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  • 執筆者の写真sfumita7

光の力

更新日:8月11日




レンブラントライト


   レンブラントライトとは、画家レンブラント・ファン・レイン(1606年-1669年)が人物を描くときに多用したライティングの技法のことをいいます。人物の鼻筋に対してライトを斜め45°くらいの角度から当てて、陰になる頬骨辺りに三角形のハイライトを作り出します。


   これにより光と陰の差がはっきりして、立体感を強調できるのです。


『パレットと絵筆をもつ自画像』 1662年 レンブラント・ファン・レイン




左斜上からの光(光源)の設定を「レンブラントライト」と呼んでいます。




レンブラントは「光の画家」や「光と陰の魔術師」と呼ばれ、光と陰影の効果を使ったドラマチックな肖像画を描いたことで名をはせた人物です。

その作品の多くは、日常で見たままの景色を写しとるのではなく、わざと舞台のように暗い場面の中で、主役にスポットライトを当てるように描かれています。


『フランス・バニング・コック隊長の市警団』1642年 レンブラント・ファン・レイン


レンブラントはこうした光と陰影の対比を利用し、絵に「物語」を与えていました。

光と陰を理解することは、絵を描くときの技法として役立つだけではありません。美術作品を見たときに「なぜここに光が当たっているのか」、「どんな情景を伝えているのか」など、鑑賞を楽しむためのヒントにもなります。同じ作品を見ていても、知っていると知らないとでは見えてくる物語や意味が変わります。

美術館などに足を運び、改めて作品を眺めてみてはいかがでしょうか。新たな発見があるかもしれません。




光によって見える色


   色は白と黒の濃淡で表現できる。まさにこの理屈でモノクロ映画の美しさを表現した人物がいます。

   『羅生門』(1950 年)などを数々の世界を魅了した映画作品をつくった黒澤明監督です。


『羅生門』


『7人の侍』



 当時、モノクロ映画は映像の美しさを追求するものではありませんでしたが、彼は「光と陰による色の効果」を利用して、モノクロ映画に色を感じさせることにこだわりました。

 それは彼が元々映画監督志望ではなく、画家志望だったからなのです。

 

 画家志望だった黒澤監督は、印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホの絵にあこがれていました。ゴッホの絵といえば、感情をむき出しにしたような鮮烈な色合いが特徴です。


『自画像』1887年春 フィンセント・ファン・ゴッホ



 そうした背景もあり、黒澤監督はとくに撮影するセットや衣装、背景の配色にはこだわっていました。

 侍が刀で斬り合い、吹き出す鮮血を墨汁にするなど、映像がモノクロ化されたときの濃淡をイメージしながら、撮影する対象の配色を意識していたのです。

 「モノクロ」の映像で、どれだけ「カラー」を印象づけられるのかが、その映画の鑑賞者の感動に大きな違いが出るということを、黒澤監督は絵画から学んでいました。


映画 絵コンテ 黒澤明監督


映画 絵コンテ 黒澤明監督


映画 絵コンテ 黒澤明監督


映画 絵コンテ 黒澤明監督


映画 絵コンテ 黒澤明監督


映画 絵コンテ 黒澤明監督



 色は、照らされる光の強弱によって鮮やかさが違って見えます。モノクロ映像や写真、デッサンの美しさは、対象物の色と光と陰のとらえ方に影響してきます。

 

 デッサンはモノクロの表現ですが、どれだけ色を感じとれたか、それを明暗表現に置きかえられたかで、そのデッサンの鑑賞者が感じるリアリティーは違ってくるのです。




光の空間演出


 19世紀フランス、バルビゾン派を代表する画家のひとりカミーユ・コローは、それまでの光の演出とは違った視点で、新しい明暗技法を切り開きました。


『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー



 近景・中景・遠景の光の演出(交差)によって、空間の奥行感を深めました。この手法は、舞台や映画撮影などでの照明演出にも使われています。


舞台の照明




明暗のサンドイッチで奥行感を演出している。





日本絵画と西洋絵画の違い


   西洋では日が暮れてもなかなか明かりをつけません。光が移ろう美しい時間を楽しんでいます。薄明りの中で過ごす時間が多い人ほど明暗の感度が敏感になるのです。東洋の線のこだわりに対し、西洋は光と影にこだわり、その表現に幅があるのです。


日本では、情緒に感動して癒され、心で理解する情緒思考文化が栄えました。江戸期に見られるような浮世絵、つまり視覚情報を簡略化した記号としての絵画です。

 西洋は、脳を刺激し成長させていく論理思考文化を追及しました。ルネサンス以降は特に写実が栄え、視覚をいかにして正確に描写するかを追求した絵画です。


 西洋絵画は、浮世絵や水墨画などの日本絵画に比べて、写実的に見えるものが多いと感じたことはありませんか?

 たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』(1495 年- 1498 年)と、長谷川等伯によって描かれた『松林図屏風』(1590 年代)を見比べてみましょう。

 奥行きの表現で切りとってみると、『最後の晩餐』では一点透視図法を用いて部屋の様子が立体的に描かれていたり、窓の外に見える山は空気遠近法によって、手前に描かれている人物などよりも淡くぼんやりと表現されたりしています。


『最後の晩餐』1495-97年 レオナルド・ダ・ヴィンチ

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会



一方『松林図屏風』では、墨の濃淡だけで、松林の奥行きが表現されています。


『松林図屏風』 安土桃山時代 16世紀 長谷川等伯



 もう1つ、奥行きとは別の観点でも大きな違いがあります。それは、光と陰の表現です。『最後の晩餐』のような西洋絵画は、光源を設定して光に対する陰影をつけることで、リアルな描写を行っています。

 それ対して、西洋の美術との交流がなかった時代の日本絵画では、光と陰の表現がほとんどありません。

 しかし、これは決して日本絵画が写実的な絵を描けなかったというわけではなく、光陰表現よりも輪郭や質感、配置といった表現に重きを置くという、日本独自のリアリズムが追求されていたことを意味しています。


線で描いた絵は、視覚情報の入り口(特に物体の境界となる線の位置、傾き、太さ、動き、奥行きなどのさまざまな要素を分析)に強く訴えかけ、面で描いた絵は、最終ステージ(特に質感のある面の組み合わせで作られる形など、統合された物体の情報を処理)に強く訴えかけます。


『富嶽三十六景-神奈川沖浪』 江戸時代 葛飾北斎





ものの印象を左右する光と陰の効果


 光と陰には、身の回りのものを立体的に見せるだけでなく、印象や雰囲気を作り出す効果もあります。


『聖マタイの召命』1600年 カラヴァッジオ




 たとえば顔の真下から光を当てると、顔の凹凸に陰影がつき、おどろおどろしい雰囲気になります。人を怖がらせようと顔の下から懐中電灯を当てるのは、この仕組みを利用しています。また、光の差す方向や強さを変えると、同じ顔でも違った雰囲気を伝えられます。


『トランプ詐欺師』1594年頃 カラヴァッジオ



 こうした光の効果は、映画や演劇の舞台の演出、モデルの撮影などの照明として、また建築やインテリアなどの空間デザインにも利用されています。

 たとえば、レストランの照明を想像してみてください。家族向けのファミリーレストランは、店内全体が明るく親しみやすい雰囲気が演出されています。一方で、大人向けのシックなバーなどでは間接照明などを使ってムードのある雰囲気が演出されていますよね。



 




光の力


 身の回りにある「光と陰」を観察し、その効果を活かした表現により印象深い絵に仕上げられるなど、気分や日常生活も豊かに演出されます。

   瞑想状態や何かに没頭している時に前頭葉のΘ波の数値が上がるようですが、"好き”や懐かしさ、心地よく感じる光の影響、心が揺さぶられることは具体的なデータ(数値)にしにくい。


 光の芸術と言われる西洋絵画の明暗表現が、観る人の心を高揚させ感動させるので”光”も似たような効果を引き出すのでしょうね。


 「心」が、脳科学で数値化できたら、美術は”教育”において、最も大切な科目だということが理解される。 


『聖マタイの召命』1600年 カラヴァッジョ



   人との会話で伝えたいことのうち、言葉で伝わるのは7%ほど、声(声色、抑揚、その他の音)が37%。残り55%は、表情やしぐさなどの言葉以外のコミュニケーション。しかし指さしなど身振り手振りを言葉の代わりにすると誤解をまねきます。

   人は感覚の83%を占める視覚情報で判断しているのです。


   絵を観ることや描くことで、観察力を磨いていくとそれまでとは違った視点が見えはじめます。最初は目の前にある問題だけしか見えなかったのが情報の領域が広がっていき、その物事に影響を及ぼしている周囲の状況が見えてきて、問題点の本質を理解していくのです。よく観ることで解決の糸口が見つかります。



 古代からパワーの源や希望の象徴となる「光」は、人にとってなくてはならない大切なものなのです。私たちの生活において「光」の効果は、まだまだ可能性を秘めているのです。




 

 



著書

“絵心がなくても立体的に描ける!

『線一本からはじめる 光と陰の描き方』より



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