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人を育てるということ

  • 執筆者の写真: sfumita7
    sfumita7
  • 2 日前
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更新日:1 日前




人を育てるということは

自分がやってきたこと、成しえなかったことを任せるということで

任せるからには、その相手を信じる責任がある。


誰かに任せるということは

自分ができなかったこと、できなくなったことを

認めるということでもある。


だから、誰かに任せた後は

それまで自分ができなかったこと、やっていなかったことを目的として、

新たに創めることが

自分にとっても任せた誰かにとっても

成長していける希望となる。


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『鳥獣戯画絵巻』 無名の僧侶たちが80年間かけて庶民の生活を描いた。
『鳥獣戯画絵巻』 無名の僧侶たちが80年間かけて庶民の生活を描いた。

「人を育てる」という営みには、歴史的背景と心理学的意義が深く刻まれています。

とくに、任せることや信じる責任、そして自分の限界や変化を認めるという点は、

現代の子育てや人材育成論にも共鳴します。


​​歴史的観点:継承と信頼

歴史を遡れば、家業や芸術、技術などを子どもや後継者に託す場面は無数にあります。その際、単に「やり方」を伝えるだけでなく、自分と違うやり方や新しい発想を認めていく柔軟さが鍵となりました。

江戸時代の職人社会や家督制度などでも、若い世代に任せるとき「一任する=信じる」という精神が不可欠とされました。

「任せる覚悟」は、権限を手放す(letting go)ことであり、それが継承文化の厚みや変化を生み出してきたのです。​


心理学的視点:アドラー心理学と自立支援

現代心理学、特にアドラー心理学では、「無条件の信頼」「自分を認めること」「困難を引き受ける力づけ」が育成の核心とされています。

アドラー派では、子どもの自立をゴールとし、「信頼して任せる」ことの大切さを説きます。

また、親自身も「完璧でない自分」を認めるところから始めなければ、相手を信じることはできません。

育てる主体の弱さや変化、限界を認めることで、むしろ子ども(あるいは後継者)は「自分も成長できる」と学び、挑戦し始めます。​



『キリストの洗礼』1472年 - 1475年頃  師匠ヴェロッキオと弟子レオナルド・ダ・ヴィンチ他
『キリストの洗礼』1472年 - 1475年頃 師匠ヴェロッキオと弟子レオナルド・ダ・ヴィンチ他

『キリストの洗礼(部分)』 天使(左):弟子レオナルド・ダ・ヴィンチ / 天使(右):師匠ヴェロッキオ
『キリストの洗礼(部分)』 天使(左):弟子レオナルド・ダ・ヴィンチ / 天使(右):師匠ヴェロッキオ


「自分がやってきたことを任せる」には、コントロールを手放す勇気と、相手の可能性を信じる態度が求められます。

歴史的にも、これを怠ると新たな創造や社会的変革は生まれませんでした。また、心理学の知見は「できなくなった自分」「未熟な相手」を責めるのでなく、変化や成長の物語を一緒に紡ぐ姿勢こそが、人を本当に「育てる」道であることを教えてくれます。​


「人を育てる」とは、自分と他者の両方に対して誠実であること。

任せ、信じ、そして認める——この循環の中で、人も社会もまた成長し続けていけるのです。

 
 
 

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