「石膏デッサン」解説と「写実とリアリズム」の話
現在でも美術学校では、石膏像をよく観て正確に計って写実的に描きますが、そのまま写そうとする作業とは違います。表面的な「現象」に合わせるのではなく、モチーフについて多角的な視点から知ること、特徴を理解し「印象・らしさ」を捉えることが大切なのです。
日本での写実主義の絵画は、楽器や壷などの静物や人物を「細密描写」で描くといった印象がありますが、西洋では「生と死」(リアリズム)をテーマとした骨や腐りかけた果実などのモチーフを描くといった概念の違いがあることを理解しましょう。
写真のように写し描くことが写実ではないのです。写真では伝達できない情報を人は五感で収集して脳で認識しています。
写実絵画は記録と記憶のハイブリットによって生まれます。様々な記録情報、対象物に関する記憶がブレンドされて描かれたものが写実絵画なのです。
『果物籠』 1596年頃 カラヴァッジョ
絵は五感を使って描きます。対象をただ写し描くことが写実ではなく、光の入り方、その時間帯、季節感など対象物を取り巻く(多角的)世界をどれだけ広く感じさせることができているかが重要です。その視野の広さ、視座の高さで伝わるリアリティが違ってくるのです。
また、画力と観察眼とは表面的な描写力だけではなく、観ているものの構造や光と影など周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力とその本質を的確な構図や技法で効果的に伝達する力です。
『牛乳を注ぐ女』1658年 フェルメール
よく観えるということは気づくということで、詳細まで理解できていることと同時に
俯瞰して全体が観えているということで、この観察力が生活すべてにおいて大切なのです。
この対応力は、絵を描くことにとどまらず、様々な仕事にも必要とされています。
『クリスティーナの世界』 1948年 アンドリュー・ワイエス
西洋では日が暮れてもなかなか明かりをつけないで薄明り、夕暮れ時を楽しむ習慣があります。薄明りの中で過ごす時間が多いほど、明暗の感度が敏感になるのです。
そんな西洋人は光と影にこだわり、明暗法が発展しました。
『聖マタイの召命』 1600年 カラヴァッジョ
また、なぜ像を描くのか?その像とはどういったもの(存在)なのか?を理解していきましょう。デッサンレッスンで描かれる石膏像は、古代ギリシャ像をかたどったものが多くあります。
『ミロのヴィーナス』 ヘレニズム期
古代ギリシャ彫刻の顔の表情があまりありません。これは古代ギリシャ人の『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくものです。
顔の表情で感情を表さなくても身のこなし(ポーズ)の中に「魂の働き」を表現することができると古代ギリシャ人は考えていました。
古代ギリシャの芸術家は言葉にならない感情や気分を伝える術「感情が体の動きにおよぼす影響」を十分に心得ていました。
古代ギリシャ時代につくられた“美の象徴”は、大理石像やブロンズ像でした。オリジナルの像は、ギリシャ文化を象徴するとてもすばらしいものでしたが、破壊や盗難などによりギリシャ人が造ったものはほとんど実在せず、以後は想像からつくられてきました。
それでも、長い歴史の中で数知れない量がコピーされ、今もなお描き続けられる理由は、ギリシャ彫刻の美しさが普遍的で永遠の宝物だったからです。そのすばらしさを理解するために彫像やアートの歴史的背景にも触れていきたいと思います。
石膏デッサン
石膏像と言うものは、明治政府が西洋の文化を取り入れて日本の近代化をはかっていた時代に美術においても同じく外国から先生を招いて、イタリアから招聘されたフォンタネージやラグーザなど古典派の画家や彫刻家が教材の一つとして持ちこんで石膏デッサンを始めたのが最初のようです。
石膏デッサンをすることの意味には、手の訓練、目の訓練と言ったことで絵画の基礎段階で行われるのでしょうが、西洋美術(古典主義の)では古代ギリシャ、ローマ美術が出発点となっていますから単に手と目の訓練と言うだけの目的ではなくヒューマニズム(人文科学)の美術そのものの勉強であったとも言えます。
※美の定義をビジュアルとしてお手本とするものが他にないのです。強いて挙げれば「巨匠の作品模写、裸婦」がモチーフとして伝統的に使われています。
※石膏像(ギリシャ彫刻などのレプリカ)デッサン、裸婦、模写すべて”解釈(美術そのものの勉強)“が大切です。
古代ギリシャ時代の初期、中期では崇高美、調和美が追求され神様の像が作られていましたがヘレニズム期には次第に表現が人間臭くなっていったと言われています。
ローマ時代ではギリシャ時代に完成された彫刻美の摸刻が盛んにされるのですが、肖像彫刻においては優れた個性の表現がされるようになったと言う事です。
ヘレニズム期にいたるまでに、美術が古くから保っていた魔術や宗教との関係をおおかた失ってしまいました。彫刻家たちの関心は、職人技そのものの優劣に向けられるようになり、このような劇的な闘いの場面を、その動きや表情や緊張感を含めてどう表現するのか、それが彼らの腕の見せどころになっていました。ラオコーンの運命の道徳的な善悪のことなど、彫刻家の脳裏には浮かびもしなかったことでしょう。
こういう空気の中で、裕福な人びとが美術品を収集するようになったのです。彼らは原作が手に入らない有名作品はコピーを作らせたし、原作が入手可能なものには法外な金をつぎ込みました。著述家たちが美術に関心を向けはじめ、芸術家たちの生涯について書き、その奇人ぶりを示す逸話を集め、旅行者向けのガイドブックを編纂しました。名を馳せた巨匠は彫刻家よりも画家の方が多かったようです。当時の画家たちの関心も、彫刻家たちと同様、宗教的な目的に奉仕するよりも、職人としての専門的な技巧の問題にむけられていました。
代表的な石膏像の解説
■青年マルス(アレス) 軍神、戦争の神 乱暴、残忍、冷血
紀元前5世紀に、古代ギリシャのアルカメネスという作家の作ったブロンズ彫刻が、
ローマ時代にコピーされたもの。
■古代ヴィーナス(ヒュギエイアの頭) 健康の女神
紀元前340年頃のも。アテネの神殿にあったその像の頭部とされているもので発掘当時
から顔面に損傷が多くあり、俗にアバタのヴィーナスと呼ばれている。
■ブルータス 政治家 学者肌、人に感化され利用されがちな性格
古代ローマで圧制者(シーザー)暗殺を成し遂げたブルータスの彫刻
ミケランジェロがこのブルータス像を作ったのは1539年頃で、60歳の頃の作品とされています。実際にミケランジェロが作ったのは頭部のみで、衣服のほとんどは弟子のカルカーニという人物がつくりました。きっちりとローマ風に作りこまれた衣服の部分とは対照的に、頭部の髪は未完成のままです。あまりに多忙だったミケランジェロは途中で投げ出してしまったようです。カルカーニが師匠の作った頭部に手を加えなかったのは非常に賢明な行動でした。おかげでミケランジェロのタッチがそのまま残され、私たち現代人も観ることができるのです。
”私たち皆にとって最大の危機は、高きを目指し失敗することではなく低きを目指して達成
することである。やる価値のあることは何であれ、初めは下手でも、やる価値がある。
些細なことから、完璧が産まれる。しかし、完璧は些細なことではない。余分な贅肉が
削ぎ落とされて、彫像は成長する。神よ、どうか、私を、お許しください。いつも、
創造を越えて、想像することを”
by ミケランジェロ・ブオナローティ
ミケランジェロ・ブオナローティ 1475年3月6日-1564年2月18日
•かっとなりやすい性格のため若い頃はけんかも多く、あるとき顔を殴られて鼻が曲がって
しまった。このためもあって容姿にコンプレックスを持ち、自画像を残さず、さらに気難
しい性格になってしまった。
•仕事に取り掛かるのは遅いがいざ始めると周囲が驚くほどの速度で仕上げたといわれる。
•彫刻の題材をどうやって決めるかをたずねられた際、「考えたこともない。素材が命じる
ままに彫るだけだ」と答えた。
•制作初期の段階でユリウス教皇に「完成はいつ頃になるのだ」と聞かれたところ、連日の
制作に疲れていたミケランジェロは苛立ち、「私が『出来た』と言った時です」と返答し
た。これに対し、気の荒いことで知られた教皇は「早く完成させないと足場から突き落と
すぞ」と言い返したという。
ミケランジェロが制作した 見上げさせるための彫刻ダヴィデ像
見上げる位置にセッティングすることを考え、胴体に対して顔を大きく首を長く制作し下から見た時にプロポーションが自然にみえるように造られています。
遠近法は絵画だけの技法ではないのです。
『ダヴィでとミロのヴィーナス』頭身図
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