何でもない一日が、人生の美しい日になる
雨が降る。花が散る。人は老いる。
大切な人や場所、ペット、愛着のあったものとの時間は、いつか思い出になる。
けれども、この世界には、失われていくからこそ美しいものがある。
プロローグ
何度も見ている山はいつも同じではない。
山は山だ。
昨日も今日も、そこにある。
何が違うのだろう。
空が変わることもある。
光が変わることもある。
人が変わることもある。
けれども、何より変わっているのは、それを見ている自分なのだ。
何でもない風景が、突然、かけがえのないものに感じられることがある。
それは、人生が私たちに与えてくれる、不思議な贈り物なのかもしれない。
日本の美術には、そんな発見があふれている。
雨の中に美しさを見つけた広重。
霧の向こうに広がる世界を描いた等伯。
老いた梅の木に生命の輝きを見いだした光琳。
同じ富士山を何度も描き続けた北斎。
彼らの作品は、何百年という時間を超えて、私たちに語りかけてくる。
もっとよく見てごらん。
あなたが生きている世界は、思っているよりも美しい。
これは、一人の芸術家が、絵を描き、家族と暮らし、年齢を重ねながら、日本の美意識に出会い直していく物語である。
そして、読み終えたとき、読者自身の何でもない一日が、少しだけ愛おしく見える。
そんな贈り物にしたい。
第一部 雨の日にも、花は咲いている
第一章 雨の日にしか見えない幸福
―― 歌川広重と、思いどおりにならない人生
その朝、東京には冷たい雨が降っていた。
駅へ向かう人々は、肩をすぼめ、足早に歩いている。
傘と傘がぶつかり、濡れた道路には車のライトが映り込んでいた。
私は、いつもより早く家を出た。
ところが、駅に着くと電車が遅れていた。
ホームには人があふれ、誰もがスマートフォンを見つめている。
「また遅延か」
誰かが小さく舌打ちをした。
私も、同じ気持ちだった。
朝から予定が狂うと、それだけで一日が台無しになったように感じる。
そんなとき、ふと歌川広重の《大はしあたけの夕立》を思い出した。

江戸の大橋に、激しい雨が降り注いでいる。
人々は傘を傾け、急ぎ足で橋を渡っていく。
雨を避けようとする姿は、現代の駅前と何も変わらない。
江戸時代の人々だって、雨に困っていたのだ。
濡れたくない。
早く家に帰りたい。
できることなら、晴れていてほしい。
そんな気持ちは、今も昔も同じだろう。
けれども、広重は、その不快な雨を美しい絵に変えた。
斜めに走る無数の線。
雨に煙る遠景。
濡れた橋を急ぐ人々。
そこには、晴れた日には描くことのできない世界がある。

雨を線で表現する技法は広重以前にも存在していたが、広重は線の密度や角度、遠景のぼかしなどを巧みに組み合わせ、雨の気配を鮮やかに描き出した。
その表現は、後にフィンセント・ファン・ゴッホなどヨーロッパの画家たちにも影響を与えた。

不思議なものだ。
当時の人々が困っていた夕立を、百年以上たった私たちは、美しい芸術として眺めている。
芸術家として、私はこの作品を見るたびに考える。
広重は、雨を嫌なものとして排除しなかった。
雨があるからこそ生まれる景色を、見つけたのである。
人生も、同じなのかもしれない。
若いころ、私は失敗することが怖かった。
試験に落ちたとき。
思いどおりに絵が描けなかったとき。
努力しているつもりなのに、周囲の人たちが先へ進んでいくように感じたとき。
どうして自分だけ、こんなに遠回りしているのだろう。
そう思ったことが何度もあった。
けれども、長い年月が過ぎて振り返ると、不思議なことに気づく。
あのころの失敗があったからこそ、今、誰かの失敗を責めずにいられる。
遠回りしたからこそ、同じように悩んでいる人の気持ちが分かる。
当時は不幸だと思っていた出来事が、人生の中で大切な意味を持つことがある。
もちろん、すべての苦しみに意味を見つけなければならないわけではない。
雨に濡れて困っている人に、雨の美しさを説いても仕方がない。
まずは、傘を差し出すことが必要だ。
けれども、雨を止めることができなくても、雨との向き合い方を変えることはできる。
駅のホームで、私はスマートフォンをしまった。
線路の向こうに、雨に濡れた木々が見えた。
葉の表面が光を反射し、いつもより鮮やかな緑色をしていた。
「ああ、こんな色だったのか」
毎日通っている駅なのに、初めて気づいた。
電車は、まだ来ない。
けれども、少しだけ気持ちが軽くなった。
人生に雨が降ることを、止めることはできない。
けれども、雨の日にしか見えない美しさを、見つけることはできる。
第二章 何も描かない勇気
―― 長谷川等伯と、心の余白を取り戻す
白い画用紙を前にすると、若いころの私は、いつも少し緊張した。
何かを描かなければならない。
何もない場所を、埋めなければならない。
そんな気持ちになるのだ。
絵を描き始めたころ、私は、画面を埋めることばかり考えていた。
もっと描かなければ。
もっと細かく表現しなければ。
もっと上手に見せなければ。
けれども、描けば描くほど、絵が窮屈になることがあった。
そんなとき、日本の水墨画から大切なことを教えられた。
長谷川等伯の《松林図屏風》である。

霧の中に、松の木が立っている。
ある木は濃く、ある木は淡い。
その間には、広い余白がある。
何も描かれていない場所なのに、そこに空気を感じる。
霧が流れ、風が吹き、遠くに松林が続いているように思える。
等伯は、すべてを描かなかった。
だからこそ、見る人の心の中に、広い世界が生まれる。
雪舟の《秋冬山水図》にも、描くものと描かないものの緊張感がある。

線と墨の濃淡、そして紙の白さが、一つの風景をつくっている。
芸術家にとって、余白は単なる空き場所ではない。
余白も、表現なのである。
私は、このことを日常生活の中でも考えるようになった。
現代社会は、何かで埋め尽くされている。
予定表には、隙間なく仕事が入る。
電車の中では、スマートフォンを見る。
休日も、何か有意義なことをしなければならない気がする。
何もしていない時間に、罪悪感さえ覚える。
けれども、人生を一枚の絵だと考えたら、どうだろう。
すべての時間を予定で埋め尽くした人生は、どこか息苦しい絵になってしまうかもしれない。
何もしない午後。
窓の外を眺める時間。
家族と黙ってお茶を飲むひととき。
そんな余白があるからこそ、忙しい日々にも豊かさが生まれる。
以前、授業で絵を描いていた学生が、画面の一部を描き込まずに残した。
「ここは、まだ描かないんですか」
そう尋ねると、その学生は答えた。
「ここは、何もない方が、気持ちがいいんです」
私は、その言葉に感心した。
技術を覚えることも大切だが、自分の心が何を心地よいと感じるかに気づくことは、もっと大切なのかもしれない。
人生にも、描き込まない場所があっていい。
何も生み出さない時間があっていい。
誰かに説明できない時間があっていい。
心の余白は、無駄な時間ではない。
自分の本当の気持ちが、静かに姿を現す場所なのだ。
第三章 老木にも、花は咲く
―― 尾形光琳と、人生の後半に咲く花
ある春の日、私は公園で一本の梅の木を見つけた。
幹は大きく曲がり、枝は複雑に伸びている。
若い木のような勢いはない。
けれども、その枝先には、小さな花が咲いていた。
私は、しばらく足を止めた。
若いころ、私は、まっすぐ伸びた木が美しいと思っていた。
枝が整い、幹が力強く、勢いよく空へ伸びている木。
そんな姿に、生命の美しさを感じていた。
けれども、年齢を重ねるにつれて、曲がった木や古い木にも心を引かれるようになった。
風に吹かれ、雨に打たれ、長い年月を生きてきた木。
幹には傷があり、枝は思いがけない方向へ伸びている。
その姿には、若い木にはない美しさがある。
尾形光琳の《紅白梅図屏風》を見ると、そんなことを考える。

金色の画面に、二本の梅が描かれている。
中央には、独特の形をした水流がある。
梅の幹は曲がり、枝は複雑に伸びている。
けれども、その枝先には、花が咲いている。
芸術家としてこの作品を見ると、光琳の大胆な構成に驚かされる。
梅の木を、ただ自然のままに写しているのではない。
幹の曲線。
枝の広がり。
水流との関係。
それらを整理し、画面全体に美しいリズムをつくっている。
光琳は、自然の形を観察しながら、その中にある美しさを自分の表現へと変えている。
私は、この梅の木を見るたびに、人間の人生を思う。
若いころには、若いころの美しさがある。
年齢を重ねると、できなくなることも増える。
けれども、その一方で、見えるようになるものもある。
失敗した人を、すぐに責めなくなる。
誰かの小さな努力に、気づけるようになる。
何でもない一日を、ありがたいと思えるようになる。
若いころには、気づかなかった美しさである。
現代社会では、老いることが、何かを失うことのように語られる。
けれども、芸術の世界では、古さが美しさになることがある。
使い込まれた道具。
年月を経た木の肌。
古い建物の柱。
そこには、時間がつくり出した表情がある。
人間も、同じなのだろう。
皺は、ただの衰えではない。
笑った日も、泣いた日も、懸命に生きた日も、その人の顔に少しずつ刻まれていく。
若いころの顔には戻れない。
けれども、今の顔にしかない美しさがある。
年齢を重ねることは、美しさを失うことではない。
これまで生きてきた時間が、自分だけの美しさになっていくことなのだ。
第四章 自然の中に、自分を見つける
―― 縄文の造形と岡本太郎が教えてくれること
夏の午後。
アスファルトから、熱気が立ち上っていた。
街路樹の葉は、強い日差しに照らされ、どこか疲れているように見えた。
気象情報では、厳しい暑さへの注意が呼びかけられている。
近年、猛暑や豪雨、森林火災など、気候変動の影響が世界各地で問題になっている。
人間は、自然を利用する技術を発展させてきた。
川をせき止め、山を切り開き、都市をつくった。
そのおかげで、多くの人々の暮らしは便利になった。
けれども、その便利さのために、失ってきたものもある。
縄文時代の火焔型土器を見ると、そんなことを考える。

激しく波打つ装飾。
燃え上がる炎のような造形。
土という身近な素材から、これほど大胆な形を生み出した人々がいた。
縄文時代の人々は、狩猟や採集、漁労などを通して、自然と深く関わりながら暮らしていた。
もちろん、その社会を争いのない理想郷として描くことはできない。
けれども、自然の恵みが生活を支えていたことは確かである。
戦後の芸術家、岡本太郎は、縄文土器の造形に強い衝撃を受けた。
そして1970年、大阪万博の会場に《太陽の塔》をつくった。

高度経済成長の時代。
日本中が、未来へ向かって走っていた。
科学技術が進歩し、都市が発展し、人々は豊かな暮らしを夢見ていた。
その中心に、岡本は巨大な生命の象徴を立てた。
未来へ進むことだけが、進歩なのだろうか。
過去を忘れた未来に、本当の豊かさはあるのだろうか。
《太陽の塔》は、そんな問いを投げかけているように見える。
私たちは、自然を守らなければならないと言う。
それは正しい。
けれども、自然を守るという言葉の中には、どこか人間が自然の外側に立っているような響きもある。
本当は、私たち自身も自然の一部なのだ。
呼吸する空気。
飲んでいる水。
毎日の食卓に並ぶ食べ物。
そのどれもが、自然から与えられている。
ある日、公園で、小さな子どもが落ち葉を拾っていた。
母親が言った。
「そんなもの、捨てなさい」
けれども、子どもは葉を光にかざしていた。
「見て。葉っぱの中に道があるよ」
葉脈のことだった。
小さな葉の中に、無数の線が広がっていた。
子どもは、そこに一つの世界を見つけていた。
私たち大人は、いつから落ち葉を、ただのゴミとして見るようになったのだろう。
自然を大切にすることは、壮大な理念だけでは始まらない。
足元の小さな命に気づくこと。
季節の変化を感じること。
自分もまた、この世界に生かされている存在だと知ること。
そこから始まるのではないだろうか。
自然を守るということは、自然から離れた人間が何かをしてあげることではない。
自分自身も自然の一部であることを、もう一度思い出すことなのだ。
第二部 誰かと比べず、自分の人生を生きる
第五章 見えない思いが、人を動かしている
―― 俵屋宗達と、言葉にならない優しさ
仕事から帰ると、玄関に小さな紙袋が置いてあった。
中には、私の好きなお菓子が入っていた。
妻が買ってきてくれたものだった。
特別な日ではない。
誕生日でも、記念日でもない。
「好きだったでしょう」
妻は、それだけ言った。
けれども、その一言が、疲れた心に静かに染み込んだ。
私たちは、目に見える成果を大切にする社会に生きている。
売上。
成績。
評価。
数字で示せるもの。
誰かに説明できるもの。
けれども、人間の生活を本当に支えているのは、数字にできないものなのかもしれない。
俵屋宗達の《風神雷神図屏風》を見ると、そんなことを思う。

金色の空間に、風神と雷神が向かい合っているようにみえるが
同じ場所に留まっていたわけではない。
風神は風袋を背負い右上の空間に
羽衣を後ろになびかせて舞い降りてきた瞬間で、
雷神は太鼓を打とうとしながら左上の空間から画面の外に
羽衣を前になびかせて舞い上がっていく瞬間にも見える。
二人の間には、大きな余白がある。
けれども、その空間は、決して空っぽではない。
風が吹いている。
雷鳴が響いている。
目には見えない力が、画面全体を動かしている。
絵は動かない。
それなのに、私たちの頭の中では、神々が生き生きと動き始める。
人間関係も、同じなのだろう。
誰かの何気ない一言に、救われることがある。
忙しいときに、黙って手伝ってくれた人。
落ち込んでいるときに、いつもどおり接してくれた人。
何も言わず、隣に座っていてくれた人。
そうした優しさは、数字では測れない。
けれども、確かに人を支えている。
現代社会では、コミュニケーション能力が重視される。
自分の考えを伝える力。
相手を説得する力。
分かりやすく説明する力。
どれも大切だ。
けれども、言葉にしない優しさもある。
相手が疲れていることに気づく。
言いたくないことを、無理に聞かない。
誰かの沈黙を、そっと守る。
そんな力も、人と人をつなぐ大切な能力なのだ。
宗達の風神雷神が、見えない風を感じさせるように、私たちも見えない思いを感じ取ることができる。
人の心を動かすのは、大きな言葉や立派な行動だけではない。
誰にも見えない小さな優しさが、誰かの人生を支えている。
第六章 失敗した自分を、笑えるだろうか
―― 《鳥獣人物戯画》と、完璧でなくてもいい人生
仕事で失敗した日の帰り道は、いつもより長く感じる。
あのとき、なぜあんなことを言ってしまったのだろう。
もう少し慎重に考えていれば。
もっと上手にできたはずなのに。
頭の中で、同じ場面を何度も繰り返してしまう。
現代社会では、失敗することへの恐怖が大きくなっているように感じる。
SNSでは、成功した人の姿が次々と流れてくる。
仕事でも、学校でも、効率よく正解にたどり着くことが求められる。
失敗する前に、失敗しない方法を探す。
けれども、それでは新しいことに挑戦する勇気まで失ってしまう。
そんなとき、《鳥獣人物戯画》を眺めると、思わず笑ってしまう。

蛙が相撲を取っている。
兎が走っている。
猿が、まるで人間のように振る舞っている。
動物たちは、どこか滑稽で、どこか愛らしい。
彼らは、格好よく見せようとしていない。
ただ、懸命に生きている。
《鳥獣人物戯画》は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて制作された部分を含む絵巻物である。
作者は明らかになっていない。
けれども、その線には、人間を観察する鋭い目と、ユーモアがある。
人間の滑稽さを、動物の姿に置き換えて描いている。
そこには、誰かを一方的に責めるのではなく、人間の弱さを笑いに変える力がある。
私たちは、失敗した自分を、なかなか許せない。
けれども、十年後の自分が今の失敗を振り返ったら、どう思うだろう。
案外、笑っているかもしれない。
「あのころは、そんなことで悩んでいたのか」
そう言いながら。
失敗は、決して楽しいものではない。
誰かに迷惑をかけたなら、謝る必要がある。
やり直せることがあるなら、やり直した方がいい。
けれども、失敗した自分を、いつまでも責め続ける必要はない。
人は、完璧だから愛されるのではない。
不器用で、間違えて、時には転びながら、それでも前に進もうとする。
そんな姿に、誰かは心を動かされる。
絵巻の蛙は、今日も相撲を取っている。
勝つか負けるかは、分からない。
けれども、その姿は、何百年たっても私たちを笑顔にしてくれる。
失敗しない人生より、失敗した自分を笑いながら、もう一度立ち上がれる人生を生きたい。
第七章 同じ景色を見ても、人生は違って見える
―― 葛飾北斎と、他人と比べない生き方
同級生の近況を知った。
会社で重要な役職に就いた人。
独立して成功した人。
海外で活躍している人。
みんな、それぞれの人生を歩んでいる。
その姿を見ると、うれしい気持ちになる。
けれども、ときどき、自分だけが取り残されているように感じることがある。
どうして、あの人のようにできなかったのだろう。
自分の人生は、これでよかったのだろうか。
そんな問いが、ふと心に浮かぶ。
葛飾北斎の《富嶽三十六景》を見ると、その問いに対する一つの答えが見えてくる。



北斎は、同じ富士山を何度も描いた。
赤く染まる富士。
大波の向こうに見える富士。
町の人々の暮らしの中に、小さく姿を現す富士。
《富嶽三十六景》は、当初36図として刊行され、後に10図が追加されて全46図となった。
同じ富士山なのに、どの作品も違う。
それは、見る場所が違うからだ。
見る時間が違うからだ。
そして、そこに生きる人々の暮らしが違うからだ。
もし、すべての絵が《凱風快晴》のような赤富士だったら、どうだろう。
きっと、これほど豊かな作品群にはならなかったはずだ。
大波の向こうにある富士も、美しい。
町の建物の間から見える富士も、美しい。
遠くに小さく見える富士にも、そこにしかない魅力がある。
人生も、同じなのだろう。
人それぞれ、立っている場所が違う。
歩いてきた道が違う。
見えている景色が違う。
それなのに、私たちは、他人と同じ場所に立とうとしてしまう。
同じように成功しなければ。
同じように幸せにならなければ。
同じ年齢までに、同じものを手に入れなければ。
けれども、人生には、たった一つの正しい景色があるわけではない。
遠回りした人には、遠回りした人にしか見えない風景がある。
失敗を重ねた人には、失敗を重ねた人にしか分からない優しさがある。
誰かのために時間を使ってきた人には、その人だけの豊かな記憶がある。
北斎は、富士山を一つの姿に決めつけなかった。
さまざまな場所から見つめ、そのたびに新しい美しさを発見した。
私たちも、自分の人生を、たった一つの物差しで測る必要はないのだ。
誰かの人生が美しく見えるからといって、自分の人生が美しくないわけではない。
立っている場所が違えば、見える富士山も違うのだから。
第八章 何者でもない私たちが、誰かの宝物になる
―― 喜多川歌麿と、歴史に残らない幸福
母がつくってくれた味噌汁の味を、ふと思い出すことがある。
特別な料理ではなかった。
どこの家庭にもある、ごく普通の味噌汁だった。
けれども、あの味は、もう二度と同じようにはつくれない。
母は有名な料理人ではなかった。
歴史に名前を残すような仕事をしたわけでもない。
けれども、私にとっては、かけがえのない人だった。
喜多川歌麿の《当時三美人》を見ると、そんなことを思う。

江戸時代の浮世絵には、町で評判の女性たちが描かれている。
茶屋の娘。
町の女性。
日常の中で、人々の目を引いた存在。
彼女たちは、必ずしも権力者でも、歴史上の偉人でもなかった。
けれども、歌麿は、彼女たちを芸術作品の主役にした。
そこに、浮世絵の大きな魅力がある。
美しさは、特別な身分の人だけのものではない。
日常を生きる人々の中にも、美しさがある。
現代社会では、誰もが自分の存在を発信できるようになった。
SNSには、成功した人の姿が並んでいる。
多くの人に知られること。
高い評価を得ること。
大勢の人から注目されること。
それらが、人生の価値であるかのように見えることがある。
けれども、本当にそうだろうか。
毎朝、家族のために弁当をつくる人。
誰も見ていない場所を、丁寧に掃除する人。
疲れて帰ってきた誰かに、温かい言葉をかける人。
そうした人々の存在が、私たちの暮らしを支えている。
その人たちの名前が、歴史の教科書に載ることはないかもしれない。
けれども、誰かの人生の中には、深く刻まれている。
母が亡くなったあと、私は、何でもない日常の記憶が、どれほど大切なものだったのかを知った。
食卓に並んだ料理。
洗濯物をたたむ後ろ姿。
何気ない会話。
当時は、特別なことだとは思わなかった。
けれども、失って初めて気づく。
あれは、かけがえのない幸福だったのだ。
私たちは、もっと大きな幸せを探そうとして、すでに手の中にある幸せを見過ごしているのかもしれない。
歴史に残らなくてもいい。
大勢の人に知られなくてもいい。
誰か一人の人生の中で、大切な存在になれたなら。
それだけで、十分に価値のある人生なのではないだろうか。
人の価値は、何人に知られているかでは決まらない。
たった一人の心に、どれほど温かな記憶を残せたかで決まることもある。
第三部 孤独な時代に、人とつながる
第九章 言葉が多すぎる時代に、沈黙を取り戻す
―― 松尾芭蕉と、言葉で描く心の風景
家族が同じ部屋にいる。
けれども、誰も話していない。
それぞれがスマートフォンを見つめている。
同じ空間にいるのに、心は別々の場所にある。
そんな光景は、今では珍しくない。
私たちは、かつてないほど多くの言葉に囲まれている。
ニュース。
広告。
SNSの投稿。
誰かの意見。
誰かへの批判。
言葉は、絶え間なく流れてくる。
けれども、言葉が増えるほど、人の心が伝わりやすくなったとは限らない。
松尾芭蕉の一句を思い出す。
「古池や蛙飛びこむ水の音」
わずか十七音。
けれども、その中には、広大な世界がある。
古い池。
一匹の蛙。
水音。
そして、再び訪れる静けさ。
芭蕉は、すべてを説明していない。
だからこそ、読む人の心の中に、それぞれの風景が生まれる。
尾形光琳の《燕子花図屏風》も、同じような魅力を持っている。

金色の背景に、群青と緑の燕子花が並んでいる。
水面は描かれていない。
けれども、私たちは、そこに水の気配を感じる。
描かれていないものが、見る人の想像力によって生まれる。
それは、相手を信頼する表現なのかもしれない。
現代のコミュニケーションでは、何でも説明しようとする。
誤解されないように。
自分の正しさを理解してもらえるように。
相手を納得させられるように。
けれども、人の心には、説明できないものがある。
悲しいとき、なぜ悲しいのか、自分でも分からないことがある。
誰かを大切に思う気持ちを、言葉にできないこともある。
そんなとき、無理に言葉を探さなくてもいいのかもしれない。
ただ、隣に座っている。
同じ景色を眺めている。
一緒にお茶を飲む。
その沈黙の中に、言葉以上の思いが伝わることがある。
以前、父と並んで景色を眺めていたときのことを思い出す。
特別な話はしなかった。
ただ、同じ方向を見ていた。
その時間が、今では大切な記憶になっている。
もっと話しておけばよかったと思うこともある。
けれども、あの沈黙が無意味だったとは思わない。
言葉にならなかった思いも、確かにそこにあったのだ。
人とつながるために、いつも言葉が必要なわけではない。
何も話さなくても、心が通い合う時間がある。
第十章 人間だけが、この世界の主人公ではない
―― 伊藤若冲と、命を大切にする想像力
道端に、小さな虫がいた。
急いで歩いていた私は、危うく踏みそうになった。
立ち止まって見てみると、虫は懸命に歩いていた。
どこへ向かっているのだろう。
何を探しているのだろう。
人間にとっては、ほんの小さな存在だ。
けれども、その虫にも、生きている時間がある。
伊藤若冲の《動植綵絵》を見ると、そんなことを思う。


鶏。
魚。
虫。
植物。
若冲は、さまざまな生き物を、驚くほど丁寧に描いた。
一枚一枚の羽根。
魚の鱗。
小さな虫の脚。
植物の葉脈。
そこには、命を見つめる強い眼差しがある。
人間だけが、この世界の中心ではない。
小さな命にも、それぞれの世界がある。
日本の仏教思想には、「草木国土悉皆成仏」という考え方がある。
草木や国土にまで仏性や成仏の可能性を認める思想であり、日本の自然観を考えるうえでも興味深い。
もちろん、仏教のすべての宗派が同じ意味で理解しているわけではない。
けれども、人間以外の存在にも価値を見いだす姿勢は、現代社会にとって重要な意味を持つ。
私たちは、便利な暮らしの中で、物を簡単に買い、簡単に捨てるようになった。
壊れたら買い替える。
古くなったら新しくする。
使わなくなったら処分する。
それは合理的な行動かもしれない。
けれども、物との関わりが薄くなるほど、そこに込められた時間や思いまで、忘れてしまうことがある。
長年使ってきた筆。
使い込んだ机。
子どもが小さいころに使っていた椅子。
それらは、ただの物ではない。
家族の時間や、自分の人生の記憶を宿している。
物に人間と同じ意識があるということではない。
けれども、物を大切に扱う心は、そこに関わってきた人々の時間を大切にすることにもつながる。
若冲の絵を見ていると、世界が少し違って見えてくる。
人間に役立つかどうかだけで、存在の価値を決めることはできない。
小さな命にも、小さな物にも、それぞれの物語がある。
自分より小さな存在を大切にできる人は、きっと、自分とは違う誰かの人生も大切にできる。
第十一章 人の心は、表情だけでは分からない
―― 平安の仏像と鎌倉彫刻、見えない苦しみに寄り添う
「元気そうだね」
そう言われて、笑顔で答えた。
「ええ、元気です」
けれども、本当は、少し疲れていた。
仕事のこと。
家族のこと。
将来のこと。
いろいろな心配事が重なっていた。
それでも、人前では笑顔をつくる。
誰かに心配をかけたくないから。
弱い人間だと思われたくないから。
現代社会では、心の状態が見えにくくなっている。
SNSには、楽しそうな写真が並んでいる。
仕事では、明るく前向きであることが求められる。
けれども、その笑顔の奥に、どんな思いがあるのかは分からない。
平安時代の定朝が制作した《阿弥陀如来坐像》を見ると、その穏やかな表情に心が落ち着く。

激しい感情は表れていない。
けれども、見る人を包み込むような温かさがある。
一方、鎌倉時代の東大寺南大門の《金剛力士像》は、まったく違う表情をしている。

力強い筋肉。
大きく開いた口。
激しい動きを感じさせる姿勢。
その造形には、圧倒的な生命力がある。
二つの作品は、異なる時代の人々が抱いていた理想や祈りを、それぞれの形で表している。
ただし、平安時代の仏像がすべて穏やかで、鎌倉時代の仏像がすべて激しいわけではない。
それでも、造形を通して、時代の精神を想像することができる。
人間も、同じなのだろう。
静かな人が、何も考えていないわけではない。
怒っている人が、ただ攻撃的なわけでもない。
笑っている人が、必ずしも幸せとは限らない。
表情の奥には、その人が歩いてきた時間がある。
あるとき、職場で、いつも無口な人がいた。
何を考えているのか分からず、少し近寄りがたい印象を持っていた。
けれども、ある日、その人が誰も見ていない場所で、困っている人を手伝っている姿を見た。
大きな声で感謝されることもなく、何事もなかったように仕事へ戻っていった。
そのとき、私は思った。
人の優しさは、必ずしも表情や言葉に現れるものではないのだ。
私たちは、人を判断するのが早すぎるのかもしれない。
一度の失敗。
一つの発言。
一瞬の表情。
それだけで、その人のすべてを理解したつもりになってしまう。
けれども、人間は、それほど単純ではない。
人を理解するとは、目に見える姿を判断することではない。
その人の中にある、まだ知らない物語を想像することなのだ。
第十二章 違いを恐れない人が、新しい世界をつくる
―― 浮世絵、マネ、ドビュッシー、岡倉天心
自分と違う考え方の人に出会うと、戸惑うことがある。
どうして、そんなふうに考えるのだろう。
なぜ、自分と同じように感じないのだろう。
相手の考えを理解するより先に、間違っていると決めつけてしまうこともある。
現代社会では、SNSを通して、さまざまな意見に触れることができる。
けれども、その一方で、自分と似た考え方の人ばかりとつながり、異なる意見を受け入れにくくなることもある。
そんな時代だからこそ、美術の歴史が教えてくれることがある。
19世紀後半、ヨーロッパの芸術家たちは、日本の浮世絵に出会った。
大胆な構図。
平面的な色彩。
輪郭線を生かした表現。
それらは、西洋の伝統的な絵画表現とは異なる魅力を持っていた。
印象派の父 エドゥアール・マネの《笛を吹く少年》には、背景を簡潔に扱い、人物の姿を際立たせる表現が見られる。

浮世絵との関連も論じられているが、その表現を日本美術の影響だけで説明することはできない。
一方、ゴッホは広重の浮世絵を実際に模写した。
日本の版画から学び、新しい絵画表現を模索したのである。

音楽の世界でも、ドビュッシーの交響詩《海》の初版楽譜表紙に、北斎の《神奈川沖浪裏》を思わせる波の図像が用いられた。

一つの文化が、別の文化に出会う。
その出会いから、新しい芸術が生まれる。
もし、ヨーロッパの画家たちが、自分たちの表現だけが正しいと考えていたら、どうなっていただろう。
日本の浮世絵を、単なる異国の珍しい絵として片づけていたら。
そこから生まれた新しい表現の可能性は、もっと小さなものになっていたかもしれない。
明治時代の岡倉天心も、異文化との関わりを深く考えた人物だった。
西洋の文化を学びながら、日本や東洋の美術の価値を見つめ直した。
1906年には、英語で『茶の本』を出版し、日本の茶の文化を通して、独自の美意識を世界へ伝えた。
異なる文化を学ぶことは、自分の文化を失うことではない。
むしろ、自分自身を深く理解する機会になる。
人間関係も、同じではないだろうか。
自分と違う考え方を持つ人は、ときに面倒な存在に感じられる。
けれども、その違いが、自分の世界を広げてくれることがある。
自分にはなかった視点。
思いつかなかった発想。
気づかなかった美しさ。
それらは、違う人と出会うことで初めて生まれる。
自分と違う人を否定することは、まだ知らない世界への扉を閉ざすことかもしれない。
違いを受け入れる勇気が、新しい美しさを生み出すのだ。
第四部 人生の後半を、もっと豊かに生きる
第十三章 幸せは、買い足すものではなかった
―― 茶の湯、白洲正子、そして暮らしの豊かさ
家の中を片づけていると、使っていないものが次々と出てきた。
いつか使うかもしれないと思って取っておいたもの。
買ったことさえ忘れていたもの。
まだ使えるのに、新しいものに買い替えてしまったもの。
それらを眺めながら、ふと思った。
私は、何のために、こんなに多くのものを集めてきたのだろう。
現代社会では、欲しいものを簡単に手に入れることができる。
インターネットで注文すれば、翌日には届く。
新しい商品が次々と登場し、昨日まで便利だったものが、今日は古く感じられる。
私たちは、いつも何かが足りないような気持ちにさせられている。
けれども、茶の湯の世界には、まったく違う価値観がある。
長次郎の楽茶碗を見ると、そのことがよく分かる。

華やかな装飾はない。
形も、必ずしも完全な左右対称ではない。
けれども、手に取ることを想像すると、不思議な温かさを感じる。
土の質感。
釉薬の表情。
手の中に収まる形。
そこには、豪華さとは違う美しさがある。
千利休が深めた茶の湯の精神には、簡素なものの中に豊かさを見いだす感性がある。
何もないことが、貧しいとは限らない。
むしろ、余計なものがないからこそ、大切なものが見えてくる。
白洲正子も、そんな日本の美意識を大切にした人物だった。
夫の白洲次郎と暮らした武相荘には、古い日本家屋の趣を生かしながら、西洋の生活文化も取り入れた独自の美しさがある。


新しいものを否定するのではない。
古いものを無条件に尊ぶのでもない。
自分の目で見て、手で触れ、心で確かめる。
そこから、暮らしの価値を見つけていく。
片づけを終えた部屋に、午後の光が差し込んでいた。
物が少なくなったことで、窓から見える景色が、以前よりも広く感じられた。
妻が、お茶を入れてくれた。
湯気が、ゆっくりと立ち上っている。
特別な茶碗ではない。
高価なお茶でもない。
けれども、その時間が、とても豊かに感じられた。
幸せになるために、何かを買い足す必要はなかったのかもしれない。
すでに持っているものを、丁寧に味わうこと。
それだけで、暮らしは変わる。
豊かな人生とは、たくさんのものを持つ人生ではない。
今あるものの中に、どれほど多くの幸せを見つけられるかという人生なのだ。
第十四章 老いを受け入れたとき、人生はもう一度美しくなる
―― 本阿弥光悦と、失われていくものへの優しさ
若いころ、私は老いることを遠い未来の出来事だと思っていた。
いつか年を取る。
いつか身体が衰える。
いつか、できないことが増える。
けれども、それは、まだずっと先のことだと思っていた。
ある日、階段を上りながら、以前より息が切れることに気づいた。
重いものを持つと、身体の変化を感じる。
若いころには気にもしなかったことが、少しずつ気になるようになった。
現代社会では、老いを否定的に捉える言葉が多い。
アンチエイジング。
若返り。
年齢を感じさせない美しさ。
それらは、老いることが悪いことであるかのような印象を与えることがある。
けれども、本阿弥光悦の茶碗を見ると、別の美しさに気づく。

光悦の茶碗には、整いすぎない形の魅力がある。
土の表情。
釉薬の濃淡。
手仕事によって生まれた、独特の存在感。
そこには、工業製品のような均一さとは違う美しさがある。
人間の身体も、長い年月を生きることで変わっていく。
皺が増える。
髪が白くなる。
身体の動きがゆっくりになる。
けれども、それらは、単なる衰えの印ではない。
生きてきた時間の痕跡でもある。
以前、年老いた母の手を握ったときのことを思い出す。
若いころの母の手とは、ずいぶん違っていた。
細くなり、皺が増え、力も弱くなっていた。
けれども、その手は、私が子どものころに握っていた手だった。
熱を出したとき、額に触れてくれた手。
転んだとき、起こしてくれた手。
何度も食事をつくり、洗濯をし、家族の暮らしを支えてきた手。
その手には、長い年月が刻まれていた。
私は、老いを悲しいことだと思っていた。
けれども、そのとき初めて、老いた手の美しさに気づいた。
老いることは、失っていくことだけではない。
生きてきた時間が、身体に現れてくることでもある。
もちろん、老いには苦しみもある。
病気や不自由さを、簡単に美しいものとして語ることはできない。
それでも、老いの中に尊厳を見つけることはできる。
そして、年齢を重ねた人の中に、若いころにはなかった美しさを見つけることもできる。
老いることは、人生の終わりへ向かうだけの時間ではない。
これまで生きてきた日々が、一人の人間の美しさとして現れてくる時間なのだ。
第十五章 誰かに「生きていてよかった」と思ってもらえる人生
―― 歌舞伎、黒澤明、そして芸術が人を救う瞬間
仕事とは、何のためにするものだろう。
生活のため。
家族を養うため。
社会に貢献するため。
自分の能力を発揮するため。
どれも、大切な理由だ。
けれども、長く働いていると、ときどき分からなくなることがある。
毎日、何のために、こんなに忙しくしているのだろう。
仕事の成果は、数字で評価される。
売上。
実績。
効率。
目標達成率。
もちろん、それらは必要だ。
けれども、数字だけでは測れない仕事の価値もある。
歌舞伎俳優の坂東玉三郎が大切にしてきた、観客に生きる喜びを感じてもらうという芸の姿勢には、深く心を動かされる。
舞台で美しい姿を見せることだけが目的ではない。
観客が劇場を出たあと、少し元気になっている。
明日も生きてみようと思える。
そんな時間を届けることに、芸術の価値がある。
東洲斎写楽の役者絵を見ると、歌舞伎が持つ表現力の強さが伝わってくる。

大きく見開かれた目。
誇張された手の動き。
人物の性格まで感じさせる表情。
それは、単なる肖像画ではない。
人間の感情を、見る人の心に届けるための表現である。
映画監督の黒澤明も、人間の生き方を問い続けた芸術家だった。
若いころには画家を志し、映画制作でも絵画的な構図や色彩を大切にした。
晩年の作品《夢》では、ゴッホの絵画世界を舞台にした場面も描いている。

黒澤の映画には、人間の弱さや愚かさが描かれている。
けれども、その中には、懸命に生きようとする人々の姿がある。
芸術は、人生の苦しみを消してくれるわけではない。
けれども、苦しみの中にいる人に、別の景色を見せることができる。
以前、美術を学び直している社会人から、こんな言葉を聞いたことがある。
「絵を描いている時間だけは、仕事のことを忘れられるんです」
その人は、特別に上手な絵を描こうとしていたわけではなかった。
ただ、目の前のものを見つめ、鉛筆を動かしていた。
それだけで、心が少し軽くなったという。
私は、その言葉を聞いて、芸術の役割を改めて考えた。
芸術は、必ずしも歴史に残る作品を生み出すためだけにあるのではない。
誰かの一日を、少し豊かにする。
疲れた心に、静かな時間を届ける。
自分にも、まだ何かができると思わせる。
そんな力も、芸術にはある。
そして、それは美術だけに限らない。
料理をつくる人。
花を育てる人。
誰かを教える人。
人の話を聞く人。
どんな仕事にも、誰かの人生を少し豊かにする可能性がある。
仕事を芸術に変えるのは、特別な才能ではない。
自分の仕事が、誰かの人生にどんな温かさを届けられるかを考える心なのだ。
第十六章 AIの時代に、人間にしかできないこと
―― 日本の美意識と、これからの創造性
人工知能が、絵を描く時代になった。
文章を書き、音楽をつくり、複雑な問題を解決する。
少し前まで、人間にしかできないと思われていたことが、次々と機械によって実現されている。
便利な時代になった。
けれども、その一方で、不安を感じる人もいる。
自分の仕事は、いつか機械に奪われるのではないか。
長い年月をかけて身につけた技術が、価値を失ってしまうのではないか。
これからの社会で、人間は何を学べばよいのだろう。
そんな問いが、現実のものになっている。
私は、美術教育に関わりながら、長い間、絵を描くことの意味を考えてきた。
絵を上手に描くこと。
正確に形を捉えること。
光と陰を理解すること。
それらは、もちろん大切な技術だ。
けれども、美術を学ぶ本当の価値は、それだけではない。
目の前のものを、よく観ること。
当たり前だと思っていたことに、疑問を持つこと。
誰も気づかなかった美しさを、発見すること。
そこに、芸術の大切な役割がある。
尾形光琳の《燕子花図屏風》を見てみよう。

金色の背景。
群青の花。
緑の葉。
繰り返される形。
そこには、複雑な説明がない。
けれども、見る人の心に、強い印象を残す。
光琳は、目の前の花を、ただ正確に写したわけではない。
何を残し、何を省くか。
どこに花を置き、どこに余白をつくるか。
その選択によって、独自の美しさを生み出した。
現代の人工知能も、さまざまな画像を生成することができる。
けれども、私たち人間には、技術の発展とともに、ますます大切になる役割がある。
何を美しいと感じるのか。
何を大切にしたいのか。
誰のために、何をつくるのか。
そして、どんな社会を実現したいのか。
それらを問い続けることである。
人工知能を使えば、短い時間で多くの答えを得ることができる。
けれども、どんな問いを立てるかによって、得られる答えの意味は変わる。
美術教育が育ててきた観察力や想像力は、これからの社会でも重要な力になるだろう。
ある授業で、絵を描くことに苦手意識を持っていた人が、こんなことを言った。
「今まで、こんなに長い時間、一つのものを見たことがありませんでした」
その人は、目の前に置かれた小さなコップを描いていた。
ただの透明なコップだった。
けれども、よく見ると、光が反射し、影が落ち、周囲の景色が映り込んでいる。
描き始める前には気づかなかった世界が、そこにあった。
その人は、絵が上手になったこと以上に、観ることの面白さに感動していた。
私は、そこに美術教育の未来があると思う。
答えを覚えることだけではなく、問いを見つけること。
技術を身につけることだけではなく、自分の感性を育てること。
他人と同じものをつくることではなく、自分にしか見えない世界を発見すること。
それは、年齢に関係なく、誰もが学び続けることのできる力である。
これからの時代に大切なのは、機械より上手に答えを出すことだけではない。
人間として、何を問い、何を美しいと感じ、どんな未来をつくりたいのかを考え続けることなのだ。
エピローグ
―― 何でもない一日が、人生でいちばん美しい日になる
夕方、ベランダでは妻が花に水をやっていた。
傾きかけた陽の光が、葉の上の水滴を小さく輝かせている。
遠くで、子どもたちの声が聞こえた。
どこにでもある、何でもない夕暮れだった。
けれども、私は、その景色をしばらく眺めていた。
若いころの私は、もっと特別な人生を生きたいと思っていた。
何か大きなことを成し遂げたい。
誰かに認められたい。
自分の存在を、何かの形で残したい。
そんな思いが、いつも心のどこかにあった。
もちろん、夢を持つことは大切だ。
目標に向かって努力することも、素晴らしい。
けれども、長い年月を生きてきて、少しずつ考えが変わってきた。
人生の価値は、何を成し遂げたかだけでは決まらない。
誰と出会ったか。
誰を大切にしたか。
どんな景色に心を動かされたか。
どんな小さな出来事を、忘れずに覚えているか。
そうしたものの中にも、人生の豊かさがある。
広重は、雨の中に美しさを見つけた。
等伯は、余白の中に広大な世界を描いた。
光琳は、老木の姿に生命の美しさを見いだした。
北斎は、同じ富士山を何度も描きながら、世界の多様さを教えてくれた。
歌麿は、名もない町の女性たちを芸術の主役にした。
若冲は、小さな命にも、深い眼差しを向けた。
彼らが教えてくれるのは、特別なものだけが美しいわけではない、ということだ。
雨の日も。
失敗した日も。
年齢を重ねていく日も。
何も起こらなかった日も。
その中には、まだ気づいていない美しさがある。
現代社会は、私たちに、もっと速く、もっと多く、もっと高くと求め続ける。
けれども、人生は競争だけではない。
誰かより早く進まなくてもいい。
誰かより多く持たなくてもいい。
誰かより優れていなくてもいい。
自分の人生を、自分の目で見つめること。
目の前の小さな幸せに、気づくこと。
大切な人と過ごす時間を、丁寧に味わうこと。
それだけでも、人生は十分に豊かになる。
ベランダで、妻が水やりを終えた。
「今日は、きれいな夕焼けだね」
そう言って、空を見上げた。
私も、同じ空を見た。
雲が、ゆっくりと茜色に染まっていた。
その景色は、明日にはもう見ることができない。
今日という一日も、二度と戻ってこない。
だからこそ、愛おしい。
歴史には残らないだろう。
誰かに語り継がれることもないかもしれない。
けれども、私にとっては、かけがえのない一日だった。
そして思った。
人生とは、特別な日を待ち続けることではない。
何でもない一日を、大切に生きることなのだ。
人生でいちばん美しい日は、いつか訪れる特別な日ではない。
今、目の前にあるこの一日なのかもしれない。



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