死者の書』

ミケランジェロ『最後の審判』システィーナ礼拝堂
芸術は、時に社会の枠を超え、時代を先取りする。それは、産業革命後のイギリスでも同じだった。
新古典主義とロマン主義。二つの潮流が激しくぶつかり合い、その衝突から生まれた火花が、19世紀の芸術を照らし出した。

『グランド・オダリスク』 1814年 ドミニク・アングル
ダヴィッドやアングルの厳格な線と形。そしてドラクロワの情熱的な色彩。それらは単なる絵画の様式を超え、フランス革命後の新しい時代の精神を表現していたのだ。

『民衆を導く自由の女神』 1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ
『民衆を導く自由の女神』。この絵は単なる絵画ではない。それは自由と平等を求める人々の魂の叫びであり、新しい時代の幕開けを告げる預言でもあった。
19世紀末のパリ、モンマルトルの丘
そこには、芸術家たちの魂が宿る一つの建物があった。バトー・ラヴォワール、その名は「洗濯船」。

セーヌ川の洗濯船を思わせる、粗末で揺れる集合アトリエ。しかし、この場所こそが、20世紀の芸術を変革する天才たちの揺りかごとなったのだ。ピカソ、モディリアーニ、コクトー、シャガール。彼らは皆、貧しくとも情熱に満ちていた。

左からモディリアーニ、ピカソ、アンドレ・サルモン(1916年8月12日パリ)
そして、彼らの中に一人の異彩を放つ画家がいた。アンリ・ルソー、50歳を過ぎた税関吏。独学で絵を学び、その素朴で夢想的な作品は、当時の美術界では理解されなかった。
しかし、若き天才ピカソの目に留まったルソーの絵。たった5フランで購入されたその作品が、芸術の新たな地平を切り開く契機となったのだ。

『蛇使いの女(The Snake Charmer),』 1907年 アンリ・ルソー
バトー・ラヴォワールで、ピカソはルソーを称え、若い芸術家たちは彼を励ました。この小さな出来事が、やがて『アビニヨンの娘たち』を生み、キュビスムという革命を起こすのだ。

『アビニヨンの娘たち』1907年-1908年 パブロ・ピカソ
バトー・ラヴォワールの芸術家たちのように、既存の枠を超え、新たな表現を模索する時が来たのだ。なぜなら、芸術こそが人類の進化の証であり、未来への希望なのだから。
アートが必要とされる理由
どの時代にも人々は、慣習や固定観念に縛られ、息苦しさを感じてきました。その閉塞感が、新しい感覚や考え方を求める衝動となり、アートは時代を超えてその扉を開いてきたのです。

『民衆を導く自由の女神』 1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ
芸術は、単なる創造の果実ではなく、未来への解放感を次の世代に伝え続ける手段です。それは、過去と未来を繋ぐ架け橋となり、私たちの感性を目覚めさせてくれます。

『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿
江戸時代の日本、葛飾北斎の『富嶽三十六景-神奈川沖浪』に見られるように、自然の偉大さを画面に映し出すことで、見る者に深い感動を与えました。彼の作品に映し出される波は、ただの自然現象ではなく、時代の力に対する人間の挑戦と調和の象徴として、多くの共感を呼び起こしました。

『富嶽三十六景-神奈川沖浪』 葛飾北斎
歴史に名を刻む芸術家や発明家たちは、同じ社会、似たような条件に生きながらも、その中から新たな視点を見つけ出すことができた人々でした。

『キリストの哀悼 The Mourning of Christ』 1305年 ジョット・ディ・ボンドーネ
自然科学者であり発明家、芸術家でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチもまた、日常の中の「気づき」を大切にし、その小さな発見こそが偉大な創造の源であることを理解していました。彼は、ルネサンスという知識と芸術が交差する時代に、多分野にわたる研究を通じて、世界の見方を変える画期的な発想を生み出しました。

『モナ・リザ』1503 - 1505 1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
創造とは、ただ新しいものを生むだけではなく、既存のものを違った角度から捉える力です。例えば、フィンセント・ファン・ゴッホはアルルで『ひまわり』を描きながら、絵筆を通じて人々の心に迫ろうとしました。彼の作品は、技術よりもむしろ感情のほとばしりと、人間への深い愛情が滲み出ているのです。

『ひまわり』1888年8月 アルル フィンセント・ファン・ゴッホ
ルノワールの『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』もまた、家庭の温かさを描きながら、絵を通じて思いを伝えることの喜びを示しています。ここには技巧を超えた、人と人との心の触れ合いがあります。それは、言葉を超えた親切であり、アートが持つ最大の力です。

『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』1878年 ピエール=オーギュスト・ルノワール
アートや音楽、そして言葉は、私たちの心を自由にし、思い込みの鎖を解き放つためにあります。それは、人々が自分自身と他者をより深く理解し合い、自らの道を見つける手助けとなるのです。

『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳
文化交流がもたらすのは、競争や勝利ではなく、日常の中で本当に大切なものを見つける力です。どれだけ技術が進歩しても、最も高貴な喜びは心の触れ合いにあることを、アートは教えてくれます。

『紅白梅図屏風』 尾形光琳
アートに触れることは、特別な才能を必要とするのではなく、誰もが持つ創造力の芽を育むことです。それは、私たちの視点を変え、世界の見え方を変える力を持っています。
日常の中で見過ごされている奇跡に気づくことこそが、アートの本質であり、それによって私たちの世界は豊かさと喜びに満ちていくのです。

『風神雷神図屏風』 俵屋宗達
四万年のアートヒストリー:4万年前から古代美術まで
アートの歴史と人間の感覚的知性の関係について語ります。アートの役割や意義が時代とともにどのように変化し、またそれが人々の生活や文化にどのように影響を与えたかを明示します。
原始時代のアート:生と死の境界
アートの起源は、装飾や美を追求するものではなく、生き延びるための呪術的な儀式や宗教的信念に基づいていた。

「マンモスの牙を材料に作られた約4万年前の彫刻像です。ライオンの頭と人間の胴体を
あわせもつことから”ライオンマン”とよばれています。」
4万年前、ショーベ洞窟の壁画に描かれた動物たちは、ただの想像上の産物ではなく、狩猟の成功を祈る部族の生活そのものを象徴していた。

『空想上の動物が描かれているショーべェ洞窟の壁画』3万2千年前
この時代のアートは、「効く」ことが求められた。狩猟の対象となる動物を描いた壁画は、単なる美術作品ではなく、命を左右する儀式的な道具でもあった。例えば、フランスのラスコー洞窟に描かれた動物たちは、しばしば実際に槍で突かれており、それが儀式の一環であったと考えられている。

『ラスコー壁画』ラスコー洞窟 1万5千年前
この時代、アートは「祈り」や「保護」を目的とし、部族社会における生命の延長や共同体の繁栄を象徴していた。
古代エジプト:永遠を刻む
古代エジプトの美術は、永遠の生命や死後の世界との関わりが中心であった。

『古代エプト彫刻:彫刻家は「生かしつづける者」とも呼ばれた』
エジプト人は、現世と死後の世界を深く結びつけ、墓所の壁に「永遠の生命、健康、富」といった祈りを込めたメッセージを刻み込んだ。

彼らにとってアートは、来世での繁栄を確保するための重要な手段であり、神々との対話を可能にする媒介でもあった。

『死者の書』
このエジプト美術の思想は、後のユダヤ教やキリスト教の「最後の審判」などの宗教的概念に多大な影響を与え、宗教画や聖なる象徴としてのアートが誕生する基盤となった。
古代ギリシャ:美と調和の追求
ギリシャ時代に至ると、アートは単なる宗教的な儀式から、より人間の美的価値を追求するものへと変貌を遂げた。

『ミノアの数字の壁の壁画のフレスコ画クノッソス:レタ島ギリシャ』

『古代ギリシャ壺』
古代ギリシャの彫刻や絵画は、神々や理想の人間像を描き出し、「美とは何か?」という哲学的な問いに答える手段であった。

『古代ギリシャ彫刻』
ギリシャの芸術家たちは、完璧な人体表現や調和を目指し、数学的な比率やバランスを駆使して彫刻を制作した。この美の探求は、古代ギリシャの民主主義の発展とともに広がり、芸術が公共の場で共有され、社会的な影響力を持つものとなった。

『パルテノン神殿』
古代ローマ:統制と実用のアート
ローマ時代になると、アートはより実用的で社会的な統制の手段となった。ギリシャ美術を模倣しつつも、ローマの彫刻は現実の記録を重視し、帝国の統治者たちの威厳を誇示する手段として使われた。

『アウグストゥス帝』
特に土木建築や都市デザインは、ローマ帝国の拡大と密接に結びついており、アートは政治的支配と市民生活の象徴となった。

『古代ローマ遺跡』
偉大なりし古代ローマ
華美な装飾を排し、実用本位の都市デザインで世界征服を目指した。ローマ美術の革新は、後にヨーロッパ全土に影響を与え、中世やルネサンス時代の美術に引き継がれていった。

『水道橋』 南仏プロヴァンス地方ニーム近郊
このようにアートは、時代とともにその意義を変えつつ、人々の生活や社会を映し出してきました。アートの歴史を辿ることで、単に作品の変遷を見るだけでなく、その背後にある思想や文化、社会の変革をも読み解くことができるのです。
アートの民主化とは、こうした人類の創造力と感覚的知性の発展を、広く多くの人々に共有し、未来へとつなげる営みと言えるでしょう。
絵は心の世界の窓
「視座・視野・視点」
アートは、私たちに見えないものを見せる窓です。葛飾北斎の『凱風快晴』に見られるように、絵画は時に自然の雄大さを映し出すだけでなく、心の奥深くに潜む感情や思考をも浮かび上がらせます。

『凱風快晴』 1832年 葛飾北斎
創造力とは、ただ芸術のためのものではなく、日々の営みに潜む幸せを発見し、時に当たり前すぎて見過ごしてしまう「日常の奇跡」に気づくためのものであるのです。
私たちは時折、視野を広げることで新たな視点を得ます。アートに触れることは、非日常の幻想へと誘うものではなく、むしろありふれた日常の中に秘められた美や価値を再発見させる力を持っています。

『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳
レオナルド・ダ・ヴィンチが示したように、感覚的知性を磨くことで、物事の本質を見極め、人生のあらゆる瞬間に意味を見出すことができるのです。

『女性の手の習作』 レオナルド・ダ・ヴィンチ
アートの社会的意義
芸術家たちは、常に社会の変革と共に新しい価値を見出してきました。レオナルド・ダ・ヴィンチやヘンリー・ムーアの作品は、それぞれの時代の問いかけに応じて進化してきたものです。

『受胎告知』 1475年 - 1485年 レオナルド・ダ・ヴィンチ

『横たわる人』 1938年 ヘンリー・ムーワ
彼らの挑戦は、単に美を追求するだけでなく、社会の新たな形や価値観を描き出し、未来を切り開く道を指し示してきました。現代においても、アートは単なる娯楽ではなく、変革のための力強いメディアとして存在しています。
創作の意味
絵を描くこと、創作すること、それは単なる手先の訓練ではありません。それは脳と体の連携を活性化し、私たちの思考や感覚を研ぎ澄ますものです。

『彫刻のための人物習作』 ヘンリー・ムーア

『眠る女たちの習作』 ヘンリー・ムーア

『人物習作』 ヘンリー・ムーア
ヘンリー・ムーアの彫刻習作が象徴するように、創造活動は全身を使って表現するためのストレッチであり、視覚的な理解が深まるプロセスでもあります。
創造性を磨くことは、感覚的な体験を積み重ねることによって培われるものです。どんな小さな創作活動でも、手を動かし、物事を観察し、感情を込めて表現することで、私たちは新たな視点を獲得し、実生活においても豊かさを感じることができます。

トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 1515年頃)
レオナルド・ダ・ヴィンチは、感覚を研ぎ澄まし、あらゆる楽しみの根底にある知性を追求しました。彼の哲学は、現代の私たちにとっても重要な指針となり、創造性を通じて豊かな生活を築くことができるのです。
現代社会における創造力の再評価
現代社会では、創造力が再び見直されています。デッサン力とは、単に絵の上手さを測る指標ではなく、物事の本質を見抜き、情報を収集し、それを伝える能力です。

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』 1499年 - 1500年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルドが『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』で描いたように、構造を理解し、対象を的確に捉えることは、アートだけでなく、ビジネスや社会全般においても重要なスキルです。
社会人にとっても、創造力や視覚的な思考力を育むことは、問題解決やコミュニケーションに不可欠な能力です。
日常に潜む「奇跡」に気づくためには、視座を変え、視野を広げ、多様な視点を持つことが必要です。アートはそのためのツールであり、私たちの内なる感性と知性を目覚めさせる力を持っています。レオナルド・ダ・ヴィンチが示したように、感覚を研ぎ澄まし、創造力を育むことで、私たちは自らの人生に意味と深みをもたらし、社会に新たな価値を創造していくのです。
人生は、人それぞれのアート
人生の道は、人それぞれに異なる。そこには一つの「正解」もなければ、他人と比較する必要もない。たった一歩でも、前進することこそが重要だ。
「今日はこれができたから、それでいい」 「明日はこれだけやればいい」。
日々、小さな達成を積み重ねることで、いつしか自分自身の歩む道が築かれる。その道は、芸術と同じように、何度も塗り替えられ、拡張されていくものだ。
『モナ・リザ』を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチがその手を動かし、考えに没頭しながらも、数多くの作品を未完成のままに残したように、私たちも「完璧」を追い求める必要はない。大切なのは、日々の一歩、創造の一つひとつである。

『モナ・リザ』1503 - 1505 1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
アートの本質は、ただ美術館に飾られた名作や、教科書に載っている作品に留まらない。ターシャ・テューダーが庭を創り、その自然と共に生きたように、私たちの周りに溢れる何気ない瞬間や物事が、アートの一部となりうる。

ターシャ・テューダーの庭
アートは古代から現代に至るまで、人間の想像力と共に進化し続けてきた。

クフ王が建設したギザの大ピラミッド
エジプトのピラミッドに副葬品として納められた品々、ギリシャの彫刻、そして4万年前の洞窟壁画まで――すべてがその時代の人々の生活や思い、信仰や願望の表れだった。アートとは、心の中に芽生えた感情や思索を、形にして外に表現する行為だ。

ギリシャ彫刻
それが絵であれ、音楽であれ、言葉であれ、アートは私たちに「何か」を伝え、感動させる力を持っている。
では、私たちはなぜアートを生み出すのか?それは、日常を超えた何かを探し求め、私たち自身を理解しようとする旅路に他ならない。
若きアレキサンドロスがアリストテレスから学び、その知識を元に征服の旅を続けたように、アートは私たちに新たな世界を見せてくれる。

アリストテレスとアレキサンドロス
人が一つのことに心を傾け、手を動かし続けることで、心の成長が加速する。

『静物』1879-82年 ポール・セザンヌ
セザンヌが言ったように、「私は毎日進歩しつつある」ことに気づく瞬間、それは人生の中で最も喜びに満ちた瞬間だ。
脳に効く芸術と科学
芸術家であり自然科学者でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチは
凡庸な人間は”注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、
味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている”と嘆き、あらゆる楽しみの根底には、感覚的知性を磨くといった真面目な目的があると提唱していました。
芸術は、「知覚」を機能させて表現していく”業”ですが、その業が、芸術作品を創作する限られた目的のためだけではなく、一般的な仕事や暮らしの中でこそ、その効用を活かせていける。

『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ



レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿
芸術家は、知覚を見つめることで、感覚と脳の仕様で決められた「可知域(知ることができる範囲)の内側」で芸術表現の試行錯誤をしてきた。画家の作品をのぞくことは、すなわち知覚の仕組みをのぞくこととおなじといえる。
作家オスカー・ワイルドの言葉
“Before Turner there was no fog in London.”
「ターナー以前に、ロンドンに霧はなかった」

『雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道』 1844年 ターナー
哲学者エルンスト・カッシーラーの言葉
「ほかのシンボルの形式と同じように、芸術はただ既成の与えられた現実の再生ではない、
芸術は物体、そして人間生活に関する客観的な見方を得られるひとつの方法なのだ、
それは模倣ではなく、現実自体の発見である」

『巨人』 フランシスコ・デ・ゴヤ

『オフィーリア』 1851-52年 ジョン・エヴァレット・ミレー

『落穂拾い』1857年 ジャン=フランソワ・ミレー

『オルナンの埋葬』 1849年 ギュスターヴ・クールベ
発見した現実自体を豊かなシンボルとして表現することで、現実をより豊かに洞察させてくれる、それが芸術本来の役割のひとつ。

『晩鐘』 ジャン=フランソワ・ミレー

『印象・日の出』1872年 クロード・モネ

『サン・ラザール駅』1877年 クロード・モネ

『タヒチの女(浜辺にて)』1891年 ポール・ゴーガン
芸術の目的は、時代・社会によって変わる

時代ごとの思考:芸術(表現の)目的
•古代人の基準 :「効く」かどうか(霊験、ご利益があるかどうか)
•古代エジプト人の基準 :「理解」している、「伝える」こと
•古代ギリシャ人の基準 :美の定義 ”調和や美、魂の働き”
•古代ローマ人の基準 :”調和や美”よりも”事実”を重んじた表現
•中世の基準 :キリスト教を伝える厳格で単純明快な表現
※感情(愛情、罪、罰、苦悩など)を表現
•ルネサンス期の基準 :人間復興、偉大なギリシャ・ローマ文化の復活、再生
•バロック時代の基準 :宮廷画家“権力と交流”
※劇的・情動的な効果によって権力を誇示する表現
•近代以降 : アートの多様化

18番目の問題発見
•問題を発見できるようにする“気づき”
•芸術家は「リアリティ」を発見する天才
・芸術家は、知覚を見つめることで、感覚と脳の仕様で決められた「可知域の内側」で
芸術表現の試行錯誤をしてきた。
・画家の作品をのぞくことは、すなわち知覚の仕組みをのぞくこととおなじといえる。
・芸術での議論や実践は、科学へのインスピレーションに富んでいる。
・知覚・認識や脳の仕組みを学ぶことで芸術作品について新たな見方をすることができる。
芸術家は「リアリティ」を発見する天才
歴史をひもとくと、人が「問題を解決する」ときには必ずアートが生まれています。近代社会も同じです。産業革命によって工場が乱立した都市部では、労働者は過酷な環境での生活を強いられました。すると人々は自我や自由を求めて立ち上がり、ロマン主義絵画が庶民の間で広がります。

『民衆を導く自由の女神』 1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ

『キオス島の虐殺』1823-24年 ウジェーヌ・ドラクロワ

『種まく人』1850年 ジャン=フランソワ・ミレー
新古典主義の画家カミーユ・コロー(1796-1875)は、現代の舞台照明などの演出表現の原点となる新しい明暗法を開発して、より深い奥行ゆきのある風景画を描きました。また、叙情豊かな雰囲気きを伝える明暗表現を開発して、古き良き時代の日常的な西洋風景を叙情豊かに描き、現代社会にその魅力を伝えているのです。

『モルトフォンテーヌの思い出』 1864年 カミーユ・コロー
ドガは観客としてバレエの舞台で舞う踊り子の姿を観るのではなく、舞台裏の「バレエ界の真実」を描こうとしました。

『ダンス教室(バレエ教室)』1873年-1875年エドガー・ドガ
画面の中央で美しく優雅に舞う花形バレリーナに対し、そのまわりにいるライバルである踊り子たちの表情からは競争、嫉妬となどが感じられます。また、踊り子たちを援助しているパトロンたちの姿もあり、さまざまな人間模様が垣間見られるのです。そんな練習中の舞台の袖から、ドガはドキュメンタリー映像のような視線で真実を描きました。

『アイロンをかける2人の女』 1884年 エドガー・ドガ

『浴盤』1886年 エドガー・ドガ

『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』1878年
ピエール=オーギュスト・ルノワール

『ムーラン・ルージュにて』1892年 トゥールーズ=ロートレック

『叫び』1893年エドヴァルド・ムンク

『遊ぶ子ども』 1909年 オスカー・ココシュカ
クリエイターの発想の源
子供の頃から神話の世界に関心があった画家オディロン・ルドンは、植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられ、その出会いが画風にも影響していきます。クリエイターの発想の源にジャンルの隔たりはありません。個性とは、環境と選択して収集してきた情報で構築されていくのです。

『眼=気球』 1878年 オディロン・ルドン

『「起源」 Ⅲ. 不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた』 1883年

『キュクロプス』1914年 オディロン・ルドン

『リスニングルーム』1952年 ルネ・マグリット

『相対性』 1953年 マウリッツ・エッシャー
アートには「影響」という意味があります。そして問題を解決する手段を「サイエンス」といいます。

『ゲルニカ』1937年 パブロ・ピカソ

『記憶の固執』1931年 サルヴァドール・ダリ
絵画技法の発展
画材とそれを使う技法は、かなり直接的に美術表現に影響を及ぼした。

『受胎告知』1475年 - 1485年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
画材と技法
モザイク:
種々の色の鉱物などの細片をすきまなく敷き並べて、壁画や床を装飾する芸術の技法。
※モザイク 語源 Mousai(ミューズ) ラテン語(=ミューズ神/芸術的な)

ステンドグラス:
色ガラスを図案に合わせて切り、鉛線や銅テープでつなぎ、光を通して表情を生む装飾技法です。伝統的には、絵付けや焼き付けを加え、もともとは教会などで用いられ、光そのものを美しく演出する建築芸術として発展しました。


『ドゥオーモ大聖堂』 イタリア(ミラノ)
フレスコ:
下地の漆喰(しっくい)が乾かないうちに、水だけで溶いた顔料で描く技法。
※ フレスコ fresco イタリア語(=新鮮な)

『キリストの哀悼』1305年 ジョット・ディ・ボンドーネ
テンペラ:
乳化作用を持つ物質を固着材として利用する絵具、及び これによる絵画技法。
※テンペラ tempera イタリア語(=混ぜ合わせるという意味)
油絵:
15世紀、ファン・エイク兄弟が油絵の技法を完成させた。
※油彩の最大の特徴は比較的乾燥が遅い為に修正がきくこと。修正がきくことから、
カンヴァスや板に直接色彩で描くことが可能になった。
※フィレンツェのデッサンに彩色する技法に対し、ヴェネツィアで初めから色彩で
描いていく技法が生み出された。

『アルノルフィニ夫妻の肖像』1434年 ヤン=ファン=アイク
◎作者が絵の真ん中に書き込んだ文字
Johannes de eyckfuit hic 「ヤン=ファン=アイクここにありき」
※現代でいえば、人生の厳かな一瞬、婚約式の承認として、署名入りの写真に法的な効力
があるようなもの。

『アルノルフィニ夫妻の肖像』部分
写実絵画の発展
ルネサンス期(15-16世紀)の解剖学や絵画技法(遠近法・明暗法 etc.)、画材(油彩)の発展により、精度の高い写実表現が可能になりデッサンの芸術性が高まっていった。
デッサン [dessin:仏] とは
物体の形、明暗などを平面に描画する美術の制作技法、過程、あるいは作品のこと。
※ドローイング[drawing:英語]は線描画の作品も示す。
•語源【ラテン語 designare [デジナーレ]】は「デザイン」と同じで
” 計画を記号に表す、図案、設計図”といった意味をもつ。

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』1499年 - 1500年ごろレオナルド・ダ・ヴィンチ

「ヤギのクロッキー」ヘンリー・ムーワ
クロッキー[croquis:仏]:
・人物や動物など”動き”のあるものをごく簡単に描いた絵
エスキース[esquisse:仏]:スケッチ[sketch:英]
・構想している計画や企画を具体的に展開していく絵
・眼に写ったかたちや頭の中のアイデアをごく簡単に記録する絵
エチュード[étude:仏] :習作
・ものごとの構造や状況・状態を見極められる絵
遠近法(透視図法):消失点の発見を実証した絵

『最後の晩餐』1495-97年 レオナルド・ダ・ヴィンチ

『最後の晩餐』展示 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
美術解剖学

『ウィトルウィウス的人体図』 1485年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
バロック時代に発展した明暗法(キアロスクーロ)
王家の権威を知らしめるため大きなキャンバスに描かれたバロック絵画は、現代の宣伝
ポスターや広告看板のようなものでした。バロック時代のスター画家カラヴァッジョ
(1571-1610)の、光と陰をまるで舞台照明のように演出して描かれた絵画は、当時の
最先端技術だった絵画技法(遠近法・明暗法)と画材が駆使された視覚効果だったのです。

『トランプ詐欺師』1594年頃 カラヴァッジョ
朝の陽ざしと夕暮れどきの光は、ただ明るい暗いというだけではなく雰囲気が違います。絵画技法の明暗(光と陰)法は、人物の立体感や背景の奥行きを描けるだけではなく、その人物の心情やその場所の雰囲気を伝えられる表現方法です。
西洋では、絵にリアリティーとインパクトを持たせるために明暗法や遠近法などの写実的な絵画技法が研究されました。古典絵画の時代にも現代の映画やテレビ、スマホ画像の高画質化と同じように技法や画材の開発、技術の発展が求められていました。

『牛乳を注ぐ女』1658年 フェルメール
印象派の画家たちの用いた”筆触分割”
•太陽の光を構成するプリズムの7色を基本とし、しかもそれらをおたがいに混ぜないで
使用するという技法。
•絵の具の色というのは、混ぜれば混ぜるほど黒に近くなり、明るさが失われていくが、
戸外で描き、自然の光を忠実に捉えたかった印象派の画家たちは、混ぜると暗くなる
絵の具を「混ぜない」ことで明るさを表現しようと考えた。

『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884-86年 ジョルジュ・スーラ

『オランピア』1863年 エドゥアール・マネ

『積みわら、夕陽(積みわら、日没)』1890年 クロード・モネ

『イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)』1891年 ポール・ゴーギャン

『アルルの寝室』 1889年 フィンセント・ファン・ゴッホ
芸術と科学は、知覚を探求しようとし、精神のはたらきに関わろうと試みている点では、おなじ目的を共有しているといえる。それゆえ、芸術でおこなわれてきた議論や実践は、科学へのインスピレーションに富んでいるので科学的実験のヒントとなる。
たとえば「色は形にどのような影響を与えるのか」というセザンヌの絵画的探求は、
「色や形態という別々の視覚の構成要素がどのように結合され、認識されるのか」
という神経生物学や実験心理学の研究とつながる。

『リンゴとオレンジのある静物』1895-1900年 ポール・セザンヌ
芸術と科学は、知覚を探求しようとし、精神のはたらきに関わろうと試みている点では、
おなじ目的を共有しているといえる。それゆえ、芸術でおこなわれてきた議論や実践は、科学的実験のヒントとなる。
たとえば「色は形にどのような影響を与えるのか」というセザンヌの絵画的探求は、
「色や形態という別々の視覚の構成要素がどのように結合され、認識されるのか」
という神経生物学や実験心理学の研究とつながる。

『サント・ヴィクトワール山』1904年 ポール・セザンヌ
西洋絵画に現れた日本文化

『モナ・リザ』1503 - 1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
18世紀の西洋絵画も描き方や色づかい、描く題材までもセオリーに縛られていました。
そんな中、陶器などの日本文化が、西洋とはまったく違う新鮮なアートとして注目されていました。その陶器を梱包していた紙が「浮世絵 (版画)」だったのです。

『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿
その頃の日本は、江戸時代。浮世絵は大衆文化で芸術的価値は高くありませんでした。
しかし、西洋では浮世絵に描かれている日常の風情、艶あでやかな着物、鮮やかな色づかい、自由な表現すべてに衝撃を受けたのです。
こうしてパリを中心にヨーロッパに広まったジャポニズムはゴッホなど印象派の画家たちに多大な影響を与えていきます。
浮世絵がなかったら、自由な色彩で開放的な表現をした印象派は生まれなかったかもしれません。
◎浮世絵

歌川広重 『名所江戸百景 亀戸梅屋敷 のぞき見る』1857年
◎ジャポニズム

フィンセント・ファン・ゴッホ 『ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)』1857年
上が浮世絵で、下がそれに影響されたゴッホの作品。画面の下半分を邪魔するかのように目の前に梅の枝があるにも関わらず、圧迫感はない。むしろ奥の梅木や梅を楽しむ人々に目が行くため、梅屋敷の広さを感じます。
こういった西洋美術とはまったく異なる構図の描き方、そして景色の正確さや写実性よりも「どう描くか」を追求した浮世絵は印象派の画家たちに大きなインパクトを与えました。
ルネサンスと油絵と日本人の少年
漆喰が乾く前に描かなければならないフレスコ画は、時間との戦いでした。しかし油絵の具は、油で溶かしながら使うので、絵の具をキャンバスの上で混ぜ合わせたり、重ねて塗ったりと、時間をかけて絵を描くことができます。
油絵の具の特性を活かして、厚く塗り重ねたり、光沢をつくり出したり、繊細かつ大胆な表現が可能となったのです。描く場所が広がったことも重要なポイントです。モザイク技法やフレスコ技法だと、壁面にしか描けないという大きな制約がありました。油絵の具であれば、木のパネルや布のキャンバスでも描けるため作業場所の自由度が高まったのです。
油絵の具をつかった油彩技法は、ルネサンス期以降の定番となりました。自由なサイズの絵が描けるようになったため、画家のもとには肖像画の依頼が多く舞い込むようになります。

『モナ・リザ』1503 - 1505 1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ
肖像画といえば、ルネサンス期に肖像画を描いてもらった日本人がいることをご存知でしょうか。彼の名前は伊東マンショ。織田信長が天下統一していた安土桃山時代に日本からローマに派遣された少年使節団の1人です。使節団はローマ以外も巡り、その地その地で歓迎されました。
伊東の肖像画を画家に依頼したのは、ベネツィア共和国の元老院でした。依頼されたのはドメニコ・ティントレット(1560~1635年)という肖像画家として有能な画家でした。

『伊東マンショの肖像画』 1585年 ドメニコ・ティントレット
「ルネサンス」と聞くと日本人としては遠い世界の話のように感じる人が多いかもしれませんが、当時14歳だった日本人の少年が肖像画を描いてもらっていることを想像すると、少しは身近に感じられるのではないでしょうか。
現代に伝わるモザイク技法
モザイク画というと中世時代の宗教壁画のイメージが強いですが、その起源は、シュメール時代の神殿のモザイクだといわれています。

最初は、建築物の飾りつけとして利用されたのですね。そこからテッセラとなる素材の種類や技法を進化させながらローマ帝国全土に広がっていきました。

『随臣を従えたユスティニアヌス帝』547年
ラヴェンナのサン=ヴィターレ聖堂のモザイク画
モザイク技法の発展は、イスラム文化なしには語れません。聖像崇拝を否定しているイスラム教では、幾何学模様をつくるのに適したモザイク技法が発展しやすかったのです。

イスラム教徒によってヨーロッパに広まり、イタリアでは中世時代の教会に宗教画としてモザイクが数多く制作されました。しかしその後、見るものを楽しませる表現や繊細な描写が必要となり、フレスコ壁画が好まれるようになっていきます。

『最後の審判』ミケランジェロ・ブオナローティ システィーナ礼拝堂
ちなみにルネサンスの時代にはフレスコ壁画や油絵が主流になったため、モザイク画は下火になりますが、時を経て豪華な装飾が好まれるようになった19世紀のアールヌーボー時代に再びモザイクが流行します。
現在でもイタリアではモザイク建築やモザイク装飾を使った小物などが人気です。

『アールヌーボー モザイク建築』

『モザイク装飾』 アルフォンス・マリア・ミュシャ
モザイク画をつくるには、構図を考えてから、色ごとのテッセラを大量に用意する必要があり、それを1つ1つはめていかなければなりません。当時の人々にとっても非常に根気のいる作業だったと想像できます。
それでも、素材があれば手軽につくれることもあり、いまでは趣味としても楽しめるようになっています。おもちゃのビーズを敷き詰めて模様をつくる遊びにも、モザイクの技法が受け継がれているのかもしれませんね。
アートとサイエンス
原始時代、人は生きるために狩猟を行う必要がありました。そのために道具をつくり、儀式を行い、知恵を共有します。その痕跡が壁画です。

『ショーヴェ壁画』3万2千年前
しかし、狩猟はリスクが高いサバイバル術であるという問題があり、それを解決する手段として農耕が編み出されます。すると今度は「土地」に執着するようになり、部族間で争いが起こります。
やがて部族同士をまとめ上げるために王が必要となり、王がその手段として宗教や法律を利用したことで宗教美術が生まれました。

『キリストの哀悼 The Mourning of Christ』 1305年 ジョット・ディ・ボンドーネ

『最後の審判』 1536-1541年 ミケランジェロ・ブオナローティ
システィーナ礼拝堂
写真技術の発達によって絵画の役割が少なくなるや、画家たちは新しいアートを編み出し、今度はそのアートが人々の心を打ち、社会に大きな影響をおよぼすようにもなるのです。
【写真の普及】
•画家たちを独自の探求と実験に駆り立てた。
•カメラは、ふとした一瞬の情景のもつ魅力や、思いがけない方向から見た面白さなどに
気づかせてくれた。
•画家たちは写真が太刀打ちできない領域を探らざるをえなくなった。
1800年代はカメラと写真技術が著しい発展を遂げた時代で、それまで依頼のあった風景画や肖像画といった画家の仕事が減り始めました。
伝統的な写実表現を継承してきた新古典主義の画家アングルは、そのような社会において絵画にできることは何かを考えます。

『グランド・オダリスク』 1814年 ドミニク・アングル
しかし、そんなアングルの心配をよそに、同時代に台頭していたロマン主義の画家ドラクロワの描く絵画のように、写真では表現できない歴史や現実の出来事を題材とした絵画が評価されるようになりました。また、写真技術の発展に促されるように、現実を写し取るだけの写真にはけっしてできない色彩表現や、好きなように誇張して描ける絵画ならではの技法が発展します。

『サルダナパールの死』1827年 ウジェーヌ・ドラクロワ
後世では、画家エドガー・ドガも、アングルを尊敬し写実主義を主張しながらも、写真の構図を取り入れた絵画表現や新しい題材を探求していきます。その後も写真技術や映写機などといったサイエンスの進歩に刺激された画家たちによって、新しいアートは花開いていったのです。

『三人の踊り子』(1873) エドガー・ドガ
2016年、「レンブラントの新作」が公開されました。とはいっても、レンブラントが描いた作品が新たに発見されたとか、もちろんレンブラントが現世によみがえって新作を描いたわけでもありません。「人工知能(AI)」がレンブラント風の絵をつくったのです。
レンブラント風というと、レンブラントの画風に似せて描いただけと思うかもしれませんが、そうではなく、300点以上あるレンブラントの作品を人工知能が分析し、色づかいや筆跡、絵の具の厚みといったレンブラントの癖を学習して「レンブラントだったらこう描く」という絵を描きあげたのです。
このエピソードからわかるように、アートはサイエンスでもあります。

人工知能が描いた「レンブラントの新作」
AIが膨大なアートを学んでレンブラントの新作を描いたのは、「レンブラントの新作を見たい !」という問題を解決した、文字通りサイエンスですね。
アートを学ぶということは、未来を生きるためのサイエンスにつながるのです。
著書
“アートのロジックを読み解く『西洋美術の楽しみ方』より


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