見えないものを、見る人――家族の記憶と、日本の美意識

朝、カーテンを開けると、
昨日までとは少し違う光が部屋に入ってきた。
秋が近づいている。
そう思ったのは、気温が何度下がったからでも、カレンダーを見たからでもない。
光の色が違ったのだ。
夏の光には、こちらへ押し寄せてくるような力がある。
けれど秋の光は、少し遠くからこちらを見ている。
私はしばらく窓辺に立っていた。
ベランダでは妻が花に水をやっている。
ジョウロからこぼれる水が葉に当たり、小さな粒になって朝日に光った。
それだけの風景だった。
けれど、なぜだろう。
歳を重ねるほど、こういう何でもない光景を、私は何度も見つめるようになった。
若い頃なら見過ごしていただろう。
美しいものは、美術館の中にあると思っていた。
けれど今は違う。
人生の後半になって、ようやくわかってきた。
美しいものは、そこにあるのではない。
こちらが気づいたときに、初めて現れるのだ。
観るということ
日本語には、不思議な言葉がある。
「観察」。
観て、察する。
ただ「見る」のではない。
目の前にあるものをよく観て、その奥にあるものまで感じ取ろうとする。
考えてみれば、日本人は昔から、見えないものを見ようとしてきた。
風は見えない。
けれど、芒が揺れれば風が見える。
雨は一粒一粒を目で追うことなどできない。
けれど歌川広重は、斜めに走る無数の線によって、夕立そのものを絵の中に出現させた。

《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》。
橋を急ぐ人々。
突然降り出した雨。
川面。
遠く霞む対岸。
そこに描かれているのは、雨という「物」ではない。
「あ、降ってきた」
そう言って人々が足を速める、あの瞬間の気配なのである。
日本美術は、ものを描きながら、ものではないものを描いてきた。
尾形光琳の《燕子花図屏風》にも、それを感じる。

金地の上に燕子花が群れている。
ところが、すべてを説明してはいない。
空も描かれていない。
地面もない。
遠近法による奥行きさえない。
それなのに、眺めていると、花と花のあいだに風が通る。
描かれていないところから、季節が立ち上がってくる。
日本人は「描く」ことと同じくらい、「描かない」ことを大切にしてきたのかもしれない。
長谷川等伯の《松林図屏風》を前にすると、そのことがよくわかる。

霧の中から松が現れ、そして消えてゆく。
何も描かれていない白い空間が、むしろ最も多くを語っている。
霧なのか。
朝なのか。
夢なのか。
記憶なのか。
見る人の心によって、余白は姿を変える。
だから日本の美には、完成を鑑賞するというより、見る人が参加する余地がある。
余白とは、何もない場所ではない。心が入っていける場所なのだ。
母の中に降っていた雪
そんなことを考えていると、母のことを思い出した。
大学受験のため鹿児島を離れ、東京へ出てきてから、両親とは長距離電話や手紙で連絡を取り合った。
子どもの頃の母は厳しかった。
しつけにも教育にも厳しく、私はよく叱られた。
ところが不思議なもので、子どもが大人になるにつれて、親は少しずつ違う顔を見せるようになる。
母は歳を重ねるほど穏やかになり、よく笑うようになった。
やがて母は病を患い、入退院を繰り返したあと、介護施設で暮らすようになった。
ある日、施設へ電話をすると、
「いま、セラピードッグと散歩していますよ」
と職員の方が教えてくれた。
携帯電話につないでもらった。
母の声がした。
犬との散歩が楽しいらしい。
声は、少女のように弾んでいた。
私は東京で受話器を握りながら、その声を聞いていた。
鹿児島の空。
散歩道。
犬の足音。
母の笑顔。
何ひとつ見えていないのに、不思議なほど景色が見えた。
それが、母ときちんと言葉を交わせた最後の電話になった。
その後、母の中から少しずつ家族の記憶が薄れていった。
電話をしても、会話がこちらへ戻ってこないことが増えた。
ある日、母が言った。
「雪が降ってきた。きれい」
私は一瞬、何と答えればいいのかわからなかった。
母が見ている雪を、私は見ることができない。
それが現実の雪だったのか、記憶の中の雪だったのかも、今となってはわからない。
けれど最近になって思う。
それでよかったのではないか、と。
母の心の中には、本当に雪が降っていたのだ。
静かな雪だったのだろう。
母は晩年、
「寂しくない、楽しいことしか思い出さない」
というようなことを口にした。
若い頃から家族のことばかり心配していた人だった。
だから私は、少し勝手な想像をする。
母は人生の最後になって、ようやく「誰かのため」ではなく、自分の心の中を自由に歩けるようになったのではないか。
そこには好きだった物語があり、懐かしい風景があり、若かった日の自分がいて、時折、美しい雪が降った。
母の記憶から私が消えていったことは、寂しい。
けれど、
人を愛するということは、いつまでも自分を覚えていてもらうことではないのかもしれない。
その人の心に、最後まで美しい景色が残っていることを願うこと。
それもまた、愛なのだと思う。

子どもたちの、小さな大冒険
記憶というものは不思議だ。
親が「覚えていてほしい」と願ったことほど、子どもは忘れている。
反対に、親が何とも思っていなかった一日を、子どもは宝物のように覚えている。
二人の息子がまだ幼かった頃、私たちはいろいろな場所へ出かけた。
遊園地にも行った。
旅行もした。
美味しいものも食べた。
親としては、そういう時間こそ「家族の思い出」になるのだと思っていた。
ところが成人した次男が、ある日、懐かしそうに話した思い出は違っていた。
幼稚園の頃、小学生だった兄とその友だちに連れられて、子どもだけでバスに乗ったこと。
最寄りの駅までの、ほんの短い旅だった。
大人から見れば、たいした距離ではない。
けれど幼い次男にとって、それは世界の果てまで行くような大冒険だったのだろう。
バスのドアが閉まる。
家が遠ざかる。
知らない人たちが乗っている。
料金を払う。
降りる場所を間違えないようにする。
隣には兄がいる。
怖い。
でも、わくわくする。
私はその話を聞きながら、《鳥獣戯画絵巻》を思い出した。


兎が走る。
蛙が転ぶ。
猿が騒ぐ。
そこには英雄も王様もいない。
描かれているのは、笑ってしまうほど生き生きとした日常だ。
歴史とは、戦争や権力者だけでできているのではない。
名前も残らなかった人たちが笑い、転び、食べ、遊び、誰かを好きになった。
その無数の日常の上に、私たちの現在がある。
息子にとってのバスの旅も、歴史の教科書には載らない。
けれど彼の人生にとっては、かけがえのない歴史なのである。
私はそこで気づいた。
幸福とは、大きな出来事の名前ではない。あとになって何度も思い出してしまう、小さな時間のことなのだ。
北斎は、富士山を見ていたのか
葛飾北斎は、生涯にわたって富士を描いた。
《凱風快晴》。
《神奈川沖浪裏》。




何度描いても、富士は同じ富士ではなかった。
晴れた富士。
風の富士。
働く人々の向こうにある富士。
波の向こうにある富士。
北斎が描いていたのは、山の形だけではなかったのだと思う。
「今日、自分には世界がどう見えているか」
それを描き続けたのではないだろうか。
歳をとれば、見えるものが減ると思われがちだ。
けれど、そうとも限らない。
若い頃には見えなかったものが、歳を重ねることで見えてくる。
妻が花に水をやっている姿。
湯気の向こうにある朝食。
帰宅したときに灯っている家の明かり。
息子から届く何気ない連絡。
雨の日の匂い。
ベランダから見上げる雲。
若い頃なら「何でもない」と片づけていたものが、今は少し違って見える。
北斎が晩年まで「もっと描ける」と願ったのは、技術への執念だけではなかったのではないか。
歳を重ねるほど、世界にはまだ見えていないものがある。
そう知ってしまった人の、幸福な焦りだったのかもしれない。
雨を嫌わなくなった日
日本文化には、「不快」をただ排除するのではなく、その中に別の美しさを見つけようとする感覚がある。
雨が降れば、予定は狂う。
洗濯物は乾かない。
靴は濡れる。
けれど、広重はその雨を美に変えた。
春になれば桜を愛でる。
しかし日本人は、満開だけを愛したわけではない。
散る桜にも心を動かされた。
月も満月だけではない。
雲に隠れた月を眺める。
器も完全なものばかりを愛するのではない。
欠けや歪み、古びた肌合いに時間を見る。
つまり私たちは長い時間をかけて、
「世界を自分の都合どおりにする」
のではなく、
「自分の心の置き場所を少し変える」
という方法を学んできたのではないだろうか。
それは諦めとは違う。
むしろ、生きるための創造力である。
人生にも雨は降る。
思いどおりにならないことがある。
病気になる。
歳をとる。
別れが来る。
大切な人の記憶から、自分が消えてしまうことさえある。
それでも、その出来事の中に一本の美しい線を見つけることはできる。
広重が雨を線にしたように。
等伯が霧を余白にしたように。
光琳が季節を花の反復にしたように。
私たちもまた、自分の人生を別の見方で描き直すことができる。
それが「情緒で考える」ということなのかもしれない。
心には、余白が必要なのだ
私たちは、つい人生を埋めようとする。
予定を埋める。
知識を埋める。
物を増やす。
成果を増やす。
足りないものを探して、そこを埋めようとする。
けれど日本美術を見ていると、反対のことを教えられる。
余白があるから、風が通る。
描かれていないから、想像できる。
静けさがあるから、音が聞こえる。
人間の心も同じなのだろう。
心を何かで満杯にすることと、心が潤っていることは違う。
雨の音。
風の匂い。
空の色。
誰かの笑い声。
温かい食事。
家族がそこにいること。
深く息を吸えること。
それだけで、本当は一日はずいぶん豊かである。
幸福になるために、何かを足さなければならないと思っていた。
けれど歳を重ねるにつれて、私は逆のことを考えるようになった。
幸福とは、足すことではない。
すでにあるものに気づくことなのだ。
「きれい」と言える人生
夕方、妻がベランダから言った。
「空、きれいだよ」
私は仕事の手を止めて外へ出た。
西の空が淡い橙色に染まり、その上に薄い青が残っていた。
雲の縁だけが光っていた。
たった数分で消えてしまう空だった。
私はしばらく黙って見ていた。
そして、母の言葉を思い出した。
「雪が降ってきた。きれい。」
あのとき私は、母との会話が成立しなくなったことばかり悲しんでいた。
けれど今なら、少し違う受け取り方ができる。
母は最後まで、美しいものを見ることができていた。
それは、とても幸せなことだったのではないだろうか。
名前を忘れても。
昨日を忘れても。
自分がどこにいるのかわからなくなっても。
目の前に現れた何かを、
「きれい」
と思える心が残っていた。
それは、人間の心に最後まで残る、小さな灯のように思える。
日本の美意識とは、もしかすると、壮大な思想ではないのかもしれない。
風に気づく。
雨の音を聞く。
散る花を見る。
人の表情を察する。
言葉にならない気持ちを受け取る。
そして、何でもない一日の中で、
「ああ、きれいだな」
と思う。
その小さな心の動きこそ、何百年、何千年と私たちが受け継いできた文化なのではないだろうか。
夜になった。
妻がカーテンを閉める。
家の中に、いつもの明かりが灯る。
どこかの部屋から、生活の音がする。
昔、この家には子どもたちの声があった。
散らかった玩具があり、学校の鞄があり、兄弟喧嘩があり、笑い声があった。
今はもうない。
けれど、不思議なことに、なくなったものほど、ときどき鮮やかに見える。
母もそうだ。
父もそうだ。
幼かった息子たちもそうだ。
過ぎ去った時間は消えたのではない。
見えなくなっただけなのだ。
長谷川等伯の霧の向こうに松林が続いているように、
余白の向こう側に、私たちが生きてきた時間はちゃんとある。
だから、人生には余白が必要なのだろう。
何もせず、
ただ空を見る時間。
風を感じる時間。
昔の誰かを思い出す時間。
そういう時間の中で、見えなくなったものが、もう一度こちらへ戻ってくる。
私は窓を少し開けた。
秋の風が入ってきた。
見えない。
けれど、確かにそこにいる。
そのとき、ふと思った。
人生で本当に大切だったものは、
いつも、そうだったのかもしれない。
愛情も。
幸福も。
家族の記憶も。
美しさも。
目には見えない。
だから私たちは、何度も思い出す。
何度も見ようとする。
そしていつか、
見えないものを見ることができるようになる。
それが、歳を重ねるということなら、
老いていくことも、それほど悪いことではない。
窓の外で、木の葉が一枚揺れた。
私はその小さな動きを、しばらく眺めていた。
母が見ていた雪も、
息子が乗ったあの日のバスも、
父が見ていた風景も、
幼かった子どもたちの声も、
きっと、どこかへ消えてしまったのではない。
すべては今も、
私たちの心という余白の中にある。
そして、そのことに気づいた瞬間、
何でもなかった今日という一日が、
静かに、
かけがえのない一枚の絵になった。


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