文化的な生き方は他人に左右されない
・放っておけば平凡で代わり映えもしない日々の繰り返しに埋没してしまう日常を
いかに生気に溢れて楽しみや生きがいを追求する能動的な人生に転機するか
・自分らしく幸せに生きること
・生活をアートとして捉え、他人に左右されない生き方を一つの美意識とする
・転じることが成長、明日がくる限り、常に新しい自分を建立していく
・自分なりに丁寧に生きる
「普通は」といった思い込み程、曖昧なものはない。普通と思い込んでいることが、他者にとっては普通じゃなかったりする。「普通」は流行の様にいつの間にかつくり上げられ、知らないうちに消えていく。
日本の文化を象徴する言葉
歌舞伎役者 坂東玉三郎氏の芸の目的は「お客様に生きていてよかったと思っていただくこと」。
五代目坂東玉三郎
創造していくための重要なワード
社会や教育、企業に必要とされる創造性の本質として、スティーブ・ジョブズがピクサー映画の製作として掲げた理念である ”「ストーリー」「キャラクター」「世界観」の3つを主要な側面として考える” は、魅力的な社会や教育、企業を創造していくためにも重要なワードだと思う。
「思い込みをなくす」「気づき」「ストーリー性」「個人の感性」「関心をもつ」「世界観」「美意識」などといった創造性の本質を捉えた視点の導入が、息の長い考え方として社会や教育、企業に必要だと感じている。
芸術の本質は、人に開放感をあたえること。思い込みによる閉塞感が人を不安や不幸にしていく。だから清流のように新鮮な情報を伝え続ける絵や音楽、違う言語の文化交流が人には必要。
本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられる
文化は、贅沢とは違う。文化は人生に必要不可欠なもので、ビルに例えると窓や灯り、屋上のようなもの。生きていくために雨風をしのげる屋根や壁はあっても窓や灯り、屋上のないビルの中で生活していると人は閉塞感にさいなまれ、人生が貧しく荒んだものになってしまう。
歌舞伎や浮世絵などの伝統芸能、美術館だけではなく、祭、映画館、ライブハウス、コンサート会場、小劇場、漫画喫茶、ネットカフェ、ゲームセンター、絵画教室…なども日本の大切な文化を支えている必要不可欠な場所である。そんな文化が途絶えてしまわないように日本も文化、その担い手たちを守る姿勢が必要。そんな国の姿勢の違い、各国の社会や人の意識が、未曽有のできごとへの対処の仕方に露呈される。こんな時だからこそ、日本社会での文化活動の位置づけや日本人の文化への意識、認識を見直す機会になればいいと感じている。
日本では、自然の一部として一体感を感じることで情緒に感動し癒され、心で理解する情緒思考文化が栄えた。世界の中で、日本人は絵が上手い民族である。日本文学も俳句もビジュアル的な言語、 生け花も茶道もビジュアル的な文化、 日本の文化は映像文化、 日本人はビジュアル人間、 ビジュアルを巧みに操る民族、だから日本アニメや漫画は世界から支持されているのに大半の日本人が絵を描けないと思い込んでいる。
才能が埋もれている。世界の中でも日本人は絵が描ける環境にいることに気がついていない。日本人は日常的に良質なクオリティ画像に囲まれて育っている。そのDNAをもっと教育や仕事に活かすべきだと考えている。
絵を描いたり、ものを造ったりしているときの充実感は 子供の頃、時を忘れてずっと遊んでいた時間に似ている。絵を描くことで、思考(イメージ)と行動の繰り返しを楽しみやすくなり人を成長させ、充実させていく。楽しいから集中し、思考量が増えて具体的な行動に移れるのである。
歌舞伎もオペラも伝統文化は五感を使って伝承していくシステムの一つ。中世西洋の教会も布教のためのシステムとして捉えると天を見上げさせるための天井画やステンドグラスのように五感を使って教えを認識させるための伝達技術を駆使した建造物である。本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられるのである。
日本人らしさ
西洋は「絵で埋める」 細部まで描きこまれていたり、肖像画であっても背景が描かれたりしている。
『オフィーリア』 1851-52年 ジョン・エヴァレット・ミレー
※背景に描写される草花には象徴的な意味が込められている。 ヤナギは見捨てられた愛、
イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純
潔・夭折(ようせつ:若死に)、ケシの花は死を意味している。
西洋人は「余白があることを恐れる」が、日本は描くべきものだけを描きあとは余白にする。「日本人は満たされていることに恐れを抱く」。
『氷図屏風』 江戸時代 円山応挙
日本のいさぎよい絵は、漫画・日本アニメのルーツ。 シンプルなイラストは明快で分かりやすいが、簡単に描くということではなく無駄な線を省いているのだ。 的確に情報を伝えられる線をみつけ最小限の必要な線だけで 印象や特徴を明快に描いている。
『鳥獣戯画絵巻』
※平安時代後期から鎌倉時代までの80年間をかけて、無名の僧侶たちによって庶民の日
常生活が、擬人化された動物キャラクターで描かれた。
日本では脳を休める情緒思考文化が栄えた。平安時代の絵巻物や江戸期に見られるような日常の風情に感動して癒される浮世絵である。
日本人は、不快を快に転じることのできる文化を持っている。 西洋の画家たちを驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。 当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。今、当たり前のものとしてみている、感じていることは先人が気づかせてくれた。
『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重
自分のスタイル、自分たち家族、夫婦のスタイルを造れば上等
『記憶の記録 数分間 子どもの時空』
独りではない
群集の中の孤立もまた、何かと関係して起こる現象である。
人間も物事も、存在を語るときに’他との関わり’を無視はできない。すべてのものが誕生してからすでに何かに関わっている(もともと繋がっている)。
混沌とした国、日本。文化や習慣、環境の違う他者との関係を保ちつつ、自分のアイデンティティを保ち続ける事、それから派生する問題は現代社会に於いて増々難解になり、混沌としてきている。
様々なコミュニケーション手段(インターネットでの交渉、メールでの意思疎通など)が成立し、その伝達範囲(デジタル開発など)も拡大し続ける現代において、国際交渉に始まり、あらゆる組織、各個人(家族)に至まで自分のアイデンティティを意識すること、更にはそうできる環境を考えていく必要性が高くなってきていると感じている。
自分に関わる「繋がり」の存在を、意識しなくなった時にとる行動を想像すると恐ろしくもあり、寂しくもある。逆に何かに繋がっていると意識することは、安心に希望に強さ、 優しさに繋がることもある。
この作品群は、その当たり前だが確かな繋がりを再確認し、また多数の他者と共通認識できるために具現化(画像として視覚化)することを目的とし制作されたものである。
『 令和円窓図 』
『 マンション住い 』
『 2LDK生活 』
『 画学生 』
『 画学生のアトリエ 』
『 書初め 』
『 open mind トンネル 』
『 記憶と記録 』
『 横浜,町2014 』
『 ハイブリット 記憶と記録 』
ただただ妻が造ってくれる料理が好きで美味しくて嬉しくて満足できて、毎回、試行錯誤している作品が食べてなくなっていくのがもったいなくて、3年間、家ご飯を記録していた。結果的に太ったけど後悔はない。
『 妻の料理 』
ほぼ光の中。犬や猫たちは、ココしかない!といった場所を見つけるのが上手いですよね。気がつくと最高の居場所に移動してはくつろいでいる。
『 居場所 』
芸術家は十人十色で、それぞれが違った生き方をしています。それだけ生き方にはたくさんの選択肢があるということです。
幕末志士の坂本龍馬が『人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。』と語っていたように十人十色の自分らしさを見つけて、開放された気持ちになっていきたいものです。
幕末志士の坂本龍馬