未知の古代美術
- 聖二 文田
- 2025年12月6日
- 読了時間: 8分
更新日:2月23日

[古代アートヒストリー]
•原始時代 :人類最古の絵、生死・サバイバル画(部族)
•古代エジプト:永遠の生命(死者の書)、生け贄の身代わり(副葬品)
•古代ギリシャ:絶対的な美の基本
•古代ローマ :統制のための手段
[古代人の気持ちになるエピソード]
ヨーロッパの画家が
アフリカの原始的な生活をしているある村で、家畜の絵を描いていたら、
「あなたが家畜を連れて行ってしまったら、私たちはどうやって暮らしていいやら」
と村人が嘆いたという。



映像の起源ともいえるシステム 紀元前3万年 古代壁画(ショーヴェ)。
壁際のたいまつの火が揺れると でこぼこの壁面に描かれた動物の絵が動いているような錯覚を起こさせる。
その時代の発明・発展と美術の展開との関連性は強い。

ショーヴェ洞窟の壁画に描かれた空想上の動物たちは、紀元前約3万2000年の人々の心に宿った創造性の証でした。
この想像力こそが、人類に認知革命をもたらしたのです。
ネアンデルタール人が家族単位で行動する芸術家だったのに対し、クロマニョン人(ホモ・サピエンス)は組織的に行動する社会的な動物へと進化しました。
彼らの脳は、まるで宇宙が膨張するかのように劇的に発達していったのです。

80万年前、人類は火を発見し、30万年前には日常的に使用するようになりました。そして7万年前から3万年前にかけて、人類の創造力は爆発的に開花しました。
舟、ランプ、弓矢、針といった発明品が次々と生み出され、芸術、宗教、交易、社会的階層化の萌芽が見られるようになりました。しかし、人類の真の飛躍は、個人の想像力を超えた集団での共有幻想にありました。
特にクロマニョン人は、血縁関係のない無数の他者と柔軟に協力する能力を獲得し、やがて世界を支配するに至ったのです。

約4万年前に作られた「ライオンマン」は、この共有幻想の力を如実に物語っています。
マンモスの牙から彫り出されたこの彫刻像は、
ライオンの頭と人間の胴体を併せ持つ神秘的な姿をしています。
それは単なる芸術作品ではなく、
宗教や呪術、共同体のシンボルとして機能していたのでしょう。

[アートは人間の代用といった考え方]
古代エジプトでは、王の死には廻りの者達が生け贄(生きたまま埋葬)になるという残酷な慣習があった。
生け贄の慣習の代用(副葬品)としてアートは始まった。


[神と蘇った王に伝えるための絵]
•迷信による原始的な残酷さと美しいものをつくる能力が共存していた時代といえる。
•「人の目」を通したもの、また「人の意見」を通した(独創的な)表現を全く受け入れることがなかった。
•「理解」していることを描いた。
•独創的な表現は、神への冒涜を表すこととなり死罪に値することだった。
•人の観察や感性ではなく、すべては神と蘇った王に伝えるために描かれていた。
[美の追求ではなかった古代エジプトの壁画]
一見 稚拙な表現にみえるが、生物学者が納得するほど正確な特徴が描かれていて、
生息を証明する重要な資料になっている。
古代から絵を描くことは、日常的な伝達手段、記録手段として活用されていた。

[古代エジプト絵画のルール]
・身分の高い人ほど大きく描く。
・小さいのは子供ではなく低い身分や奴隷たち。
・顔は横顔とする、目は正面を向く。
・肩、胸、腕は正面を向け胴体と足は横向き。
・足は左右を描き分けない。
・土踏まずを描く場合には、両足に描く。
・集団は上下左右にずらし重ねて描く。
・奥行き(遠近法)はひたすら重ねて描いて表現する。


[死者の書]
古代エジプト人は、死後の世界に対して独特の関心を持っていた。
古代エジプト人ほど「永遠」という言葉を好んだ民族はないといわれる。
かれらの死後の世界を描いたのが『死者の書』。

のちのユダヤ教、キリスト教の「最後の審判」に影響をあたえた。
[古代エジプト彫刻]
彫刻家は「生かしつづける者」とも呼ばれた。
•石灰岩などやわらかい石材の場合は、銅製のノコギリやノミで彫られた。
•花崗岩など硬い石材については、岩盤の前で火を焚いて加熱したあと、水をかけて亀裂を生じさせ、硬い玄武岩のハンマーなどを使って割っていた。


[エジプト彫像を手本に模倣したギリシャ芸術家の彫像]
•自分の目で見ようと決意した。
※エジプト美術は知識にもとづくものだったが、ギリシャ人は自分の目を使いはじめた。
•「自分なりに」どう表現したらいいのかを考え始めた。

※人体表現の新しい考え方や方法を実験しはじめた。
[人体表現の新機軸が打ち出された]
•胴体の彫り方に新しい工夫。
•両足をちゃんと地面につけず片足を浮かせた方が、はるかに動きのある像になることを発見。
•口をちょっと上向きに曲げ、微笑んでいるようにすると、顔の表情が生き生きすることを発見。


[美しさ ≒ 魂の働き ≒ 善きこと]
•古代ギリシャでは 人の心を動かす本質を真剣に考えていた。
•心身の動揺を伴うような強い感動をどれくらい与えられるかにあった。
•その頃はアートといった学術的な縛りはなく、教育や学問の目的が共通して
人類にemotionを与えることだった。



[表現すべきは魂の働き]
•古代ギリシャ美術は、技巧だけではなく知識を通じて、
美しい人体と善き内面を映し出そうとしていた。
•哲学者ソクラテスは、表現すべきは「魂の働き」であり
それには「感情が体の動きにおよぼす影響」を正確に観察しなければならないと考えて、
芸術家たちに内面を表現するようにすすめていた。

美の定義としてビジュアルとしてお手本になるものが他にない。
強いて挙げれば「巨匠の作品の模写、裸婦」が教材として使われている定番。
[顔の表情があまりないギリシャ彫刻]
これは古代ギリシャ人の 『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくもの。

日本でも平安貴族と鎌倉武士それぞれの考えの違いで彫刻の表情が全く違う。
どの時代も人の考え、思いを伝えている。


古代ギリシャから、学者やアーティストが散歩を好むように
五感や手足を使いながら思考することは、脳がうまく機能していく効果がある。
絵を描きながら(手、体を動かしながら)考えるとビジュアルが浮かび、発想が展開し具体化されていく。

[エロース]
•善きもの
•幸福への欲望、愛、恋、純な友情
•最も美しく高貴である。その意味で最も幸福な神である。
•正義の徳、慎みの徳、勇気の徳、そして知恵の徳を備える。
エロースにひとたび触れられると、誰もが詩人となってしまうのである。
ソクラテス「ぼくは、エロースに関すること以外、なにひとつ知らないのだからね。」

[古代ギリシャの哲学者]
ソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年)
プラトン(紀元前427年頃 - 紀元前347年)、ソクラテスの弟子/アリストテレスの師
アリストテレス(紀元前384年頃 - 紀元前322年)、若きアレキサンドロスの家庭教師

[リベラル・アーツの7つの科目:ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持つ]
文法学: 言葉を正しく使う方法を学ぶ
修辞学: 他人を論破する方法(弁論術、雄弁術、説得術)を学ぶ
論理学: 思考のつながりを明確にする方法を学ぶ
算術 : 計算方法を学ぶ
幾何 : 図形や空間の性質について学ぶ
天文学: 宇宙の性質や法則を学ぶ
音楽 : 音の性質や理論を学ぶ
[古代ローマ:アートは政治的支配と市民生活の象徴]
ローマ時代になると、アートはより実用的で社会的な統制の手段となった。
ギリシャ美術を模倣しつつも、ローマの彫刻は現実の記録を重視し、帝国の統治者たちの威厳を誇示する手段として使われた。

『アウグストゥス帝』


特に土木建築や都市デザインは、ローマ帝国の拡大と密接に結びついており、アートは政治的支配と市民生活の象徴となった。
[全ての道はローマに通じる]
偉大なりしローマ
華美な装飾を排し、実用本位の都市デザインで世界征服を目指した。
”美術”よりは”様式”の革新

[ローマ様式:ローマの技術革新]
a)アーチ b)アーチを延長したものがヴォールト c)アーチを一回転させるとドーム



[破壊されたギリシャ彫刻]
•ローマにキリスト教が広がり、やがて395年にローマは東西に分裂する。

•西ローマ帝国が480年頃滅亡すると、”中世”と呼ばれる時代が訪れる。
”アート”の暗黒時代のはじまり。
•ローマ人が、徳の一つとしてさえ考えていた「寛容」(Tolerantia)の精神も、
芸術作品の傑作とともに、破壊され捨てられて河に投げ込まれた。
•ごく初期のキリスト教が偶像崇拝を禁止していたことに由来することで、
特に西ローマ帝国に属していたエリアでは、立体彫刻そのものが
一時的(像の破壊:イコノクラスム)に消滅するような事態となる。
•皇帝や神の像だけではなく、神殿も破壊された。



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