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絵を描くことの楽しさを思い出す
更新日:2022年5月30日
壁や地面に描いた絵、クレヨンで描いた夏休みの思い出、着てみたいドレスや試してみたい髪型の絵、絵ハガキ、友達や先生の似顔絵、教科書に描いたラクガキ……。
子どものころを思い起こせば、ほとんどの人にとって絵は身近な存在だったと思います。今絵が苦手という人はいつから描くことが楽しくなくなったのでしょう。

『魚の魔術』 パウル・クレー
幼いころは、描く絵に「正解」を決めつけていなかったので、うまいもへたもなくワクワクして好きな色で自由自在に塗ったり線を描いたりしていました。それが年頃になるにつれ、人によっては漫画やアニメのキャラクターを描き写したい欲求が出てきて、上手に描けるクラスの人気者と比べてしまい、絵を描く才能の有無を決めつけていったのではないでしょうか。あるいは美術館や画集、美術の教科書などで写真のように描かれた写実絵画や個性的な名画に出会ったときに「自分には画家のような絵を描くことはできない」と思い込み、いつの間にか描く絵の「正解」を勝手に決めて「写真のようにうまく描き写せないから恥ずかしい」と絵を描くことを避けるようになっていった人も少なくないと思います。

『忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel)』1939年 パウル・クレー
大半の人が絵を描けないのではなくて、「描かなくなったから苦手だ」と思い込んでいるのです。絵に正解はありません。誰かに評価されることや喜ばせたり驚かせたりするためではなく、自分がワクワクできればいいのです。まずは絵を描きはじめることが大切です。どんな目的であっても絵を楽しんで描く習慣がつけば、誰でも上達していくのです。
漢字も絵の1つ?
「絵を描きたいけど人前で描くのは恥ずかしい」、「上手になってから披露したい」
そのように思っている人が多いかもしれません。そういう場合は、「絵の役割は視覚情報を伝えることである」ということを改めて考えてみましょう。
たとえば私たちが意識することなく使っている「漢字」は、象形文字がもとになっているといわれています。よく挙げられる例ですが、「木」という漢字は、まっすぐな幹と枝、地中の根っこ、という絵が、だんだんとシンプルに記号化されたものです。

この漢字の成り立ちに思いをはせると、漢字は情報伝達に特化した「絵」であることに気づくのではないでしょうか。
ほかにも街中にあふれている標識や案内板に描かれたピクトグラムを頭の中で思い描いてみてください。青信号の中の歩く人のピクトグラム、赤信号の中の立ち止まっている人のピクトグラム、これらも情報伝達に特化した「絵」です。

漢字にしてもピクトグラムにしても、線だけで簡単に表現できて、見ただけでダイレクトに情報を伝えられる立派な「絵」です。このように絵を情報伝達手段としてとらえれば、写実的である必要はありませんし、芸術性といったむずかしいことを考える必要もありません。こうやって考えれば、絵を描くことのハードルはぐっと下がるのではないでしょうか。

▲東京オリンピックで考案されたピクトグラムも情報伝達に特化した絵
絵は世界共通の言語
たとえば「赤色」という言葉を聞いて1つ画像を思い浮うかべてみてください。数人でやってみて、それぞれが頭の中に浮かんだものを絵に描き見せ合うことで、言葉や文字から想起されるものの違いに気づくことができます。ある人はトマト、ある人は赤信号など、さまざまな絵が描かれるでしょう。

「話し合いで、同じ目的なのになぜか意見が食い違ってしまう」という経験をした人は少なくないはずです。


普段の意思疎通では、ほとんどが言葉や文字を使っていますが、その言葉から想起されるイメージ画像は、人によってまちまちなのです。
人は考えたり理解したりするときに頭の中では自分なりのイメージ画像を思い浮かべています。そのため言葉や文字よりも、絵のほうが、自分の考えを正しく伝えられるし、相手との間で認識のズレが起こりにくいのです。


もし、視覚情報である標識や案内板が、すべて文字情報に代わってしまったらその場で正しい判断ができるかを想像してみてください。

慌てている場合は特に、自分の勝手な思い込こみから勘違いや読みまちがいをしやすくなるかもしれません。絵だからこそ、誰もが一瞬で同じ内容を認識できるのです。
このように、絵は言葉を超えた「共通の言語」といえます。
古代壁画や絵巻物に学ぶ 平面的な絵の技法
古代から絵を描くことは日常的に行われていました。たとえば紀元前に3000年も続いた古代エジプト文明では、伝達手段・記録手段として絵が利用されていました。
そこに描かれた植物などは現代の学者が見ても納得するほどの正確さで、資料的な観点からも非常に価値のあるものです。

そんな古代エジプトの壁画は、平面的な絵にもかかわらず、不思議な迫力あります。
ここではその表現技法に注目してみましょう。たとえば古代エジプト絵画では身分の高い人ほど大きく描かれています。そのため、透視図法で手前になるほど大きく、奥に行くほど小さく描く西洋絵画とは異なり、奥側であっても身分が高ければ、手前の人よりも大きく描かれているのです。それでもひたすら重ねて描かれているので奥行きが感じられるのです。

平面的だけど奥行きが感じられる絵としては、日本の絵巻物も挙げられます。日本の絵巻物は、西洋絵画とは違う遠近法である「吹抜け屋台」(斜め上の空に視点を置き、屋根と天井を無視して屋内を描いたもの)や「空気遠近法」(水墨画にみられる濃淡で奥行きを見せる表現)などの平面的な絵の技法を発展させてきました。

『源氏物語絵巻』

『松林図屏風』 安土桃山時代 16世紀 長谷川等伯
知っていると描けるワイングラス
絵を描くことは対象物(モチーフ)の表面的な見た目だけをそのまま写し描くことではありません。どれだけモチーフのことを知っているのか、その形や機能、そして作られた理由、時代背景までも含めて理解していると、描かれる絵にリアリティが生まれます。
たとえばワイングラスは、ワインを注ぐ部分(ボウル)とグラスを支える台(フット)、ボウルとフットをつなぐ長い取っ手(ステム)からできています。

ワインをグラスの中で回しながら香かおりを楽しむために、ボウルは球の形をしており、ボウルに注がれたワインが人の手で温められないようにステムが長い円柱形をしています。また、グラスがテーブルの上で安定して置けるようにフットは平たい円すいの形になっています。このようにワイングラスの形には理由があるのです。

ワイングラスは絵画のモチーフとしてもよく描かれており、その表現は、同じ酒類でもウイスキーグラスや日本酒の一升びん、ビールジョッキなどと比べてエレガントな印象でとらえられています。

これらの情報を深く理解して描くことで、ワイングラス1つでもキャラクターやストーリーを表現できるのです。絵を描く技法だけではなく、モチーフへのリサーチ量、観察量によって、その表現に差が出るといえるでしょう。
デッサンを学ぶと絵画鑑賞の楽しみ方も変わる
絵の対象物を「モチーフ」と呼びました。この「モチーフ」は、「モチベーション」、つまり描く目的を意味しています。
デッサンの基礎は、モチーフをよく観察することからはじめます。描きながらよく観察するとモチーフについて新しい発見があります。「絵に描けた」ということは「モチーフを理解できた」という実感につながります。そういった気づきが増えていくことで、モチーフへの印象が変わり、モチーフへの関心が深まっていくのです。
このようにデッサンの基礎を学ぶことで「描くコツ」だけではなく「観察のコツ」も身についていきます。そうして観察力が向上してくると、身のまわりのもの・風景だけではなく、絵画の見方も変わってきます。同時に、作者の制作意図への理解も深まっていくはずです。たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナ・リザ」も、よく観察すると「なぜ小さいサイズのキャンバスに描いたのか?」「飽きっぽい彼が、なぜこの絵だけは何度も加筆したのか?」「左右を違う表情で描き分けられた顔、大きく描いている右手のわけは?」「背景に描かれている風景はどこ?」といった疑問が湧くでしょう。この絵にたくさんの仕掛けがあることを知ると、それまでとはまったく違う絵として目に映り、違った興味が生まれてきます。

そんなダ・ヴィンチの言葉で、「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」というのがあります。
デッサンの基礎を学ぶと、五感の使い方が変わってくることに驚くはずです。
ベストセラーになった著書『伝わる絵の描き方』
この本は、これまでにないデッサンの教科書を作りたい、という想いからスタートしました。まったく描けない人から、もっとうまくなりたい人まで、あらゆるレベルの人が読めるように、なるべく専門的な言葉は使わずに、そして比較的やさしいけれど達成感のある題材を選んで解説したのが特徴となっています。また、デッサンの解説は感覚的になりがちですが、OCHABI artgym のコーチ陣それぞれが持つノウハウを1つ1つ分解して、できるだけ丁寧に描き方を解説しました。その結果、まったく新しいデッサンの教科書ができあがったと自負しています。

ここまで読んだ方は、線だけですばやくイメージを描いて伝えたり、人物や背景を含ふくめて、ある程度しっかりと組み立てられた絵を描くこともできるようになっているはずです。そうなれば、マンガのようなキャラクターを描いたり、より緻密な写実画を描いたり、自分のやりたい方向に絵を突き詰めていくことも容易でしょう。一方、絵の道に進むのではなくても、絵を描くことで身についた「ものをとらえる力」や「伝える力」は、誰にとっても必要なものです。
「デッサン」という言葉には、ものごとを観察し、情報を集め、そこから新しいものを生み出すという意味があります。教育や仕事の現場でもクリエイティブ思考やアート思考といった思考術が注目されていますが、その元をたどっていくと「デッサン力」につながっているといえるでしょう。
本書を通じて、絵を描くことの楽しさ、そして絵が持つさまざまな効用をみなさんに実感していただければ、これに勝る喜びはありません。
執筆者を代表して 文田聖二
文田聖二(ふみた せいじ) OCHABI artgym チーフコーチ
東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻 同大学大学院 美術研究科 壁画研究室 修了
同大学 非常勤講師を経て学校法人服部学園 御茶の水美術専門学校および美術学院で教鞭を取りながら、同学園OCHABI artgym 開発プロジェクトにコーチリーダーとして参加。6 年前より多くの企業研修を担当する。造形作家としても「岡本太郎現代芸術賞展」などさまざまな展覧会に参加。TBS ドラマ「天皇の料理番」に登場する画家の描く作品と絵画指導
を担当する。
著書
“絵心がなくてもスラスラ描ける!
『線一本からはじめる 伝わる絵の描き方』ロジカルデッサンの技法“より
