ブログ小説『自分の流』――正直に生きる人は、なぜ面白いのか
「お父さんって、どうして絵を描くの?」
昔、息子にそんなことを聞かれたことがある。
私は少し考えてから、
「描きたいからかな」
と答えた。
あまりにも単純な答えだったので、息子は少し拍子抜けしたような顔をした。
けれど、今になって思う。
あの答えは、案外、間違っていなかったのかもしれない。
人は大人になるほど、「やりたいから、やる」ということが難しくなる。
これは仕事になるだろうか。
誰かに評価されるだろうか。
失敗したら恥ずかしくないだろうか。
そんな問いが、いつの間にか「やりたい」という気持ちの周囲に柵をつくってしまう。
けれど子どもは違う。
描きたいから描く。
歌いたいから歌う。
面白そうだからやってみる。
そこにはまだ、「他人からどう見えるか」という額縁がない。
考えてみれば、アートの原点とは、案外そこにあるのではないだろうか。
正直に生きている人は、面白い
私は長い間、絵を描き、絵を教え、たくさんの作品を見てきた。
上手な人にも会った。
器用な人にも会った。
驚くほど技術のある人にも会った。
けれど、いつまでも心に残るのは、不思議なことに「上手な人」とは限らない。
自分の好きなものを知っている人。
自分の弱さをごまかさない人。
人と違っていることを、必要以上に恐れない人。
つまり、
正直に生きている人である。
そういう人の作品には、どこか本人の体温がある。
うまく説明できなくても、
「ああ、この人はこれを描かずにはいられなかったんだな」
というものが伝わってくる。
私は、それを「アピール」と呼んでいる。
大声で自分を売り込むという意味ではない。
「私は、こう感じています」
「私は、これが好きです」
「私は、こう生きたいのです」
と、自分の存在を世界にそっと差し出すことだ。
マティスが、ハサミで描き始めた日

アンリ・マティスの晩年の作品に《ブルー・ヌード》がある。
青く塗った紙を切り、白い紙の上に配置した作品だ。
一見すると、実に軽やかである。
子どもが色紙を切って遊んでいるようにさえ見える。
しかし、その軽やかさにたどり着くまでに、マティスは長い時間を費やしている。
晩年、身体の自由が利かなくなった彼は、それまでと同じ方法で大きな絵を描くことが難しくなった。
ならば、どうするか。
やめるのではない。
方法を変えた。
助手に色を塗ってもらった紙を、ベッドや椅子の上からハサミで切った。
彼にとってハサミは、やがて鉛筆になった。
色紙そのものが絵具になった。
《ブルー・ヌードⅡ》も、最初から軽々と生まれたわけではない。何度も紙を留め直し、形を動かし、ドローイングに戻り、また切る。その試行錯誤の末に、あの単純で力強い形へたどり着いたのである。
私は、この話が好きだ。
人は年齢を重ねる。
身体も変わる。
環境も変わる。
できなくなることも増えていく。
しかし、
「できない」は、「終わり」と同じ意味ではない。
やり方を変えればいい。
若い頃と同じように描けないなら、今の自分にしか描けない方法を探せばいい。
「自分の流」とは、昔の自分を守ることではない。
変わっていく自分を受け入れながら、それでも自分であり続けることなのだと思う。
みんなと同じ方向を向かない人

レンブラントの《フランス・バニング・コック隊長の市警団》を初めてじっくり見たとき、私は「なんて騒がしい絵なんだろう」と思った。
集団肖像画なのに、誰もじっとしていない。
隊長は命令を出し、兵士たちは動き出し、銃や槍が交差し、人々の視線もばらばらだ。
当時の集団肖像画には、依頼主たちをきちんと並べて描く慣習があった。
ところがレンブラントは、それを「事件」にしてしまった。
記念写真ではなく、映画のワンシーンのようにしたのである。
1642年のアムステルダム。
市民たちは商業都市の繁栄を支え、自分たちの街を守る自警団を組織していた。
その誇りを描くはずの肖像画で、レンブラントは「全員を同じように見せる」ことより、光と動きとドラマを選んだ。
ここに、アーティストの恐ろしいほどの正直さがある。
「普通はこう描く」
という答えより、
「私はこう見える」
を選んだのである。
一枚の絵には、人間の時間が閉じ込められている

レンブラントが25歳の頃に描いた《テュルプ博士の解剖学講義》にも、同じことを感じる。
そこに描かれている遺体には、名前がある。
アリス・キントと呼ばれた男である。
彼は罪を犯し、処刑された後、その身体が解剖学講義に使われた。
画面の医師たちは人体の構造を見つめている。
けれど、現代を生きる私たちは、別のことも考えてしまう。
この身体にも、昨日まで人生があった。
腹が減った日もあっただろう。
寒い夜もあっただろう。
誰かを好きになったこともあったかもしれない。
絵画は、ときとして歴史の表舞台に名前を残さなかった人間まで、数百年後の私たちの前へ連れてくる。
だから私は、写実とは単に「そっくりに描くこと」ではないと思っている。
肌を描く。
光を描く。
筋肉を描く。
しかし、その向こうにある「生きていた時間」まで想像できたとき、写実はリアリズムになる。
目で見るだけではない。
音を想像する。
匂いを想像する。
温度を想像する。
そこにいた人の人生を想像する。
アートとは、五感と想像力を使って、時間を越えて誰かに会いに行く行為なのかもしれない。
日本人は、本当に自己表現が苦手なのだろうか

「日本人は自己アピールが苦手だ」
よくそう言われる。
たしかに私たちの文化には、奥ゆかしさを美徳とする感覚がある。
言わなくても察する。
前へ出すぎない。
余白を残す。
しかし、それは「自己表現が弱い」ということなのだろうか。
私はそうは思わない。
歌麿の《ビードロを吹く女》を見る。
若い女性がビードロを吹いている。
ただ、それだけの場面である。
大事件は起こらない。
英雄もいない。
しかし、その一瞬には江戸の空気がある。
唇の動き。
指先。
着物の文様。
ビードロから聞こえてきそうな、かすかな音。
日本人は「言わないことで伝える」という、とても高度な自己表現を育ててきたのではないだろうか。
若冲は、鶏を見続けた

伊藤若冲も面白い。
彼は鶏を繰り返し描いた。
鶏。
鶏。
また鶏。
現代なら誰かに、
「もっと違うものも描いたほうがいいですよ」
と言われそうである。
けれど好きなものを見続ける人間は強い。
同じものを百回見ると、百一回目には、他人には見えないものが見えてくる。
羽根の重なり。
首の動き。
脚の力。
一羽一羽の性格。
「好き」という感情は、観察を持続させる燃料なのだ。
才能とは、特別な能力だけを指すのではない。
飽きずに見続けられることも、立派な才能なのである。
広重の雨は、海を渡った

歌川広重の《大はしあたけの夕立》を見ると、突然降り出した雨の中を、人々が橋の上で走っている。
斜めに走る雨。
傘をすぼめる人。
濡れた川。
遠くの岸。
広重は、雨そのものを「線」にした。
やがて、その線は海を渡る。
19世紀後半、ヨーロッパに渡った日本の浮世絵は、多くの画家たちを驚かせた。
その一人が後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホだった。
彼は広重の作品を模写した。

つまり、江戸の町を走っていた名もない人々の姿が、遠いヨーロッパの画家の目に入り、西洋絵画の未来の一部になったのである。
文化とは面白い。
誰かが「自分の流」でつくったものが、本人の知らない場所で別の誰かを救ったり、刺激したりする。
表現とは、瓶に手紙を入れて海へ流すようなものなのかもしれない。
誰が拾うかは分からない。
いつ届くかも分からない。
それでも流してみる。
それがアートなのだ。
「型なし」と「型破り」

落語家・立川談志の言葉として知られる話がある。
型を身につけていない人が勝手なことをすれば「型なし」。
型を身につけた人が、そこから飛び出せば「型破り」。
私は美術を教えてきた中で、この違いを何度も考えてきた。
デッサンを学ぶ。
形を取る。
光を見る。
構図を考える。
絵具を扱う。
それらは、自由になるための「型」なのだ。
型は、人を縛るためにあるのではない。
むしろ、
型とは、自由になるための足場である。
子どもの頃、私たちは自由に線を引いていた。
大人になる途中で、「上手に描かなければならない」と思うようになる。
そしてもう一度、技術を身につけた先で、
「上手でなくてもいい。私はこう描きたい」
という場所へ戻ってくる。
不思議なものだ。
長く学んだ人ほど、最後には子どものような場所を目指す。
ただし、最初の自由とは違う。
一度、型を通ってきた人間の自由である。
ピカソが描いた「叫び」

そして《ゲルニカ》。
1937年4月、スペイン内戦のさなか、バスク地方の町ゲルニカが爆撃された。
その報道に触れたピカソは、パリ万国博覧会のスペイン館のために制作していた作品の構想を変えていく。
巨大な画面の中で、
馬が叫ぶ。
母親が叫ぶ。
子どもは動かない。
人間の身体は壊れ、光は冷たく照らす。
色彩さえほとんど消えている。
ピカソは政治家ではなかった。
軍人でもなかった。
しかし、画家だった。
だから、絵で言った。
「私は、これを見過ごさない」
それもまた、アピールである。
自己表現とは、自分のことだけを語ることではない。
世界で起きていることに対して、
「私はこう感じる」
と応答することでもある。
《ゲルニカ》は1937年に描かれた一枚の絵でありながら、戦争によって家族を失う人間の悲しみを、今も私たちに問い続けている。
優れたアートは、時代を説明するのではない。
時代を越えて、人間そのものを語り始める。
家族という、小さな美術館
家に帰ると、そんな美術史とは無関係に日常が続いている。
妻がいる。
息子たちがいる。
食事をする。
片づけをする。
くだらない話をする。
時には意見がぶつかる。
同じ家族なのに、好きなものも、考え方も、人生の速度も違う。
昔は、家族とは同じ方向を向いて歩くものだと思っていた。
でも最近は、少し違うような気がしている。
家族とは、
違う方向を向いていても、帰ってこられる場所なのではないか。
考えてみれば、美術館もそうだ。
マティスとレンブラントは違う。
フェルメールと若冲も違う。
歌麿とピカソなど、まるで違う。
けれど同じ美術館の中に並ぶことができる。
どちらが正しいかを決める必要はない。
違うからこそ面白い。
家族も、社会も、本当はそうなのかもしれない。

自分の流
若い頃は、「自分らしさ」というものが、どこかに完成品として存在しているように思っていた。
だから探した。
自分とは何者なのか。
自分にしかできないことは何なのか。
けれど年齢を重ねて分かってきた。
自分らしさは、探して見つけるものではない。
毎日の小さな選択の積み重ねによって、あとから形になっていくものなのだ。
何を見るか。
誰と会うか。
何を読むか。
何を描くか。
何を断るか。
何を大切にするか。
そして、
何度失敗しても、何をもう一度やってみるか。
川は、最初から自分の形を知っているわけではない。
石にぶつかれば曲がる。
山があれば迂回する。
雨が降れば増水し、
日照りが続けば細くなる。
それでも海へ向かって流れていく。
だから、
「自分流」ではなく、
私は「自分の流」と考えてみたい。
決まった型としての「流儀」ではない。
変化しながら進んでいく「流れ」である。
アートの民主化
アートの民主化とは、
すべての人を画家にすることではない。
上手な絵を描ける人を増やすことでもない。
私は、
誰もが「自分はこう感じた」と表現してよい社会をつくること
なのだと思う。
絵でもいい。
写真でもいい。
料理でもいい。
文章でもいい。
庭づくりでもいい。
仕事でもいい。
子育てでもいい。
誰かへの一言でもいい。
人間は、生きているだけで世界に何かを表現している。
だったら少しくらい、
自分の好きなものに正直になってもいい。
人と違う道を歩いてもいい。
回り道をしてもいい。
立ち止まってもいい。
マティスのように、やり方を変えてもいい。
レンブラントのように、みんなを同じように並べなくてもいい。
若冲のように、好きなものを何度でも見てもいい。
広重のように、目の前の雨を描いてもいい。
そしてピカソのように、
どうしても黙っていられない日に、表現してもいい。
人生は、一枚の完成した絵ではない。
描いては消し、
塗り重ね、
時には失敗し、
思いがけない色が混ざり、
それでも少しずつ形になっていく。
だから、今の自分が完成していなくてもいい。
むしろ完成していないから、
明日も描くことができる。
私は今日も、自分の流れの途中にいる。
あなたもきっと、そうだろう。
人と違っていていい。
遅くてもいい。
迷ってもいい。
川が石を避けながら、それでも海へ向かうように、
自分にしか流れられない場所を、
自分の速度で進んでいけばいい。
そして、ときどき振り返ったとき、
曲がりくねったその軌跡が、
一枚の絵のように見える日が来る。
その絵の題名は、たぶん――
「私の人生」
なのだと思う。



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