top of page

『人は、見えないところから美しくなる』

執筆者の写真: 聖二 文田
聖二 文田
4 分前
読了時間: 21分

―― 一枚の肖像画が教えてくれた、ほんとうの人間の姿 ――





人の顔を描くことは、その人が生きてきた時間を描くことなのかもしれない。

幼いころ、私は父から絵の描き方を教わった。しかし、父がほんとうに教えようとしていたのは、絵の描き方ではなかった。

人を見ること。人を理解すること。そして、目には見えない誰かの悲しみに気づくことだった。

何十年もの歳月を経て、ようやく私はその意味を知ることになる。







第一章 人は、どこに描かれているのか

―― 人物画、東西の違い ――



父のアトリエには、二人の人物がいた。

一人は、静かに微笑む女性だった。

もう一人は、今にも画面から飛び出してきそうな、鋭い目つきの男だった。


「どちらが本物の人間に近いと思う?」


まだ小学生だった私は、迷わず女性を指さした。


「こっち。だって写真みたいだから」


父は笑った。


「じゃあ、こっちの男は人間じゃないのか?」

「人間だけど、顔が変だよ。手も大きすぎる」


父が机に広げていたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』と、東洲斎写楽の『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』だった。



レオナルド・ダ・ヴィンチ 《モナ・リザ》 1503年頃から制作
レオナルド・ダ・ヴィンチ 《モナ・リザ》 1503年頃から制作

東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》
東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》


「この女性は、何を考えていると思う?」

「うれしいこと?」

「そうかもしれないね。じゃあ、こっちの男は?」

「怒ってる」

「どうして?」

「目が怖いし、手がこうなってるから」


私は両手を大きく開いて、写楽の男の真似をした。

父は満足そうにうなずいた。


「ほら。君はもう、この人の気持ちを感じている」


私は首をかしげた。


「でも、本物の人間はこんな手をしてないよ」

「そうだね。だけど、見たままに描かなくても、その人らしさは伝わるんだよ」


父は鉛筆を取った。

紙の上に、丸を一つ描いた。

その下に一本の線を引き、左右に手足をつけた。

棒人間だった。


「これは人間に見えるかい?」

「見えるよ」


父は棒人間の背中を少し丸めた。


「じゃあ、これは?」

「おじいさん」


今度は両腕を大きく上げた。


「これは?」

「喜んでる人!」


父は鉛筆を置いた。


「人間を描くのに、目も鼻も口も必要ないことがあるんだ」


私は不思議だった。

それなら、なぜ父は毎日、何時間もかけて人間の顔を描いているのだろう。


「お父さんは、どうしてそんなに細かく描くの?」


父は少し考えてから言った。

「人間は、見えているものだけではできていないからだよ」

その意味がわかるまで、私は長い時間を必要とした。


ルネサンス期のイタリアでは、画家たちは人体の構造や遠近法、光の働きを研究した。

レオナルドは解剖によって筋肉や骨格を調べ、人物の外見の奥にある仕組みを理解しようとした。

一方、江戸の浮世絵師たちは、輪郭線や形の省略、表情の誇張によって、人物の性格や一瞬の感情を鮮やかに表現した。

もちろん西洋にも象徴的な表現があり、日本にも写実の伝統がある。

違っていたのは、人間の何を見せようとするかという、表現の選択だった。


それから三十年以上が過ぎた。

私は美術を教える仕事に就き、二人の息子の父親になっていた。


ある晩、仕事で疲れて帰ると、次男がリビングで絵を描いていた。


「お父さん、これ見て」


紙には、頭が大きく、手足の短い人間が描かれていた。


「誰を描いたの?」

「お父さん」

「こんなに太ってないぞ」

「だって、いつも大きく見えるんだもん」


私は笑った。

その人物の両腕は、家族全員を抱きしめるように広げられていた。


「どうして手がこんなに長いの?」


息子は当たり前のように答えた。


「みんなに届くように」


私はしばらく、その絵を見つめた。


父が教えてくれたことが、突然、胸の中で形になった。


写実的であることと、真実を伝えることは、必ずしも同じではない。

息子の描いた私は、鏡の中の私には似ていなかった。

けれども、私がなりたいと思っていた父親には、驚くほどよく似ていた。








第二章 世界でいちばん小さな共通語

―― 世界標準となった人物表現 ――



ある日、私は美術学校で、一枚の紙を受講者たちに配った。


「今日は、言葉を使わずに人を助ける絵を描いてください」


受講者の一人が尋ねた。


「どんな人を助けるんですか?」

「日本語が読めない人です」


教室が少しざわめいた。


「外国の方ですか?」

「そうです。でも、外国の方だけではありません。文字をまだ読めない子どもも、視力の弱い人も、言葉がうまく出てこない人もいます」


受講者たちは考え始めた。


誰かが車椅子を描いた。

誰かが階段を描いた。

誰かが両手を広げた人間を描いた。

しかし、どれも説明しようとすると複雑になってしまう。


「伝えたいことを、一つだけにしてください」


私はそう言った。

そのとき、一人の女性が、たった数本の線で走る人を描いた。


「非常口です」


教室から声が上がった。


「わかる!」


彼女は照れくさそうに笑った。


「私、絵が下手なんですけど」

「いいえ。今、あなたの絵は人を助けました」


1964年、東京でオリンピックが開催された。

世界中から訪れる人々に、言葉の壁を越えて情報を伝える必要があった。

そこで日本のデザイナーたちは、施設を案内する図記号を体系的に整備した。

ピクトグラムそのものは以前から存在していたが、東京大会での取り組みは、国際的な公共サインの発展に大きな影響を与えた。


ピクトグラム
ピクトグラム


日本には古くから、家紋のように、複雑な意味を単純な形に託す文化があった。

一本の線。

一つの円。



家紋
家紋


わずかな形の組み合わせ。

それだけで、人は国境を越えて理解し合える。






その日の授業が終わったあと、女性が私のところへ来た。


「先生、私、ずっと自分には才能がないと思っていたんです」

「どうしてですか?」

「子どものころから、絵が上手な人と比べられてきましたから」


私は彼女の描いた非常口の絵を見せた。


「今日、この絵を見た人が、迷わず安全な場所に逃げられたとしたら?」


彼女は黙っていた。


「それでも、この絵は下手でしょうか」


女性は、ゆっくり首を横に振った。


帰り際、彼女は言った。


「先生。私、初めて絵を描いてよかったと思いました」


窓の外では、夕暮れの街に明かりが灯り始めていた。


駅の階段にも、病院の廊下にも、空港の壁にも、小さな人間たちが描かれている。

誰が描いたのか、ほとんどの人は知らない。

けれども、その小さな人間たちは、今日も見知らぬ誰かを助けている。


芸術とは、名前を残すことだけではない。誰かの道を照らすことでもあるのだ。








第三章 同じ空を見ていない

―― 動物の目 ――



父のアトリエには、よく猫が迷い込んできた。

窓辺で丸くなり、私たちが絵を描く様子を、退屈そうに眺めていた。


ある日、私は猫の顔を描いていた。


「目が違うな」


父が言った。


「ちゃんと見て描いたよ」

「そうか。じゃあ、この猫は何を見ている?」


私は猫の顔をのぞき込んだ。

猫は突然、窓の外へ顔を向けた。


私には何も見えなかった。

しかし数秒後、庭の茂みから小鳥が飛び立った。


「猫には、君より先に気づけることがあるんだ」


父は言った。


「人間は、何でも見えていると思いがちだけどね」




デューラー《野うさぎ》
デューラー《野うさぎ》


藤田嗣治の猫の表現
藤田嗣治の猫の表現



草食動物の多くは、頭の左右に離れた目を持つ。

広い範囲を見渡し、危険を察知するためだ。

一方、猫などの捕食動物は、前方に向いた目によって距離を捉えやすくなっている。


鳥には、空を飛ぶための独特な視覚がある。

魚には、水の中で生きるための視覚がある。

生き物たちは、それぞれ違う世界を見ながら、同じ地球で暮らしている。


大人になった私は、ある日、長男と口論した。

進路のことだった。


私は、彼の将来を心配していた。

「もっと先のことを考えなさい」

息子は黙っていた。

「お父さんは、君のためを思って言っているんだ」

すると息子は、小さな声で言った。

「お父さんと僕とは、見てる未来が違うんだよ」

私は言葉を失った。


その夜、父のアトリエにいた猫のことを思い出した。


私には見えなかった小鳥。

けれども猫には見えていた世界。


人間も同じなのかもしれない。


親には親の見える世界がある。

子どもには子どもの見える世界がある。


教師には教師の、学ぶ人には学ぶ人の、年老いた人には年老いた人の景色がある。

どちらが正しいということではない。


それぞれが、自分の場所から世界を見ているのだ。


翌朝、私は息子に言った。


「昨日はごめん。お父さんには見えていないものがあるのかもしれない」


息子は驚いた顔をした。


「何が見えてるのか、教えてくれるか」


少し間を置いて、息子は笑った。


「うん」


人を理解するというのは、相手と同じものを見ることではない。

自分には見えない景色があると知ることなのだ。







第四章 しわの数だけ、愛された人

―― 魔女の顔 ――



母の顔が、少しずつ変わっていった。


若いころの母は、いつも忙しかった。

洗濯物を干し、食事を作り、家族の世話をしながら、父の制作を支えていた。


母は、自分のことをあまり語らない人だった。

それでも、家の中にはいつも母の気配があった。


味噌汁の湯気。

干した布団の匂い。

夕暮れに聞こえる台所の水音。


私にとって母とは、そういうものだった。


やがて母は病を得て、長い療養生活に入った。


施設を訪ねるたび、私は母の顔が変わっていくことに気づいた。

頬は細くなり、目の周りに深いしわが刻まれた。

かつて力強かった手も、小さくなっていた。


ある日、私は母の横顔を描こうと思った。

鉛筆を握り、額の線を追い、頬の影を探した。

しかし、描けば描くほど、母から遠ざかっていくような気がした。

「どうしてだろう」

私は紙を伏せた。


そのとき、母が笑った。


何がおかしかったのか、今となってはわからない。

けれども、その笑顔は、私が子どものころに見ていた母の笑顔と少しも変わっていなかった。



レオナルド・ダ・ヴィンチによる、年齢や個性を強調した顔の習作
レオナルド・ダ・ヴィンチによる、年齢や個性を強調した顔の習作


レオナルドは、人間の顔の特徴を研究し、ときには極端に誇張した人物の顔を描いた。

童話に登場する魔女の顔にも、年齢による骨格や皮膚の変化を強調した造形が見られる。

けれども、顔の変化は、単純な衰えの物語ではない。

そこには、長い時間を生き抜いてきた証しがある。


私はもう一度、紙を広げた。

今度は、しわを数えるのをやめた。

母が笑ったときに動く頬を描いた。

私の名前を呼ぼうとするときの、唇の形を描いた。

幼い私を見つめていた、あの眼差しを描いた。


不思議なことに、そこには年老いた母と、若かった母が同時に現れた。


「お母さん」


私が呼ぶと、母は顔を上げた。


「ありがとう」


母は、何も言わなかった。

ただ、私の手を握った。

その手の温かさだけが、言葉よりも確かな返事だった。


後になって私は思った。

人の顔に刻まれたしわは、単なる老化の跡ではない。

笑った日も、泣いた夜も、誰かを心配して眠れなかった時間も、すべてを通り抜けてきた証しなのだ。


若さだけが美しいのではない。

人は、長く生きた分だけ、顔の奥に物語を持つようになる。







第五章 写真に写らなかった人

―― 絵だから伝えられる人物表現 ――



ある年の冬、私は一枚の古い写真を見つけた。

そこには、若い父が写っていた。

まだ私が生まれる前の写真だった。


父は少し緊張した表情で、こちらを見つめていた。

私はその顔を見ながら、不思議な違和感を覚えた。

写真の父は、私の知っている父ではなかった。

厳しく、寡黙で、何時間もアトリエにこもっていた父。


けれども、私が思い出す父には、別の顔があった。


絵の具で汚れた手で、私の頭を撫でた父。

入学試験に落ちて帰った私に、何も言わず温かい茶を出した父。

私が初めて美術の仕事に就いたとき、誰よりもうれしそうにしていた父。


その顔は、写真のどこにも写っていなかった。


私は父の肖像画を描くことにした。

最初は、写真を見ながら描いた。

輪郭を測り、目鼻の位置を確かめ、明暗を丁寧につけた。

しかし、完成に近づくほど、父が遠くなった。


「似ているのに、違う」


妻が絵を見て言った。


「そうなんだ」

「あなたが知っているお父さんは、もっと優しい顔をしていたんじゃない?」


私は驚いた。


「どうしてわかるの?」

「あなたが、お父さんの話をするときの顔を見ているから」


その夜、私は写真をしまった。

記憶の中の父を描き始めた。



フェルメール 《真珠の耳飾りの少女》 1665年
フェルメール 《真珠の耳飾りの少女》 1665年


フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を見ていると、私はいつも、少女が何かを言いかけているように感じる。

彼女が実際に何を考えていたのかはわからない。

そもそも、この作品は特定の人物の肖像というより、人物の表情や装いを研究した「トローニー」と考えられている。

それでも、見る人はそこに一人の人生を感じ取る。



ゴッホ《自画像》1887年
ゴッホ《自画像》1887年


ゴッホの自画像もそうだ。

絵の具の筆跡は激しく、色彩は現実の肌の色から離れている。

しかし、私たちはそこに、写真とは異なる人間の存在感を見いだす。


絵は、外見を記録するだけのものではない。

描く人の眼差しと、見る人の想像力が出会う場所なのだ。


父の肖像画が完成したのは、春の終わりだった。

絵の中の父は、少し笑っていた。

実際には、そんな表情を見せることは多くなかった。

それでも私は、その絵こそ父に似ていると思った。


妻が言った。


「いい顔ね」


私は答えた。


「うん。やっと会えた気がする」


人は、亡くなったあとも、写真の中だけに残るのではない。


誰かの記憶の中で、何度も表情を変えながら生き続ける。

そして、その人を思い出すたびに、私たちは少しずつ新しい顔を見つけていく。






第六章 不器用な体で、生きていく

―― 進化の話 ――



ある日、私は授業で人体の骨格を描いていた。


背骨の曲線。

肩甲骨の動き。

骨盤の傾き。


学生たちは、難しそうな顔をしていた。

「どうして人間の背骨は、こんなに曲がっているんですか?」

一人が尋ねた。

「まっすぐだったら、描きやすいのに」

私は笑った。


「人間は、まっすぐな棒のようには立てないんです」


人間の背骨には、生理的な湾曲がある。

その曲線は、直立した姿勢で頭や胴体を支え、衝撃を和らげる働きを持つ。

二足歩行の進化は、手を自由に使う能力とともに、身体への独特な負担ももたらした。

人間の体は、完全無欠に設計された機械ではない。

長い進化の歴史の中で、環境に適応しながら受け継がれてきたものだ。



レオナルド・ダ・ヴィンチ《ウィトルウィウス的人体図》 1485年頃  アカデミア美術館(ヴェネツィア)
レオナルド・ダ・ヴィンチ《ウィトルウィウス的人体図》 1485年頃 アカデミア美術館(ヴェネツィア)


私は学生たちに言った。

「人間の体は、完璧だから美しいのではありません。生きるために工夫を重ねてきた、その形が美しいんです」

その言葉を口にしながら、私は自分自身のことを考えていた。


数年前、私は突然、体調を崩した。

それまで当たり前に動いていた体が、当たり前ではないことを知った。


病院の白い天井を見つめながら、私は初めて、自分の体に対して申し訳ない気持ちになった。

毎日、無理をさせていた。

疲れていても働き続けた。

眠る時間を削り、食事を急ぎ、体の小さな訴えを聞こうとしなかった。

まるで、壊れることのない道具のように扱っていた。


退院後、私は歩く時間を増やした。

朝の光を浴び、風の匂いを感じ、季節の移り変わりを眺めた。

以前なら、ただ通り過ぎていた景色だった。


ある朝、公園のベンチに腰掛けると、小さな子どもが転んだ。

母親が駆け寄った。

子どもは泣きながら立ち上がり、また走り始めた。

私は、その姿をしばらく見つめていた。


人間は、転ぶ生き物なのだ。

転ばないように進化したわけではない。

転んでも、立ち上がれるように生きてきた。


私は自分の手を見た。

少ししわが増え、若いころより動きが鈍くなった手。

それでも、この手はまだ絵を描ける。

誰かの手を握ることができる。


私は静かに思った。


不完全であることは、生きていることの欠点ではない。

不完全な体で、それでも今日を生きようとすること。その姿そのものが、人間の美しさなのだ。







第七章 暗闇に差し込む、一本の光

―― 光の芸術 ――



父は、光の描き方に厳しかった。

「明るいところばかり見てはいけない」

デッサンをしている私に、父は何度もそう言った。

「暗いところをよく見なさい」


私は不満だった。


「暗いところなんて、何も見えないよ」

「見えないんじゃない。まだ観ようとしていないんだ」


父は石膏像の横にランプを置いた。

すると、白い顔の半分が暗闇に沈んだ。


「光は、何によって見えると思う?」

「明るいから」

「違う。暗いところがあるからだよ」


十七世紀のイタリア。

画家カラヴァッジョは、劇的な明暗の対比によって、人間の感情や宗教的な物語を表現した。

『聖マタイの召命』では、暗い室内に差し込む光が、登場人物たちの視線や身振りを結びつけている。



カラヴァッジオ 《聖マタイの召命》1600年
カラヴァッジオ 《聖マタイの召命》1600年


光は単に物体を明るくするものではない。

そこにいる人間の存在を際立たせ、物語の意味を変える力を持っている。


スペインのベラスケスが描いた『ラス・メニーナス』にも、光と視線が複雑に交差する世界がある。



ディエゴ・ベラスケス 《ラス・メニーナス 女官たち》 1656年
ディエゴ・ベラスケス 《ラス・メニーナス 女官たち》 1656年


そして十九世紀、コローは柔らかな光の移ろいによって、記憶の中の風景のような絵画を生み出した。


カミーユ・コロー 《モルトフォンテーヌの思い出》 1864年
カミーユ・コロー 《モルトフォンテーヌの思い出》 1864年


私は、この絵を見るたびに、母と歩いた最後の散歩道を思い出す。


あの日、空は薄く曇っていた。

施設の庭には、木漏れ日が落ちていた。


母はゆっくり歩きながら、セラピードッグを見つめていた。

「かわいいねえ」

その声は、とても小さかった。


私は母の横を歩いた。

何か大切なことを話そうと思っていた。

けれども、結局、何も言えなかった。


母は立ち止まり、木々の向こうを見た。

「きれいだねえ」

私は母の視線を追った。


そこには、特別なものなど何もなかった。

ただ、午後の光が葉の隙間からこぼれていた。


今でも私は、あの光を忘れられない。

母が亡くなったあと、私は何度もその場面を思い出した。


もっと話しておけばよかった。

もっと一緒に過ごせばよかった。

そんな後悔が、暗い影のように心に残った。

けれども、ある日、コローの絵を眺めていて気づいた。


あの日、母は幸せだったのかもしれない。


特別な会話がなくても。

立派な親孝行ができなくても。


ただ一緒に歩き、同じ光を眺める。

それだけで十分な時間が、人生にはあるのだ。


私は父の言葉を思い出した。


「暗いところをよく見なさい」


悲しみの中には、見ようとしなければ気づかない光がある。


失ったものばかり数えていると、そこに確かに存在した幸福を見落としてしまう。

あの日の母の笑顔は、もう二度と見ることができない。

それでも、あの光は消えていない。

私が思い出すたびに、胸の奥で静かに灯る。


光とは、暗闇を消すものではない。暗闇の中にも、大切なものがあると教えてくれるものなのだ。







第八章 欠けたままで、美しい

―― 未完成の美学、トルソの話 ――



私が初めて『ミロのヴィーナス』の写真を見たのは、少年のころだった。


「お父さん、どうして手がないの?」


父は答えた。


「長い年月の間に失われたんだよ」

「じゃあ、壊れてるんだね」

「そうだね」

「どうして直さないの?」


父は少し笑った。


「君は、手がないと美しくないと思うかい?」


私は写真をじっと見つめた。


白い大理石の体。

わずかに傾いた腰。

布の柔らかなひだ。

そして、失われた両腕。


不思議なことに、私はその腕がどこにあったのか、想像し始めていた。


「何か持っていたのかな」

「そうかもしれない」

「誰かに手を伸ばしていたのかな」

「それも、いいね」


父は言った。


「ないものを想像できるのも、人間の力なんだ」



《ミロのヴィーナス》
《ミロのヴィーナス》

《ベルヴェデーレのトルソ》
《ベルヴェデーレのトルソ》


古代ギリシアの彫刻には、頭や手足を失った姿で現代に伝わるものがある。

『ベルヴェデーレのトルソ』は古代の彫刻であり、ミケランジェロが深く研究した作品として知られている。

『ミロのヴィーナス』も、1820年にミロス島で発見されたときには、すでに両腕を失っていた。


私たちは、その失われた部分を想像しながら作品を見る。

欠けているからこそ、見る人の心が働く。

完成していないように見えるものが、想像力の中で豊かに広がっていく。


父が亡くなったあと、私はアトリエを片づけていた。


古い絵の具。

使い込まれた筆。

途中まで描かれたキャンバス。


そこには、完成しなかった作品が何枚も残されていた。


私は、その一枚の前で立ち止まった。

まだ輪郭だけが描かれた人物画だった。

顔は描きかけで、手も途中で終わっていた。

「どうして、これを完成させなかったんだろう」

私はつぶやいた。


父は生涯、絵を描き続けた。

それでも、すべての作品を完成させたわけではなかった。

やり残したこともあっただろう。

描きたかった風景も、会いたかった人も、伝えたかった言葉も、きっとあったはずだ。


私はその絵を見ながら、初めて父を一人の人間として感じた。

父親でもなく、画家でもなく、教師でもない。

限られた時間の中で、何かを追い求めていた一人の人間。

その姿が、たまらなく愛おしく思えた。


妻がアトリエに入ってきた。


「どうしたの?」

「この絵、未完成なんだ」


妻はしばらく眺めてから言った。


「でも、いい絵ね」

「そう思う?」

「うん。描いている途中のお父さんが、そこにいるみたい」


私は胸が熱くなった。


父の人生も、きっと未完成だったのだ。

そして、私の人生も未完成のままだ。

それでいいのかもしれない。


人は、すべてを成し遂げてから人生を終えるわけではない。

何かを残し、何かを託し、次の世代へと時間を手渡していく。

ミロのヴィーナスが失われた腕を想像させるように、父の未完成の絵もまた、私に続きを想像させた。


私は絵の裏側に、小さく日付を書いた。

そして、何も描き足さず、そのまま額に入れた。


完成させることだけが、作品への愛情ではない。

描きかけのまま、大切に残すという愛情もある。







終章 最後の肖像画



秋の午後だった。


私は自宅の窓辺で、一枚の肖像画を描いていた。

モデルは、妻だった。


長い年月を一緒に過ごしてきた。

子どもたちが生まれ、成長し、家を離れていくまで、さまざまな出来事があった。

楽しい日ばかりではなかった。

互いに疲れ、言葉が足りず、すれ違った夜もあった。

それでも、気がつけば、同じ食卓を囲んでいた。


妻は窓辺に腰掛け、本を読んでいた。

午後の光が頬を照らしている。

「じっとしていなくていいの?」

妻が尋ねた。

「いいよ。いつもどおりで」

私は鉛筆を走らせた。


若いころなら、顔の輪郭や目鼻の位置を正確に捉えることに夢中になっていただろう。

けれども、今は違った。

本をめくる指先。

少し丸くなった背中。

考えごとをするときの口元。

そこには、私と過ごした長い時間があった。


ふと、妻が顔を上げた。

「何をそんなに見ているの?」

私は答えた。

「今まで、ちゃんと見ていなかったものを」

妻は笑った。

「何それ」

私も笑った。


机の上には、父の使っていた古い鉛筆が置かれていた。

その横には、息子が幼いころに描いた、両腕の長い私の絵があった。


私は思った。


レオナルドは、人体の奥にある仕組みを知ろうとした。

写楽は、人物の一瞬の表情に、人間らしさを凝縮した。

フェルメールは、光の中に静かな存在を描いた。

ゴッホは、筆跡と色彩に自分自身の感情を託した。

そして父は、私に人を見ることを教えてくれた。


それぞれの画家が、異なる方法で人間を描いてきた。

しかし、彼らの作品を見つめていると、一つの問いが浮かび上がってくる。


人間とは、何なのだろう。

その答えを探すために、私たちは何千年もの間、人の姿を描き続けてきたのかもしれない。


私は妻の顔を見た。

そこには、若いころにはなかったしわがあった。

けれども、若いころには見えなかった美しさもあった。

私はそのしわを、一本ずつ丁寧に描いた。


妻が言った。


「そんなにしわを描かないでよ」


私は笑って答えた。


「大切なところだから」

「どうして?」

「一緒に生きてきた時間だから」


妻は何も言わなかった。

ただ、少し照れくさそうに笑った。


その笑顔を描こうとして、私は鉛筆を止めた。

あまりに美しくて、しばらく見ていたかったのだ。


窓の外では、秋の風が木々を揺らしていた。

遠くから、子どもたちの声が聞こえた。


私はもう一度、紙に向かった。

線を一本引く。

また一本引く。

その一本一本が、誰かと過ごした時間につながっているように思えた。


いつか、この絵も古くなるだろう。

紙は黄ばみ、色は褪せ、描いた私の名前も忘れられるかもしれない。

それでも、遠い未来に誰かがこの絵を見つけたとき、そこに描かれた女性が、確かに誰かに愛されていたことを感じてくれたら。

それだけで十分だった。


私は最後の線を引いた。

絵は、まだ完成していなかった。

けれども、もう急ぐ必要はなかった。


妻が立ち上がり、台所へ向かった。


「お茶、飲む?」

「うん」

「少し休んだら?」


私は鉛筆を置いた。


「そうするよ」


湯を沸かす音が聞こえてきた。


私は、描きかけの肖像画を見つめた。

そこには、世界で最も美しい顔があった。


誰かが選んだ美人でもなく、歴史に名を残す人物でもない。

毎日、同じ家で暮らし、同じ季節を重ねてきた人の顔だった。


私はようやく、父の言葉の意味を理解した気がした。


人間は、見えているものだけではできていない。


その人が愛したもの。

失ったもの。

守ろうとしたもの。

誰にも言えなかった悲しみ。

誰かに与えた小さな優しさ。


そうした目には見えないものが、少しずつその人の姿をつくっている。

だからこそ、人を描くということは、人を知ろうとすることなのだ。

そして、人を知ろうとすることは、その人を大切にすることから始まる。


台所から妻の声がした。


「お茶、入ったよ」

「今、行く」


私は立ち上がった。


描きかけの絵を、そのまま窓辺に残して。

今日という日は、まだ終わっていない。

私たちの人生も、まだ描きかけなのだから。


人は、誰かの心に描かれることで、もう一つの人生を生きる。 そして、愛された人の肖像画は、たとえ描かれなくても、誰かの胸の中で完成している。

 
 
 

コメント


©2023 by 文田聖二 SEIJI FUMITA。Wix.com で作成されました。

bottom of page