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  • 執筆者の写真sfumita7

アート思考:考え方の転換「何を描くではなく、どのように描くか」

更新日:4月26日

"印象派の革命児”画家ポール・セザンヌの画法



ポール・セザンヌ作品『リンゴとオレンジのある静物』1895-1900年


中世時代から「キリスト教美術」が始まり、ルネサンス期に油絵などの画材や遠近法、明暗法、スフマート技法などの絵画技法の発展によって写実表現が創始されて、その後の西洋絵画のお手本となりました。

この西洋(写実)絵画の伝統的な技法では、まず下地を黄土色や茶色の絵の具で塗ります。こうして陰の部分を先に描いていきます。次に赤色や青色などの有彩色で明るい部分を描き重ねていきます。そして最後に鮮やかな色で細かい部分を描き込んで仕上げていきます。


ウジェーヌ・ドラクロワ作品『サルダナパールの死』1827年


このようにして描く古典絵画は、明るい部分ほど絵の具が厚く重なり、暗い陰の部分ほど絵の具の層が薄いのです。


一方セザンヌは、伝統の解体により、遠近法や明暗法などの古典技法のセオリー(伝統的な筆使いや色使い)にこだわりませんでした。

陰の部分にも有彩色を使い、彩度の違いを利用して奥行きを表現したり、ものの重なりで前後関係を描いたりしました。


『静物』1879-82年 ポール・セザンヌ



『サント・ヴィクトワール山』1904年  ポール・セザンヌ


「何を描くではなく、どのように描くか」にこだわって独自の画法で新しい絵画を生み出していったのです。

セザンヌが斬新で大胆な絵画革命を起こせた要因として、彼が伝統的な筆使い(写実表現)に苦手意識を抱いていたということがあります。具象表現が得意ではなかった彼は、独特な色使いや構図のとり方など自分らしさを活かせる技法を探求した結果、見出していった絵画表現といえます。自身の可能性を開いたことで、それまでにない絵画の可能性を広げていったのです。


『大水浴図』1906年 ポール・セザンヌ


セザンヌと同時代の画家たちは、学びたい画家の作品を所有しています。

たとえばピカソはセザンヌの水浴図の版画を所有していましたし、ゴーギャンやモネもセザンヌの作品を所有していました。いまのような情報社会ではないため、実際に手に入れて直に学ぶ必要があったのです。


ピカソが描いた絵『アヴィニョンの娘たち』は、セザンヌの「絵で何ができるか」という考え方に影響を受けて描いた絵です。ダ・ヴィンチの絵に見られる、平面上に奥行きを見せる遠近法を使って描いてきた西洋絵画の枠組みから完全に逸脱しています。


『アビニヨンの娘たち』1907年-1908年 パブロ・ピカソ


セザンヌが絵に多視点や幾何学を持ち込み開いた新しい絵画の扉を、ピカソはキュビズムの発展につなげ、その扉をさらに大きく開いていきます。この絵をきっかけとして、絵は現代のさまざまな表現へと拡大していきます。



『若きアルルカンの頭部』パブロ・ピカソ


『泣く女』1937年 パブロ・ピカソ

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