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人を成長させる教育

  • 執筆者の写真: sfumita7
    sfumita7
  • 12 分前
  • 読了時間: 2分


【目配り・気配り・心配りの系譜】


江戸の町がまだ木と紙に覆われ、川面には版木の香りが揺れていたころ、浮世絵の工房はひとつの小さな社会をなしていた。版元は組織の要であり、絵師・彫師・摺師たちの力を束ねる舵取り役だった。だが彼らには、命令も説教もほとんどしない。職人というのは、言葉より背中を見て育つからだ。

版元が教えるのは技術ではない。もっと根にある「働くとは、何かを受け取り何かを渡すことだ」という哲学である。仕事は技より心で磨く。だから版元は、職人の日常の仕草――掃く、拭く、食卓を整える――その一つひとつに目を凝らした。そこに「どこまで丁寧に向き合おうとするか」という、美意識の深さが映るからだ。


『名所江戸百景 亀戸梅屋敷 のぞき見る』1857年 歌川広重
『名所江戸百景 亀戸梅屋敷 のぞき見る』1857年 歌川広重

江戸という時代は「見立て」と「気づき」の文化であった。春画にも風俗画にも、どれほどの含意や気づかいが潜んでいることか。人の心に入り、なお軽やかにすれ違う、そんな繊細さこそが教養の本質だった。版元が職人に求めた「目配り」「気配り」「心配り」は、まさにこの教養を日々の労働の中で体現する修練だった。


『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿
『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿


現代に目を転じれば、その精神は今なお息づいている。救急隊員が現場で一瞬の異変を察するのも、ビジネスマンが会議で空気を読むのも、根は同じ「他者への関心」だ。教育の目的とは、知識を詰め込むことではなく、人と人の間に流れる見えない温度を感じ取る感性を育てることではないか。


成長とは、心が視野を広げる過程だ。技を磨くことも尊いが、さらに大切なのは「他者の痛みや喜びをわがこととして受け止める」感性を育てること。その心を持つ者は、どんな職場でも信頼され、どんな時代にも光をともす。

教育の原点は、江戸の工房にあったように、日常を見つめる眼差しの中にある。教えるとは、魂の温度を受け渡す行為なのだ。


「人の心を分かる心が教養」なのである。

 
 
 

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