ブログ小説『らしさが魅力――誰かにならなくていい』

らしさは、探すものではなく、すでにそこにある
「お父さんって、雲を見てる時間、長いよね」
ある日、息子にそう言われた。
窓の外には、夕方の雲が浮かんでいた。
東京の空は狭い。
ビルと電線と屋根のあいだから、空が切り取られている。
けれど、狭いからこそ、その向こうを想像することができる。
私は昔から雲を見るのが好きだった。
やさしい雲。
少し寂しい雲。
威張っている雲。
急いでいる雲。
台風の前の、何かを知っているような雲。
もちろん雲にそんな種類があるわけではない。
私が勝手にそう呼んでいるだけだ。
「今日は、かっこいい雲だな」
そう言うと、息子が笑った。
「雲に、かっこいいとかあるの?」
「あるんだよ。お父さんの中では」
そのとき、ふと思った。
――これが「らしさ」というものなのかもしれない。
誰にも教えられていない。
役に立つかどうかも分からない。
褒められるためでもない。
それなのに、なぜかやってしまう。
気がつけば、ずっと続けている。
人間の魅力とは、案外そんなところに隠れているのではないだろうか。
モンマルトルの夜にいた男
19世紀末のパリ。
夜になると、モンマルトルには昼間とは別の顔が現れた。
踊り子、歌手、芸人、労働者、娼婦、酔客。
華やかな人もいれば、社会の隅に追いやられた人もいる。
その雑踏の中に、小柄なひとりの画家がいた。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック。
彼はそこで「美しいもの」だけを探したのではなかった。
むしろ、人間の癖を見ていた。
姿勢。
歩き方。
踊り方。
酔い方。
笑い方。
孤独になったときの横顔。
そして1891年、彼は《ムーラン・ルージュのラ・グリュ》という巨大なポスターを制作する。

当時開業して間もなかったムーラン・ルージュから依頼されたこの作品は、ロートレックにとって最初のポスターであり、彼の名を一気にパリへ広めることになった。
主役はカンカン踊りで人気を博したラ・グリュ。
周囲の群衆は大胆な影のように処理され、人間の姿は細部まで描き込まれていない。
けれど、一度見たら忘れない。
それは「上手に描く」こととは違う力だった。
ロートレックにしか見えないパリ。
ロートレックにしか切り取れない人間。
その「偏り」が、作品の魅力になった。
人間も同じなのかもしれない。
欠点をなくして平均点を上げることだけが、魅力をつくるのではない。
少し変わったところ。
妙にこだわるところ。
人には理解されないところ。
そんな場所にこそ、その人だけの入口がある。
「普通」という名の思い込み

私は長いあいだ、自分のしていることを普通だと思っていた。
人が集まる場所が好きだった。
誰かと誰かをつなぐことが好きだった。
美術を教えることも好きだった。
絵を描くことも、文章を書くことも好きだった。
散歩も好きだった。
道端の石や草木を眺めるのも好きだった。
そして、
ときどき何の目的もなく立ち止まってしまう。
若い頃なら、
「そんなことをして何になる」
と言われそうな時間である。
だが歳を重ねると、不思議なことが分かってくる。
人生をつくっているのは、案外「何にもならなかった時間」なのだ。
仕事の実績は忘れても、家族で食べた夕食は覚えている。
何十年も前に見た夕焼けを覚えている。
子どもの何気ないひと言を覚えている。
母の声を覚えている。
父のアトリエの匂いを覚えている。
人間は、役に立ったものだけを記憶しているのではない。
心が動いたものを記憶しているのである。
アンリ・ルソーの堂々たる勘違い

1890年、アンリ・ルソーは《私自身、肖像=風景》を発表した。
画面の中で、彼は黒い服を着て、パレットと筆を持ち、堂々と立っている。
背景にはパリ。
船があり、空には気球があり、前年に完成したばかりのエッフェル塔まで描かれている。
まるで、
「私は、この新しい時代を描く画家である」
と言っているようだ。
ところがルソーは、当時の正統的な美術教育の中心から外れたところにいた。
彼の絵はしばしば稚拙とも見られた。
遠近法も、人間の比例も、アカデミックな絵画とは違う。
それでも彼は描いた。
そして何より面白いのは、自分を小さく描かなかったことだ。
堂々としている。
まだ世間が自分を認めていなくても、自分だけは自分を画家として扱っている。
この姿は、少し可笑しく、そして、とても勇気をくれる。
人は他人から認められてから、自分になるのではないのかもしれない。
先に自分が、自分を信じる。
社会の評価は、ずっとあとからやって来ることがある。
ルソーの独特な絵画は後の若い芸術家たちにも注目されるようになった。
「未熟」に見えたものが、やがて「ルソーらしさ」と呼ばれる。
考えてみれば、不思議な話である。
欠点と個性は、ときどき同じ場所に住んでいる。
父の背中
父も画家だった。
子どもの頃、私は父のアトリエを覗くことがあった。
絵具の匂い。
キャンバス。
使い込まれた筆。
描きかけの絵。
そこには学校とは違う時間が流れていた。
父は、何時間でも絵の前にいた。
子どもの私には理解できなかった。
「そんなに長く、何をしているんだろう」
今なら少し分かる。
時間を忘れていたのだ。
描いているのか。
絵に描かされているのか。
本人にも分からなくなるような時間。
人間には、ときどき時計が消える瞬間がある。
私はそれを、才能のひとつの姿だと思っている。
上手か下手かではない。
誰かより優れているかでもない。
「気がついたら三時間たっていた」
そこに、その人の人生の方角が隠れている。
北斎という老人

葛飾北斎もまた、長く描き続けた人だった。
《富嶽三十六景》の《凱風快晴》、いわゆる「赤富士」。
富士山は誰にでも見える。
けれど、北斎が見た富士山は北斎にしか描けなかった。
《富嶽三十六景》は同じ富士を、場所を変え、天候を変え、暮らしの場面を変えながら見つめ続ける。
《凱風快晴》が制作された1830〜32年頃のシリーズでは、当時日本に入ってきた新しい青色顔料、いわゆるベロ藍も重要な役割を果たした。
新しい材料を使いながら、何百年もそこに立っていた山を見る。
伝統と革新。
不動の山と、移ろう天候。
同じものを見ても、見る人によって世界は変わる。
北斎はそれを、生涯をかけて証明した人だった。
「自分らしいものを描こう」
と力む必要などないのかもしれない。
好きなものを、何度も見る。
飽きずに見る。
昨日と今日の違いを見る。
その積み重ねの果てに、気がつけば「その人にしか見えない世界」ができている。
母と、何でもない時間
母がまだ元気だった頃、私は「いつでも話せる」と思っていた。
家族とは不思議なものである。
大切だからこそ、いつまでもそこにいるような気がしてしまう。
だから何気ない会話を聞き流す。
「ちゃんと食べてる?」
「忙しいの?」
「無理しないでね」
そんな言葉を、若い頃の私は半分しか聞いていなかったのだと思う。
けれど、
人がいなくなると、壮大な言葉ではなく、そんな普通の言葉ばかりが戻ってくる。
声の高さ。
間。
笑い方。
電話の向こうの気配。
人の「らしさ」とは、履歴書には書けない。
母らしさ。
父らしさ。
妻らしさ。
息子らしさ。
それは、毎日の小さな癖の集合体なのだ。
ターシャ・テューダーの庭

アメリカの絵本作家ターシャ・テューダーは、1915年に生まれ、長い生涯の中で百冊を超える本に関わったとされる。
彼女は絵だけを描いていたのではない。
庭をつくり、料理をし、裁縫をし、動物と暮らし、家族との生活そのものを作品世界へ取り込んでいった。
彼女の絵には、生活と芸術をきれいに切り分ける発想があまり似合わない。
庭仕事をしている時間。
パンを焼く時間。
花を育てる時間。
家族と過ごす時間。
絵を描く時間。
それらが一本の川のようにつながっている。


「仕事」と「遊び」は、本当に別なのだろうか。
大人になると私たちは、時間を仕分けする。
勤務時間。
休憩時間。
家事。
趣味。
休日。
だが子どもは、砂場で遊びながら学んでいる。
虫を追いながら観察している。
絵を描きながら世界を理解している。
もしかすると、人生の達人とは、子どもの頃に持っていたこの境界の曖昧さを、どこかに残している人なのかもしれない。
台風の前日の空
私は鹿児島で育った。
南国の強い日差し。
台風。
桜島。
空から降る灰。
自然は、美しいだけではなかった。
怖かった。
巨大だった。
人間の都合など聞いてくれなかった。
だからだろうか。
今でも空が変わると、私は見てしまう。
台風の前の日には、独特の空がある。
雲が速い。
光が妙に美しい。
世界全体が、何かを待っている。
私はそんな空を撮る。
誰に頼まれたわけでもない。
売れるかどうかも考えない。
ただ、残したいと思う。

《記憶の記録 数分間 台風前日Ⅰ》。
その題名にある「数分間」は、私にとって大切な時間だ。
世界は同じ顔を二度と見せない。
だから記録する。
しかし写真に残しているのは、雲ではないのかもしれない。
その雲を見ていた「自分」を残しているのだ。
食卓という小さな美術館
夕食の時間。
家族四人で食卓を囲んでいた頃、そこが特別な場所だと思ったことはなかった。
「醤油取って」
「今日どうだった?」
「これ、うまい」
「明日何時?」
それだけである。
美術史には残らない。
新聞にも載らない。
けれど、人生が長くなってくると分かる。
あの食卓こそ、私たち家族の小さな美術館だったのだ。
展示されていたのは作品ではない。
笑い声。
不機嫌。
食器の音。
湯気。
沈黙。
そして、それぞれの「らしさ」。
家族とは、互いの癖を何十年も見続ける観客なのかもしれない。
同時に、互いの人生を一緒につくっている共同制作者でもある。
光琳は、燕子花を何本描いたのだろう

尾形光琳の《燕子花図屏風》を見る。
金地の上に、群青と緑。
燕子花が反復されている。
描かれているものは、驚くほど少ない。
それなのに、豊かだ。
根津美術館が所蔵するこの国宝は、六曲一双の金地屏風に燕子花だけを大胆に配置し、『伊勢物語』の八橋の場面との関係が指摘されている。
写実的にすべてを説明するのではなく、形を選び、反復し、余白を残す。
その省略こそが光琳の強さになっている。
人間もそうなのだと思う。
何もかも持つ必要はない。
何でもできる必要もない。
むしろ、
「これだけは、なぜか好きだ」
というものが一つあればいい。
光琳に燕子花があり、
北斎に富士があり、
ロートレックにモンマルトルの人々があり、
ターシャ・テューダーに庭と暮らしがあったように。
私たちにも、それぞれの「燕子花」がある。
癖は、魅力になる
若い頃は、自分の癖を直そうとする。
人と違うところが恥ずかしい。
みんなと同じようにできないことが不安になる。
けれど長く生きていると、少しずつ逆転してくる。
人と違うところこそ面白い。
不器用だったところに、その人の味が出る。
遠回りした道にしか咲いていない花がある。
三浪して大学へ入ったことも。
絵を描いてきたことも。
人に教えてきたことも。
家族を持ったことも。
失敗したことも。
病気をしたことも。
父や母を見送ったことも。
雲を見上げて立ち止まることも。
ばらばらな出来事に見えて、今になれば一本の線でつながっている。
その線を、人は「人生」と呼ぶのだろう。
そして、
その線の震え方を、
「その人らしさ」
と呼ぶのかもしれない。
誰かにならなくていい
ある夕方、私はまた空を見ていた。
妻が言った。
「また雲?」
「うん」
「好きねえ」
その言い方が可笑しくて、笑った。
そう。
好きなのだ。
理由などない。
理由がないから、たぶん本物なのだ。
道端の草に立ち止まる人がいる。
石を拾う人がいる。
電車を眺め続ける人がいる。
料理をすると時間を忘れる人がいる。
子どもの話を聞くのが好きな人がいる。
人と人をつなぐことに喜びを感じる人がいる。
「そんなことが何になるの?」
そう聞かれるかもしれない。
何にもならなくてもいい。
それをしているとき、その人の時間が生きている。
それだけで、すでに大切なことなのだ。
続けられることは、力になる。
癖は、磨けば魅力になる。
好きなことは、育てれば才能になる。
そして幸福とは、世間が決めた場所へたどり着くことではない。
自分の心が静かに動くものを知っていることなのだと思う。
最後の一枚
夕暮れ。
雲の端が金色になった。
私はスマートフォンを取り出した。
撮ろうとして、一度やめた。
しばらく肉眼で見ることにした。
風が吹いた。
雲はゆっくり形を変えた。
二度と同じ形には戻らない。
人生も同じなのだろう。
父も。
母も。
妻も。
息子たちも。
そして私も。
みんな違う速度で変わっていく。
だから、人と同じである必要などない。
誰かの人生を上手に生きる必要もない。
あなたには、あなたにしか見えない雲がある。
あなたにしか気づかない道端の花がある。
あなたにしか笑えないことがある。
あなたにしか悲しめないことがある。
それを大切にして生きればいい。
世界中の誰とも違うということは、
孤独なのではない。
それは、この世界にたった一つだけの窓を持っているということだ。
その窓から見える景色を、
どうか大切にしてほしい。
誰かにならなくていい。
あなたが何気なく続けてきたこと。
人から見れば少し変わっていること。
時間を忘れてしまうほど好きなこと。
そこにはもう、
あなたという人間の作品が、
静かに描かれ始めているのだから。



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